愛の臨死体験
「お父さんの宝物って、なあに?」
かつて幼いロゼが、レガーロに無邪気な問いを投げかけたことがあった。
そのときレガーロは、難しい顔で黙り込んだ。
そして沈黙のあと、ふっと表情をゆるめ、ロゼの頭にそっと手を置いた。
「宝物か…お前かな?」
その一言に、幼いロゼはこの上ない幸福を感じた。
それが、ロゼが生涯で初めて見た、そして最後に見ることとなった父の笑顔だった。
──今、ロゼは、マックイーンとの対峙の中で、その記憶を鮮明に呼び起こしていた。
「なるほどな、てめえ父親の敵討ちが目的でユドラ帝国に忍び込んだのか。それにしても意外だな、お前ら親子は犬猿の仲って聞いたぜ?まあもっとも、てめえが一方的に毛嫌いしていただけらしいけどな。」
マックイーンが嘲るように言ったその瞬間、ロゼの顔から血の気が引いた。
殺意は燃え盛る焔となり、全身に宿った。
ロゼは咆哮と共に槍を振るい、マックイーンに襲いかかった。
だが、斧を軽々と振るうマックイーンの力は、ロゼの攻撃をまるで紙のように弾き返した。
右肩を裂かれ、左脇腹を貫かれ、胸部を深くえぐられる。
血が噴き出し、肉が裂け、骨が砕ける音が響いた。
それでもロゼは立ち上がり、何度も何度も向かっていった。
──その姿はもはや執念だった。
「ヒャハハハッ!何ムキになってんだあ!?あれえ、もしかしてお前…失ってから大切さに気付いた感じい??」
マックイーンの嗤い声が、空気を裂いた。
──はあ…何で死んじまったんだよ、クソ親父…。
ロゼの脳裏に浮かんだのは、母エリシアの穏やかな面影だった。
病床に伏していた彼女のそばで、幼いロゼは手を握っていた。
「ロゼは私の大事な宝物。」
エリシアは弱々しい微笑を浮かべ、ロゼの髪を優しく撫でていた。
「お母さん…どうしてお父さんはお見舞いに来てくれないの?」
「……あの人は国王だからね、仕方ないのよ。戦地で殉死していく兵隊さん達にも家族がいる。帰りを信じて待っていた家族は死に目にも会えない。それなのに、国王のあの人が自分の家族を贔屓にするのは良くない…そう思っているのよ。」
「それでも…悲しいよ。僕も国王になったら、そんな風にならなきゃいけないの?僕、自信ないなあ…。」
泣きそうな顔をしたロゼを、エリシアは力なくも確かに抱きしめた。
「お父さんみたいになる必要なんてない、私は今のロゼが大好きだよ。だから、いつまでも優しくて素敵なロゼでいてね?」
エリシアは愛情深い王妃だった。
ロゼは母の放つ優しい光に包まれて、幸せな気持ちで一杯になった。
「私がいなくなっても、お父さんと仲良くしてね?約束だよ。」
エリシアがそう言うと、ロゼは「うん!」と元気よく返事をした。
エリシアはこの時、そう遠くない未来に自分の命に終わりが訪れることを悟っていた。
それから間もなく、エリシアはこの世を去った。
エリシアの国葬でも涙一つ流さず、墓前に手も合わせない父レガーロに対し、ロゼは徐々に憎しみを募らせていった。
2人の間にできた溝は、この時から深まる一方だった。
ロゼは、その光に包まれたような記憶を胸に、今、地面に這いつくばっていた。
右腕は完全に砕かれ、もはや握力もなければ、起き上がることさえできなかった。
「ヒャハハッ!弱っ!雑魚にも程があんだろ!!武闘派王子が聞いて呆れるなあ!」
マックイーンは斧を構え、勝ち誇ったように嗤っていた。
──クソ親父、本当は知ってたよ。
お母さんが病気になったとき、誰よりも心配してたこと。
お母さんの死に、誰よりも心を痛めていたこと。
あの時、本当は泣いてたんだろ?
俺は、あんたのような国王になれる自信がなかったんだ。
ただ、劣等感を憎しみにすり替えていただけだったんだ。
あんたに一度だって、正面から向き合ったことなんかなかったよ。
あんたの心の声を聞こうとした事なんて、一度も無かった。
本当はずっと、あんたの背中を追いかけてたんだ。
そして、今になってようやくわかった。
──俺は、あんたのことを恨んでなんかいなかった…。
「親子揃って救いようのねえゴミだなぁ!すぐにパパの所へ逝かせてやるからよ!あの世で再会できたら産まれてきてごめんなさいって謝ってこいよ!!」
マックイーンが狂気の声をあげながら、斧を振りかぶった。
──ロゼの走馬灯が、燃え尽きるように巡っていく。
幼き日々、母の腕のぬくもり。
父の背中に抱いた複雑な憧れ。
仲間との絆。
エンディとの出会い──すべてが愛おしかった。
勝てなくてもいい。死んでも構わない。
だけど、この男だけは──許さない。
──動くはずのない右腕が、槍を握った。
地を這いながら、死の淵から、奇跡の一撃を放つ。
その槍は、マックイーンの胸を貫いた。
「グハァッ!」
鮮血が宙に舞い、マックイーンは叫びをあげると、恐怖に顔を歪めながら、その場から逃げ出した。
「ちくしょう‥あのやろう…許さねえ…!」
よろよろと後退しながらも、彼は生への執着を手放さなかった。
しかし、背後から冷たい声が響いた。
「いるんだよなあ、死んだ方がいい人間って。」
マックイーンが振り返ると、そこにはエスタがいた。
剣を抜き、目に凍てつく怒りを宿していた。
「世に蔓延る外道は総じて死ぬべきだ。お前のように腐った人間は、生涯笑顔を見せる事も幸せを感じる事も許されるべきじゃない。」
エスタは一歩、また一歩と近づいた。
「だ…誰だてめえ!こっち来るんじゃねえ!!」
「2度と生まれてくるなよ、クズが。」
その言葉と同時に、マックイーンの首が斬り落とされた。
──その頃ロゼは、果てしなく広がる地平線に立っていた。
何もない、白い世界。
そこは、所謂死後の世界だった。
彼の前に、ふたつの人影が現れる。
──レガーロと、エリシア。
亡き父と母だった。
「クソ親父…?お母さん…?」
ロゼは目を疑った。
次の瞬間、ロゼの両目から、大粒の涙が溢れ出す。
「お父さん!!お母さん!!」
彼は崩れるように膝をつき、慟哭した。
「ごめんお母さん…俺…約束守れなかった…。お父さんと仲良く出来なかった…。何も親孝行出来なかった…お父さん…守ってあげれなくてごめん…俺、王子として何も成せなかった…こんな息子で、本当にごめんなさい…!」
そのとき、エリシアの声が透き通るように響いた。
「ロゼ。」
ロゼはおそるおそる顔を上げた。
「貴方は私の自慢の息子だよ。私たちの元に産まれてきてくれて、本当にありがとう。」
その微笑は、聖母そのものだった。
ロゼの胸の奥に巣食っていた自己嫌悪と悔恨が、光の中で溶けていった。
荒みきった心が、一瞬で浄化された。
「ロゼ、国を頼んだぞ。」
レガーロの言葉は相変わらず厳格だったが、そこには確かな信頼が宿っていた。
──ロゼは、父に初めて認められた気がした。
ふたりの姿は消え、ロゼはゆっくりと意識を取り戻す。
目の前には、モエーネとジェシカ、エスタとアマレットがいた。
ロゼの目からは、まだ涙がこぼれていた。
モエーネとジェシカは、血まみれで倒れたロゼを見て心底動揺し、慌てふためいていた。
「ったく、何泣いてんだよ…。」
エスタがロゼを見下ろしながら、少し寂しげな表情で呟いた。
「安心して、この扉の向こうにラーミアがいるから…。早くロゼを治してもらいましょう!」
アマレットが、マックイーンが守っていた巨大な扉を指差した。
モエーネがロゼを肩に担ぎ上げ、ジェシカとアマレットが扉を開く。
ついに、ラーミアとの再会の時が来た──。
──一方その頃、エンディは神殿内を駆けていた。
追いすがる憲兵隊の包囲網を潜り抜け、ひたすら上階を目指す。
天井を突き破って上がるという、常識を超えた力技まで繰り出していた。
「ラーミア、今助けに行くからな!」
そう叫んだ瞬間、背後に凄まじい殺気を感じ、思わず足を止めた。
振り向くと、そこには怒りに満ちた瞳のエラルドが立っていた。




