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第16話 親の噂:父の過去の影

 朝の道は、いつもより少しだけ冷えていた。


 吐く息が白くなるほどじゃない。

 でも頬に当たる風が、きりっとして目が覚める。


 私は通い袋を胸の前に抱えた。

 布の温度が、指先の冷たさを少しだけましにしてくれる。


 父はいつも通り、歩幅を変えない。

 隣にいるだけで、道がまっすぐになる気がした。


 町の角を曲がったときだった。


 前のほうに、大人が二人立って話している。

 朝の立ち話は、だいたい噂だ。


 聞くつもりはなかった。

 でも、耳に入ってしまった。


「……勇者さまも大変だよな」


 胸の奥が、きゅっと縮む。


 もう一人が続けた。


「子どもを引き取ったんだろ? 星の……なんだっけ」


 笑い混じりの声。

 悪意かどうかは分からない。

 でも、軽い。


「英雄だからな。周りが放っておかないんだろ」


「いや、英雄だからこそだよ。魔王を斬った男が、今は子守りだってさ。変な話だろ」


 変。

 その一言が、布の上に小石みたいに落ちた。


 私は歩幅を乱しそうになった。

 でも父は乱さない。


 父は前だけを見る。

 耳に入っても拾わない。

 拾わないから、道は曲がらない。


 私は父の横顔を見た。

 何も変わっていない。


 それが、少しだけ悔しかった。

 悔しいのは、大人の言葉のせいなのに。


 角を抜けると、噂の声は遠ざかった。


 でも胸の中に残ったものは、遠ざからなかった。



 学び舎の門が見える。

 子どもたちの声が重なって、朝の色になる。


 私はその中に入っていく。

 入っていくのは、まだ少し怖い。


 教室に入ると、少しだけ静かになった。

 私が入ったからだと分かる。


 分かると、胸がきゅっとなる。


 席に着いて、通い袋を机の横に置いた。

 布が擦れる音が、小さく聞こえた。


 セイラが近づいてきて、小さく言う。


「おはよ」


「……おはよう」


 ミオも続ける。


「今日、寒いね」


「……うん」


 短い会話は落ち着く。

 長くなくていい。

 それで十分。


 でも今日は、落ち着ききらなかった。


 後ろの方で、ひそひそ声がする。

 名前を呼ばれていないのに、自分のことだと分かる。


「勇者の娘だよね」

「ほんとに?」

「勇者、見たことある?」


 視線が刺さる前に、私は机の上の紙を整えた。

 筆を置き直す。

 小さな動きで気持ちを戻す。


 戻したいのに、声が近づいてくる。


 前の席の子が振り返って、目を輝かせた。


「ねえ、魔王と戦った話、聞かせて!」


 無邪気。

 悪意はない。

 でも、無邪気は止まらない。


 私は一瞬、言葉が出なかった。


 父の戦いの話。

 父の過去。

 私の知らない場所の話。


 知らないのに、語れと言われる。

 それが、少しだけ苦しい。


「……知らない」


 短く返した。


「えー、でも勇者なんでしょ?」

「強いんでしょ?」


 言葉が重なる。

 重なると、背中が固くなる。


 その時、横から別の声が刺さった。


「特別だから先生も甘いんだよ」


 その声は無邪気じゃない。

 嫌味は短くても重い。


 教室の空気が少し沈む。


 反論したい。

 違う、と言いたい。


 でも、言葉を出すと尖りそうだった。

 尖った言葉は相手を刺す。

 刺したら、戻れなくなる。


 私はその怖さを知っている。


 だから黙りそうになった。


 黙ると誤解が固まる。

 それも知っている。


 胸の中で短い言葉を探す。

 短くて、尖らない言葉。

 自分を守って、相手を壊さない言葉。


 私は教室の隅を見る。

 木札が並ぶ棚。


 そこに“守り方”が置いてある。


 私は立ち上がらずに言った。


「……私は、私」


 声は小さい。

 でも止めない。


 そして棚を指さす。


「……決めつけない」


 それだけ言って、視線を机に戻した。


 嫌味を言った子が小さく言う。


「……なにそれ」


 でも続かない。

 続かない間に、先生が教室に入ってきた。



 先生は教室の空気を一瞬で見た。


 先生はいつも、気づくのが早い。


「おはよう。……今、困ってることがある?」


 誰も手を挙げない。

 でも空気は動いたまま。


 先生は黒板にチョークで短く書いた。


『肩書きで決めない』


 教室が小さく揺れる。


 先生は振り返って言った。


「人は、肩書きで決めません」


 静かな声。

 でも、はっきり。


「勇者の子だからこう。家がこうだからこう。そういう決め方は、ここではしません」


 先生は黒板を指す。


「ここで見るのは、目の前のその子です。今どうしているか。何に困っているか。どう頑張っているか」


 先生は木札の棚の方も見た。


「この言葉も、教室の約束にします。木札は増えると思ってね」


『肩書きで決めない』


 その言葉が教室に置かれた気がした。


 無邪気な子が、小さく手を挙げる。


「……魔王の話、聞きたいのはだめ?」


 先生は怒らず、ゆっくり答えた。


「聞きたい気持ちは分かるよ。でも、聞くなら相手が話したい時。話したくないなら、聞かない」


 優しいのに、線がある。

 線があると、怖さが減る。


 嫌味を言った子は目をそらした。

 それでいい。


 私は胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。



 授業が始まる。


 筆が走る音。

 紙をめくる音。

 先生の声。


 私は文字を書きながら、黒板の言葉を心の中で何度も読んだ。


『肩書きで決めない』


 肩書き。

 勇者。

 娘。


 私は、その言葉の中に閉じ込められたくない。


 消せないなら、順番を変えたい。

 肩書きより先に、名前が来てほしい。


 私は名前で立ちたい。



 放課後。


 教室を出る時、セイラが追いかけてきた。

 走らない。歩いて追いかける。

 それだけで、約束が生きている気がした。


「ルミシア」


 呼ばれた名前が、少しだけあたたかい。


「……なに」


 私は立ち止まる。


 セイラは困った顔をして、視線を落とした。


「さっきの……ごめん。止められなかった」


 短い謝罪。

 でも重い。


 止められなかった、の裏に、止めたかったがある。


 私は短く返した。


「……止めようとしてたの、分かった」


 セイラが顔を上げる。


「ほんと?」


「……うん」


 その一言で、セイラの肩が少し下がった。

 ミオも小さくうなずく。


「先生、かっこよかったね」


 ミオが言う。


「……うん」


 短い言葉で、今日の痛みが少し薄くなる。



 門の外で父が待っていた。


 父はいつも通りの姿勢。

 町の噂の中の“勇者”じゃない。

 ただ、私を迎える人。


 私は父の隣に立って歩き出した。


 しばらく黙る。

 言うか迷う。


 でも今日は、言いたかった。


「……今日、教室で“勇者の娘”って言われた」


 父の歩幅は変わらない。

 目だけが少し動いた。


「そうか」


 短い返事。


 私は続ける。


「魔王の話、してって」

「特別だから先生が甘いって、言われた」


 言い終えると、胸が少し痛んだ。

 言葉にすると、刺さりが戻る。


 父は小さく息を吐いた。


「……背負わせたくない」


 その一言が、胸の奥に深く落ちた。


 父の過去は、父のもの。

 私が背負うものじゃない。


 でも影は落ちる。

 影が落ちるなら、私は自分で立つしかない。


 父が言った。


「名前で立て」


 その言葉は短い。

 でも私の足元を強くした。


「……うん」


 私はうなずいた。

 今日の道は、まっすぐだった。



 夜。机に紙を広げて記録を書く。


『町で父の噂を聞いた。』

『教室でも勇者の娘と言われた。』

『肩書きで決めない、が約束になった。』

『私は私と言えた。』


 最後に、今日いちばん大事なことを書く。


『肩書きより先に、私は私の名前で立ちたい。』

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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