第十二話 騙られた神話
遠い遠い昔のことです。
その頃は今のようなたくさんの国はなく、小さな国がたった一つありました。そこには今よりずっと少ない人々が、争うことも飢えることもなく、とても幸せに暮らしていました。今では原初の国と呼ばれるこの国には、王様はおりませんでしたが人々からとても尊敬され慕われる方が三人いらして、皆その方々を王様のように思っていたのです。
不敗の剣で人々を護る、緑の髪の騎士様。
全てを癒す歌声を持つ、赤い髪の歌姫様。
そして、世界の全てを知り人々を導く、青い髪の賢者様。
そう、この三人こそが神様に直接生み出された、人の原初なのです。彼らは後に生まれた人々をとても慈しみ、自らの持つものを伝え継ぎました。護る術を、癒しの歌を、それらを導く知識を。このような素晴らしい方々が上に立っているのですから、問題などあるはずもありません。穏やかで平和な日々は、それはそれは長く続きましたが、永遠には続きませんでした。
賢者様が、神様を裏切ったのです。
騎士様の怒りも、歌姫様の嘆きも、ご乱心の賢者様にはもはや届きませんでした。お二人の必死の説得にも耳を貸さず、この頃はまだ誰も行ったことのなかった遠い土地に、自らの知識を受け継いだ一部の者たちを飛ばしてしまったのです。そして……何を思われたのかは今となっては誰にも分かりませんが、歌姫様もまた、その歌を継ぐ者たちを遠くへと飛ばしてしまいました。
そこで、人々はようやく異変に気付きます。賢者様と騎士様の対立を見て、危険を悟った彼らもまた生まれ育った地を捨て旅立ちました。ほとんど誰もいなくなったところで、賢者様はその膨大な魔力を爆発させ、自分ごと国を吹き飛ばしてしまいます。当然、騎士様と歌姫様もそれに巻き込まれ、原初のとはいえ人間でいらっしゃいましたから、そこで三人ともお亡くなりになりました。こうして、平和な原初の時代は唐突に終わりを迎え、最初の神子様が神国クローウィンに降り立つまで続く、長い戦乱の時代が始まるのです。
◆◇◆
この三百年呼んできた名が偽りならば、この国は――この世界の本当の名は、何というのだろうか。死が近づいてくるのを感じながら、僕は常と変わらず湧き上がる知識欲と呑気に向かい合っていた。不老ではあっても不死ではなかったらしいこの体は、やはり不完全なものなのだろう。あるいは、僕を斬ったのが騎士の剣であったからか。
永遠を与える、という神の言葉は、つまり人であることを捨てろという宣告に等しい。老いて死ぬのが人として正しい形であるならば、その片方が出来ない失敗作はもう片方も諦めてしまえ、ということだ。
神とはつまり、どの世界にも必ず一柱は存在する創造主である。彼らはあまり積極的に世界に介入してこないはずなのに、この世界の神が頻繁に僕たちの前に姿を見せるのは何故なのか、『世界の外側』の存在を知ったときから気になってはいた。……けれど言い訳するならば、あの幸福を壊してまで真実を暴こうとは、思っていなかったのだ。賢者としての役目に従って、知りたいという己の思いに忠実に、辿り着くことが罪だと知っていれば。……それでも、永遠を受け入れることは出来なかったのだろうけれど。
僕たちが神と呼んできたものは、この世界の神ではない。この世界は創られて間もない頃に、今の主が本来の創造主から奪ったものなのだ。僕たちを創ったのも本来の主の方なのだとすれば、今の主が僕たちを疎むのも納得出来る。
未練はあった。創った神が異なろうと、国の外に逃がした人々は僕たちの子供で、後継者だ。愛した世界を、愛した人々を、他の神から世界を丸ごと奪ってしまうような狂った神の下に残して逝くのは心配だった。こうでもして動かさなければ、この世界はいつまでも停滞したままだった。それでも、自分のしたことが正しかったのかは分からない。姫は神を拒んだだろうか。ろくに説明も出来ないあの状況で、全て伝えてしまったのは早計だっただろうか。僕よりずっと人間らしい感情を持つ騎士は、自分の対となる存在を殺すことを、どう感じただろう。……彼らは、最早壊れてしまったこの世界で、これからどう生きていくのだろう。怖い、と思うのはこの魂が生まれ持つ「知らないこと」に対してなのか、それともようやく死への恐怖が生まれたのか、霞がかった思考で判断するのは難しかった。
この魂もまた廻るのだろうけれど、遠い未来に生まれた『僕』がこの記憶を持って生まれる可能性は低い。どうにかしてあの洞窟に辿り着いてくれることを祈るしかなかった。……あんな魔法は、本当なら発動しないのが一番良いのだ。この世界がずっと平和であれば、あんなものは必要ない。けれど僕を殺せと二人に命じた神の、あの表情は、声は、不安を煽るには十分だった。いつか……それがどれほど遠い未来のことであっても、いつか必ず、神はこの世界をも見捨てるのだろう。僕を切り捨てたように。悲痛な彼らの表情を笑ったように。
ごめん、と呟いた声は、最早掠れて言葉にならない。それが誰に向けたものなのかも、もう分からない。
ただ、いつかまた廻り会えるだろうかと、それだけを思った。
あけましておめでとうございます、高良です。
今年も『枯花』をよろしくお願いします。
さて、新年最初の話は説明回その二。今までたまに話題に上ってきた遠い昔のお話です。
この辺りは第七部以降でもっと詳しく語ります。第六部も残り数話です。
では、また次回。




