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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第六部
165/173

番外編・三 全てを変える出会い

「……ジルベルト、さん」

「シリル様?」

 書庫の入り口から聞こえた声に、僕は思わず目を瞬かせる。顔を上げれば年が明けて九歳になったばかりのこの国の王子が、どこか硬い表情で立っていた。

「こんにちは。一体どうなさったのですか? シリル様はあまりこちらの書庫にはいらっしゃらないと聞きましたが」

 珍しいこともあるものだ、と内心で首を傾げつつ、それを顔には出さずに微笑む。顔を合わせることがあれば気にかけてやってほしい、と二年と少し前に初めて彼と対面したとき、その父親にあたる国王陛下に言われたけれど、今に至るまでこの少年とまともに会話したことはなかった。彼はどうやら僕を避けているようで、僕が城にいる間はあまり出歩こうとしないらしい。すれ違えば挨拶くらいはするけれど、その程度の関係だった。だからだろう、僕の問いに、彼はふいと目を逸らす。

「普段は第二書庫を使っているので。……父上が、貴方を呼んでくるようにと」

「陛下が?」

 いつものように顔を出した後、しばらく書庫にいるようにと言われて従っていたものの、その理由は訊いても教えてくださらなかった。王に呼ばれたということは、間違いなくその用事に関係があるのだろう。分かりました、と頷いて立ち上がり、ちょうど読み終えた本を書棚に戻そうと手に取れば、シリル様が「あの」と躊躇いがちにこちらを見た。

「それ、……読み終わったのなら、貸してもらえませんか」

「シリル様は、この本をご存知なのですか?」

 この国の古語にあたるアネモス語の、初心者向けの教本。初心者向けといっても、そもそも古アネモス語をまともに学ぶのは魔法使いや学者くらいのものである。貴族も教養として習うには習うけれど、それは精々いくつかの単語や簡単な熟語程度のもので、そのためにわざわざ本など使う教師は少ない。つまりこの本が対象としているのはアネモス語を理解しなければ仕事にならない職業を志す者たちで、当然中身もそういった人々に向けて書かれている。……数年前にこれを読んだ僕が言えたことではないけれど、とても子供が理解出来るものではない。

 僕の問いに、シリル様は「いけませんか」と顔をしかめた。

「第二書庫には、アネモス語で書かれた本はあるのに、教本の類はほとんどないんです。何冊か見つけはしたんですけど、難しくて……それが一番分かりやすい、と聞いたので。嫌なら別に構いませんけど」

「いいえ」

 拗ねたような彼の言葉に、僕は小さく微笑んで本を差し出す。ああ、僕もそうだった。賢いと褒められることを嫌うくせにそれを隠すことは出来ず、それなのに賢さゆえに敬遠されることを恐れる、……有り体に言ってしまえばとても面倒な子供だった、そんな時代が前世むかしの僕にもあった。もっともそれに比べれば、彼はずっと素直な子供だけれど。

「シリル様の御年でアネモス語に興味を持たれるのは珍しいので、少し驚いてしまって。僕はもう何度も読んだものですから、どうぞ持っていってください。蔵書管理表には後で書いておきますから、ご心配なく」

「……ありがとう、ございます」

 僕にそうして気を遣われることが癪なのか、渋々、といった様子で本を受け取るシリル様を見て、僕はまた笑みを漏らす。今まで出会った中でも僕に近い側に立っているのであろうこの少年は幼すぎて、同じようにかつて僕に近い場所にいてくれた友人たちの影を重ねることは出来ない。それでも僕は彼ともう少し話してみたいと思うのだけれど、僕のことを避けているこの方は、それを受け入れはしないだろう。少しだけ残念に思いながら、「陛下をお待たせするわけにはいきませんね」と部屋を出れば、意外なことに彼は本を抱えたまま、嫌そうな顔を隠そうともせず後ろをついてきた。

「シリル様?」

「父上が、きちんと連れてくるように、と。……途中で逃げると思われているんです。きちんと与えられた正当な役目を、放り出して逃げたりしないのに」

 それは日頃の行いがそうさせているのではないでしょうか、と、せっかく僕の問いに答えてくれている彼の機嫌を損なうようなことを言ったりはしない。けれど、彼の言葉は少し意外だった。

「王子という身分に対して不満を持っているわけではないのですね」

「当たり前でしょう」

 呟いたのが聞こえたのか、シリル様は小さく眉をひそめる。

「僕は父上を尊敬しているし、母上やクレアを大切に思っているんです。生まれてからずっと僕を守ってくれたこの国を、守りたいと思うのはおかしなことですか?」

「いいえ」

 そのこと自体は、むしろ歓迎すべきことだろう。王位を継ぐこと自体に抵抗があるわけでないのなら、少なくとも、陛下の懸念の一つは晴れた。「ですが」と、僕は後ろを歩く彼を振り返った。シリル様がそれを望むのなら、その在り方はなおさら良くない。

「その地位に立つことを受け入れていらっしゃるのであれば、シリル様にはもっと、味方と呼べる存在が必要でしょうね」

「……味方?」

 僕の言葉に、彼はぴた、と足を止めた。振り返って小さく首を傾げれば、彼は睨むように僕を見上げる。

「それは、僕の顔色ばかり窺って、心にもないことを口にする人たちのことですか?」

「確かにそういうことをする人もいますが……全員ではありませんよ、シリル様。それに彼らとて、貴方を称える言葉は本心からのものでしょう」

「同じことです」

 そもそも王家に対して忠誠心の全くない貴族など、今のアネモスには僅かしか存在しないのだ。もちろん彼らも守るべき領地があるのだから、王族に認められて今より高い地位を得たいと考える者は多いだろう。それでも、王家の方々を貶めようなどとは誰も思わない。世界で最も古い国の一つであるアネモスを、建国当初から率いてきた王族への信頼は、それほどに深く強いものなのだから。

 けれど僕の言葉に、シリル様は声を荒げる。

「笑いもしないで自分たちを見下す子供に、それでも取り入ろうとするような人たちを頼るくらいなら、一人でいる方がずっといい! 貴方だって――」

 その声が、一瞬だけ震えたような気がした。けれど怒りを露わにしたその表情は、普段この少年が浮かべている冷めきったものよりはずっと豊かなものの、それでも泣き顔には程遠い。

 助けを求めているのだと、そう感じたのは何故だろうか。

 ああ、だって僕は、誰よりもよく知っているのだ。逸脱しているがゆえの孤独を。それを理解してくれる人がいるというだけで、かつてどれだけ救われたかを。

「貴方は、貴方なら分かってくれると、そう思っていたのに、どうして笑っていられるんですか! 貴方だって同じでしょう? 神童という言葉は畏怖の証だと、彼らはそうやって貴方を遠ざけているのだと、気付かないわけがないのに、どうして!」

 やはり彼は賢い。僕をそうやって持ち上げる彼ら自身も気付いていないであろう、その言葉の真実を、簡単に悟ってしまう。あるいは、シリル様も似たような目を向けられているからなのだろうか。いずれにせよ、彼の言葉に間違いはなく、僕は痛みを堪えるように小さく微笑んだ。「だって」と少しだけ笑みの質を変えて、小さく首を傾げてみせる。

「そのせいで更に怖がられてしまうのは、嫌でしょう?」

「……え?」

 きょとん、と目を見開いたその顔は、今までで一番年相応の子供らしく見えた。彼に背を向けて再び歩き出せば、シリル様は慌てて後をついてくる。説明を求めるように見上げてくる彼に、僕は静かな微笑を保ったまま、諭すように語った。

「人と話すとき、笑顔は一番の武器なのですよ、シリル様」

「武器……ですか?」

「ええ。どんな場面でも、それは変わりません。穏やかな微笑みは、人の心を溶かすでしょう。冷たい笑みは、人を委縮させるでしょう。使い方さえ覚えれば、それは何より強い剣であり、……僕たちのような人間にとっては、絶対の盾でもあるのです」

 もちろん、それで僕たちを怖がる人がいなくなるわけではない。むしろ、常に笑みを絶やさないことを不気味がる人すらいるだろう。それでも、僕たちが味方であることが彼らにとって有益である限り、表立ってそう指摘されることはない。

「人は鏡だ、という言葉がありましたね、シリル様。味方に対して、たとえ偽りでも信頼の証を見せれば、彼らは必ずそれに答えます。貴方が王位を継いだとき、それはシリル様ご自身の力となるでしょう」

 それに、と僅かに目を細める。思い出すのは遠い昔、かつての僕が笑顔の裏に隠していた本心に、恐らく気付いていたのであろう友人たちのこと。

「たくさんの出会いを経れば、その中には貴方と同じ景色を見ている者もいることでしょう。貴方だけが特別なわけではありませんよ、シリル様」

 僕以外がそれを言ったところで、きっと彼は信じはしないだろう。もちろん、僕が言えば絶対に聞いてくれるなどと自惚れることは出来ないけれど、それでも他の人の言葉よりはいくらか響くはずだ。そう思った通り、不敬罪に問われてもおかしくないその言葉に、彼は何も答えなかった。


 ◆◇◆


「シリル、昼間にジルベルト様と言い争ってたって本当?」

「……誰に聞いたの、そんなこと」

 クレアの言葉に、僕は小さく顔を顰める。就寝時間はとっくに過ぎているのに、続き部屋であるのをいいことにいつも遅くまで僕の部屋に入り浸る妹は、「じゃあ本当なんだ」と目を瞬いた。……一年前に僕たちの乳母となった彼女に知られたら、きっと僕まで酷く叱られるだろうから、そろそろやめてほしいと何度も言っているんだけどなぁ。

「みんなが噂してたのよ、あんなシリル様は珍しい、って。言ってた人たちはその後でマリルーシャさんに怒られてたけど……廊下のど真ん中だったんでしょ?」

「あー……あれ、かぁ」

 人目も気にせず叫んだのは失敗だった。その後の会話の印象が強すぎて、周りを全く見なかったことも。だって、貴方だけが特別なわけではない、とまで言われたのだ。それは公爵家の次男が王族に対して向けるには無礼な言葉、だったのだろう。いくらトゥルヌミール家が王家に次ぐ権力を持つ歴史ある家でも、限度というものがある。それでも、彼を責めるつもりはないし、不快だとすら思わなかった。

 僕は一人ではないのだと、誰かに言ってほしかったのだ。他ならぬ彼が――僕よりもずっと聡明な彼がそう言うなら、確かにその通りなのだろうと信じられた。両親以外にああもはっきり叱られるのは初めてで、けれどそれは決して、嫌ではなかった。

 あのやり取りの直後の出来事を思い出す。父が彼を呼び出したのは、近隣の国からの使者と彼を対面させるためだった。何を思ってそうしたのかも、どうして僕に呼びに行かせたのかも教えてはくれなかったけど、父上にはきっと何か考えがあったのだろう。

 彼も何も告げられていなかったのか、流石に驚いてはいたけれど、それはほんの一瞬のことだった。相手だって相当高い身分と地位を持っているだろうに、……それ以上に向こうは大人で、僕やあの人とは一回りも二回りも離れているはずなのに、そんな素振りは微塵も見せなかった。直前に僕に語った通りに、終始笑顔のままで。

「クレアは……ジルベルトさんのこと、どう思う?」

「ふぇ? ど、どうって、その……素敵な人、だよね。格好良いし、優しいし……たまに廊下とかで会うと、声かけてくれるの」

 唐突な僕の問いに、妹は恥じらうように頬を染める。それはそうだろう、僕と違って年相応に物事を考えるクレアが、彼に悪印象を抱くわけがない。問題児扱いされているのは単に彼女が少々活発すぎるのと、ついでに勉強を嫌っていることが原因であって、根はとても良い子なのだ。なら、と僕は妹から視線を外して呟いた。

「あの人を教育係にしてほしいって、父上に言っても、いいかな」

「……え?」

「嫌ならいいんだ。父上ももう諦めてるだろうから、僕たちが何も言わなければ、そういうことにはならないと思うし。ただ、……その」

「いいわ! 凄くいいと思う!」

 僕の言葉を遮るようなその声は、楽しそうに弾んでいる。驚いて彼女を見れば、クレアは「勉強は嫌だけど」と笑った。

「でも、ジルベルト様とたくさん会えるようになるのは嬉しいし……シリルは、あの方に勉強を教わりたいって思うんでしょ? だったらわたしも、嫌なんかじゃないよ」

「本当に?」

「うん!」

 目を瞬けば、何の偽りもない笑顔が返ってくる。ほっと息を吐いて、僕は少しだけ頬を緩めた。

「じゃあ明日、父上に頼んでみるね」

 もっとも彼が引き受けてくれるかは分からないのだけれど、昼間の会話から察するに、恐らく断られることはないだろう。

 彼のようになりたい、と思ったのだ。知識を剣に、笑顔を盾に、堂々と振舞えるようになりたいと。

 あの人が言ったように、そうしていれば僕も、いつか出会えるだろうか。僕と同じ景色を見ている、僕の隣に立ってくれる、そんな存在に。


お久しぶりです、高良です。

二か月は流石に土下座ものです。一応サボっていたわけではなく、文庫版枯花四巻とか、八月のコミティア向けの新刊とか色々動いていたので後で活報書きます。


さて、幼少期編最終話はシリル君のお話。これまでもちらほら話題には上っていた、ジルという理解者を得る前の、やさぐれていた頃のお話です。時系列的には前話から二年と少し後。少し名前が出ていますが、マリルーシャさんが双子の乳母になったのがちょうどこの一年前の出来事です。

ツン期シリル君書いててめっちゃ楽しかったです。


さて、次回からは第七部。時系列は現在に戻り、原初から続く彼らの悲劇を再び繰り返……すかどうかはさておき、第六部のラストでいきなりさらわれてしまったニナの安否も気になるところですね?(いい笑顔)

最終決戦その一、開幕です。


では、また次回。

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