友情は、剣よりも脆くて強い
「勝負だエンディ!今日こそ決着をつけてやる!」
カインは真剣な眼差しでそう言い放ち、挑むような気迫でエンディの前に立ちはだかった。
あの日以来、彼は毎日のように“決着”という名目でエンディのもとを訪れていた。
だがその実、彼自身も理由を明確には説明できないまま、ただ会いに来ていた。
「はいはい。」
エンディは飄々と笑いながら応じた。
どこか照れ臭さを隠すように、肩をすくめていた。
カインは分かっていた。
自分は今、父からの「他の一族と馴れ合うな」という命令を破っている。
その背徳感に、ほんの少しだけ罪悪感が芽生えていた。
それでも、エンディと会うことをやめる気にはなれなかった。
2人は城下町を歩き回ったり、山の中を駆け回ったりしていた。
そして、いつしかその背を追うように、アマレットが自然と加わっていた。
ウルメイト家とユリウス家が古くから友好関係にあったこともあり、エンディとアマレットは幼馴染のような関係だった。
3人は、いつも一緒にいた。
人気のない山奥に行くと、エンディとカインはよく拳を交え、力をぶつけ合った。
それは戦うためではない。
互いの力を磨き、高め合うための“修行”だった。
アマレットは、そんな2人の姿をいつも静かに見守っていた。
にこにこと、優しい笑みを浮かべながら。
カインは、そんなアマレットの視線をいつも気にしていた。
彼女に見られていると思うと、なぜだか気が引き締まった。
ある日、修行の合間の休憩中――
カインは、モジモジと落ち着かない様子でエンディの隣に座った。
「なあエンディ、お前さ…その…なんて言うか…アマレットの事、どう思ってるんだ?」
小さな声で、アマレットに聞かれないように、目を逸らしながら尋ねた。
「どう思ってるって?ただの友達だよ。」
エンディは空を見上げ、そっけなく答えた。
「ふーん、あっそ。」
カインは内心、少しほっとしたような、妙な悔しさのような気持ちに襲われていた。
「ところでお前よ、そんなに強いのにどうして戦士にならないんだ?」
カインは話題を変えるように問いかけた。
「俺は強くなんかないよ。戦士になりたいとも思わない。自由が好きだからな。でも、もし俺のこの力が世の中の役に立てるんなら、俺はこの力を最大限有効活用したいと思う。だから毎日の修行は欠かさない!」
エンディはまっすぐな眼差しで、力強く語った。
「俺はこんな世の中の役に立ちたいなんて思わないけどな。」
カインは皮肉気に笑った。
「もう、カイン!またそんな捻くれたこと言って〜。」
アマレットが笑いながら呆れたように口を挟んだ。
その一言に、カインはなぜか心臓を射抜かれたようにドキッとしてしまった。
「でもよ、エンディ…お前の父親に言われた言葉はこれからも大事にしようと思う。大切なものとか、俺にはよく分からねえけど…とりあえず模索していこうと思うわ。」
カインは照れ隠し気味に微笑んで言った。
確かに、カインは変わりつつあった。
人間らしい心を少しずつ取り戻していた。
“自分の意志”で動こうとする姿勢が、確かに芽生えていた。
エンディとアマレットと日々を共にすることで、カインの中の何かが確実に変わっていった。
その変化が、エンディとアマレットにはとても嬉しかった。
「ねえみんな、手繋ご!」
アマレットが突如、元気いっぱいの声で言った。
彼女はエンディとカインの手を握り、引っ張るようにして言った。
エンディは目を丸くして戸惑いながらも従った。
カインは顔を真っ赤にし、じわりと手汗をかいていた。
「輪になろうよ、早く!」
アマレットが笑顔で言った。
3人は輪を作って手を繋ぎ合った。
「私たち、これからもずっと友達でいようね!」
アマレットの言葉は、無邪気で、だからこそ美しかった。
「おう!」
エンディは元気に返事をした。
「友達か…」
カインはその言葉を反芻していた。
“ずっと友達”――それがどれほど難しいことか、彼はどこかで知っていた。
成長し、大人になっても関係が変わらない友情が、どれほど稀有かを。
未来は誰にもわからない。
それでもこの瞬間、3人は確かに友達だった。
たとえ時が流れ、離れ離れになっても、また笑って再会できるように。
その日まで、自分自身の灯を絶やさぬように。
口には出さずとも、3人は心の奥底でそう誓っていた。
夕暮れ時、カインはメルローズ家の居城に帰宅した。
父の姿が無いことに安堵し、ほんの少しだけ呼吸を深くした。
「兄さん!お帰り!」
玄関に飛び出してきたのはアベルだった。
その声があまりに明るかったので、カインは驚いて目を丸くした。
「アベル、何か良いことでもあったのか?」
訝しげに尋ねると、アベルは待ち構えていたかのように話し出した。
「兄さん、実はね!心の底から本音を語り合える素晴らしい方に出会えたんだ!」
その瞳はキラキラと輝き、どこか異様な熱を帯びていた。
「…友達でもできたのか?」
「友達なんて陳腐な関係じゃないよ!その方はね、僕の理解者なんだ!兄さんにも紹介するよ!」
カインはアベルの変化に戸惑いながらも、その“理解者”という存在に興味を持った。
そしてこの日は、父バンベールの不在が決断を後押しした。
アベルに案内された場所は、パピロスジェイルだった。
罪人がユリウス家の魔法で封じられた巨大な監獄――
重く錆びた扉。重苦しい空気。
だが、誰も2人を止めようとはしなかった。
メルローズ家当主の息子に、看守ごときが声を上げられるはずもなかったのだ。
「おい、理解者って…罪人なのか?」
「罪人じゃないよ。その方は何も悪い事なんてしていないんだよ。その方の高尚さを理解できず、疎ましく思った愚か者共に目をつけられて投獄されちゃったんだけなんだ。6歳の頃から今日まで18年間、ずっとこんな所にいるんだよ?可哀想だと思わない?」
カインはアベルの話を半信半疑で聞いていた。
そして、鉄格子の前でアベルが足を止めた。
「着いたよ!」
その房は、他のどの牢よりも大きく、魔法の封印も異常に強固だった。
「やあ…今日も来てくれたんだね、嬉しいよ。おや…君がカイン君かい?アベルから話は聞いているよ。」
奥から聞こえた声は、落ち着き払っていて、むしろ優雅だった。
姿を現した男は、18年もの投獄を受けているとは思えぬほど綺麗な身なりだった。
赤髪が揺れ、瞳には神秘的な光が宿っている。
「…あんた、何者だ?」
警戒しながら問うカインに、男は静かに近づいてきた。
「私は深淵。そして私が今いるこの場所は、さしずめ“世界最深部”といったところかな。」
飄々と微笑んでそう言ったその男こそ、レムソフィア・イヴァンカだった。
「兄さん!イヴァンカ様に失礼だよ!」
アベルが鋭く言ったその言葉に、カインは凍りついた。
「イヴァンカ…だと…!?」
カインは衝撃に目を見開いた。
「私のことを知っているのかい?」
「レムソフィア家には、幼い時分に“危険因子”と判断され、以来ずっと投獄されている者がいると聞いたことがある…そしてその者の名がイヴァンカだと。噂だと思ってたが…まさかあんたが…。」
カインは心底驚き、珍しく動揺した。
「仕方のない事だ。何も持たざる者に妬まれ迫害されるのは、才ある者の宿命だからね。ところでカイン、君は何をそんなに思い悩んでいるんだい?」
イヴァンカの言葉は、まるでカインの心の奥底を見透かしていた。
その洞察に、カインはハッと息を呑んだ。
「…え?」
「今の君の姿は、心に救いを求め葛藤している迷える子羊とよく似ている。」
カインは何も言えなかった。言葉が出なかった。
「兄さん!悩み事があるならイヴァンカ様に相談しなよ!イヴァンカ様なら、必ず正しい道へと導いてくれるよ!」
アベルは熱に浮かされたような瞳でそう言い、笑った。
カインは背筋に寒気を覚えた。
「アベル、もう帰るぞ!お父様には黙っててやる、だからここへは2度と来るなよ?」
カインはアベルの腕を掴み、引っ張りながら歩き出した。
「カイン。」
イヴァンカの低く静かな声が、背後から響いた。
カインの足が止まる。だが振り返らない。
「私はきっと、君の力になれるよ。忘れないでくれ、私はいつだって君の味方だ。」
その言葉に、カインの胸はかすかに揺れた。
だが、彼は心を振り払うように足を進めた。
牢の奥でイヴァンカは不敵に微笑んでいた。
その目は、既に何かを確信していた。
翌日、昼下がり。
エンディとアマレットは小さな公園で泥団子作りに夢中になっていた。
手も服も泥まみれだが、笑い声が絶えない。
カインは少し離れた場所で、ぼんやりと空を見上げていた。
表情には影が差し、まるでここに存在していないかのようだった。
「カイン?さっきからボーッとして、どうしたんだよ?」
エンディが声をかけた。
「うん…なんか今日のカイン、変だよ?」
アマレットも心配そうに見つめた。
「別にどうもしてねえよ。」
カインは冷たく言い捨て、視線を逸らした。
そこへノストラ、アッサム、アミアンが公園へと現れた。
「あ、ノストラさん!お父さんとお母さんも!」
エンディの顔が一気に華やいだ。
「おうおどれら、なーんでこんな辺鄙な場所で遊んでるんじゃい?ええ?」
ノストラが大声で笑った。
「ははっ、エンディとアマレットちゃんと一緒にいる所をバンベールに見られたら、カイン君は大目玉を食らっちゃいますからね。」
アッサムが軽口を叩いた。
「エンディママ〜!」
アマレットがアミアンに駆け寄る。
「アマレットちゃ〜ん!元気してたあ?貴女は今日も、天使みたいに可愛いねえ〜!」
アミアンはアマレットを抱きしめ、嬉しそうに頭を撫でた。
彼女が持っていた籠の中には、たくさんの手作りサンドイッチが詰まっていた。
「みんな、お腹空いてるでしょ?遠慮なく食べてね!」
エンディとアマレットは大喜びでかぶりついた。
だが、カインはスタスタとその場を離れようとした。
「カイン、どこ行くんだよ?お前も食えよ!お母さんのサンドイッチはな、世界一美味いんだぞ!」
エンディが笑いながら引き止めた。
「悪い、今日は帰るわ。」
カインは深く考え込むような目をしていた。
アミアンがカインのもとへ駆け寄り、しゃがんで目線を合わせた。
「あなたがカイン君ね?いつもエンディと遊んでくれてありがとう。今度家に遊びおいでよ。たくさんご馳走するから。」
彼女の笑顔はあたたかく、まるで春の陽射しのようだった。
カインは答えられず、ただ小さく頷いた後、逃げるように去っていった。
「カイン、どうしたんだろう…。」
アマレットが呟いた。
「大丈夫だよ、あの子は強い子だ。何があったかは知らないが、今はそっとしておいてあげよう。あの子はきっと立ち直るよ。」
アッサムは微笑みながら言った。
だがこの日を境に、3人が揃うことは二度となかった。
エンディは漠然と感じていた。
――カインはもう、遠くの場所へ行ってしまうのかもしれない、と。
夕暮れ時、カインがメルローズ家の居城に戻ると、玄関前に屈強な男が二人、まるで門番のように立っていた。
彼らの不穏な佇まいに、カインは眉をひそめる。
「お帰りなさいませ、カインお坊ちゃま。中でバンベール様がお待ちです。」
男たちは同時に深々と頭を下げた。
何かが起きている。
只事ではないと察したカインは、重い足取りで中へ入った。
屋敷の空気は張り詰め、重く沈んでいた。
リビングの扉を開けると、そこにはメルローズ家の顔役とも呼ぶべき戦士たちが、無言で整列していた。
その中心に立っていたのは、父・バンベールだった。
「おかえり、カイン。」
バンベールは冷淡な声で迎えた。
「お父様…これは一体何の集まりですか?」
カインは不安を押し殺しながら尋ねた。
「カイン、単刀直入に言う。心して聞け。我々は近日、レムソフィア家を一族郎党根絶やしにする。そして、これからはユドラ帝国の実権は我々メルローズ家が握る。」
その声には、一切の揺らぎもなかった。
まるで予定通りに読み上げる台詞のように。
「…え?お父様、何を言っておられるのですか…?レムソフィア家に忠誠を誓い闘うことが我々メルローズ家の使命ではないのですか?それを根絶やしって…。」
カインの声はかすかに震えていた。
理解が追いつかず、頭が真っ白になっていく。
「カイン、お前は一度も疑問に思った事がないのか?なぜ我々の様な気高き戦士が、あの様な者達に尽くさねばならないのか。500年前にユドラ人を束ねていた…たったそれだけの理由で、何故連中をまるで神の様に祭り上げなければならないのか?正直我々はもう限界なのだ。世襲制などという下らぬ風潮に惑わされ、烏合の衆を崇めるなど屈辱極まりない!」
怒気は静かな語調の裏に抑え込まれていたが、バンベールの目は鋭く血走っていた。
「お父様…最近あまり家に帰らず、留守にする日が多かったですよね。まさか…。」
カインの喉が乾いていく。
言葉の続きを出すのが苦しかった。
「察しがいいな、カイン。これはもうずっと前から計画していた事なんだ。最近は内密の会談が多かったからな、家にもろくに帰れなかった。そして今回お前にこの事を話したのは、計画遂行の為にはどうしてもお前の力が必要だからだ。」
バンベールの声はいつになく静かだった。
だが、その静けさこそが異常だった。
「俺の力が必要って…?」
カインは震える声で問い返した。
「お前の炎の力は素晴らしい。その力を是非、今回の”聖戦”で存分に発揮してくれないか?ユドラ帝国の歴史を変える”聖なる戦い”に。」
バンベールは悠然と語った。
カインは、自分の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。
体の芯が冷え、手足に血が通わなくなるようだった。
「カイン、お前最近エンディと会っているだろ?それも毎日の様に。俺が何も気付いてないとでも思ったか?」
その言葉に、カインはハッと息を詰めた。
図星を突かれた。全身が凍るような感覚だった。
「レムソフィア家を粛清する事など容易い。奴らは現在保有している権力に甘んじて高を括っている上、ろくに戦闘も出来ないからな。しかし厄介なのがウルメイト家だ。奴らは確実に、つまらぬ正義感を振りかざして我々の邪魔をしてくるに違いない。そして俺が最も危惧しているのは、エンディの風の力だ。認めたくないが、あれは相当手強いぞ。そこでだ、カイン…お前にはエンディを殺してもらいたい。毎日一緒に遊んでいるんだ、奴の手の内はお前が一番よく分かっている筈だ。」
バンベールは容赦なく“命令”を下した。
やはりそうきたか。
そう思った。
カインは直感的に、あの“優しい時間”が引き金になると知っていた。
それでもなお、望まなかった。
だが、望まないものが目の前にあるとき、人はどうすればいいのかを彼は知らなかった。
「どうしたカイン、返事が聞こえないぞ。」
沈黙を責めるように、バンベールが言った。
カインは身体を強張らせたまま、少し俯きながら口を閉ざした。
けれど、数秒後に顔を上げたとき――そこには、あの頃の冷酷な目が戻っていた。
「はい…承知いたしました、お父様。」
その声は、感情の起伏を押し殺した機械のような声だった。
異を唱えることは許されない。
そう身体に叩き込まれていた。
エンディとの日々、アマレットの微笑み、自由な風――
それらは一瞬でカインの中から遠のいていった。
彼はまた、父の“兵器”へと戻っていた。




