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第17話 遠足準備:お弁当の相談

 遠足が決まった日の教室は、朝から少しだけ浮いていた。


 いつもより声が高い。

 机を引く音も、筆を置く音も、どこか軽い。

 その軽さの中心にあるのが、黒板の大きな文字だった。


『遠足』


 それを見るだけで、みんなの顔が明るくなる。


「え、ほんとに?」

「やったー!」

「どこ行くの!」


 先生は笑って手をひとつ叩いた。


「はい、静かに。順番にね。行き先は丘の上の林まで。歩いて行って、お昼を食べて帰ってきます」


「お昼!」

「お弁当!」


 その単語が出た瞬間、教室が一気に“お昼の顔”になる。

 勉強の顔じゃない。

 遊びの顔。

 楽しみの顔。


 私は少しだけ遅れて笑った。


 笑うのは好きだ。

 みんなと同じ気持ちになるのも好きだ。


 でも、楽しみの輪に入るのはまだ少し怖い。


 輪の中は言葉が増える。

 言葉が増えると、冗談も増える。

 冗談は時々、思ったより深く刺さる。


 先生は黒板に持ち物を書き足しながら言った。


「お弁当と水筒。歩きやすい靴。帽子は必要な人だけね」


「おやつは?」

「三百まで?」

「先生、どこまでが三百なの!」


 笑いが起きる。

 先生は困った顔で笑って、「それはおうちの人と相談」と言った。


 そのやり取りだけで、遠足がもう始まったみたいだった。


 胸の奥が、少しだけそわそわする。


 遠足。

 お弁当。


 食べ物は、少し難しい。


 同じものを食べるだけなのに、違いが目立つ。

 量。色。匂い。

 それに、誰と一緒に食べるか。


 私はまだ“自然に混ざる”が得意じゃない。



 休み時間。


 先生が廊下へ出た瞬間、教室は遠足の話でいっぱいになった。

 机の間を言葉が走り回って、止まらない。


「何入れる?」

「卵焼きは絶対!」

「からあげ!」

「おにぎり何個?」


 弁当の話が速い。

 遠足より先に、お弁当が決まっていく。


 私は席に座ったまま、机の上の紙を整えた。

 筆を置き直す。

 端をそろえる。

 小さな動きで気持ちを落ち着ける。


 でも耳は勝手に聞いてしまう。


「うち、キャラ弁だって!」

「いいなー!」

「わたしの家は普通だよ」


 普通。

 その言葉がふわっと浮かんで、私の前を通った。


 普通って何だろう。

 普通は安心する。

 でも、私は“普通の場所”がまだ分からない。


 分からないから、そこに立つのが怖い。


 声が近づいてきた。


「ルミシアは? 何入れるの?」


 ミオだった。

 明るい声。

 押しつけない声。


 私は顔を上げた。

 周りにも何人かいる。


 でも囲む形じゃない。

 距離がある。


 それだけで安心できる。


「……まだ、決めてない」


「決めよ決めよ!」

「好きなもの言って!」


 セイラも笑って机の端に手を置いた。


「おにぎり派? パン派?」


 好き。

 聞かれると、答えやすい。


「……おにぎり」


「分かる!」

「おにぎりは裏切らない!」


 笑いが起きて、空気が温かくなる。


 その時だった。


 後ろの方から、男の子がわざと大きめに言った。


「勇者の家の弁当って豪華なんじゃね?」


 冗談の形。

 でも、私には刺さる。


 笑えなかった。


 豪華。

 勇者の家。

 特別。


 その言葉は、私の名前より先に出てしまう。


 私は視線を落とした。

 紙の白が、少し冷たく見えた。


 ミオが小さく言う。


「……そういうの、やめよ」


 セイラもすぐに続けた。


「肩書きで決めないって、約束じゃん」


 男の子は「冗談だって」と笑って引いた。

 でも笑いだけが残る。

 消えない。


 私は言い返したかった。

 違う、と言いたかった。


 でも言葉を出すと尖りそうだった。

 尖った言葉は相手を刺す。

 刺したら、私も嫌になる。


 だから黙りそうになる。


 黙ると誤解が固まる。

 それも分かっているのに。


 その時、ミオが机の上に紙を一枚置いた。


「ね。書こう。弁当案」


 そして筆を持って、紙に大きく書く。


『おべんとう案』


 その字を見た瞬間、教室の空気がすっと戻った気がした。

 話題が、ちゃんと“弁当”に戻る。


 ミオはどんどん書く。


・おにぎり

・たまごやき

・からあげ

・ミニトマト


「ミニトマトは赤枠!」

「赤枠って何!」


 笑いが起きる。

 この笑いは刺さらない。


 私は息をひとつ吐いた。


 ミオが、私の顔を見てから言った。

 近すぎない距離で。


「匂いとか、大丈夫?」


 その聞き方は、優しかった。

 返事を待ってくれる聞き方。


 私は胸の奥を探した。


 言うか迷う。

 でも今日は、言ってみたい。


 短く。

 尖らない言い方で。


「……匂いが強いのは、避けたい」


 言った瞬間、心臓が少し跳ねた。

 嫌がられるかもしれない。

 変だと思われるかもしれない。


 でも、ミオはうなずいただけだった。


「分かった。じゃあ、にんにく系なし!」


 セイラもすぐに言う。


「魚も焼いたやつは匂い出る時あるよね。どうする?」


 私は少し考えて、正直に言った。


「……少しなら、大丈夫」


 言えた。

 今日は言えた。


 ミオは紙に書き足す。


・匂いが強いのはなし

・同じくらいの量

・分けられるもの


「分けられるもの、いいね」


 セイラがうなずく。


「卵焼きは切れる!」

「からあげも分けられる!」

「おにぎりも半分にできる!」


 その会話が、楽しかった。


 “対等に整う”って、こういうことかもしれないと思った。

 特別じゃない。

 豪華でもない。

 ただ、同じ昼の話。


 男の子がさっきより小さい声で言った。


「じゃあ……俺の家、焼き魚やめとくわ」


「やめるの優しすぎ!」

「でも分かる。匂いするもん」


 誰かのために何かを変えるのに、

 “特別扱い”の顔をしない。


 その優しさが、胸に温かく残った。



 帰りの支度をしながら、私はミオの紙を見た。

 “おべんとう案”は文字でいっぱいになっている。


 私はその紙の端を、そっと押さえた。


 紙は軽い。

 でも、中に入っている言葉は温かい。


 ミオが聞いた。


「ルミシア、遠足、楽しみ?」


 軽い問い。

 でも大事な問い。


 私は一瞬だけ迷う。


 楽しみと言ったら、また目立つかもしれない。

 “特別”の方へ引っ張られるかもしれない。


 でも今日は違う。


 弁当の話ができた。

 匂いのことも言えた。

 みんなが当たり前みたいに考えてくれた。


 私は小さく言った。


「……楽しみ」


 言えた瞬間、胸がふわっと軽くなった。


「よし!」

「遠足まで弁当会議だ!」


「毎日はやらない!」

「でもちょっとはやる!」


 笑い声が廊下へ流れていく。

 私はその流れに、少しだけ混ざれた気がした。



 門の外に父がいた。


 父はいつも通り静かに待っている。

 でも今日は、私の足が少し軽い。


 並んで歩き始めると、父が短く聞いた。


「遠足か」


「……うん」


「弁当は」


 父の問いも短い。

 短い問いは答えやすい。


「……みんなで、案を書いた」


 父が少しだけ目を動かした。


「案」


「……匂いが強いのは避けたい、って言った」


 言った瞬間、また少しだけ心臓が跳ねた。

 でも父はすぐにうなずいた。


「分けやすいものにしよう」


 それだけ。


 余計な言葉はない。

 でも、私の気持ちを受け取った返事だった。


「……うん」


 その返事は小さいのに、しっかり胸に残った。



 夜。


 机に紙を広げて記録を書く。


『遠足が決まった。』

『弁当の話をした。』

『匂いが強いのは避けたいと言えた。』

『分けられるものを考えた。』

『楽しみと言えた。』


 最後に、今日いちばん大事なことを書く。


『同じ弁当の話ができるだけで、私は少しだけ混ざれた。』

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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