第15話 初発表:小さな声で十分
朝の教室で、先生の顔が少しだけ楽しそうだった。
いつもより、ほんの少し。
その“ほんの少し”で、教室の空気は変わる。
先生は黒板の前に立って、チョークを持った。
「今日は、一人ずつ短い発表をしてみようと思います」
その言葉が落ちた瞬間、教室に小さなざわめきが広がった。
「発表?」
「なに言うの?」
「一人ずつ?」
先生は黒板に大きく書く。
『一人ずつ 短い発表』
さらに、下へ続けて書いた。
『一分くらい』
『何でもいい』
『聞く時は静かに』
「難しく考えなくていいよ。昨日食べたものでも、好きな遊びでも。家のことでも」
先生の言い方は軽い。
軽い言い方は、怖さを小さくしてくれる。
子どもたちの肩が少し下がる。
でも、私の胸は逆にきゅっとなった。
前に立つ。
みんなが見る。
“囲まない”という約束があっても、視線は集まる。
集まった視線は、形がなくても刺さることがある。
私は机の下で指先を握って、ゆっくり開いた。
手のひらが冷たい。
指先はもっと冷たい。
先生が言った。
「順番は、くじで決めます」
その瞬間、教室の声が一段上がった。
「最初はやだ!」
「最後がいい!」
「当たらないでほしい!」
先生は笑って手を叩いた。
「大丈夫。短いから。終わったら終わり」
終わったら終わり。
それは本当。
でも、終わるまでが長い。
くじ箱が回ってくる。
一人ずつ紙を引く。
開く音が、妙に大きく聞こえる。
私の番が来た。
紙を指でつまむ。
薄いのに、重い。
私はそっと開いた。
「……八」
小さくつぶやいた。
八番。
早すぎない。
遅すぎない。
でも、待つ時間がある。
待つ時間は、考える時間。
考える時間は、怖さが育つ時間。
私は紙を伏せて机の上に置いた。
手の冷たさは消えなかった。
⸻
発表が始まった。
一番の子は「昨日のパンがすごくおいしかった」と言って終わった。
二番の子は「犬を飼いたい」と言って、少し笑いが起きた。
三番の子は「川で石を拾った」と言って、先生がうなずいた。
みんな短い。
本当に一分くらい。
なのに、私の胸はどんどん詰まっていく。
四番。
五番。
六番。
声が聞こえるたび、心臓の音も大きくなる。
七番の子が前へ立つ。
「ぼくは……木の実を拾うのが好きです」
可愛い言葉。
教室が少し和らぐ。
先生が「いいね」と言った。
次。
「八番。ルミシアさん」
先生が私の名前を呼んだ。
教室が静かになる。
静かになると、余計に目立つ。
私は立ち上がった。
机の間を歩く音が、自分の耳に響く。
前に立つ。
黒板が近い。
机が遠い。
でも視線は近い。
息を吸う。
うまく入らない。
喉が乾く。
“何でもいい”と言われたのに、頭が白くなる。
その時、後ろの方から小さな声が刺さった。
「星のこと話して」
もう一人が続ける。
「銀の目だし」
期待が混ざる。
興味が混ざる。
軽い言葉ほど、重くなる。
私は一瞬、黙った。
言い返したくなる。
でも言い返すと、声が増える。
増えた声は、あとで自分を苦しくする。
先生がすぐに言った。
「発表は自由でいいよ。ルミシアさんが話したいことを話していい」
自由でいい。
その言葉で、胸の奥が一つだけほどけた。
私は自分で選ぶ。
選んでいい。
私は決めた。
木札の言葉を話そう。
教室に置いてある、守りの言葉。
短い言葉が守りになるなら、
私の発表も短くていい。
私は口を開いた。
「……私は」
声が小さい。
でも、止めない。
「……木札の言葉が、好きです」
教室が静かになる。
笑いがない静かさ。
ちゃんと聞く静かさ。
私は続けた。
「……短い言葉は、守りになります」
言い切った瞬間、胸の奥が軽くなった。
言えた。
これでいい。
でも、もう一つだけ言いたかった。
私は机の奥の方を見ないようにして、前だけを見る。
「……できないことを、できないって言うのも、守りです」
それで終わりにした。
長く話すと崩れる。
短いほうが、私には合っている。
読む係の子が、小さくうなずいた。
セイラも、ミオも、目で「うん」と言ってくれた気がした。
誰かが拍手をしそうになって、止める。
音を増やさない優しさ。
先生が言った。
「伝わったよ。とても大事な発表でした」
“伝わった”。
その言葉で、私はようやく息を吸えた。
私は小さく頭を下げて席へ戻った。
足は少し震えていたけど、胸の奥は温かかった。
⸻
発表が全部終わると、先生は教室を見回した。
「みんな短くて良かったね。短いからこそ、伝わることもある」
私はその言葉を聞きながら、机の上の筆を見た。
今日の私は、文字より声のほうが怖かった。
でも声も、出せた。
小さくてもいい。
短くてもいい。
届くなら、それで十分だ。
⸻
門の外に父がいた。
「どうだった」
父の問いは短い。
「……発表した」
「話せたか」
「……小さかったけど」
父は一度うなずいた。
「十分だ」
その一言が、胸の奥に落ちる。
今日の私は、それが欲しかった。
⸻
夜。机に紙を広げて記録を書く。
『短い発表をした。』
『前に立つのは怖かった。』
『星のことを言われた。』
『木札の言葉を話した。』
最後に、今日いちばん大事なことを書く。
『小さな声でも、私の言葉はここに届いた。』
書き終えると、手の冷たさは少し戻っていた。
でも、胸の奥は温かいままだった。
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