第11話 誤解拡散:銀の目は占い
教室の朝は、たいてい私が入ってから動き出す。
でも今日は違った。
扉を開ける前から、ざわめきが聞こえていた。
笑い声。ひそひそ声。
それがひとつの話題の周りに集まっている。
私は扉の前で一度だけ息を吸って、教室へ入った。
入った瞬間、視線が跳ねる。
私の方へ、一斉に向く。
……やっぱり、私が話題だ。
私は足を止めなかった。
止まると捕まる。
捕まると、輪ができる。
通い袋を抱えたまま、席へ向かう。
机の前まで行って、椅子を引く。
そのとき、声が飛んできた。
「ルミシア!」
呼ぶ声は軽い。
軽いのに、数がある。
「占いして!」
「未来見えるんでしょ?」
「銀の目って、当たるって聞いた!」
占い。
その一言で、胸の奥が少しだけ冷えた。
私は椅子に座り、通い袋を足元に置いた。
筆を出す。紙を出す。机の上を整える。
整えると、心が戻る。
戻った心で、短い言葉を選ぶ。
「……できない」
私は言った。
でも、その言葉は薄い壁みたいだった。
押されるとすぐ曲がる。
「えー、できるでしょ」
「一回だけでいいから!」
「一言でもいい!」
一言。
“一言だけ”は、軽そうで重い。
一言でも言ったら、次が来る。
次が来たら、終わらない。
私は机の上の筆を置いたまま、視線だけで周りを見た。
集まりかけている。
前に二人。横に一人。後ろにもう一人。
半円ができかける。
囲みの形。
私は喉が少し苦しくなるのを感じた。
息が浅くなる。
浅くなると、声が細くなる。
でも声を大きくしたくない。
押し返したくない。
私はもう一度、短く言った。
「……できない」
それでも引かない子がいた。
「じゃあさ、当たるか外れるかだけ!」
「友だち増えるかどうか占って!」
「明日雨かどうかでもいい!」
期待が重なってくる。
重なると、空気が押してくる。
セイラが横から声を出した。
「やめなよ。困ってるでしょ」
ミオも続けた。
「先生が来たら聞けばいいじゃん。勝手に囲まないで」
止める声。
ありがたい声。
でも、勢いのほうが強い。
「だって気になるじゃん!」
「占いって、みんな好きだし!」
「ルミシアなら当たりそう!」
当たりそう。
そう言われると、役目にされる。
私は胸の奥がきゅっと縮んだ。
“できない”と言っているのに、続く。
続くと、私の言葉が小さくなっていく気がした。
私は逃げたくなった。
でも逃げたら、また同じになる。
私は筆を取った。
声じゃなくて、紙に言葉を置く。
紙なら押し返さない。
短く、はっきり見せられる。
私は机の上の紙に、ゆっくり書いた。
『占いはできない』
『困ったら先生へ』
字を整える。
読みやすく。
誰でも分かるように。
書き終えて、紙を机の端に置いた。
見える位置。
でも触られない位置。
私は顔を上げて、集まりかけた子たちに見せた。
静かになった。
みんなが紙を読む。
読むと声が止まる。
止まると、空気が少し戻る。
「……ほんとに?」
「なんで?」
「ちょっとくらい……」
まだ残る。
でも、さっきより弱い。
そのとき、教室の前から先生の声がした。
「何か集まっているね」
先生が来た。
先生が近づくと、子どもたちは自然に一歩下がった。
先生は距離を作れる。
先生は私の机の端の紙を見て、うなずいた。
「いい書き方だね。短くて分かりやすい」
先生は紙を持ち上げて、黒板へ向かった。
チョークを持って、同じ言葉を書く。
『占いはできない』
『困ったら先生へ』
黒板に書かれると、教室の約束になる。
ただのお願いじゃなくなる。
先生は振り返って言った。
「みんな、今日からこれを約束にします」
先生の声は強くない。
でも通る。
「目がきれいだとか、気になる気持ちは分かる。でも、できないことを無理にさせない」
先生は少しだけ間を置く。
「それから、“一言だけ”もダメです。本人が困っていたら、それはもう負担です」
一言だけ。
先生の口から出ると、ちゃんと止まる。
期待していた子のひとりが、唇を尖らせた。
「つまんない……」
不満の声。
その声は小さくて、すぐに消えた。
その子は友だちと一緒に席へ戻っていった。
椅子が少し乱暴に鳴った。
私はその音を聞いて、胸の奥が少しだけざわついた。
嫌われた気がする。
でも、嫌われるだけで壊れるわけじゃない。
先生が私の方を見て、小さくうなずいた。
「大丈夫」
私は小さくうなずき返した。
⸻
授業が始まると、教室はいつもの形に戻った。
黒板の文字。先生の声。筆の音。
音が整う。
私は紙に文字を書きながら、さっきの言葉を思い出す。
『占いはできない』
『困ったら先生へ』
短い。
短いから守れる。
短いから、みんなにも伝わる。
休み時間になっても、机の周りに半円はできなかった。
近づく子はいても、距離を守る。
黒板の約束が効いていた。
その中で、一人だけ私の席の近くに来た子がいた。
さっき、強く言っていた子だ。
でも今は、目を泳がせている。
「……ごめん」
短い謝り方。
言えるだけで、十分すごい。
私はその子を見て、少し考えた。
責めたら、また押す形になる。
私は短く返した。
「……うん」
受け取った、という意味。
その子は少しだけ安心した顔になる。
「占いって、みんな好きだから……つい」
つい。
ついで押すと、人は苦しくなる。
でも“つい”は悪意じゃない時もある。
私は言葉をひとつだけ足した。
短く、やわらかく。
「聞きたくなる気持ちは、分かる」
その子が目を丸くした。
私は続ける。
「……でも、できない」
言い直す。
はっきり。
怒らずに。
その子は小さくうなずいた。
「……うん。分かった」
それだけ言って戻っていった。
私は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
期待を断った。
断っても、壊れなかった。
嫌われるかもしれないと思ったけれど、教室は続いている。
私もここにいていい。
⸻
帰り道。
門の外に父がいた。
私は父の隣に立つ。
父は私を見ると短く言った。
「今日はどうだった」
私は少し迷って、でも大事だけ言った。
「……占いって言われた。断った」
父は小さくうなずく。
「断れたか」
「……うん」
「それでいい」
短い言葉。
それだけで背中が軽くなる。
⸻
夜。
机の上に紙を広げて、記録を書く。
『占ってと言われた。』
『できないと言った。』
『紙に書くと守れた。』
『先生が約束にしてくれた。』
最後に、今日いちばん大事なことを書く。
『期待を断っても、壊れない。』
書き終えたとき、胸の奥が静かになった。
できないと言えた日、私は少しだけ自分を守れた。
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