嘆きの部屋、惨劇の記憶
「…ぐはっ!」
エンディはマルジェラに、先ほどいた階よりも上にある静謐な部屋へと連れ込まれた。
顔を掴まれたまま放り出され、背中から無様に床に叩きつけられる。
部屋に着くや否や、マルジェラは無感情にエンディの顔を掴んでいた手を離し、まるで瓦礫を投げ捨てるように放った。
エンディは呆然と立ち上がり、怒りに任せて殴りかかった。
拳には風の力をこれでもかというほど纏っていた。
だが、マルジェラは無造作に片手を振るだけでその拳をはねのけた。
エンディは弾き返され、床に片膝をつく。
エンディは目を見開きながらも立ち上がり、気を取り直して再び構えた。
そして、鋭い風の斬撃――カマイタチを三連発で放つ。
しかしマルジェラは剣を一閃し、すべての斬撃を一瞬で相殺した。
「何でだ…?これほどの力を持つあんたが、どうしてナカタム王国を裏切った?なんでユドラ人に加担するんだ!?」
エンディは荒い息を吐きながら、理解を求めるように問いかけた。
「前にも言ったはずだ。俺はイヴァンカ様によって完全に支配された後の世界の景色を見てみたい…ただそれだけのことだ。」
マルジェラはあくまで冷淡に、まるで気温の変化でも語るかのように答える。
「そんなことのために…?」
エンディの眉が苦しげに歪む。
感情が揺れながらも、まだ言葉が信じられない様子だ。
「それにしても、弱いなお前は。その程度の力量でユドラ帝国に乗り込む浅薄さ、俺の目には些か滑稽にうつるぞ。聖衛使徒隊の筆頭隊には、俺と同じレベルの戦士があと四人…さらにその上にはイヴァンカ様がおられる。お前ごときの力では、何も護れないぞ?」
マルジェラの声には、嘲るような響きがあった。
「そうかもしれねえな…。だけど…それでも俺は、お前らに勝たなきゃいけないんだ!」
エンディは痛みをこらえつつ、決意のこもった目で前を睨んだ。
その視線を見て、マルジェラは鼻でふっと笑った。
「くだらない絵空事だな。そのような台詞は、せめて俺を倒してから言え。」
静かに、だが鋭く切り捨てるように言う。
エンディは何も言い返せなかった。
唇を噛み、無力な自分に対して悔しさを押し殺す。
「ところでエンディ、この部屋をよく見てみろ。何か思い出さないか?」
マルジェラは意外にも穏やかな口調で言った。
エンディははっとして周囲を見渡す。
冷静になって初めて、自分が今どこにいるのかを理解しようとした。
部屋は広さ約三十畳。
だが家具は何一つ置かれておらず、床には分厚く埃が積もっている。
ふと、エンディは床に妙な違和感を感じた。
目を凝らすと、なんとそこには、黒く変色した大量の血痕が広がっていたのだ。
「何だ…この部屋は…?」
言葉とともに、彼の胸に嫌な予感が広がる。
「以前ウィンザーに聞いたことがある。このフロアはかつてウルメイト家…お前の一族の居城だったと。そしてこの部屋はお前が十二年間、家族と過ごした部屋だったとな。」
マルジェラはその場に立ったまま、酷薄な面持ちで語った。
エンディは思わず後ずさる。
頭の中に、何か黒い影が押し寄せてくる。
「よく思い出せ…この部屋は、お前にとって忘れならない惨劇が起きた場所だ…お前の両親が、イヴァンカ様によって粛清された部屋だ。」
マルジェラの言葉が終わると同時に、エンディは激しい頭痛に襲われた。
「うわあぁぁぁっ…!」
頭を抱え、膝をつき、断末魔のような声を上げて叫ぶ。
そのエンディに、マルジェラは一片の憐れみも見せなかった。
慈悲の欠片も無い冷ややかな瞳で剣を抜き、静かに振り上げた――
――
一方その頃、ラーミアは、かつてマックイーンが門番を務めていた巨大な扉の奥に、ぽつんと佇んでいた。
その空間は、囚われの身にしてはあまりにも豪奢だった。
広大な部屋には高級な寝具と重厚な家具、壁には煌びやかな装飾が並び、天井ではシャンデリアが夢のように輝いている。
「エンディ…みんな…大丈夫かな…。」
ラーミアは、不安に押し潰されそうな声で呟いた。
その表情は、か細い蝋燭のように頼りなく揺れていた。
と、そのとき。
扉がギィィィ…と音を立てて、ゆっくりと開いた。
身をすくませるような恐怖の中、ラーミアの目に映ったのは、思いも寄らぬ人物たちだった。
「え?え?え?ロゼ王子!?みんな!?どうしてここに!?」
ラーミアは混乱し、呆然とした様子で叫んだ。
「ラーミア〜〜!!若が…若が死んじゃうよぉ〜!!」
モエーネはしゃくり上げながら、ラーミアの胸に飛び込んできた。
その腕の中には、血まみれのロゼが横たわっていた。
「若ぁ〜!!死なないでぇ〜!!」
ジェシカは泣きながらロゼの手を握りしめ、声を上げた。
エスタは黙っていたが、その険しい眉間はロゼの容体を案じていたことを物語っていた。
アマレットも不安そうに遠巻きに見つめている。
「おいおい…静かにしてくれよ…俺は今瀕死の重症なんだからよお…傷に響くぜ…?」
ロゼは顔をしかめながらも、わずかに口角を上げて冗談めかして言った。
「ロゼ王子!すぐに治しますから!!」
ラーミアは駆け寄り、両手をロゼの体の上に翳した。
そこから放たれた神秘的な光が、静かにロゼの傷口を包んでいく。
「ねえっ!?治る!?若、死なないよね!?」
モエーネはぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で、ラーミアを揺さぶるように問いかけた。
「うんっ、大丈夫。ちょっと血を流しすぎてるけど、そこまで傷は深くないから命に別状はないよ。」
ラーミアは落ち着いた声で、優しく答えた。
その言葉を聞くやいなや、モエーネたちは安堵の表情を浮かべ、顔に笑みが戻ってきた。
生気を取り戻したロゼは、上半身を起こした直後、思いもよらぬ衝撃に見舞われた。
パァンッ!
「っ!?」
ロゼの頬に乾いた音が響いた。
モエーネが怒りの形相で彼を平手打ちしたのだ。
「モエーネ!?」
ラーミアは驚きに目を丸くした。
「ちょっと!あんた何考えてんの!?」
ジェシカも声を荒げた。
「1人でこんな危険な場所に乗り込んで…こんな大怪我して…あなた何考えてるんですか!?私たちはそんなに頼らないですか!?だいたい、あなたは王子なんですよ!?若にもしものことがあったら…私たちがどんな気持ちになるか、少しでも考えたことはありますか?あなた1人の命じゃないんです!2度と勝手なことをしないでください…!」
モエーネの目には、涙と怒りと愛情が入り混じっていた。
ロゼは唖然としつつ、しばらく沈黙したのち、ポツリと口を開いた。
「…ごめんな。そして、ありがとよ。」
その声には、確かな感謝と反省の色がにじんでいた。
「まあ確かに…一理あるな。まあ、俺はそんなに心配してなかったけどな?」
エスタはそっぽを向いて言ったが、耳はうっすら赤く染まっていた。
「若、お帰りなさい。ご無事で…何よりです。」
ジェシカは柔らかな微笑みを浮かべ、ロゼを見つめていた。
「ところでよ…あいつアマレットだよな?あいつ聖衛使徒隊だぜ?お前ら、何で一緒にいるんだよ?」
ロゼは怪訝そうな目でアマレットをちらりと見やった。
「私ね、アマレットとお友達になったんですよ〜!」
モエーネはアマレットの腕にしがみつき、満面の笑みで言った。
「友達って…勘違いしないでくれる!?私はただ、あんた達と一緒にいればカインに会えると思うから一時的に行動を共にしてるだけ!」
アマレットは顔を赤くしながらも、まんざらでもない様子だった。
「はあ?なんかよく分からねえけど、まあいいや。ラーミア、ありがとよ!」
ロゼは立ち上がり、元気よく声をかけた。
「ちょっとロゼ王子、まだ安静にしてなきゃダメですよ?」
ラーミアは心配そうに眉をひそめた。
「で、お前らこれからどう動くよ?俺はこのまま国に帰る気はねえぜ?エンディ達に加勢して戦うつもりだ。」
ロゼは力強い瞳で仲間たちを見渡した。
「もちろん、俺はお前について行くぜ?」
エスタは即答した。
ジェシカとモエーネも、右に同じと言わんばかりに、無言で頷く。
「私も…あなた達の力になるわ?」
アマレットも力強く言った。
「分かった。全く、頼もしい奴らだぜ。ラーミア、お前はどうするんだ?」
ロゼは問いかける。
「当然、私も加勢します!怪我をした時は任せてください!」
ラーミアは自信に満ちた笑顔を見せた。
「よし、決まりだな!これから謁見の間で、イヴァンカが聖衛使徒隊の筆頭隊集めて何やらありがたいお説法を唱えるって話を聞いたぜ?カチコミに行くぞ!」
ロゼは言い放ち、真っ先に扉へと向かった。
その時だった。
全員が凍りついた。
扉の前に、いつの間にか赤毛の青年が立っていたのだ。
誰ひとりとして、その気配に気づかなかった。
「なんだ…こいつ…?」
ロゼは足を止め、思わず息を呑んだ。
その青年は、まるで神の彫像のように整った顔立ちをしていた。
純白の羽衣を纏い、髪にも肌にも汚れひとつなく、その眼差しは底知れぬ深淵を湛えている。
「やあ、楽しそうだね。気を許せる仲間達とかけがえのない時を共有している場に水をさす真似をしてすまない。良かったら、私も混ぜてくれないか?」
その声は、聴く者の心に安らぎと恐怖を同時に与える不思議な響きを持っていた。
アマレットの体が小刻みに震えた。
まるで死神を前に死期を悟り、絶望しているように。
「アマレット…どうしたの?」
モエーネが驚いた声で問いかけた。
アマレットは顔を引きつらせ、震える唇で呟いた。
「イ…イヴァンカ…様…。」




