国盗り合戦と解放された悪魔
カインがメルローズ家の陰謀を知ってから、五日が過ぎていた。
正午の陽が神殿の窓辺を射すこの日、ウルメイト家の居城には珍しい顔ぶれが揃っていた。
ノストラ、バスク、アマレット――三人は訪問客として招かれ、エンディ、アッサム、アミアンと共に談笑のひと時を過ごしていた。
六人はアミアンが丁寧に焼いたクッキーを囲み、紅茶の湯気が静かに空気を和らげていた。
「すみませんアミアンさん、自分までご馳走になっちゃって…。」
そう言ったバスクは、どこか恐縮した面持ちで、クッキーを手に取った。
「気にしないで。たくさん焼いたからどんどん食べてよ!」
アミアンはにこやかに言いながら、慣れた手つきで人数分の紅茶を注いでいた。
「カイン、あれから一回も顔を見せてこないな。どうしたんだろう…。」
エンディはカップを手にしながらも、どこか落ち着かない視線で窓の外を見やった。
アマレットもまた、エンディと同じ不安を胸の奥に秘めていた。
「最近なあ、バンベールの奴もあまり見かけなくなったんじゃが…何か関係あるんかの?」
ノストラはクッキーを豪快にかじりながらも、鋭い観察眼を光らせていた。
「確かに…少し注意深く観察する必要がありそうですね。あの男は昔から、何を考えているのかさっぱり読めませんから。カイン君がよからぬ事に巻き込まれていなければいいですが…。」
アッサムの声には、慎重な警戒と微かな懸念が滲んでいた。
「カインから聞いたんだけど、バンベールさんは人一倍権力にめざとくて異常なまでに野心家らしい。特にメルローズ家に対する思いは狂信的だって…。“メルローズ家は永遠に不滅”って口々に言ってるらしいよ。」
エンディはその言葉を反芻するように、どこか重たげに呟いた。
「エンディ、永遠なんてものは無いんだよ。どんな大国も、いつかは滅びの時が訪れる。それが例え、どれ程強大であってもね。どんな名家も権力者も、元を辿れば所詮はただの罪深い殺戮集団だ。因果応報というものは、必ずあるからね。」
アッサムの声は穏やかだったが、その奥に宿る冷徹な真理に、場の空気は一瞬で凍りついた。
エンディとアマレットには、その言葉の奥にある歴史の業と予感をまだ深くは理解できなかった。
「エンディ、そしてアマレットちゃん。君たち若い世代の未来は必ず俺が…俺たち大人が守るからね。それが大人の義務だ。俺は、それだけは絶対に諦めない。」
アッサムは微笑を浮かべながらそう言った。
その言葉には、未来への誓いと自負が宿っていた。
バスクはその姿に心を打たれ、静かに感銘を受けていた。
――いつか、俺もああなりたい。こんな、カッコいい男に。
彼の胸の内に、ささやかな憧れの炎が灯っていた。
***
一方その頃、カインはウルメイト家の居城の門前に立っていた。
クーデターの決行は、実は明日にまで迫っていた。
そしてその前に、バンベールからの命令が下されていた――ウルメイト家の抹殺。
その筆頭は、かつての親友、エンディだった。
「やるしかねえ。」
カインは炎を纏い、殺意と決意を込めて呟いた。
彼の周囲に灼熱の空気が立ち上る。
だが次の瞬間、全身を包んでいた炎は掻き消えた。
エンディと過ごした日々。
笑い合い、ぶつかり合い、共に生きた記憶が、刃のように心に突き刺さった。
エンディを殺すことなど、カインには到底できなかった。
「俺は…どうすればいいんだ…。」
殺さなければ、自分が殺される。
かと言って、クーデターを止めるには遅すぎる。
だが何もしなければ、ただ悲劇が連鎖するだけ。
苦悩は彼を締めつけ、心が音を立てて崩れそうだった。
そのとき、ふと脳裏に浮かんだ言葉があった。
“私はきっと、君の力になれるよ。忘れないでくれ、私はいつだって君の味方だ。”
イヴァンカの言葉だった。
気がつくと、カインは無意識のうちに歩き出していた。
気がつけば、パピロスジェイル。
イヴァンカが収監されている牢の前に立っていた。
藁にもすがる思いだった。
ここまでの時間も距離も、思考の一切も、彼の記憶から抜け落ちていた。
「やあ、カイン。久しぶりだね。また会えると信じていたよ。」
イヴァンカは落ち着いた声で、まるで旧友に語りかけるようにそう言った。
「どうした?そんな深刻な顔をして。君の顔が曇れば、私の心も曇ってしまう。良かったら話してくれないか?その前に、まずはゆっくり気持ちを落ち着けようか。」
その柔らかな声に、カインの張りつめた心が少しだけ緩んだ。
深く息を吸い、ゆっくりと事の経緯を語り出す。
不思議だった。
目の前にいる男は、得体の知れない存在のはずなのに、どこか安心感を与えていた。
まるで、深い夜に灯る火のように。
「なるほど、クーデターか。いつの時代も争いは絶えないものだね。外界は随分と面白いことになっているじゃないか。」
「イヴァンカ様…俺は一体どうすればいいですか…。」
いつの間にか、カインの声に敬意が混じっていた。
無意識のうちに、この男を頼っていたのだ。
そしてイヴァンカは、静かに檻の前へ歩み寄り、言った。
「私を解放しろ。私ならその状況を全て丸く収める事ができる。君の思い描く理想の形でね。」
その言葉は甘く響いた。
だがその実、深く蠱惑的だった。
「解放…?」
「君も周知の通り、この監獄の魔法はユリウス家の者によって施されたものだ。しかし私の檻に施された魔法は、少し特殊でね。他の牢獄の様に、術者の意志では解除が出来ないんだ。」
「じゃあ…一体どうすれば…?」
「ユリウス家にはね、代々ユリウス家の当主に継承される“カシェ”と呼ばれる大きな杖がある。それは強力な魔力が秘められた神器だ。私の檻にかけられている魔法は、そのカシェによって施されたものだ。カイン、カシェを破壊してくれないか?そうすれば檻にかけられた魔法は無効化され、私はここから出ることが出来る。」
その瞬間、カインの目が覚めた。
「はっ、何だよ。とどのつまりあんたは結局、ここを脱獄したいだけなんだろ?その一心で俺を懐柔し、利用しようとしてるだけじゃねえかよ。下らねえ。」
吐き捨てるように言い放ち、踵を返す。
だが背後から聞こえたイヴァンカの声は、なおも冷静だった。
「カイン、後悔するよ。君を救えるのは私しかいない。いずれ分かるさ。」
その声が耳に残り、胸の奥に澱のように沈殿していく。
カインは、逃げるようにしてパピロスジェイルを後にした。
外に出たカインは、次に何をすべきかも分からないまま、散歩をするように歩いていた。
思考は混乱し、世界の輪郭がぼやけていく。
自分が今、何を信じ、何を選べばいいのかすら分からない。
ふと、耳に喧騒が届いた。
何やら騒々しい叫び声と衝突音が、神殿内を木霊していたのだ。
「……なんだ?」
カインは足を止め、音のする方へと駆け出す。
目にしたのは、庭園と大広間を舞台にした、ウルメイト家とメルローズ家による大規模な戦闘だった。
「……なんだよこれ……!?」
声にならないほどの衝撃。
そんな彼の背後に、バンベールが現れた。
「カイン!今まで何をしていた!まだエンディを殺していないのか!?」
父の怒声。
だがカインが見たのは、これまで一度も見たことのなかった、取り乱す父の姿だった。
「お父様…これは一体??クーデターの決行は、明日じゃないんですか!?」
「レイティスにバレてしまった。どうやって我々の情報を入手したかは知らないが、奴は先程大慌てでウルメイト家に、我々メルローズ家を討伐する様命じたのだ。呆けていないで、お前も応戦しろ!」
バンベールの怒号に、カインは思わず体を縮めた。
レイティス――絶対的な不信の権化。
誰も信用せず、かつてからウルメイト家にもメルローズ家にも内通者を忍ばせていた。
自身の寝首をかく計画の情報を察知した彼は、メルローズ家を抹殺対象に切り替えた。
己の身を守るために。
カインは、再びイヴァンカの言葉を思い出していた。
“君を救えるのは私しかいない。”
その言葉が、冷たい炎のように胸を焦がした。
そして彼は走り出した。
ユリウス家の居城を目指して――。
一方ウルメイト家の居城では、アッサムとアミアンが城内に閉じ込められていた。
ノストラとバスクは既に、レイティスの警護に向かっていた。
アマレットは、ユリウス家の居城に帰宅中。
エンディは城下町へ一人で出かけていた。
ウルメイト家の戦士たちは、万が一に備え、居城を固めていた。
「おい!俺も戦う!ここから出せ!」
アッサムは玄関の扉を叩きながら、外の戦士たちに叫んだ。
「そういうわけにはいきません!アッサム様、あなたはアミアン様の側にいて下さい!ウルメイト家の敷地内には、虫1匹近づけさせません!エンディ坊っちゃまも既に、下の者を保護に向かわせていますので御安心を!」
ドア越しの声に、アッサムは拳を下ろした。
「ねえ…エンディ大丈夫かな?」
アミアンは不安そうに涙を溜めながら呟いた。
「大丈夫だ、あいつは強い。しかしバンベールの奴、まさかクーデターを起こすとはな…。」
悔しさをにじませながらも、アッサムは妻を一人にはできなかった。
戦いたい気持ちと、守るべきものの間で、彼は苦悩していた。
***
その頃、カインはユリウス家の居城へ単身乗り込んでいた。
「この子は…メルローズ家の!?」
「どうしてここに!?」
突然の侵入に、ユリウス家の者たちは恐慌をきたしていた。
カインは、たまたま近くにいた青年に襲いかかり、冷徹な目で首を絞めた。
「死にたくなければ答えろ…カシェはどこにある?」
恐怖に怯えた青年は、あっさりと居場所を吐いてしまった。
カインは感情を切り捨てたような足取りで、封の間を目指す。
誰も彼を止められなかった。
否、止めようとすらしなかった。
重厚な扉に手をかけようとしたその時――
「カイン!?あなた何してるの!?」
アマレットが、祖母と共に現れた。
「カイン君、馬鹿な真似はやめなさい。取り返しのつかないことになるよ?あなたは優しくて良い子だよ…アマレットが選んだ子だもの。一度道を踏み外したら、後戻りしてやり直すのは本当に難しいんだよ。」
祖母の声は、愛に満ちていた。
だがその慈愛は、もうカインの耳には届かなかった。
「もう…こうするしかねえんだよ!!」
叫びと共に、カインは封の間の扉を破壊し、カシェを焼き払った。
一瞬にして、神器は灰と化した。
***
その頃、パピロスジェイル――。
イヴァンカが収監されていた檻に施されていた魔法が、音もなく消失した。
静かに、彼は一歩外へと出る。
そして、しばし呆然と立ち尽くした後、顔をしわくちゃに歪め、歯を剥き出しにして、悍ましい笑みを浮かべた。
それは、地獄の門がゆっくりと開かれた瞬間だった。




