第二十話 彼らの関係
「……じゃあ、シリルは全部知っていたんだね?」
説明を終えた彼女が真っ先に放ったのは、そんな問いだった。やけに落ち着いたその口調に居心地の悪さを覚えつつ、僕は頷く。
「知っていた、というほど強く確信していたわけでもないけど、そうだね。ニナの名前を聞いたときから、もしかして、とは思っていたよ」
「そっか」
静かに頷き、僕の隣に座ったニナはそっと目を閉じる。下手に言葉を続けることも出来ず、向かいの先生やリザさんを窺うも、二人が助けてくれる様子は無かった。……というか先生、その表情は完璧に面白がっていますよね。逆にリザさんの方はどこか居心地が悪そうだったけれど、それでも僕がニナに事情を話している間、決して口を挟もうとはしなかった。
少しして、ニナはハッと目を見開く。どうしたのかと隣を見れば、彼女はどこか微妙な表情で、恐る恐る訊ねてきた。
「ねえシリル、フルネームを名乗るのは止めた方が良いって、前に言ってたよね? それって、名乗ったら私の正体がばれちゃうからってこと? でも、私とお姉ちゃんたちとのことを知っているような人なんて、アネモスには……」
「……いるよ」
本当に聡いなぁ、と僕は嘆息し、頷いた。口調こそ問いかけるものだったけれど、ニナも心のどこかでは分かっているのだろう。
「まず、父上と僕は全て知っていたし、アドリエンヌとリオネル、それとマリルーシャもそうだ。今はもういないけれど、ドミニク……リオネルの父親も知っていた。もっとも、僕がそうしていたように、みんな君にそのことは伏せていたみたいだけどね。先生がこの国にいた頃、そのせいで色々と事件が起きたから、意図的に避けていたんだと思う」
「事件って?」
「クレアとハルのことは、覚えているだろう? ……どう説明すればいいのかな、二人がここにいれば良かったんだけど」
「待って、あの二人も関係あるの?」
流石にそれは予想外だったのか、彼女は驚いたように僕を、次いで先生とリザさんを見る。二人は顔を見合わせると、先生がニナに視線を移して頷いた。
「咲月と真澄のことは、知っているかい?」
「お兄ちゃんの幼馴染だった、っていう? お向かいさんだし、お母さんとかお姉ちゃんに聞いたことあるよ。……まさか」
「そのまさかよ」
ニナの言葉を肯定し、リザさんが嘆息する。そのどこか呆れるような声色に気付いたのだろう、先生は苦笑して言葉を続けた。
「もっとも、二人は僕やリザのようにかつての記憶を持って生まれたわけではないけどね。大多数の人間がそうであるように、数年前までは全て忘れたままだった。いや、ハーロルト様は咲月のことだけは覚えていたから、全てではないか」
「……そのせいであいつらが色々事件を起こして、ジルは右目を失ってアネモスを出る羽目になったわけだけど」
笑顔のままの先生に対し、リザさんは不機嫌そうに言い放つ。苦しむ先生を助けようと一番頑張っていたのがリザさんなのだから、無理もないだろう。しかしそんな事情を知らないニナは、二人を見て首を傾げた。
「お姉ちゃんも、咲月さんや真澄さんとは親しかった……と思うんだけど」
「柚希はね。あたしとあいつらは他人だわ。最近やっと本当の意味で前世の自分を受け入れられるようになってきたけど、まだ納得いかないものは納得いかないわよ」
「だから逃げたの?」
「逃げてないわよ」
ニナの問いに、リザさんは即答する。……いや、それは流石に無理があるでしょう。ニナもそう思ったのか、不満そうにリザさんを睨んだ。
「逃げたでしょ、思いっきり!」
「……シリル」
「はい?」
突然自分の名が出てきたことに驚き、反射的に背筋を伸ばす。彼女はニナから目を逸らすように僕を見ると、不機嫌そうな顔のまま訊ねてきた。
「リオ様やアドリエンヌ様は、何も言ってなかったのね?」
「ええ、恐らくそれについては先生とリザさんに任せるつもりだったんだと思います」
「そう」
リザさんはどこか居心地悪そうに嘆息し、ようやくニナに視線を戻す。
「今日はちょっと用があるから、また後でゆっくり話しましょ。とりあえず、確認しなきゃいけないことがあるじゃない? ジル。……露骨に嫌な顔しなくても、ニナと契約してるなら何もしてこないと思うわ」
「……そう、だね」
リザさんの言う通り、はっきりそうと分かるほど表情を歪めた先生を見て、僕は思わず目を見開いた。さっきから何度も思ったことだけれど、昔の先生を知る人間が見れば本当にありえないことなのだ。さっきは何でも無さそうに話していたけれど、実際顔を合わせるのは避けたい、とその表情が語っている。何の話かはニナも分かったのだろう、僕の方を見て苦笑した。
「えっと……カタリナのこと、だよね?」
「呼びました? ニナ」
「あ」
ふっ、と音も無く彼女の横に現れた黒髪の女性を見て、ニナはしまったとでも言いたげに口を抑える。王女はぐるりと室内を見渡すと、先生を見て楽しそうな笑みを浮かべた。逆に先生の方はというと、引き攣った顔で微笑する。
「久しぶりですわね、ジル? 元気そうで何よりだわ」
「…………ええ。お久しぶりです、カタリナ」
「あら、その様子だとまだ昔のことを引きずっていますのね。今の私はアネモス側の人間ですのよ、もう少し友好的に接してくれてもいいのではなくて?」
ふわり、と先生の目の前に浮かび、彼女はどこか妖艶な仕草で、先生の頬に手を伸ばす。その手が触れようとした瞬間、バチッと青い光が二人の間に散った。王女はどこか驚いたように自らの手を眺め、再び笑みを浮かべる。対し、先生は気まずそうに沈黙した後、その表情のまま僕を見た。
「申し訳ありませんシリル様、少々用事を思い出しましたので、失礼します。この部屋は、使っていて構いませんから」
「は、はい」
今の流れを見た後では、引きとめることも出来ないだろう。先生が出ていくのを見送ると、リザさんが不機嫌そうに王女を睨みつける。
「相変わらず趣味悪いのね、このキチガイ王女。ニナと出会ってちょっとはマシになったって聞いてたけど」
「あら、それはこちらの台詞ですわ、おちびさん。のんびりしているのなら、ジルは私が頂きますわよ?」
「……何ていうか、カタリナが失敗した理由がちょっと分かった気がするよ」
呆れ顔で二人の口論を眺めるニナに、僕は苦笑を返した。
◆◇◆
僅かに躊躇った後、そっと扉を叩く。少しして、内側から扉が開いた。部屋の主である藍髪の賢者は、私を見てそっと目を細めた。
「どうしたの、ニナ。こんな夜遅くに」
「……どうして、私だって分かったの?」
全く驚いていない様子の彼に、思わず訊ね返す。私が部屋に入れるようにだろう、彼は微笑したまま一歩下がった。
「昼間に会ったときに、君の魔力がどんなものかは分かったからね」
「魔力って、目に見えるものなの?」
促されるまま椅子に座り、問いかける。彼は私に背を向け、棚の方に向かいながらも肩を竦めた。
「目には見えないよ、魔力は基本的に感じ取るものだから。ただ、意図的に魔力を体外に出せば誰にでも見えるし、人の体内にある魔力も見ようとすれば見ることは出来るけれど」
そういえば解放する前に、カタリナも似たようなことを言っていたか。あの頃の彼女は周りを見ることが出来なかったのに私の来訪を察知していたのも、つまりはそういうことなのだろう。心で感じ取るものなら、視力は関係ない。そんなことを考えていると、目の前にことりとティーカップが置かれた。慌てて見上げると、彼は微笑し、私の対面に座る。そっちには既にカップと分厚い本が置かれていたから、恐らく読書か何かしていたのだろう。
「ごめん、その……私、邪魔しちゃった?」
「大丈夫、特に急を要するようなことでもないから。それで、どうしたの?」
向けられた優しい笑顔を、ぼんやりと見つめ返す。
話したいことは、たくさんあった。だから来たのだ。けれど何から話せばいいかは分からなかった。ぐっと拳を握りしめ、勢いよく顔を上げる。
「あ、あの! ……お兄ちゃんって、呼んでも良い?」
「……そんなことを訊きに来たの?」
私の問いに、彼は驚いたように目を見開く。確かにそれもあったけれど、私は慌てて首を振った。
「違うの、いやそれだけじゃないんだけど、でも訊いておきたくて! 何ていうか、私にとってお兄ちゃんはお兄ちゃんなんだけど、会ったことないし、今は厳密に言えば違うわけだし、何ていうか……」
「良いよ」
返ってきたのは、驚くほど柔らかい声だった。驚いて見つめ返すと、彼は僅かに苦笑のような笑みを浮かべる。
「少し前だったら拒否していたかもしれないけれど、今はそれほど気にしなくなったからね。……父さんと母さんは、元気?」
不意にその笑顔の種類を変え、彼は静かに訊ねてきた。私は僅かに微笑み、頷く。
「うん、元気だよ。元気、だと思う。……私がいなくなってからは、どうか分からないけど」
「そう」
その答えに隠した意味が伝わったのだろう、お兄ちゃんは辛そうに目を細めた。その表情から、彼が決してかつての両親を軽んじてはいないのが分かる。
……これなら、大丈夫だろうか。
「ねえ、お兄ちゃん。私ね、元の世界に帰りたいって、そう思ってる」
「それが出来た神子は一人もいない。そう習わなかった?」
「習ったよ。でも、帰る方法が無いって決まったわけじゃないでしょ? お兄ちゃんなら何か知ってるかもしれないって、シリルが」
「シリル様が?」
今度は私にもそうと分かるほどはっきりと驚きを顔に浮かべ、彼は訊ね返してきた。私が答える前に、お兄ちゃんは独り言のように呟く。
「彼に、それを話したの? ……いや、シリル様は、君に協力しているんだね?」
「……そんなに意外だった?」
「シリル様に限って、それを許すはずがないと思っていたからね」
確かに、どういうことか、と訊ねる代わりに見上げると、お兄ちゃんはどこか懐かしそうに苦笑した。
「僕があの方の教育係だったのは知っているだろう? 王子として、王として何をすべきか、どう振る舞うべきか。常にアネモスを最優先に考えるようにと、常に王たれと、そう彼に教えたのは僕だ」
「ああ、それで最初の頃のシリルは、あんな」
出会ったばかりの、不自然なほど『完璧』だったシリルを思い出して、私もまた苦笑を返す。
「でも、それならどうして、シリルは私に協力してくれたんだろう? むしろ、私が帰りたいって言ったときにそれを止めなきゃいけなかったはずだよね。だって、神子がいなくなったらアネモスは困るでしょ?」
「ああ、そうだね。……恐らくその時点で、シリル様は既に僕とニナの関係を悟っていらっしゃったんだと思う」
確かに、シリルならありえる。断片的な情報だけでその答えに辿り着くくらいの離れ業も、彼ならやってのけるだろう。お兄ちゃんの生徒だったというなら、なおさらだ。
そんなことを考えている私を、お兄ちゃんはどこか申し訳なさそうに見つめた。
「質問に答えても良いかな? 残念だけれど、君を帰す方法は僕も分からない。……それに、これ以上君とシリル様に協力することも出来ない。君は、元の世界に帰るべきではないんだ」
「どうして?」
「……ごめんね。今は、言えない」
その左目は本当に辛そうに揺れていて、これ以上私が駄々を捏ねても彼を苦しめるだけなのだと分かる。それはそうだろう、さっき私が思ったことが間違いじゃないなら、お兄ちゃんだってかつての両親が心配なはずなのだ。私がいなくなった後の両親がどうしているか、彼に想像出来ないはずがない。……それなのに協力出来ないというのなら、きっと何か理由があるのだろう。帰るべきではない、というのは、たとえ尊敬する兄の言葉でも受け入れられなかったけれど。
「そっか。……そういえば、ちょっと変な感じだね」
だから素直に引きさがり、私は無理やり話題を変えた。どうせ兄にもその思惑はばれてしまうのだろう、ならいっそのこと露骨でいい。このどこか重い流れが変わってくれれば。狙い通り、お兄ちゃんは全て分かっているような顔で、それでも首を傾げた。
「変?」
「私にとってお姉ちゃんは小さい頃に色々教えてくれた先生みたいなもので、それでお兄ちゃんはシリルの先生だったんでしょう? そのお姉ちゃんとお兄ちゃんが一緒に旅をしてて、私とシリルがこの世界で出会って、それって凄いことなんじゃないかなって」
「……そうだ、それで思い出した。リザがいないときを狙ってここに来たのは、どうして?」
「へ?」
予想外の問いに、思わず目を見開く。お兄ちゃんは面白そうに私を見て、言葉を続けた。
「この時間ならリザはもう自分の部屋に戻っている。それを知っていて来たんだろう? リザがいたら困るようなことでも話したかったのかと思ったけど、違うみたいだし」
「あー……えっと」
まさかそれについても突っ込まれるとは思わず、答えに詰まる。いや、お兄ちゃんが凄いのは知っていたけど、ここまで凄いとは聞いてないよ! 何度か深呼吸して心を落ち着かせ、私はお兄ちゃんを見上げた。
「その、ね。……お姉ちゃん、私を避けてるような気がして」
「リザが?」
私の答えに、彼は一瞬目を瞬かせる。けれど次の瞬間、お兄ちゃんはおかしそうに目を細め、首を横に振った。
「安心して。それは無いよ」
「本当? でも――」
「戸惑っているだけだと思うよ。僕もだけどリザも、まさかこんなところで君に出会うとは思わなかったから。……リザに話したいことがあるんだろう? 明日の夜、またここにおいで。彼女には僕から話しておくから」
「……うん。ありがとう、お兄ちゃん」
何故分かったのか、とは訊ねない。ただ、お姉ちゃんに避けられていたわけではないのだという安堵から、ほっと息を吐く。
その代わり、懐に入れた封筒が、僅かに重みを増した気がした。
こんばんは、高良です。……いやごめんなさい文芸部の〆切と被ってて死んでましたはい。
そんなわけで全てを知ったニナ。次の話で彼女がやらかすことが第五部にちょっと関係してきます。
ついでに初対面の元・兄妹。ちょっと語りたかったんですが時間が無い。断念。
あ、実はこの話、「枯花」第百話目だったりします。ついでに今日(三月十六日)はリザの誕生日で、だからどうしても今日更新したかったんです! とかいう言い訳。
では、また次回。




