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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第六部
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第六話 これを愛と呼ぶのなら

 ぱらり、と音を立てて紙が捲れる。次のページに記された文章を見て、僕はほんの僅かに顔を顰めた。放課後の図書室には知り合いも大勢いるから、彼らに気付かれないよう、こっそりと。それでも、一度浮かんだ息苦しさが消えることはない。

 読んでいたのは俗にいう恋愛もの、恋物語だった。愛し合う男女が互いに想いを告げて、紆余曲折を経て結ばれて、めでたしめでたしの物語。幼い頃に読んで、理解出来なくて、以来ずっと避けていた類の話。今読んだら違うかもしれないと少し期待していたけれど、あの頃から何も変わっていないのは、僕自身が一番よく分かっている。……痛いほどに。

 苦手だったはずの物語にこうして再び手を出しているのは、中学に入ってから今までの半年の間に起きた、ある出来事が原因だった。異性から、つまり同年代の女の子から、頻繁に告白されるようになったのだ。小学生の時にも何度かあったけれど、好きだ、という彼女たちの言葉は、あの頃とは意味が違う。真剣で、熱を帯びていて、もうはぐらかすわけにはいかないことを知った。僕も真摯に向かい合わなければいけないと。理由も告げず断るのは不誠実だと、十三年の間に作り上げた優等生の『僕』が訴える。

 けれど、分からないのだと正直に明かすのは、その虚像を自ら壊すことに他ならないのだ。恋も愛も、僕には理解出来ないのだと。人を好きになるというのがどういうことか、どうやっても分からないのだと。みんなが知っているその感情を知らない異端者であるのだと。君が好きになったのは、他人に失望され嫌われないための人形なのだと。……言えるわけがない。僕にとって、それは禁忌だった。だからこうして、悲鳴を上げる心に気付かないふりをして、何か分かるかもしれないと期待して、ページを捲るのだ。きっとあると信じた答えは、けれどやはり見つからないままだった。

 何も分からないわけではないのだ。父を、母を、友人たちを、大切に思う心は確かに持っている。ただ異性を、他人を特別に想う、その感情だけが。

「……慎?」

 背後から小さな声で名前を呼ばれたのは、どう足掻いても変わらない事実にそっと唇を噛んだ、ちょうどその時だった。思わずびくりと肩を震わせて振り返り、視界に映った友人の姿に安堵の息を吐く。

「悠……どうしたの?」

 僕はどんなに親しい人であっても、両親にすらこの感情を隠し続けてきたけれど、彼だけは別だった。孤独なままでいるのは耐えられなくて、彼はきっと僕と同じ側の人間だと期待して、打ち明けたのだ。案の定、悠は僕が心の内に抱く欠陥のことを聞いても、僕に失望しなかった。見捨てないと、言ってくれた。だから、こうして悩んでいるのを誰かに知られるわけにはいかなかったけれど、悠に限ってはそれを許せた。

 僕が考えていることを悟ったのか、それとも机に置かれたままの本から、僕のしていたことに気付いたのか。悠はぼんやりしているような無表情の中に僅かに別な色を浮かべると、少しだけ首を傾げた。

「保健室……いたら、話、聞こえて……慎が、図書室に、って。……少し、気になった、から」

「そう」

 微笑を返し、背後の壁に掛けられた時計を見る。いつの間にそんなに経っていたのか、もう運動部もほとんどが活動を終えて帰宅している時間だった。見ればここに座ったときには周りに沢山いたはずの生徒たちは、もう僕たちを除けば三人程度になっている。本を読む速度は決して遅くはないはずなのだけれど、と僕は苦笑を返した。どうやら思っていた以上に、考え事に没頭していたらしい。

「僕たちも帰ろう。鞄はある?」

「……うん」

「良かった」

 既に閉じていた本を、少し歩いたところにある本棚に戻す。席に戻って鞄を取り、悠に「行こうか」と声をかけて、人気の無くなった図書室を後にした。

 十月にもなると日の沈むのも早くなっていて、廊下は少し薄暗い。黙って僕の隣を歩いていた彼が言葉を発したのは、昇降口が見えてきた辺りでのことだった。

「……俺、は」

「え?」

 不意に立ち止まった友人を、二歩ほど進んでから振り返る。俯いていた彼は僕と目を合わせると、常よりもはっきりとした口調で、けれどどこかいつもよりもたどたどしく言葉を続けた。

「慎は、そのままで、良い……と、思って、る」

「……何のこと?」

 一瞬で強張った笑顔で、それでも誤魔化そうと試みる。けれど相手が悠では、それは無駄な足掻きだった。

「みんなの、言ってる、こと。分かんない、なら……無理に、分かろうとする、必要、ない……よ」

「悠、でも」

 それは、と言いかけた僕を遮るように、彼はほんの僅かに微笑する。……育ってきた環境ゆえだろう、元々彼は表情に乏しい。最近は昔に比べれば表情豊かになったけれど、それでも珍しいことに変わりはなかった。

「今は、分からなくても……ずっとじゃ、ない、と思う。……俺も、色々、分かんなかった……けど、慎に会ってから、少しだけ、分かってきた、から。慎も……教えて、くれる人、きっといるよ」

「……そう、だね」

 本当にそうだろうか。そんな存在が現れるなんてどうしても信じられなくて、けれど悠にこれ以上心配をかけるのも躊躇われて、僕は曖昧に微笑む。そんな僕の心の内も彼は見抜いてしまったのだろう、どこか不安そうに首を傾げたけれど、結局それ以上会話が続くことはなかった。


 ◆◇◆


「何だ、思ったより元気そうだな」

「……ええ、おかげさまで」

 突然鉄格子の向こうに現れた城主に、僕は無理やり微笑を浮かべてみせた。もちろん、この環境で元気でいられるわけもない。少ない食事と回復しきっていない魔力のせいで頭は割れるように痛いし、この一週間はあまり眠れていないから、余計に体調は悪化していた。リザを喪ってしまうなんて、そんな縁起でもない想像を一瞬でもしてしまったのが悪かったのだろう。ジルとして生まれてからずっと見ていた悪夢は一週間前から急に重みを増して、内側からも僕を蝕んできた。死ぬ瞬間よりもずっとずっと恐ろしい、加波慎が抱いていた孤独。だから、眠りたくないのだ。そんな夢ばかり見るのは、ウィクトリアにいたあの日々以来だった。

 それでも、全て隠し通して虚勢を張ることは出来る。敵に対して弱さを晒すわけにはいかないと、その程度の矜持は僕にもあった。……一年前のカタリナとの関係を思い出せば、とても胸を張ってそう言うことは出来ないのだけれど。

「お久しぶりです、ノーマン=エイヴァリー殿。気になっていたのですが、その名は本当に貴方のものですか?」

「安心しろ、この名も領主という肩書も、全て本物だ。だが崇高なる使命の前に、身分など何の意味を持つ」

「……使命」

 考える時間だけはたくさんあったけれど、どうしても分からなかった。この領主と『彼』との関係。エイヴァリーがここまで僕を敵視する理由。その答えは何故かずっと前から知っているような、そんな気がするのに、どうしても出てこない。思考を切り替えるように首を振って、僕は再び城主を見上げた。

「それで、何故ここに?」

「ああ、そうだった。……貴様の小細工は、存外長続きしたな」

「っ!」

 彼がここに姿を見せた時点で、その話だろうと察しはついている。けれど無意識のうちに、手首に繋がる鎖がじゃらっと音を立てた。そんな僕を見て満足したのか、領主は厭な笑みを浮かべる。

「まだ完全に消えたわけではないが、あれほど弱まった魔法なら、犯しているうちに無くなるだろう。風の国の賢者ともあろう魔法使いが、同じ城の中にいるのに何も出来ない気分はどうだ?」

「……勝ちを確信するのは、やめた方がよろしいですよ。何も出来ないなんて、僕は一度も言っていないでしょう」

 最悪だ、という言葉をどうにか飲み込んで、代わりに呻くように絞り出す。彼はそんな僕を見て鼻を鳴らすと、もう用は無いとでも言うように牢に背を向けた。

「負け惜しみにしか聞こえないな。……あの子供の亡骸を前にしてもその態度を保っていられるか、楽しみだ」

 返答を待つこともなく、足音はコツコツと遠ざかっていく。城主が完全に立ち去ったところで、僕は彼が去って行った方向を睨みつけた。

「リザ……!」

 爪が食い込んだ掌に痛みを覚えてもいいはずだろう。けれど手だけではない、さっきまであったはずの頭痛も、体中の痛みも、何も感じることはなかった。余計な感覚は不要、と言わんばかりに。気を散らすものが無くなったおかげで、さっきまでどこかぼんやりしていた頭が普段の思考を取り戻す。

 ここまで怒りを覚えたのは久しぶりだった。いや、もしかしたら初めてかもしれない。僕も流石に怒ったことくらいはあるけれど、壁一枚隔てた向こうの世界の出来事に対して、そう本気で怒れるわけがない。その壁をリザが壊した後にも色々と起こったけれど、カタリナに対しては怒りと同時にトラウマに似た何かもあった。ルフィノに関しては、柚希のことこそあったものの、彼自身は僕たちに殆ど手出ししてこなかったから、曖昧な怒りしか抱けない。明確に敵対したのは……リザに危害を加えたのはエイヴァリーが初めてで、だからこそ彼と、こんな事態を招いた僕自身が許せなかった。

 彼女の想いと向き合うと誓っておきながら、リザの好意に甘えて、答えを先延ばしにして……守ると偉そうに言っておきながら、ここに至るまで何も出来ていない。結局僕はかつての僕と変わらないままで、いつまで経っても愚かなままで、だから。

「……リザを、助けないと」

 もう終わりにしよう。気付かないふりをして、間違うことを恐れて、過ちを繰り返すわけにはいかないのだ。前世むかしから僕の中で燻っていた、幼馴染の少女への歪んだ想いは、もうどこかへ行ってしまった。代わりにそこにあるものは、リザを大切に思うこの心は、誰にも渡したくないという狂おしいほど強い想いは、きっと嘘でも間違いでもない。

 ――そう、君を守ると、遠い遠い原初むかしに誓ったのだから。

「……え?」

 ばちっ、という聞こえるはずのない音に、僕は思わず目を見開く。体の中に感じるのは、自分のものとは思えないほど強い魔力。魔法は使えないはずなのに、と浮かんだ疑問は、瞬く間に別な思考で塗り潰された。この力の使い方。この世界にはもう存在しない言語。僕が知らないはずの知識が、堰を切ったように頭の中に溢れる。……これは、この力は、彼女のためのものであると。リザを守るための力であると、直感した。

 不意に、手首の拘束具が熱を持つ。恐る恐る振り返れば、鎖は見慣れた薄青の光に包まれていた。けれどその合間に、火花のような見慣れない金色の光が走る。恐らくさっきの音の正体はこれだろう。訝しみながらも浮かんでくる知識に従って魔力を込めれば、一際大きい火花が散って、鎖は簡単に弾け飛んだ。

 砕けた鎖が当たった痛みも、何故か今は感じない。ただ一つの目的だけを胸に、僕は静かに立ち上がって鉄格子を見つめた。


お久しぶりです、高良です。流石に一ヶ月空くのは駄目ですね頑張ります。


さて、今回はジル覚醒回。枯花的にとても大事な、ジルという人間にとっての分岐点です。

前半は前世編の中でもレアな中学時代のエピソード。柚希に出会う前なのでもう悠が大活躍ですね。何故悠に出来なかったことがリザ(柚希)には出来たのか、その辺りにはちゃんと理由があるのですがまぁそのうち。

後半でそんなジルがようやく吹っ切れました。まだ六話なのにこの展開の速さは良いのか? と私も思いましたが、第六部にはもう一つエピソード突っ込む予定なので良しとします。第七部への繋ぎ回なんです。


ちなみにタイトルに既視感を覚えた方は第四部の第二十七話を確認するとちょっと楽しくなれるのではないでしょうか。


では、また次回。

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