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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第五部
122/173

第一話 新たな始まりの日

 彼が敵国で置かれていた状況は、かつて『アタシ』が体験したものとほんの少しだけ似ていた。だからだろう、生まれたときから見続けていた夢が、以前よりも重くなったのは。彼も当然それには気付いているみたいだけれど、眠るたびに前世むかしのことを夢に見るのは彼だって同じ。どうすることも出来ないのも、互いに嫌というほど分かっている。きっとこれは一時的なものなのだと、色々あったから揺らいでいるだけなのだと、そう自分に言い聞かせて耐えるほかに無かった。

 過去が怖い。夢が怖い。人が怖い。目が覚めて、彼の姿を見て、ようやくあたしはそれが過去ゆめであったことを思い出すのだ。

 あの狂わんばかりの痛みには慣れても、言い様の無い恐怖に慣れることはない。痛みは我慢出来ても、恐怖には耐えられない。自分が段々と弱くなっているのは自覚していたけれど、それに流されるわけにはいかなかった。

 だって誓ったのだ。絶対に彼の心を救ってみせると、何があっても彼の傍にいると。やっと彼に届いた言葉を、嘘にするわけにはいかない。辛い、と一言言えばきっと彼は助けてくれるけれど、そのためにまた彼の心が傷つくなんて御免だ。

 けれど、それでも悪夢はじわじわと、あたしの心を蝕んでいく。あの狂ったような笑い声と、自分の絶叫に近い悲鳴が、耳に残って離れない。奴のせいで幼い頃は人の手が恐ろしくて、特に男が怖くて堪らなくて苦労したのを思い出した。

 待って、と囁く声がする。

 ――『柚希』はそのずっと前から、人間というものに恐怖していなかったか? と。


 ◆◇◆


「新年だってのに大人しいのね、グリモワールは。五日間ずっとこうなわけ?」

 頬杖をついて普段より賑やかな通りを眺め、不意にリザがそう漏らす。僕は苦笑し、答える代わりに質問を返した。

「メルカートリアは逆に騒がしそうだね」

「そりゃもう馬鹿騒ぎだったわよ、稼ぎ時だもの。派手にすれば人も集まるでしょ? そこを狙って商人と職人が結託するから、もう戦いね」

「……それはまた、あの国らしい」

 その光景がありありと想像出来て、思わず乾いた笑みを零す。それに比べれば、智の国の新年は本当に静かでささやかなものだろう。

 この世界では年始の五日間は「新年」と呼ばれて独立し、新たな年の幕開けを祝う祭りの期間となっている。その様子は国によって本当に様々だと聴くけれど、旅を始めてから見たことがあるのは、祖国を除けばこのグリモワールの新年だけだった。アネモスでも王族や貴族、それに神殿が中心となって盛大に祝っていたから、初めてこの国で年を明かした時には驚いたものだ。

「グリモワールの人たちは、新しい年になってもやることは特に変わらないし、信仰心も薄いからね。三日目は特に華やか、っていうのは他の国と一緒だけれど、それでも他国に比べれば静かだよ」

「……キースがこの国に居座ってる理由がちょっと分かった気がするわ」

「呼ん、だ……?」

「呼んでないわよ」

 半眼で呟いたリザの背後に、すっと音も無く呼ばれた張本人が姿を現す。リザが嘆息交じりに吐き捨てると、キースは気にする様子も無く傍の椅子に座り、手に持っていた三人分の飲み物をテーブルに置いた。祭りの間はこうしてただで食べ物や飲み物を配っているところも多いから、外で座って休めるようなところは混み合っている。実は今いるような屋内の飲食店にも入れるのだけれど、それを知っているのはこのグリモワールに住んでいる人間くらいで、だからだろう、店内は外とは違って空いていた。

 けれども、それこそ飲み物を配っている場所なんかはかなり人が多かったことだろう。前世むかしから人混みが苦手だったはずの彼に、僕は苦笑を向ける。

「ありがとう、キース。泊めてもらっているんだから、それくらい自分でやるのに」

「……あんな、ことがあって……ジルに、無理、させるほど、鬼じゃない」

「もう大丈夫だよ」

 アネモスとウィクトリアの終戦から、一ヶ月と少し。キースはあの後すぐにアネモスを発ち、転移魔法で直接グリモワールに戻ってきていたけれど、僕とリザは僕の回復を待ってから出発して、いくつかの国を経由してここにやってきたのだ。当然キースと会うのも一ヶ月ぶりで、彼が僕を心配してくれる気持ちも分からないわけではない。……だが、少し心配しすぎではないだろうか。そう思ったのだけれど、キースは僅かに顔を顰め、そっと首を振った。

「ジルの、大丈夫は、大丈夫じゃない」

「ああ、分かるわそれ」

「……どうして君たちは、こういうときだけ仲が良いんだろうね」

 思えば前世むかしからそうだったっけ、と嘆息して見せれば、リザは何故か呆れるように苦笑する。……いや、理由は何となく分かっているのだけれども。逆にキースの方はというと、いつものぼんやりしたような無表情の中に、少しだけ不本意そうな色を覗かせていた。

「……別に……したくて、仲良くしてるわけじゃ、ない」

「安心しなさい、あたしだってあんたは嫌いよ」

「ほら、またそうやって」

 戦争中に二人が協力していた、という話は、城の人たちから聴いている。このやりとりを見ていると少し信じられなくなるけれど、別に二人とも仲が悪いわけじゃないのだ。苦笑してみせると、リザは僅かに目を細め、「それより」と話を逸らした。

「これからどうするのよ、ジル。まさかずっとグリモワールにいるわけじゃないでしょ?」

「……そういえば、なんで来たの」

 キースの問いに「話していなかったっけ」と首を傾げる。頷く彼に対し、僕は苦笑いして見せた。

「ここは新年でも静かだ、ってさっき言っていただろう? だからだよ。ちょっと今は、お祭り騒ぎは遠慮したくて」

「……ほら。やっぱり、まだ大丈夫じゃ、ない」

「そういうことでもないんだけど」

 いや、それともやはりキースの言う通りなのだろうか。あれ以来、彼らの言う『無理』をしないようにと気を付けてはいるけれど、それでもやはり前世からずっと続けてきたものはそう簡単には直らない。リザにも何度かそれを指摘されたというのに、僕はまたやってしまったのか。曖昧に笑うと、僕はリザに視線を移した。

「うん、新年が明けたら発つつもりだよ。次は……少し迷ったんだけど、クローウィンに行ってみようかと思って」

「……神国クローウィン?」

 眉を顰めたリザに対し、「うん」と頷いて見せる。彼女はなおも賛成しているとは言い難い表情で考え込むと、少しして顔を上げた。

「本気で言ってるの? あのクローウィンよ?」

「もちろん」

 リザが心配しているのは、間違いなくあの国の特殊性についてだろう。神に愛された国、という呼び名の通り、クローウィンの人々はとても信仰心が強い。逆に、今いるこの場所、智の国グリモワールは極端に信仰心が薄かった。そして僕とリザが、恐らくキースも、こちら側の人間なのである。……信じられるわけがないのだ、神なんて。この世界では神の存在自体は確認されているから、神などいないということは出来ない。けれど、僕たちが経験してきた不幸は、僕たちに「神を信じて祈ったところで幸せにはなれない」という事実を認識させるのには十分すぎた。

「信仰心が薄いからといって入国出来ないわけじゃないし、国内で迫害されるわけでもないよ、リザ。それはもちろん、少し居心地悪くはあるだろうけれど……あの国は、旅人に信仰心を強制するようなことはしない」

「それは知ってるわ。でも、あたしたちにとっては進んで行きたい国でもないじゃない。何でわざわざ行こうとするのか、って訊いてんのよ」

「……あの国でしか知ることが出来ない知識って、結構多いんだ」

 例えば神に関すること、神子に関すること。神国が意図的に秘匿しているわけでもないのだけれど、情報の性質上なのか、それが他国に流れることはほとんど無い。つまり、知りたければこちらからクローウィンに赴く必要があるのだ。

「リザ、キース。僕はね、この世界を知りたいんだよ。……何故かは分からないけれど、知らなければいけないんだ。全て」

 知識を得れば得るほど、その思いは大きくなっていた。僕が知らないこの世界の秘密の中に、何か知らなければ取り返しのつかないことが隠されているような、得体の知れない不安感。けれど、それが何なのかは僕自身にも分からない。そんな戸惑いが伝わったのだろう、二人とも訝しげに首を傾げたけれど、それ以上追及はしてこなかった。

「良いわ、ジルがそうしたいなら止めない。神国の治癒魔法は他とちょっと性質違うらしいから、あたしだって興味はあるしね」

「……ジルが良いなら、良い、か……アネモスみたいなことには、ならない、だろうし。……俺が、ついていければ、良かったんだけど」

 キースにも魔眼師としての仕事がある以上、それは厳しいだろう。ただでさえ、アネモスの国王陛下に呼び出されて、しばらく風の国に滞在していたのだから。彼もそれを分かっているのか、不満顔ではあるけれど素直に引き下がる。そんなキースを見て、リザがくすっと微笑んだ。

「大丈夫よ。あたしが見張ってるもの」

「……その点は、一応、信用してる」

「言っとくけどあんたよりは役に立つわよ」

 いつものように口論を始める二人を見ながら、僕は密かに笑みを浮かべる。そういえば昔から、咲月と真澄の喧嘩なんかとは違って、この二人のやり取りは安心して見ていられたっけ。取り返しのつかないことになるような険悪な雰囲気が、欠片も感じられなかったから。当時はそれが不思議でもあったけれど、今なら何となく、察することが出来るような気がした。

 前世むかしを思うたびに僕を襲っていた、重く苦しいあの感覚は、今はもう殆ど姿を見せない。そう、だから僕は、また過ちを犯しかけたのだ。隣でただ耐えている彼女の姿には気付いていたけれど、何も出来ないまま……それではいけない、と悟るのは、もう少し後のことになる。

こんばんは、高良です。何ていうかもう、この季節はすぐに眠気に負けてしまって駄目ですね。頑張ります。


さて、ようやく第五部開始。時系列はだいぶ戻り、第四部第一話より少し前、智の国グリモワールでの出来事です。正直ここでキースが出るのは予想外だった。

ここでの言葉通り、これからジルリザはクローウィンに向かうわけですが……


そうそう、今日(七月十九日)はシリル君とクレアの誕生日です。私もさっきまで忘れてました。ジルリザとの落差が激しいね……?


では、また次回!

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