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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第五部
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第七話 少女の取った行動

 僕がアネモスにいた頃のシリル様の一日は、基本的に自由な時間が多くて余裕のあるものだった。僕の授業以外はほとんど自由な時間だったと言ってもいい。もちろん普通の勉強の他に、別な教師から礼法なんかを学ぶ時間もあった。それでも、数年前まで彼の生活はのんびりしたものだったのだ。それは僕が風の国を去ってからも同じで、むしろ普段の僕の授業の時間が無くなった分、更に余裕が出来たと聞く。それはアネモスとウィクトリアが戦争している間も同じで、だからこそリザや兄様と組んで色々と手を回せたのだろう。

 ところが年が明けた頃から、陛下がシリル様に政務の一部を任せるようになったらしい。それだけでも今までに比べて随分忙しくなっただろうに、彼にとっての災難は同時期に神子を保護してしまったことだった。彼女の後見人になってしまったせいで、シリル様が自由に出来る時間は更に減ってしまったらしい。そんなわけだから、彼が僕の部屋に飛び込んできたのは、僕とリザが城を訪れて鐘二つほど経ってからだった。

「お久しぶりです、先生!」

「ええ。お元気そうですね、シリル様」

 数カ月ぶりに会う少年は、それでも数年前と同じ笑顔で僕を見る。陛下に相当しごかれているのか、薄っすらと表情に疲労の色を滲ませていることに気付いて、僕は思わず微笑んだ。シリル様は扉を閉め、僕の対面の椅子に腰を掛けると、今度はリザの方に視線を移す。

「リザさんも、お久しぶりです」

「……あんたは変わんないわね。でもまぁ、そりゃ三ヶ月程度じゃ変わらないかしら」

 さっきまで強張っていた表情を少しだけ和らげて呟くと、リザは持っていたティーカップを机に置いた。ことり、と小さな音が響く。さっきまで落ち着かなかった理由は彼女自身にもよく分からなかったようだけれど、シリル様が来たことでその得体の知れない緊張はひとまずなりを潜めたらしい。それでも傍から見れば不機嫌そうに見えるのだろうな、と考えつつ、僕は口を挟んだ。

「分からないよ。ほんの僅かな出来事で大きく変わってしまうのが、人間というものだから」

「ちょっと前のジルみたいに?」

 一転してからかうような笑みを浮かべるリザに対し、曖昧な笑みを返す。少し前の僕がリザのおかげで変わったのは紛れもない事実で、それに関しては全く反論出来なかった。こんなやり取りを平気で出来るようになったのがその証だろう。実際シリル様は驚いたような目で僕たちのやり取りを見ていて、そんな彼に対して僕はしらばっくれてみせた。

「どうかなさいましたか?」

「いえ、何でもありません」

 僕の問いに対し、シリル様は我に返ったように首を横に振る。けれど僕と同じようなことを考えていたのだろう、リザは呆れたように嘆息し、再びカップを取って口を付けた。

「大体予想はつくわね」

 そんなリザの言葉に苦笑すると、シリル様は姿勢を正して僕の方に向き直る。

「それで、先生。リオネルやアドリエンヌから話は――」

「ええ、聞いていますよ。神子とカタリナの話でしょう」

 彼女の目覚めを察知したときには流石に焦ったけれど、神子と契約したというのなら、アネモスやこの国の人々に害をなす恐れはない。ならば怖がる理由は無いはずと、半ば強引に自分を納得させたのだ。そんな葛藤は顔に出さず、あくまでも穏やかに頷いて見つめ返せば、シリル様は驚いたように目を見開いた。その理由も何となく分かっていたけれど、僕は気にせず言葉を続ける。

「カタリナを神子と契約させて、彼女の護衛にしたと。発案者はシリル様だそうですね。良い案だと思います。これで神子がアネモスを裏切らない限りカタリナが反旗を翻すことも無いでしょうし、アネモスにとっても精霊という力を得られたのは大きいですから。封じていては彼女の力も利用出来ませんからね」

「……先生にそう言って頂けると、安心します」

 彼の浮かべた笑顔は、数年前までよく見ていたものだった。例えば僕が何か問題を出して、シリル様の答えたことが正解だと告げたときなんかに浮かべていた表情。安心する、という彼の言葉は確かに真実なのだろう。そうやって僕の言葉に全幅の信頼を置いてしまうのは少々問題ではあったけれど、全てが正しいと信じ込んでいるわけではないらしい。だから、と放置したのが良くなかったのか、数年経っても彼のその癖は変わらないようだった。利用する、という僕の発言に対してか、「容赦ないわね」とリザが隣で呟くけれど、それには何も答えないことにする。けれどシリル様も内心ではそう思っていたのだろう、とても微妙な表情を浮かべた後にそれを振り払うように首を振り、顔を上げた。

「あの、先生。リオネルやアドリエンヌは、他に何か言っていませんでしたか?」

「他に?」

 シリル様の問いに、僕は兄の言葉を思い出す。そうだ、彼も似たようなことを訊ねてきた。母は神子について何か言っていなかったか、と。シリル様にお任せする、というのは、恐らくこのことだったのだろう。けれど詳しいことは何も聞いていなかったから、答える代わりに首を傾げた。

「何か、あったのですか?」

「何かあった、というわけではないんですけど、実は……」

 そうしてシリル様が喋りかけたところで、突然ノックの音が響く。恐らく、神子が母様との授業を終えてやってきたのだろう。シリル様に視線を送ると、彼も話を続けるのは止めたようで、軽く頷いて声を上げた。

「入って良いよ、ニナ」

 黒髪の、整った顔立ちの少女は、静かに扉を閉めるとシリル様の方に駆け寄る。……あれ、僕はどこかで、彼女を。そんな既視感に似た何かが胸を過ぎるけれど、それはほんの一瞬にも満たないことで、すぐに胸の奥に沈んでいった。ニナと呼ばれた神子はシリル様に向かって手を合わせ、謝りながらその視線を僕たちの方へと移す。

「遅くなってごめんねシリル、なるべく急いで来たんだけど、こっちまで来ることってあまり無いからちょっとだけ迷っちゃって――」

 少女がリザの方を見た瞬間、その言葉は唐突に途切れた。見れば彼女の黒い瞳は零れんばかりに大きく見開かれていて、リザの方は戸惑うような、けれどどこか強張った表情で神子を見つめ返していた。

「……お姉、ちゃん……?」

 恐る恐る投げかけられた問いに、彼女は何を思ったのか。リザはすっと音もなくシリル様と少女の横をすり抜けると、そのまま部屋から飛び出した。呆然とそれを見送っていた神子は、少しして絞り出すように呟く。

「……だったら、何で、逃げるの」

 明らかに色々な感情の含まれた声を聴いて、シリル様がぎょっとしたように彼女を見る。けれど少女はそんなシリル様に構う様子もなく、ぐっと拳を握りしめ、開け放たれたままの扉を勢いよく睨みつけた。

「えっと……ニナ?」

「ごめんシリル、話は後!」

 躊躇いがちなシリル様の問いに対して叫び返すと、少女もまたリザを追って外へと飛び出す。その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、兄様の言葉はこういうことだったのか、と交わしたやり取りを思い出した。そしてアネモスに帰る前、リザとした会話も。ニナに会いたくないのか、という僕の問いに対する、リザの答えを。

 答えは彼の口から聞くべきだろう。僕はそう判断すると、目の前の王子に微笑を向ける。

「何となく想像は出来ますが……説明していただけますね、シリル様。さっき言いかけていたのは、このことですか?」

「……久しぶりですね、この何も隠し事は出来ない感じ」

 確かに彼の立場では、人と話すときにそうそう相手を優位に立たせるわけにもいかないだろう。シリル様は懐かしそうに笑うと、僅かに表情を引き締め、僕の方を見て頷いた。

「はい、出来ることなら彼女が来る前に話したかったのですが……加波仁菜、という名前に聞き覚えはありますか?」

 予想通りの名が、シリル様の口から出てくる。となれば、次に彼が言うことを推測するのも、そう難しいことではなかった。僕は微笑し、頷く。

「かつての僕の妹の名ですね。リザから聞いたことがあります。僕が死んでしばらくしてから生まれたそうなので、会ったことはありませんが」

「話が早くて助かります」

 僕の言葉にシリル様は、苦笑混じりの首肯を返してきた。

「たった今リザさんを追って出て行ったのが、アネモスに降りた当代の神子、ニナです。名前を聞いたときからそうじゃないかと思っていたのですが、彼女と親しくなって確信しました。間違いなく、あの子はかつての先生の妹君です」

「ええ、そうだと思いました。……よく、そんな少女と僕たちを会わせる気になりましたね」

「……ごめんなさい先生、やっぱり迷惑でしたか」

 ふと漏らすと、シリル様は僅かに身を強張らせ、恐る恐るこちらを窺う。一瞬驚いたけれど、やはり、と僕は目を細めた。彼は僕がアネモスを去った理由も、前世の記憶のことも知っている。全て分かっていて、その上で決めたのだろう。不安そうな少年に、僕は首を横に振ってみせる。

「いいえ、まさか。昔ならともかく、今はもう前世のことを引きずってはいませんよ。リザのおかげで、自分の中で色々と整理が出来ましたから。ですが、シリル様はこうなる前の僕をご存知でしょう。いくら問題が解決したとはいえ、以前のシリル様なら危ない橋を渡るのは避けられるのではないかと思っただけですよ」

 シリル様は昔から聡かったけれど、同時にとても慎重だった。僕がいたときの彼なら、少しでも僕がそれを気にする可能性が残っていたら、こんな真似はしなかっただろう。ついたのは度胸か、それとも自信か。どちらにせよ、好ましい変化であることに変わりはなかった。

 そんな僕の言葉に、シリル様は苦笑する。

「それを言われると、反論は出来ませんね。……僕だって先生がいない間、何もしていなかったわけじゃないんです。先生との約束は、忘れていませんから」

「……そうですか」

「はい!」

 もっと強く、賢く、王に相応しい人間になるという彼の誓いを思い出して、僕はそっと微笑む。見上げてくる少年の目はかつてと同じ真っ直ぐなもので、けれど昔よりずっと大人びていた。

 笑顔で頷いたところで、シリル様はふと思い出したように、心配そうに廊下の方を振り返る。

「でも、先生よりもリザさんの方が、ニナに関しては色々思うところがあるみたいですね。失念していました」

「リザなら大丈夫ですよ。僕よりずっと強いですから」

 落ち着かないと彼女が言っていたのは、恐らくこのせいだったのだろう。リザの様子を思い出せば僕も心配ではあったけれど、彼女の恐れていることは、すぐには起きないはず。ならば今はまだ問題ないだろうと、僕はそっと目を細めた。


こんばんは、高良です。夏バテって怖いですね。皆様気を付けてくださいませ。


さて、ようやく登場しました第四部の主役カップル。時系列的にはちょうど第十八話から第十九話になりますね。あの時ジルリザは何を思っていたのか、その辺りを語っていきます。第

五部は予想より短くまとまりそうで一安心。


では、また次回。

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