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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第三十話 逃避の報い

 母に促されるままにゆっくり風呂に入り、四カ月ぶりの自分の部屋に戻る。お母さんが掃除してくれていたのだろう、埃なんかは全く積もっていなかった。すぐにでもベッドに飛び込みたい気持ちを抑え、ついてきてくれたお母さんの方を振り向く。私と目が合うと、彼女はにっこりと微笑んだ。

「それにしても、しばらく見ない間に随分泣き虫になったのねえ」

「……そ、そんなことないもん」

「そうねぇ、昔からだったわ」

「お母さん!」

 自分が僅かに赤くなっていることを自覚しつつ、八つ当たりのようにぼふんっとベッドに腰を下ろす。母は面白そうに私の隣に座ると、隣から私を覗き込んできた。

「でも、ちょっと大人っぽくなったわね、ニナ。身長は伸びてないみたいだけど」

「それはお母さんに似たの! ……大人っぽく? なったかなぁ?」

 首を傾げると、お母さんは笑顔で頷き、そっと私の頭に手を乗せる。向こうでも、お姉ちゃんと会ってからは彼女に同じことをされることも多かったけれど、お母さんの手とお姉ちゃんの手ではやはり違うのだ。甘えるように目を閉じたのが、母にも分かったのだろう。そのまま、まるで小さい子にするように私を撫でながら、彼女は続けた。

「なったわ。本当に、色々なことがあったんでしょうね」

「たくさんあったよ。ずっとこっちで平和に暮らしていたら絶対に出来ないような、そんなことばっかりしてきたんだから」

「楽しかった?」

 お母さんの問いに、私は思わずきょとんと首を傾げる。真っ先に思い浮かぶのは、大変だった、だ。帰れるかどうかも分からなくて、毎日どこか必死だった。……ああ、だけど。

「うん、楽しかった。大変だったし、最初の頃は不安だったけど、みんな優しかったから」

「そう……」

 笑顔で答えると、母は安心したように、けれどどこか寂しそうに頷く。私はハッと顔を上げると、慌てて首を振った。

「あ、でもね、私別にこっちが嫌だとか、平和な暮らしが嫌だとか、そんなのは全然ないからね! お父さんとお母さんと一緒に暮らして、友達もたくさんいて、学校で勉強したり部活したり、そういう生活が大好きだったんだな、って……向こうではそうじゃなかったから」

「そうね、御伽噺みたいな世界だものね。やっぱりお姫様みたいな生活だったの?」

「まぁ……ちやほやはされたよ、すっごく。神子だし、一緒にいたのがシリルだから仕方ないのかもしれないけど」

「ああ、そうだったわね。あの子、王子様なのよねぇ」

 どこか意外そうに呟くと、お母さんはくすっと笑みを零す。どこか嫌な予感がして見れば、その笑みはいつの間にか人をからかうときの、楽しそうなものになっていた。

「ニナが大人っぽくなったのも、シリル君のせいかしら。どう思ってるの? あの子のこと」

「ふぇっ」

 思わず変な声を上げてしまって、慌てて口を押さえる。咄嗟に母から目を逸らしたものの、自分の顔がいきなり熱を帯びたのはよく分かった。きっとお母さんからは真っ赤に見えていることだろう。続けて出した「なっ」という音は思いっきり裏返っていて、落ち着けと自分に言い聞かせつつ深呼吸する。そうだ、予想は出来たはずじゃないか。お兄ちゃんとお姉ちゃんの微妙な関係を知りつつお姉ちゃんに協力していた母が、そういうことに気付かないわけがない。

「な、何で、そう思うの?」

「ニナを見てれば分かるわ。で、どうなの?」

 きらきらした目で見てくるお母さんから目を逸らし、呟くように答える。

「そ、れは……えと、その、一応、告白はされたけど」

「それで? 受けたのね?」

「楽しそうだね、お母さん!」

 いい年して、という言葉はどうにか飲み込む。私を産んだとき、母は既に高齢出産と呼ばれるところに差し掛かっていたから、もう若くはないのだ。容姿が若いを通り越してどこか幼いからよく誤解されるし、母もそれを正そうとはしないけれど。……幼い、というのは父の談である。

 さておき、私の指摘に、お母さんは言葉通り楽しそうに頷いた。

「楽しいわ。ニナのそんな顔を見るのは初めてじゃない。告白された、っていうのはたくさん聞いたけれど、全部涼しい顔で断っていたんでしょう?」

「人聞きの悪い言い方しないでよ! 私は、その……理想が、お兄ちゃんだっただけで」

「ええ知ってるわ、会ったことも無いのにねぇ。ああ、でも確かに、シリル君はどこか慎に似てるわ。……慎の部屋に、なんて言ったのも、そのせいかもしれないわねぇ」

 遠い目をする彼女に対して、流石にシリルの教育係をしてたのがそのお兄ちゃん本人なんです、なんて言えない。というか厳密には本人じゃないのだ。曖昧に笑って誤魔化すと、私は母の問いに答えた。

「シリルは何と言うか、ああこの人だ、って思ったの。初めてちゃんと人を好きになった気がする。もちろんオッケーしたし、シリルが告白してこなかったら私から、なんて思ってたよ」

「そう……良かった。ニナにもそんな人が出来たのね」

 安心したように微笑むお母さんを見ていると、不意にずきんと胸が痛む。一瞬だけ、それもほんの僅かな痛み。少しだけ考えて、私は今まで意図的に考えないようにしていたその事実に思い当たった。これ以上母に心配をかけてはいけない、そう分かっていても、久しぶりに会った彼女に甘えたい私が「でも」と呟く。

「ずっと一緒には、いられないんだよね」

「どうして?」

「どうしてって!」

 本当に分からないのだろう、不思議そうに首を傾げるお母さんを見て、私は思わず声を荒げた。考えるまでも無く、八つ当たりに近いだろう。これじゃまるで子供じゃないか、そう思っても、色々な感情がぐるぐると渦巻いて、まとまらない。

「だって私は、私はこっちの世界に住んでて、帰りたくて、帰らなきゃいけなくて、だけどシリルは違っててっ」

 私はこっちに帰ってこなければいけなかった。両親の待つ家に帰りたかった。

 シリルは向こうに帰らなければいけない。彼を待つ人たちがたくさんいる、あの城に。私がそうだったのだ、シリルだって帰りたいに決まっている。

 ついて行きたいけれど、引き留めたいけれど、そんなわがままを言えるわけがない。彼は彼の日常に、私は私の日常に。出会ってすぐに結んだ共同戦線の終着地点は、そこなのだから。今更、私のわがままで、曲げて良いわけが無い。ただでさえシリルにはたくさん迷惑をかけているのだから。

 そんな私をじっと見つめると、母はふっと笑みを漏らした。どこか懐かしそうな、遠くを見るような目で。

「ニナもやっぱり、慎の妹なのねぇ。さっきお父さんも言ってたけど、真面目すぎるわ。お母さんね、ニナはもう少し、人に迷惑をかけることを覚えても良いと思うの」

「かけてるよ、たくさん。今だって……」

「そうね、お兄ちゃんよりはわがままも言うし、自己主張もしてくれる子に育ってくれたわ。でもねぇニナ、心の一番奥にある、一番してほしいことを我慢してたら、同じじゃないかしら?」

 ……反論なんて出来なかった。第一、その部分において自分が思いっきり兄に似てしまったことは、私もしっかり自覚しているのだ。誰にも嫌われたくない、恨まれたくない、憎まれたくない。誰にとっても『良い子』でありたい。基本的に私は自分のしたいことを優先するけれど、「これをしたら絶対に嫌われてしまう」というその境界線だけは、絶対に越えない。そうやって生きてきた。黙り込んだ私を見て、母はそんな考えを悟ったのだろう、困ったように微笑む。

「ごめんなさいニナ、お母さんも悪かったわね。ニナを慎の代わりみたいに言って、重いものをたくさん背負わせちゃった」

「ちが……そんなこと、私はただ、私が、お父さんやお母さんと一緒にいたいから」

「ええ、分かってるわ。だけどこっちの世界にいても、子供はいつか巣立っていくものよ」

 だからね、とそこで言葉を止め、お母さんはそっと私を抱き締めた。……母の腕の中だと無条件で安心してしまうのは、誰だって同じだろう。そんな私の耳元で、優しい声が囁く。

「ニナのしたいようにしなさい。もう、貴女の親離れを止めたりしないから」

「…………考え、とく」

 今すぐに答えることなんて、出来やしない。震える声で、私はどうにかそう呟いた。


 ◆◇◆


 ニナの父に案内され、かつての先生の部屋へと辿り着く。礼を言おうと振り返ったところで、彼をどう呼ぼうかと戸惑って、僕は思わず硬直した。……互いに自己紹介はしたから名前は覚えているけれど、初対面の大人を名前で呼んでも良いものか。僕が普段接する大人というのは大体僕よりも立場が下で、そういう相手に対して変に敬語を使うなと先生に教えられていた。僕より上の立場、例えば他国の王や少し前までいた聖地の長に対しての接し方というのは、あらかじめ決まっているのだから迷いようがない。そんな僕の事情までは分からずとも、戸惑いは見抜かれてしまったのだろう。彼は楽しそうに笑った。

「名前で、じゃ少し他人行儀かな? おじさんとかおばさんとか、呼びやすいように呼んでくれ」

「……おじさん、も僕にとっては呼びにくいのですが」

「ははっ、やっぱり『王子様』だとあまりそういう呼び方をする機会はないのかい? 大丈夫、呼んでいるうちに慣れるさ。これは経験談だがね」

「経験談?」

 思わず首を傾げると、彼も別に隠すつもりはなかったのだろう、何でも無さそうに頷く。

「ああ、流石に君ほどではないけれども、実家がそこそこ金持ちでね。窮屈な暮らしに嫌気がさして、従妹を攫って逃げ出したんだ。……そういうのも含めて君とは色々と話がしたいんだが、あいにくと明日は早くてね。ニナには風呂を上がったら来るように言っておくから、後の説明はあの子や妻から聞いてくれ。では、また明日」

「は、はい。おやすみなさい」

 部屋を出て行く彼を見送り、そのまま遠ざかって行く足音に耳を傾ける。それが聞こえなくなったところで僕は緊張を解き、深く息を吐きながら部屋を見渡した。……ニナの兄であった彼が亡くなったのは二十年以上前だと聞いたが、それでもまだ人が住んでいるような気配の残る、けれどどこか無機質で色の無い印象を与える部屋。置かれた本棚にはぎっしりと分厚い本が詰まっていて、それに少しだけ今の先生との繋がりを感じた。もっとも、こちらの世界の本は僕には読めないから、その中身は知りようがないけれど。

「ふぅん……読書家なのは魂に刻み込まれているのかしら」

「っ!」

 そのとき、突然背後から響いた声に、僕は勢いよく振り向く。声で誰なのかは分かったけれど、そもそも彼女がここにいるのが予想外だった。不満そうに眉を寄せるカタリナさんに対し、慌て気味に訊ねる。

「ど、どうしてここに……ニナはどうしたんですか」

「あら、かつてジルが住んでいた場所を私が見に来てはいけませんの? いくら私でも、今のニナに対して入浴中に悪戯する気はありませんし、ましてや久しぶりに再会した母娘おやこの間に割って入るほど鬼畜でもありませんわ」

「いえ、十分鬼畜だと思いますが……というかいつもそんなことしてるんですか貴女は」

 僕の言葉に、彼女は不機嫌そうに目を細めた。背筋に冷たいものを感じつつ、僕は宙に浮かぶかつての敵を見上げる。彼女は表情をそのままに僕を見下ろし、唇だけを歪める。

「あら、警告しに来て差し上げましたのに」

「……警告?」

「ええ、優柔不断でどうしようもない、愚かな出来損ない王子に」

 酷い言い様である。顔を顰めた隙に彼女は音もなく着地し、そのまま僕の目の前に接近してきた。気付けばすぐ目の前に紅い瞳があって、思わずぎょっと身を引く。そんな僕に構わず、カタリナさんは僕を見上げたまま、冷たい無表情で言い放った。

「貴方、まさかこの世界に留まるつもりではないでしょうね?」

「っ!」

 一瞬、呼吸が止まる。やっぱりとでも言いたげに目を細める王女に、僕はどこか引き攣った笑みを返した。

「まさか……そんなわけがないでしょう。僕は風の国の王子ですよ、何よりもアネモスを優先する義務がある」

「ニナを元の世界に帰そうとしたのは、アネモスのためかしら?」

「そ、れは」

 最初は、先生のことを思い出したからだった。ニナがかつての先生の妹だと分かって、事情は聞いていたから放っておけなくて。だけど、もし先生が気にしないと……ニナを元の世界に帰す必要はないと、アネモスを優先しろと、そう僕に言っていたら。そのとき、僕は自分の役目を優先出来たのだろうか。

 黙り込む僕を見て、王女は再び宙に浮かび上がる。どこか嘲るように目を細め、彼女は歌うように呟いた。

「神の子が降りた国に幸福を。神に愛された子が愛した国に、神の愛を。ならば神子がいなくなれば元の生活に戻るだけだと、一体誰が言ったのかしら? 神子を繋ぎ留める本当の理由は?」

「……ニナも一緒に向こうに戻るべきだ、とでも? 貴女らしくありませんね」

「あら、風の国がどうなろうと、私の知ったことではありませんわよ。滅びてくれたらそれはそれで大歓迎ですけれど、ニナが哀しむようなことはしたくありませんの。それに、後から全て知らせたら、きっとあの子は怒りますもの」

 それでも、あんなに帰りたがっていた故郷と、四カ月程度しか過ごさなかった国だ。たとえ僕とのことがあっても、生まれてからずっと住んでいた場所に、共に過ごした人々に敵うわけがない。あるいは、僕が一緒に戻ってくれと言えば彼女は受け入れてくれるかもしれないけれど……家族に会いたいと泣いた彼女を見て、両親と再会した彼女の涙を見て、どうしてそんなことが言えるだろう。

 何も答えない僕に対し、カタリナさんは呆れたように嘆息する。

「ニナに聞いたのですけれど。こちらの世界では、貴方やジルのような男をヘタレと呼ぶそうですわよ? ああ、叔父様もかしら」

「嫌な響きですね、それ……」

「頼りがいの無い男なんて屑も同然ですわ。そんなわけで、あまりそれが続くようならニナは私が貰って差し上げますわね」

「っ!」

 咄嗟に見上げた空中にもう王女の姿はなく、逃げられたことを悟って脱力する。彼女が言うと冗談には聞こえないから性質が悪いのだ。……いや、あの厭な笑みは、冗談には見えなかったけれど。そこまで考えてしまうと余計に悩みそうなので、見なかったふりをしておくとして。

「……本当、人の傷を的確に抉るのが上手いというか、えげつないというか、容赦ないというか」

 ウィクトリアの人間はこれだから、と嘆息する。あれで落ち着いたというのだから、全盛期の彼女と対峙せざるを得なかった先生の苦労が偲ばれた。

「ニナの幸せと、アネモスの未来、か……」

 そっと目を閉じ、呟く。自分を誤魔化して、目を逸らして、問題を後回しにし続けてきた報いだろう。もう、逃げ続けることは出来ない。逃げ続けたりしない。この手で、選ばなければならないのだ。

 ……目を開いて見つめた手に、大した力はない。けれどこの手で一人の少女を幸せに出来るだろうかと、自分自身に問いかけるように思い巡らせた。


こんばんは、高良です。GW? 何それおいしいの?


カタリナさんが良い人すぎてもう作者にも訳が分からない今日この頃。この人本当に第三部で主人公に色々性的なことをした挙句右目ごっくんしてきゃっきゃしてた人と同一人物なのでしょうか。あと公式ヘタレ発言をこの人がするとは正直予想外でした。

さておき、じわじわ自分たちの置かれた状況と向き合い始める二人。ここで前向きに考えられるのがジルリザとの違いでしょう。奴らだったらここで無限ループ突入で悪循環まっしぐらです。いや最近はそうでもないか。今頃何してるんでしょうねぇ(棒)


では、また次回。

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