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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第七部
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第二話 見知らぬ遠い日の夢

 もしかしたら、と期待してそっと扉を叩いても、中から返事が返ってくることはない。予想出来ていたこととはいえ、そのことに小さく溜息を吐いて、僕は部屋の中に足を踏み入れる。ここはリザが少し前まで使っていた、そして僕が聖地に行っている間にも寝泊りしていたらしい、治癒の塔の一室だった。風の国の神子であるニナ、そして城で働いていた僕やマリルーシャさんと違って、リザは正式にこの部屋を与えられたわけではない。アネモスにいる間は治癒の塔に所属している彼女は、けれどアネモスに仕える魔法使いではないから、言わば客人扱いだった。この部屋も治癒の塔での扱いは患者の家族や外から来た治癒魔法の使い手を一時的に泊める客室のようなもので、だからだろう、この部屋に彼女らしい色はない。心配なら僕の部屋で眠らせていても構わない、と治癒の塔の人には言われたけれど、それを断ったのは怖かったからだ。リザに何かあったとき、ここの方がすぐに対処出来るから、と。自分が悲観的な人間なのは自覚しているけれど、こういうときまで悪い方にしか考えられないのが嫌で仕方なかった。

 寝台で眠る少女の様子は、朝に少し覗いた時と何も変わらない。背中の傷に障らないよう横向きに寝かされたまま、悪夢に魘されるように、どこか苦しそうに、浅い息を繰り返している。それは未だ下がらない熱のせいでもあるのだろうけれど、……言葉通りの悪夢も、きっと彼女を苛んでいるのだろう。少し体調を崩しただけでいつも以上に過去に苦しめられるのはリザも同じだと、随分前に聞いていた。椅子を一つ寝台の傍に引き寄せて、そこに腰を下ろして、静かに彼女の頬に触れる。ついさっき、親しい人たちと交わしたやり取りを思い出して、少しだけ頬を緩めた。

「……あれを、叱られたと、いうのだろうね」

 ニナをとても大切に思っているあの方が、彼女を連れ去られて動揺しないわけはない。怒りを僕にぶつけるのだって、当然のことだろう。絶対に安全だ、と説明していなかったのは僕の失態で、だから不意を突かれて驚きこそしたけれど、その理由を知ればそれは十分に納得出来ることだった。けれどその状態で、まさか僕のことを気遣ってくださるなんて、どうして思うだろう。

「成長、したんだなぁ」

 初めて会ったとき、家族以外の誰にも心を開こうとしない幼い子供だったシリル様は、数年前の事件の際に自分の無力を嘆き、国を出る僕に対して強くなると誓った。そしてかつて交わした言葉の通りに、彼と同じ景色を見る、無二の存在を得た。シリル様が陛下の跡を継ぐことに異を唱える者など、もうこの城にはいないだろう。

 時間は流れていく。国も、人も、僕たちを通り過ぎて、未来へ往ってしまう。

 だから……もう、止まったままではいられないのだ。繰り返すだけの不毛な日々にはいい加減に別れを告げて、僕たちも前へ進まなければいけない。たとえそれが、運命と名付けられた糸を引きちぎるに等しい行為なのだとしても。それに従ったところで全てを失うだけだと、もう十分に分かっているのだから。

 リザ、と囁いて、その頬からそっと手を離す。シリル様には強がってみせたものの、目覚めない彼女のことはずっと心配で仕方がなかった。確かに負った傷は深かったけれど、治癒魔法を使う彼女は傷の治りが人より早いから、命に別状はないはずなのだ。実際、背中と足の傷は、そのどちらも癒えつつある。それなのに、何故彼女は目を覚ますどころか原因不明の熱に苦しんでいるのか。

 小さく嘆息したちょうどそのとき、彼女が「ぅ……」と呻いて、その瞼を薄く持ち上げた。息を呑みながらも声をかけるのを躊躇ったのは、深紫の瞳が一瞬、あまりにも空虚な色を孕んでいたせいである。ぼんやりと宙を彷徨ったそれは、僕の姿に気付くとはっきりと怯えるように見開かれた。

「リザ?」

「ぃ、や、……っ、ぁ、ジル?」

 数度ゆっくりと瞬いて、その瞳はようやく僕を映す。忘れられたわけではないようだ、と安堵して、……そう思ってしまった自分を僅かに嫌悪して、けれどそれを悟られないように柔らかく微笑んでみせた。リザを怯えさせないように、なるべく穏やかに話しかける。

「どうしたの? 怖い夢でも見た?」

「ゆめ、……そう、夢、よね」

 呆けたように呟いた彼女は、そのまま体を起こそうとして、背中の傷が痛んだのか小さく呻いた。差し伸べた僕の手を縋るように取って、リザは横になったまま、ぽつりと呟く。

「柚希じゃなかった」

「え?」

「何度も殺されたわ。それはいいの、慣れてるもの。でも、……あれは、知らない」

 手に伝わる力は弱々しく、蒼白なその顔は今にも消えてしまいそうなほどに儚い。

「最初は、ちゃんと柚希だったの。気付いたら、そうじゃなくなってた。見たこともない女色んな死に方してるだけなのに、全部あたしなんだ、って……」

 なんで、と小さく呟く彼女に気付かれないよう、僕は小さく嘆息した。出来ることならそうであってほしくはなかったけれど、恐らくこの予想は、間違ってはいないのだろう。

 彼女の古い記憶もまた、綻びつつある。

 無意識のうちに、繋いだ手に力が籠っていたらしい。訝しげに見上げてくるリザに、僕はそっと首を振った。

「その記憶に、それ以上触れては駄目だよ、リザ。君は思い出さなくていい。……知らない方が、いいことだから」

「ジル」

 リザには原初の時代に起きた出来事を知ってほしくはなかった。いや、知るだけなら構わない。何が起きたのか知らなければ、ルフィノには対抗できないのかもしれない。けれど、彼女が『歌姫』であった当時の記憶を思い出すことは、避けたい。

 僕の言葉に、彼女は小さく目を見開く。やがてその目を僅かに細めると、「何か知ってるの?」と呟いて、痛みに顔を顰めながらゆっくりと体を起こした。慌てて傷に障らないようその肩を支えれば、リザはさっきより幾分しっかりした眼差しで、「平気よ」と微笑んだ。

「ほとんど治ってるでしょ? こんなの痛いうちに入らないわ」

「……それを治っていると言うのは、君くらいだと思うけれど」

 彼女が負った傷は癒えつつあるだけで、まだ完全に塞がってもいないのだ。目覚めてもしばらく無理はさせないように、と治癒の塔の人たちにも言われている。苦笑する僕を真っ直ぐに見据えて、リザは「それで」と続けた。

「ジルはどこに行って、何を見てきたの? 帰ってきたら全部説明してくれるって言ったわよね」

「うん、言ったね。……行く前に、神話の話をしたでしょう」

 僕の言葉に、彼女は小さく頷く。嫌な予感がする、と言いたげなその苦い顔に、思わず苦笑を返した。

「予想が当たっていたことを、あまり喜べないのが複雑だけれどね。僕たちの魂は、原初の国を率いた三人のもので間違いないと思う」

「……そう」

 彼女も僕の言動から、薄々気付いたはいたのだろう。返ってきたのは驚く言葉ではなく、深い嘆息だった。


 ◆◇◆


 自分の魂が御伽噺の登場人物のものだと言われて、驚かないことと素直に受け入れることとは別の問題だろう。それでも、まだあたしは柚希の記憶がある分、動じずにいられたのだと思う。

「そもそもの始まりは、原初の賢者がかつて神と呼ばれていた存在を裏切ったことだったんだ」

続くジルの言葉に、あたしは「神?」と首を傾げた。

「残り二人を裏切ったんじゃなかった? ……あ、いや、神を裏切ったって書いてあるのも見たことあるわね」

「彼に残り二人を裏切るつもりはなかったんじゃないかな。結果としてそうなってしまっただけで、意図的にそうしたわけではないと思うよ」

 だったらあんなことをしなければ良かったのにね、と彼は遠くを見るように小さく笑う。

「結果として、って……原初の賢者は、何をしたの?」

「……どこまで、話していいのかな」

 恐る恐る訊ねれば、困ったような苦笑が返ってきた。全部話すと言ったじゃないか、と咎めるように見れば、ジルはそっと頷く。

「話す、と言ったのは嘘ではないよ。でも、さっきも言ったでしょう? 原初のことを、君に思い出してほしくはないんだ、リザ。知るべきことではあるから、こうして話しているけれど……何がきっかけになるかは分からないから」

「でも、ジルだって思い出したんでしょ?」

「僕は見ただけだよ」

 ジルは良くてあたしは駄目、なんて不公平だ。けれど返ってきたのは、またも苦い微笑だった。

「古の賢者が遺した魔法によって、映画を見たり本を読んだりするように、原初の物語を情報として得ただけだ。……いや、見せられた、と言うべきかな」

「だから、別人みたいに話すのね」

「別人だからね」

 神話の出来事を語るにしては実感の籠った、けれど自分に起きた出来事を語るには淡々としている説明はそのせいなのだろう。さっきから覚えていた違和感の正体に頷けば、彼は小さく肩を竦めた。

「僕は加波慎ではないし、原初の賢者でもない。リザだってそうでしょう?」

「……まぁ、そうね」

 だって全部、もう死んだ人間だ。その記憶に助けられたことがないわけじゃないけれど、前世かこと決別することでどうにか新しい生を受け入れられたのは、ジルもあたしも同じだった。……もっとも、それでもその記憶に振り回されてばかりなのだけど。今だってそう、ジルがわざわざ話そうとしているということは、原初の時代に起きた出来事が今もあたしたちを縛っているということだろう。

 そこまで考えて、あたしはようやく、それに気付いた。ジル、と呼びかければ、彼は穏やかに首を傾げる。

「三人っていうのは、ジルとあたしと……ルフィノも、そうなのよね」

「そうだね。賢者と歌姫と騎士の、三人」

 それぞれが神話になぞらえて呼ばれていた名の通りに。「だったら」と、あたしは小さく吐息を零した。

「何であいつは、あたしを狙うの?」

 遠い昔に味方だったはずの存在に、何故柚希は殺されなければならなかったのか。どうして、あたしは殺されそうになっているのか。……そもそも、前世の記憶というのは、本来なら次の生には引き継がれないものであるはずなのに。

 その問いは予想していたのだろう、ジルは驚いた様子もなく、ただどこか哀しそうに微笑んだ。

「彼には、別人だと思うことは出来ないのだろうね」

「どういうこと?」

「……原初の賢者が死んだあと、残る二人に何が起きたのかは分からないから、これは推測に過ぎないのだけれど」

 だからどこまで正しいかは分からないよ、と前置きして、彼は小さく嘆息する。

「ルフィノ=ウルティアは、恐らく世界でただ一人、原初から今に至るまでの全ての記憶を持っている存在だ」

「…………は?」

 想像するだけで気が遠くなるようなそれは、まるで呪いのように思えた。


こんばんは、高良です。

またまた間が空いてしまって申し訳ないです。オフラインの方で色々と活動しておりました。


さて、何となく気付いていた方も多いとは思いますが、つまりそういうことでした。

神と、それが定めた運命と、それに翻弄される彼ら三人の物語。


では、また次回。


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