絶対零度の脅威 さらば、我が魂の友よ
「あれま、お仲間が2人やられちゃったね。弔いの言葉の一つでもかけてあげたら?」
モスキーノは、口元に浮かべた薄笑いとともに、わざとらしく肩をすくめてみせた。
目の前で同胞が戦死したというのに、ウィンザーとハルディオスはまるで石像のように無表情だった。
心の底に動揺の欠片すら見えない。
「ロゼ達の傷が着実に癒えてきているね。危険を冒してまでラーミアを奪還したのは、戦力となる手駒を増やす為かな?」
ウィンザーは冷静な声音で問いかけた。
言葉の奥には警戒の色が滲んでいた。
「ははっ、手駒って…人聞きが悪いなあ。まあ、言い得て妙な気もするけど。」
モスキーノは皮肉めいた笑みを浮かべたあと、真顔に切り替えた。
「まあ…負傷した味方を回復させて戦力として復帰させるのは戦術の常套手段だからね。外傷を完璧に治癒できる能力を持つ者を、敵に引き渡したくもないし。だけどそれ以上にね、ラーミアの能力でイヴァンカを不老不死にさせるのは何がなんでも阻止したいんだよ。」
モスキーノは喋るにつれ、声に凄みが増していた。
そして、その目から笑みが完全に消えた瞬間、ウィンザーの姿が掻き消えた。
次の瞬間、モスキーノの背後から、鋭利な剣が斬りかかる。
しかし彼は反射的に、空気中の水分を凝縮して創り出した氷の刃を手に取り、ギリギリで受け止めた。
「速っ!!」
軽口を叩くモスキーノの前に、今度はハルディオスが猛然と迫ってくる。
「うわっ…うおっ!危なっ!」
ひとつひとつの斬撃を、大袈裟とも言える身振りでかわすモスキーノ。
その一太刀一太刀は、掠れば命を失うほどの殺意を帯びていた。
しかも、襲いかかってくるのはウィンザーとハルディオスの二名。
いずれも、一国の軍を単独で殲滅できる猛者。
その両者を相手に、モスキーノは間一髪で回避を繰り返していた。
そして、避けきれぬ時には氷の刃で受け止め、破壊されれば即座に新たな刃を創出して防いでいた。
しかし、いちいちオーバーなリアクションをとりながら避けては受け流す、その身振り、手振り、素振りのその全てがわざとらしく、どこか演技じみていた。
「ガキが…舐めた真似を。」
ウィンザーは苛立ちを隠さなかった。
「落ち着け、奴のペースに乗せられるな。」
ハルディオスが冷静に制したが、その声には僅かな苛立ちも混じっていた。
気づけば、2人の周囲には無数の氷の刃が並び立っていた。
それはまるで結界。
死角は一切なく、逃げ場のない刃の檻だった。
「はい、おーしまいっ!」
モスキーノがそう言い放つと、無数の刃が嵐のように襲いかかった。
だが――
「……っ!!」
ウィンザーとハルディオスは剣を一振りしただけで、全ての氷の刃を打ち砕いた。
「うわあ…すごっ!じゃあさ、これならどうかな?」
モスキーノが無邪気に笑った瞬間、ウィンザーとハルディオスの身体が凍りついた。
パキッという音と共に、2人は氷像と化す。
――が、その凍結は一瞬で破られた。
氷は彼らの放つ闘気で弾け飛び、二人は傷一つ負っていなかった。
「この程度で俺たちが凍ると思ったか?」
ウィンザーの声音には、微塵の動揺もなかった。
「え…凍傷にすらならないのかよ。お兄さん達、もしかしてバケモン?」
モスキーノは冷や汗を流しながら苦笑した。
だが、それすら芝居じみていた。
「お前の氷の曲芸はもう飽きた…と言いたいところだが、万策尽きた様でもなさそうだな。」
「まだ何か隠しているのか?」
ウィンザーとハルディオスは余裕の表情を崩さずに言った。
「う〜ん…とっておきの攻撃も、俺の冷気も通用しないとなると難儀するなあ。でもさあ…流石のお兄さん達もさあ…絶対零度には耐えられないんじゃない?」
モスキーノは口元だけ笑いながら言った。
その言葉に、ウィンザーは嘲るように鼻を鳴らした。
「絶対零度だと?ふざけているのか?」
しかしその嘲りは、すぐに凍りつく。
周囲の温度が、急激に低下し始めていた。
皮膚の感覚が鈍る。
血が凍り、肺の中の空気すら針のように感じた。
「今はまだドライアイスくらいかな?これからもっともっと下がるよ。お兄さん達、絶対零度がどれほどのもんか想像出来ないでしょ?まあそれは無理もないか。だって…マイナス273℃だもんね。」
モスキーノの顔からは笑顔が完全に消え、恐ろしく残忍な表情をしていた。
瞳からは一切の感情が消え、鬼神のような表情をしていた。
その圧に、ウィンザーとハルディオスは初めてわずかに目を見開き、震撼した。
恐怖――明確な敗北の予感。
そして氷結が訪れた。
2人は白い塊と化し、原型をも失った。
煙のような蒸気を発しながら、視認すら困難な姿に変わっていく。
絶対零度。
それは、物質の存在すら否定する恐るべき冷気だった。
「おいコラ!モスキーノ!早く術を解けや!寒くて凍死しちまうよ!!」
ポナパルトが慌てて怒鳴った。
「うるさいなあ!今集中してんだから黙ってて!」
モスキーノは苛立ちを隠さず叫んだ。
「あの野郎まじかよ…絶対零度って…イカつ過ぎんだろ。」
「こんなの反則だろ…異次元すぎるぜ…」
ロゼとエラルドは、唖然としたまま言葉を失っていた。
「おい、妙じゃねえか?モスキーノはここら一帯の気温を絶対零度まで下げたんだよな?なんでその近くにいる俺たちはちょっと寒さを感じる程度で、人の姿を保っていられるんだ?」
ノヴァが疑問を呈した。
「フフフ…それはあれのおかげじゃない?」
バレンティノは遠くを指差した。
その先では、カインの放った炎が赤々と燃えていた。
「おいおい、絶対零度の冷気を抑えてやがったのかよ…カインもとんでもねえ野郎だな。」
ロゼは絶句した。
カインはモスキーノに嘲笑の眼差しを向けていた。
それは、絶対零度など俺の放つ炎の前では無力だという、カインからの挑発ともとれる明確な意思表示だった。
「ははっ、相変わらず胸糞悪い野郎だ。」
モスキーノは口角を吊り上げたが、氷のように冷たいその目は、全く笑っていなかった。
冷気は解かれ、空気が徐々に元の温度を取り戻していく。
やがて氷が溶け、ウィンザーとハルディオスはうつ伏せに倒れていた。
絶対零度を喰らっても、なお命脈を保っていた。
その信じ難き生命力は、もはや人間の域ではなかった。
「嘘でしょ?普通骨の髄まで跡形もなくこの世から消え去る筈なんだけどな。お兄さん達、本当に化け物だね。」
モスキーノは呆れと敬意の混じった瞳で2人を見下ろした。
だが、彼らの内臓も細胞も既に壊死し、もはや人としての機能はなかった。
「早く殺しなよ…いつまでもこんな無様な醜態を晒しているのは…死よりも耐え難い苦痛だ。」
ウィンザーが吐き捨てるように言った。
「うん、そうさせてもらうね。」
モスキーノは冷たく言い放ち、氷の刃を構えた。
そのとき――
「おじいちゃん、どうしたの?」
ノストラが、彼の前に立ちはだかった。
「モスキーノとやら、後生じゃ。此奴らを見逃してやってはくれんかのう。」
ノストラは、その細く震える声に痛切な懇願を込め、モスキーノの前に立ちはだかった。
「やめろノストラ…お前に情けをかけられるほど…俺たちは落ちぶれていない。」
ハルディオスは、血を吐くようにして言葉を絞り出した。
「おじいちゃんさ、この2人とどういう関係か知らないけど、それは余りにも無粋じゃない?俺たちは命を賭して戦った。結果、俺は勝ち2人は負けた。敗者の生死が勝者の手に委ねられるのは世の常でしょ?口出しされるおぼえはないね。」
モスキーノは冷徹な眼差しでノストラを睨み据えた。
殺意こそ含まれていなかったが、その無感情な正論が胸に突き刺さる。
「黙れ小童!なに長ったらしく訳の分からん御託並べとるんじゃい、ええ!?」
ノストラは突如、雷のような怒声を放った。
「ちょっと〜、急に怒鳴らないでよ〜。」
モスキーノはぎょっとして目を丸くした。
次の瞬間、ノストラの瞳から溢れた涙が頬を伝い、声にならぬ嗚咽が漏れる。
そして老人は嗚咽を越えて、ついには号泣した。
「ワシはのう、この2人のことが可愛くて可愛くて仕方がないんじゃい…!どんなに堕ちても、かつては愛弟子であったことに変わりはないからのう…。ワシはのう…この2人のことが大好きなんじゃよ…何か文句あるんかい?何か問題あるんかい?おうコラ!言うてみい!」
涙で濡れた顔のまま、ノストラはしゃがみ込み、懸命に吠えた。
その激情に、モスキーノは一歩退いた。
表情が曖昧に歪み、反応に困って口を閉じた。
ノストラは震える手で膝をつき、息絶えそうな2人に顔を寄せる。
「おどれら…頼む。改心してくれ。改心すると言っとくれ…!そうすればワシがラーミアに頼んでなあ、おどれらの傷を治してもらうよう掛け合ってみるから…。」
その懇願は、魂をすり減らすような声音だった。
ウィンザーは目を伏せ、胸の奥に小さな棘のような痛みを感じていた。
忘れたはずの感情が、ひどく懐かしい形をして疼いていた。
(まさか…俺にまだ、こんな心が残っていたとはな…)
「…あんたは…本当に昔から…甘いな。だからいつも…足元をすくわれるのだ。」
ハルディオスは、微かに口元をほころばせた。
その一瞬の笑顔に、ウィンザーとノストラは目を見開いた。
――ハルディオスが笑った。
あの男が、20年前の“あの日”以来、初めて微笑んだのだ。
「ハルディオス…お前…。」
ウィンザーは、まだ自身の目を疑っている。
「ウィンザー…あの日、俺に生き場所をくれてありがとう。お前は生きろよ、相棒。」
ハルディオスのその言葉は、静かに、しかし胸の奥深くに刻み込まれた。
次の瞬間――
ハルディオスはモスキーノの腰を掴み、最期の力を振り絞って地を蹴り、空へ跳び上がった。
「おどれ!何をする気じゃあ!」
ノストラが天を仰いで叫んだ。
「お前…何を?てか…どうしてまだこんな力が残ってるんだ?」
モスキーノは驚愕の表情で、自分が抱えられている現実に目を丸くしていた。
「お前は俺と一緒に逝ってもらう。この戦いは、ウィンザーの一人勝ちだな。」
その宣言と共に、空中で爆音が響き渡った。
ドカーン!
ハルディオスは腹部に仕込んでいた爆薬を、己ごと爆発させたのだった。
ウィンザーとノストラを巻き込まぬよう配慮し、モスキーノを確実に仕留めるために選んだ道だった。
「モスキーノ!!?」
「フフフ…ちょっとこれは…やばいねえ。」
ポナパルトとバレンティノが、地上でその爆発を見上げながら顔を引きつらせた。
凄まじい爆風が空から地上へと降り注ぎ、風圧だけでも人間を吹き飛ばす威力だった。
だが――
モスキーノは、爆破直前に自身を氷で包み込んでいた。反射的な防御行動だった。
幸いにも、右腕に軽い火傷を負っただけで済んでいた。
だが、ハルディオスの身体は、影も形も無くなっていた。
モスキーノは神妙な面持ちで、華麗に着地した。
「ハルディオス…お前の事は絶対に忘れない。敵だけど、お前を敬服する。せめて安らかに眠ってくれ。お前の生き様はしっかりと見届けた。」
モスキーノは両手を合わせ、静かに祈った。
――敵を讃えるという行為。
それは、彼にとって人生で初めての経験だった。
ウィンザーは空を見上げたまま、ただ呆然と佇んでいた。
「生き場所をくれてありがとう…だと?それは…こっちの台詞だ…。俺たちは一体、どこで間違えたんだろうな…。」
その声は空に吸い込まれ、20年前の追憶とともに風に流されていった。




