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第6話 寄り道誘い:帰り道の約束

 放課後の鐘が鳴ると、教室の空気が一気に軽くなった。


 椅子が鳴る。通い袋が揺れる。

 子どもたちの声が天井に跳ねて戻ってくる。


「今日は寄り道しよー!」


 誰かの声に笑いが重なって、教室が小さく弾んだ。


 私は通い袋を机の横から外して、口を結ぶ。

 結び目を指で確かめる。


 確かめると落ち着く。

 落ち着くはずなのに、今日は少し落ち着かない。


 門の外。

 父が待っている。


 約束の場所。約束の時間。

 それが頭に浮かぶだけで、胸の奥が少し重くなる。


 私は立ち上がって、通い袋を肩にかけた。

 そのとき、隣のミオが少し前に出て、私の袖を軽く引いた。


「ねえ、ルミシア」


 その呼び方が、前より自然に聞こえた。

 名前で呼ばれると、少しだけ“ここにいていい”気がする。


「……なに」


 短く返す。短い言葉なら、持てる。


 ミオの横から、もう一人が勢いよく顔を出した。

 声が大きくて、笑い方が明るい子。セイラだ。


「川辺で石拾いしよ! きれいなの、あるんだよ!」


 川辺。

 石拾い。


 楽しそうな言葉なのに、私の中にはすぐ別のものが浮かんだ。


 父の顔。


 門の外で、いつも通りまっすぐ立っている父。

 時間ぴったりに。何も言わずに。


 私は即答できなかった。


「……」


 セイラが首をかしげる。


「だめ?」


 ミオも、押しすぎない距離から私の顔を覗く。


「……行けない?」


 行けないわけじゃない。

 でも、勝手に決めるのが怖い。


 寄り道をしていいのか。

 父は困らないのか。

 怒らなくても、待つ時間が増えるかもしれない。


 考えているうちに、口が乾く。

 乾くと、言葉が出ない。


 そこへ、少し離れた席の方から声が混ざった。


「ルミシアって帰るの早いよね」


 笑いを含んだ声。


「やっぱさ、勇者の家って厳しいんだ」


 茶化すような言い方だった。

 悪意は薄いのかもしれない。

 でも、その軽さが痛い。


「門限とかあるんじゃない?」

「毎日剣の稽古してそう!」


 小さな笑い声が混ざる。

 胸の奥が、きゅっと痛くなった。


 “勇者の家”。


 父は勇者だった。

 でも今は、私の父だ。


 勝手に決められたくない。

 笑われたくない。


 言い返したくなった。


 厳しくない。

 剣なんて振ってない。

 父はそんな人じゃない。


 でも、声を大きくすると空気が荒れる。

 荒れると、もっと見られる。

 見られると、私は動けなくなる。


 私は息を吸って、吐いた。

 短い言葉を探す。強くも弱くもない言葉。


 見つけた。


「……聞いてから、決める」


 小さい声。

 でも、逃げないように言った。


 ミオがぱちっと目を瞬かせた。


「聞いてから?」


「……家に」


 セイラが「そっか!」と明るく笑った。

 その笑いが、空気を少しだけ戻す。


「じゃあ聞いてきて! 待ってる!」


 茶化した子はつまらなさそうに肩をすくめて、どこかへ行った。

 笑いの種が消えると、教室はまた普通の放課後になる。


 私は通い袋のひもを握り直した。

 握り直すと、心が少し整う。


 ……聞こう。

 自分で。



 門を出ると、外の光がやわらかかった。

 空の端が少しだけ黄金色に近づいている。


 門の外に父がいた。

 いつも通り。

 まっすぐで、余計な動きがない。


 私は近づいて、短く言った。


「……帰る」


 父はうなずいた。


「うん」


 そのまま歩き出そうとした。

 でも、私は足を止めた。


 止めるのは怖い。

 それでも止めないと、今日は進めない。


 私は一度、息を吸って言った。


「……寄り道、してもいい?」


 声が少し震えた。

 震えたけど、言えた。


 父は私の顔を見て、それから空を見上げた。

 怒る顔じゃない。困る顔でもない。

 ただ確認する顔だ。


「どこだ」


「……川辺。石、拾う」


「誰と」


「ミオと……セイラ」


 父は小さくうなずいた。

 そして短く聞く。


「道は?」


「……学校から、まっすぐ下。橋の近く」


「時間は?」


 そこが大事だと分かる。


「……日が落ちる前」


 父は少し黙った。

 その沈黙が長く感じて、胸がきゅっとなる。


 だめかもしれない。

 そう思いかけたとき。


「戻れるなら、いい」


 許可。

 それだけで、胸の奥が少し熱くなった。


 父は続けて、短く言う。


「暗くなる前に帰れ」


「……うん」


「川に近づきすぎるな」


「……うん」


「歩くときは、端」


 いつもの教え。

 守るための言葉。


 私はうなずいた。

 うなずくと、体が少し軽くなる。


「……ありがとう」


 その言葉が自然に出た。


 父は小さく目を細めた。


「行ってこい」


 それだけ。


 私はくるりと踵を返して、早歩きで戻った。

 走りたくなったけど、走らない。

 転ぶと全部が崩れる。今日は崩したくない。



 学校の門の近くで、ミオとセイラが待っていた。


 セイラは遠くからでも分かるくらい手を振っている。


「おかえりー! どうだった!?」


 私は息を整えて、短く答えた。


「……行ける」


 それだけでセイラが跳ねた。


「やったー!」


 ミオがほっとした顔をした。


「よかった……」


 私は続けて条件を言う。

 ここが大事。


「日が落ちる前まで」


「うん! 分かった!」


 セイラの返事は明るいけど、ちゃんと聞いている。


 三人で歩き出した。

 学校からまっすぐ下へ。

 パン屋の匂いがして、セイラが「おなかすいた!」と言って笑う。


 ミオも小さく笑った。

 笑い声が自然だった。無理がない音。


 私はその輪の外ではなく、少しだけ中に入れた気がした。



 川辺は思ったより静かだった。


 水の音。草の揺れる音。鳥の声。

 町の声は遠い。


 石はたくさん転がっていた。

 丸い石。白い石。黒い石。細長い石。


 セイラはすぐにしゃがんで、宝物を探すみたいに目を輝かせた。


「見て見て! これ、ハートっぽい!」


 確かに少しだけ丸い。

 言われると、ハートに見えてくる。


「……かわいい」


 私が言うと、セイラは嬉しそうに笑った。


「でしょー!」


 ミオもしゃがんで、静かに石を拾っている。

 拾い方が丁寧で、落ち着いている。


 私は少し遅れて石を拾った。

 手に取るとひんやりする。

 でも嫌な冷たさじゃない。


 丸い石を指で転がす。

 つるっとして、気持ちいい。


「これ、光って見える」


 セイラが言った。


「光ってる?」


「夕日が当たってるの!」


 見上げると、空の端がオレンジ色だった。

 水面にも色が映って、きらきらしている。


 ミオが小さく言った。


「……きれい」


 私はその言葉を聞いて、胸の中が少しだけ柔らかくなった。


 教室で「きれい」は、怖い言葉だった。

 でも今の「きれい」は、石と水と空に向いている。


 それなら、怖くない。


 私はもうひとつ石を拾った。

 少しだけ角があって、手のひらにしっかり当たる石。


「それ、何にするの?」


 セイラが聞いた。


 私は考えた。

 持って帰る。飾る。

 正解はない。


「……袋に入れる」


 私は通い袋の小さなポケットに入れた。

 石が布に当たって、ことん、と鳴る。


 その音が、なんだか気持ちよかった。


 セイラが川の近くへ寄ろうとして、ミオが小さく止めた。


「近いよ」


「えー、ちょっとだけ!」


「……濡れる」


 短い言葉。

 短いから、セイラにも届く。


「分かった! 濡れたら怒られる!」


 セイラは笑って戻ってきた。


 私はそのやり取りを見ながら思う。

 止めるって、強い声じゃなくてもできるんだ。


 笑い声が小さく続いた。

 石を見せ合って、形を比べて、手のひらに並べる。


 私は声を出して笑えない。

 でも口元がゆるむ。

 そのゆるみだけで、今日は十分だった。


 ふと、空の色がもう一段濃くなる。

 夕方が近い。


 私は時間を思い出して立ち上がった。


「……帰る」


 セイラが口を尖らせる。


「えー、もう!?」


 でも空を見て、すぐに納得した顔になる。


「ほんとだ。日が落ちる!」


 ミオも立ち上がって、拾った石を手のひらで握った。


「また……来よう」


 軽い言い方。

 約束を重たくしない言い方。


 私はうなずいた。


「……うん」


 それだけで約束になる。



 帰り道。

 学校の門でセイラと別れる。


「また明日ね!」


「……また」


 ミオとは少しだけ同じ道を歩いた。

 通い袋のポケットの中で、石が小さく鳴る。


 今日の証拠みたいな音。


 ミオが言った。


「……行けてよかった」


 私は少し考えて、答える。


「……聞いて、決めた」


「うん」


 ミオが小さく笑った。


 私は歩きながら、胸の中をそっと確かめた。


 今日は守られた。

 父が道と時間を聞いて、「いい」と言ってくれた。


 でも、それだけじゃない。


 私は聞いた。

 自分で言った。

 自分で決めた。


 小さな寄り道。

 小さな石。


 でも私にとっては、大きな一歩だった。


 門の外に父が見えた。

 いつも通り、まっすぐ立っている。


 私は近づいて、短く言った。


「……戻った」


 父がうなずく。


「石は拾えたか」


 その一言で、父は気づいている。

 通い袋が少しだけ重いから。


 私はポケットを軽く押さえて言った。


「……拾えた」


 父の口元が、ほんの少しだけゆるんだ。


「よかったな」


 その言葉が、今日の最後の石みたいに胸の中に落ちた。

 ころん、と。

 痛くない音で。

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