第6話 完璧すぎる防犯結界と、遠のくスローライフ
王都の治安を担う近衛騎士団の地下牢。
冷たい石造りの尋問室の中で、裏社会で恐れられていた凄腕の暗殺者は、まるで怯えた子供のようにガタガタと震えながら泣きじゃくっていた。
「頼む、信じてくれ! あんな恐ろしい館は初めてだったんだ!」
彼を取り囲む屈強な騎士たちは、顔を見合わせて怪訝な表情を浮かべる。
昨夜、クラーク商会の第二支部に放火目的で侵入したこの男は、一切の抵抗をすることなく、自ら夜間警備の騎士の前に進み出て降参したのだ。
歴戦の暗殺者の心を、完全にへし折ったもの。
騎士の激しい尋問に対し、男は涙ながらにその『恐怖』を語り始めた。
「俺はこれまで、どんなに警備の厳しい貴族の屋敷でも、必ず死角を見つけて忍び込んできた! だが……あの館には、影という影が存在しなかったんだ!」
男の証言によれば、こうだ。
外の木々がすべて伐採され、異常に大きく広げられた窓からは、月明かりが容赦なく室内の隅々まで照らし出していた。
さらに部屋の中央には一切の遮蔽物がなく、家具はすべて壁際に不自然なほど整頓されていたという。
「どこに隠れようとしても無駄だった。十字路の上空には、常にこちらの姿を映し出す『神の魔眼』が設置されていたんだからな……!」
男は曲がり角の天井に設置されていた丸い鏡を思い出し、再びヒィッと悲鳴を上げた。
どこに逃げても自分の姿が映り込む、見晴らしの良すぎる異様な空間。
それは侵入者にとって、身を隠す場所が一切ない『恐怖の処刑場』に他ならなかった。
「あれはただの商館じゃない……。侵入者を確実に絶望させるために計算し尽くされた、完璧な『結界』だ!」
暗殺者の魂の叫びを聞きながら、尋問を担当していた騎士団長は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
クラーク商会が最近雇い入れたという、正体不明の専属特別顧問。
彼が施したという『風水魔術』の恐るべき空間掌握能力に、歴戦の騎士すら戦慄を覚えたのだった。
* * *
翌朝。
クラーク商会本部ビル、最上階のVIPルーム。
「んー、このベーコン、カリカリに焼けてて最高だな」
俺は朝の柔らかい日差しを浴びながら、専属メイドが運んできた豪華な朝食に舌鼓を打っていた。
昨日の風水(という名の大掃除と模様替え)の仕事は大成功に終わり、第二支部の社員たちからは神様のように拝まれている。
(やっぱり、現代日本のオフィス環境構築術は異世界でも通用するんだな)
換気を良くしてカビを防ぎ、動線を整理して作業効率を上げる。
たったそれだけのことで、あれほど感謝されるとは思わなかった。
これで俺の『専属特別顧問』としての地位は不動のものとなり、一生安泰のスローライフが約束されたというわけだ。
バンッ!!
俺が食後の優雅なハーブティーに口をつけようとした、まさにその時だった。
いつものように、VIPルームの重厚な扉が派手な音を立てて蹴り開けられた。
「せ、先生ぇぇーーっ!!」
飛び込んできたのは、感極まって大号泣しているアイリス会長と、なぜかその背後に控える銀の鎧を着た大柄な男——王都の治安を預かる、近衛騎士団の団長だった。
「ぶふっ!? げほっ、ごほっ! ど、どうしたんですか朝から!」
俺は危うくハーブティーを気管に詰まらせそうになりながら、激しく咳き込んだ。
アイリスは俺のベッドの横まで駆け寄ると、俺の両手をガシッと握りしめた。
「先生! またしても、先生の偉大なる風水魔術に商会を救われました!」
「は? いや、昨日はただ風通しを良くしただけで……」
「ご謙遜を! 昨夜、第二支部にライバル商会の残党が放火目的で侵入したのです! ですが、先生の結界のおかげで無傷で捕縛できました!」
アイリスの言葉に、俺は一瞬だけ背筋が凍りついた。
放火魔だと? そんな物騒な連中が、俺の改装したあの館に?
騎士団長が前に進み出ると、深い尊敬の念を込めて深く頭を下げた。
「クラーク商会の特別顧問殿。尋問の結果、暗殺者はあなたが配置した『八角鏡』と『直線の龍脈』によって完全に戦意を喪失したと自白しました」
「……はい?」
俺は思わず、間の抜けた声を漏らしてしまった。
騎士団長の話を要約すると、俺が曲がり角の衝突防止のために設置した『カーブミラー』が、暗殺者の姿を常に映し出す『すべてを見通す監視の魔眼』として機能したらしい。
さらに、掃除しやすくするために家具を壁際に寄せ、見通しを良くした『オープンオフィス空間』が、侵入者にとって死角が一切ない絶望の処刑場に錯覚されたのだという。
(いやいやいや! それ、ただの職場の安全対策と整理整頓だから!)
俺は内心で激しくツッコミを入れたが、口には出せなかった。
目の前で、国家権力のトップクラスである騎士団長が、感極まった顔で俺を見つめているからだ。
「先生の施した風水結界、我が騎士団でも詳細な報告を受けました。恐るべき空間掌握能力……見事の一言です」
「あ、いや、そんな大層なものじゃ……」
「そこで、折り入ってご相談があるのです」
騎士団長はズイッと俺に顔を近づけ、とんでもないことを言い出した。
「実は現在、王城の宝物庫の警備システムに重大な欠陥が見つかり、近衛騎士団が頭を悩ませております。どうか、先生のその『風水魔術』を用いて、王城に絶対に破られない防犯結界を構築していただけないでしょうか!」
「……は?」
「報酬は、国家予算から特別に『金貨一万枚』を用意いたします! どうか、この国をお救いください!」
金貨、一万枚。
その途方もない金額に、俺の思考は完全に停止した。
クラーク商会の顧問報酬だけでも一生遊んで暮らせるのに、今度は王室から直接のオファーだと?
「素晴らしいです、先生! これでクラーク商会は、王室の専属建築アドバイザーとしての地位まで手に入れられます!」
アイリスが両手を合わせて、キラキラと星を飛ばすような瞳で俺を見つめている。
断れる空気ではない。絶対に断れない。
「あの……俺、ただの占い師なんですけど……」
「ご冗談を。王城の結界工事、ぜひともよろしくお願いいたします!」
騎士団長は強引に俺の手を取り、ガッチリと固い握手を交わしてきた。
(どうしてこうなった……!!)
俺はただ、日当たりのいい部屋で安全にダラダラと生きたかっただけだ。
カビ臭い部屋を掃除して、ぶつからないように鏡を置いただけなのに。
なぜ俺は、国家の最重要施設の警備システムを任される『稀代の結界師』として王城に乗り込むことになっているのだろうか。
美味しい朝食のベーコンが、急に砂を噛むような味に感じられた。
俺の思い描く、安全で平穏なスローライフ。
それはまたしても、天高く遠ざかっていってしまったようである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




