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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第三十二話 一つの終わり

「あら、おはようシリル君」

「おはようございます」

 幼い頃から身についた習慣というのは、そう簡単に消えてはくれない。昨日と同じように朝早く目を覚ましたものの、まだ他に誰も起きていないらしい家の中を勝手にうろつくのは気が引けた。ニナやその両親には自分の家だと思って過ごしていいなんて言われたけれど、本当に我が物顔でうろつくのも人として駄目だろう。しばらく部屋で時間を潰してから下の階に降りていくと、洗い物をしていたらしいニナの母親がくるりと振り返って微笑んだ。

「昨日も思ったけど、早いわね。向こうでもこんなに早起きだったの?」

「はい、基本的には。侍女たちには、仕事がなくなるからいっそ寝坊して欲しいなんて愚痴られましたけれど」

「王子様も大変なのねぇ。でも、早起きは良いことだわ」

「僕もそう思います」

 返ってきた笑顔はニナとよく似た柔らかいもので、思わず釣られるようにふっと笑みを漏らす。彼女は満足気に頷くと、不意にぱんと手を叩いた。

「そうだ、シリル君に見せたいものがあったのよ。ニナも今日は早く起きてくるでしょうし、朝ご飯はその後でも大丈夫?」

「ええ、もちろん。……見せたいもの、ですか?」

 首を傾げる僕に「ちょっと座って待っててね」と告げ、彼女は廊下に出て行く。言われた通り昨日と同じ席に座って少しすると、分厚く大きな本のようなものを何冊か抱えたおばさんが戻ってきた。それが机の上に置かれるのを見ながら、僕は再び訊ねる。

「これは?」

「シリル君のいた世界には無かったかしら? 写真、ってニナから聴いたことはない?」

「それなら何度か。肖像画や風景画のようなものだと聞きました。絵と違って風景をそのまま切り取っているようだ、というのはよく分かりませんでしたけれど」

「まぁ、でも大体その通りだわ。見た方が早いかもしれないわね」

 笑顔で頷き、彼女は本を一冊取って僕の前に置くと、ゆっくりと開いた。小さな絵――いや、絵ではないのは一目見ただけでよく分かる。確かに見えるものをそのまま切り取ったような、恐ろしいほどに精密な『絵』が何枚も並んでいた。一昨日この世界に来てから何度もやっているように、こちらではそういう技術が当たり前なのだと自分に言い聞かせる。そうして落ち着いたところで、僕はようやくそこに描かれているものに意識を向けた。

 恐らく四歳か五歳か、そのくらいの黒髪の少女。幼くとも整った顔に満面の笑みを浮かべてこちらを見ている彼女には、確かに見覚えがあるような気がした。僕が何か言うのを待っているのだろう、おばさんは楽しそうな笑顔で、けれど黙って僕を見ている。少し考えて、僕は恐る恐る呟いた。

「これ……ニナ、ですか?」

「正解! 六歳になる少し前ね。この頃から周りの子たちよりも小さくてねぇ」

 見ればそのページにある『写真』には全てニナが写っていて、彼女がわざわざこれを持ってきたことから考えると他のページもそうなのだろう。僕たちの世界の王族や貴族が画家を呼んで肖像画を描かせるのと同じようなことを、こちらではもっと気軽に行えるらしい。本当に違う世界なのだ、と実感しながら、今よりもだいぶ幼いニナの姿を眺める。

「おはよう。二人とも、何やってるの?」

 部屋の入口から本人の声が聞こえたのは、そんなときだった。

「おはようニナ。今日は早起きね」

「昨日がおかしかっただけだってば! そんなことより、何見て――」

 ニナは近づいてくると僕の手元にある本に視線を移し、不意に笑顔のまま硬直する。その顔がゆっくりと赤く染まり、やがて彼女は「うあああああああ!」と奇声を発しながら本に覆い被さった。

「まっ、お母さん! 何で? 何でアルバム?」

「ニナは小さい頃から可愛いのよー、ってシリル君に自慢したくて。嫌だった?」

「嫌じゃないけど、でも恥ずかしいじゃないこんな小さい時の!」

「じゃ、お母さん朝ご飯の用意してくるわね。二人でゆっくり見てなさい」

「ちょっ、話を――」

 ニナの言葉を無視し、彼女は台所に消えていく。「うぅ」と唸りながら隣に座ったニナに、僕は笑顔を向けた。

「おはよう、ニナ」

「うん、おはようシリル……せめて私のいるところで見てほしかったかな」

「それはごめん」

 恨めしげな視線に苦笑を返し、僕は再び本を見る。ニナも別に凄く嫌というわけじゃなかったのだろう、すぐにいつも通りの表情に戻ると、自分が写っている『写真』の説明を始めた。


 ◆◇◆


「なるほどな……そんなことが」

 やってきた来実さんは、あっさりと私の説明を信じた。疑われたら両親に説明したときのように魔法を見せようと思って、念のためカタリナにもいてもらったのだけれど、それも必要無いくらいに。ここまで簡単に信じてもらえると、逆に何かあるのではないかと疑ってしまう。私と同じことを考えたのだろう、シリルはどこか険しい視線を来実さんに向けた。

「僕が言うのも何ですが、本当にニナの話を信じたのですか? この世界では真面目に話したら正気を疑われかねないような話だ、とニナに聞きましたが」

「ああそうだな。仁菜ちゃん以外にそんな話をされたら、僕も信じなかっただろうね」

「ニナの言うことなら信じると?」

 私の脇に浮かび、同じく警戒するような表情で首を傾げるカタリナを、来実さんはどこか複雑そうな表情で見つめる。そういえばここに来てすぐ、彼女を最初に見たときにも、驚いたような顔をしていた。やっぱりこれは間違いないかなぁ、などと関係ないことを考えているうちに、横では会話が進んでいる。

「仁菜ちゃんが嘘を吐くとは思えないからね。あれだけご両親を大事にしていたこの子が突然いなくなったのも、そういう理由なら納得がいく。……宝城のことがあるからな、心配していたんだ。誘拐なんかじゃなくて良かった」

「う……ごめんなさい」

「いや、無事で安心したよ」

 それを聞いて思わず俯くと、彼は苦笑交じりに首を振った。すぐにその表情を引き締め、来実さんは真剣な顔で私を見る。

「いくら探しても何の手がかりも無かった理由は分かった。……それで、おばさんを追い出したってことは、聞かれたくない話でもあるんだろう?」

「追い出した、わけじゃないんですけど」

 確かに、お母さんには聞かれたくない話があるから、と頼んだのは私だ。追い出したと言われても否定は出来ないけれど、それにしても人聞きの悪い。そっと嘆息し、私は顔を上げて、来実さんを真っ直ぐに見た。

「私たちがすぐに警察に行かなかった理由も、今の話で分かってもらえたと思います」

「ああ、そうだな。頭の固いあいつらがこんな話を信じるとも思えない。……そうか、適当に理由をでっち上げろって?」

「でっち上げはその通りですけど、微妙に違います。来実さんが言ってるのは、私がこの世界でまた生活出来るように、ってことですよね? そうじゃなくて、私がまた向こうの世界に戻っても今度は誰も心配しないように、一度帰ってきてまたいなくなる理由をでっち上げてほしいというか……」

 それだけでは分からないだろうと気付き、シリルとのことを軽く説明する。話を終えると、来実さんはどこか疲れたように嘆息した。……無茶を言っているのは分かっている。下手をすれば来実さんの立場も危うくなるような、そんなことだ。でも、彼以外に頼める人はいなかった。その事情は彼もよく分かっているのだろう、やがて顔を上げ、私を見た。

「分かった、引き受けよう。……代わりと言っては何だけど、一つだけ質問していいかい?」

「私に答えられることなら」

「……そこに浮いている子が、どうも僕のよく知っている子に似ている気がしてね。誰だか教えてくれるかな」

 うわぁ来た、と肩を竦める。表情こそ穏やかだったけれど、その口調にはどこか切羽詰まったような、そして有無を言わさない響きがあった。振り返った私と目を合わせると、カタリナはにこりと笑って床に降りる。そのまま来実さんの目の前に出ると、彼女は優雅に一礼した。

「カタリナ=オディール=ユーベルヴェーク=ウィクトリア。元は人間でしたけれど、今はニナを護るただの精霊ですわ」

「そういうことを説明されても分からないから良い。それより君、親はいるのか?」

「ええ。今はどちらも亡き人ですけれど」

「……母親の名前は?」

 表情はそのままに、けれど拳を強く握りしめて、来実さんが訊ねる。カタリナは珍しく――彼女にしては本当に珍しく、どこか悼むように表情を歪めて、囁くように答えた。

「母が私に対して名乗ることは、終ぞありませんでした。けれど、叔父から彼女の本名を聴いたことは、一度だけあります。……チナツ、そう名乗っていたと言っていましたわ」

「っ!」

 恐らくそれは彼が長い間欲しかった答えで、けれど一番聞きたくなかったことなのだろう。二十年以上探し続けていた、彼の妹の行方。来実さんが妹さんを今も大事に想っているのはよく知っている。カタリナは暗に彼女の死を告げたのだから、もっと動揺するかと思ったのだけれど、彼の反応は驚くほどに静かだった。

「……もう一つ訊いていいかな。ちぃは、あの子は幸せだったのか?」

 その問いに、カタリナが固まったのが分かった。理由は訊かずとも分かって、私とシリルも思わず顔を見合わせる。……だって彼女の話を聞く限り、ウィクトリア王妃だったその女性が幸せだったとは、とても思えないのだ。けれど答えないわけにもいかないと悟ったのか、カタリナは嘆息した。

「私が生まれたときには、そうではなかったと思います。……けれど、そうね。愛を知ることを幸せと呼ぶのなら、彼女も不幸なばかりでは無かったのでしょうね」

「そうか……ありがとう」

 カタリナの言葉を噛み締めるように、来実さんはそっと目を閉じる。その顔はとても辛そうだったけど、目を開いたときには彼はもういつも通りの笑顔で、今までしていた話が嘘のようだった。

「それじゃ、頼まれたことはしておくよ。夜辺りにまた来るから、不便だとは思うが今日は外に出ないように」

「はい、分かってます。……あの、来実さん」

 部屋を出て行く彼を追うように立ち上がりかけると、来実さんは不意にくるりと振り向く。当然ばっちり目が合って、彼はやっぱりとでも言いたげに微笑んだ。

「君は本当に慎にそっくりだな、仁菜ちゃん。お人好しにも程がある。僕より先に自分の心配をすべきだろう?」

「あ、……はい」

「よろしい。それじゃ、また後で」

 反論する前に彼は出て行ってしまって、私は「えっと」とカタリナを振り返る。シリルも珍しく心配そうに彼女を見ていて、二つの視線に気づいたカタリナは呆れたように嘆息した。

「知っていて何も言いませんでしたわね? ニナ」

「ごめん、言った方が良いかとは思ったんだけど、確証も無かったから……」

「ええ、責めているわけではありませんわ」

 再び嘆息すると、カタリナはふわりと宙に浮かび上がる。

「けれどまぁ、確かにこんなに驚いたのは久しぶりかもしれませんわね」

「貴女でも驚くんですね」

「これでも元は人ですもの」

 シリルの言葉に軽い口調で返し、カタリナは不意に姿を消す。……何も言わずに、というのは珍しいけれど、彼女にも色々と思うところはあったのだろう。それはそうか、家族は全員死んだと思っていたら、突然お母さんの兄だという人と出会ってしまったのだから。カタリナなら大丈夫だろうし、大丈夫じゃなかったら言ってくるだろうけれども。

 何か一気に疲れたなぁ、と息を吐き、私はシリルを振り返る。

「さて、そんなわけでもうしばらくは暇なわけだけど、どうしよっか?」

「ニナに任せるよ」

 私と同じような苦笑を浮かべ、彼はそっと肩を竦めた。


こんばんは、高良です。……難産でした。言い訳ここまで。


そんなわけでやたら出番が多いことに定評のある元悪役・カタリナさん回。第三部番外編から続いていた先代の神子の話は、多分これでおしまいです。冬哉君がその結末に納得しているかどうかはおいといて、彼が今後物語に深く絡んでくることはない……はず。多分。


では、また次回!

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