絶景の聖都 神の国へ堕ちる者達
神々の聖地、ユドラ帝国。
その眺めは、見る者すべてを無言にするほど幻想的だった。
標高約一千メートルの山麓と鞍部に築かれた都市。
神話では「空中都市」と称されるこの場所には、白を基調とした荘厳な建築物が静かに連なり、どこまでも透き通るような神秘性をたたえていた。
「綺麗…」
「絶景…」
ジェシカとモエーネは思わず息を呑み、窓の外に見惚れた。
「全く、相も変わらず辛気臭いとこじゃのう!」
ノストラはそう吐き捨てながらも、内心では懐かしさに胸を締めつけられていた。
「ここが…俺の生まれ故郷なのか…」
エンディの記憶はまだ戻らぬまま。
それでも、この空気には確かな清涼感があった。
魂の奥底が、ふと洗われるような感覚に包まれていた。
「なんかテンション上がってきたぜ!この俺様がついにユドラ帝国デビューか…これは歴史的瞬間だな?“大魔神、聖地に舞い降りる!“ってか!?」
ダルマインはニヤけた顔で騒ぎ出す。
「“新種のゴキブリ、路地裏を駆けずり回る”の間違いでしょ」
ラベスタの辛辣な一言が空気を引き締めた。
「それにしても妙だな…こうもあっさり侵入できるなんて…」
エスタの目が鋭く細められる。
「鋭いな、エスタよ。この場所は各国の王族たちの間では暗黙の了解で禁足地とされておる。不法入国など言語道断。そもそもこの場所に向かおうとした時点で殺されるじゃろう」
ノストラの口調は、ひどく重かった。
「俺たちが侵入してくることは既に筒抜けだったんだな。そういえばカインもエルドラも、“ユドラ帝国に来い”って言ってたもんな」
エンディの背筋に、冷たい汗が流れる。
「歓迎されてるみたいだね」
ラベスタの無表情な一言が、むしろ不気味だった。
「おい、正面を見てみい」
ノストラが指を差す。
皆が一斉にその方向へ目を向けると、そこには雲を貫くように聳える巨大な塔があった。
上部は雲に覆われ、その全貌を窺うことすら叶わぬ。
「なんだ…あれは…?」
エンディの声が、かすかに震える。
「あれは”バベル神殿”じゃ。ワシらはあの胸糞悪い神殿を目指している。ラーミアって娘さんを含めた異能者も、ロゼ王子も聖衛使徒隊も全員あそこにいるはずじゃ。イヴァンカもな…」
ノストラは額にじっとりと汗を浮かべ、目に静かな覚悟を宿していた。
「あそこにラーミアが…」
「ノヴァはあそこにいるんだね」
エンディとラベスタが、静かに神殿を見つめる。
「若…絶対助けに行きますからね」
モエーネは目元を潤ませ、拳を強く握った。
神殿までの距離は約三キロ。
ジェット機はそこへ向けて、真っ直ぐに進み続けていた。
その時だった。
前方から突如、純白の閃光のような何かが凄まじい速度でこちらに向かって突進してきた。
エンディは、光の塊を凝視する。
「あれは…マルジェラ!!?」
絶叫が漏れた。
姿を現したのは――鳥の形をした、かつての将帥、マルジェラだった。
「え?え?うそでしょ!?」
「おいおい、冗談じゃねーぞ!?」
ジェシカとエスタは口を揃えて取り乱す。
「ガッハッハー!ユドラに寝返ったナカタムの元将帥、怪鳥マルジェラか!こりゃ手厚い歓迎じゃのう!!よし、このまま突っ込めえ!!」
ノストラの血が騒ぐ。もはや前線の若者さながらだ。
「突っ込めって…嘘でしょ!?本気で言ってるの!?」
モエーネは絶望的な表情でノストラを見た。
「安心せい!奴はワシが止める!」
剣を抜いたノストラは、機内の窓を開け身を乗り出す――が、その瞬間。
膝がガクンと崩れた。
「ノストラさん!?どうしたの!?」
エンディが慌てて駆け寄る。
「まずい…腰を痛めてしまった…」
なんと、このタイミングでノストラはギックリ腰に見舞われてしまったのだ。
「えーー!?!?」
驚愕が機内を包む。
マルジェラは両翼から鋭利な羽根をガトリングのように無尽蔵に連射。
それらはジェット機の正面を次々と撃ち抜き、炎と煙を撒き散らした。
「やばい!操縦が効かない!」
「え!?え!?どうしよう!?」
ジェシカとモエーネは慌てふためき、コックピットは混乱の渦に沈んだ。
機体は制御不能のまま、火を噴きながらゆっくりと落下していく。
「ぎゃーー!!!」
「“外来種の豚、空中で散る”…かな?」
ラベスタは騒ぎ立てるダルマインを見ながら、冷淡に言い放った。
「ラベスタ!こんな時につまらねえ冗談言うなあ!」
エンディが即座にツッコミを入れる。
マルジェラはもう振り返らなかった。
炎上する機体を背に、悠然とバベル神殿へと羽ばたいていった。
「くっ……こうなったら致し方ない…おどれら!飛べえいっ!!!」
ノストラは痛みを堪えて立ち上がり、叫んだ。
「飛べって…本気で言ってんのか!?」
エンディが動揺を露わにする。
「このくらいの高さから飛び降りても死なん!安心せい!」
地上までの高さは、約三百メートル。
「おい!緊急脱出用のパラシュートがちょうど人数分あるぞ!」
エスタが冷静に全員へ配り始めた。
「うん、確かにこの機内にいるより、脱出した方が賢明だね。よし、飛ぼうか」
ラベスタは即座に装着し、何の迷いも躊躇いもなく、無表情のまま窓から飛び降りた。
「えぇ!?ちょっとおいラベスタ!?」
「あいつ…マイペースにも程があるぞ…」
唖然とするエンディとエスタ。
「よーし、ワシらも飛ぶぞ!各自、一旦散り散りになってバベル神殿を目指すぞ!」
ノストラに続いて、全員が次々に飛び立っていく。
「おどれら…死ぬなよ!生きてバベル神殿で必ず再会しよう!くれぐれも、息災であれ!!」
ノストラの叫びが、空に響いた。
エスタ、ジェシカ、モエーネは三人で固まりながらパラシュートを開き、静かに降りていった。
高所恐怖症のダルマインは、失神したまま風に揺られていた。
「うわあーー!!!」
エンディはパラシュートの開き方が分からず、ただ絶叫しながら落下していた。
そして――ジェット機は、爆発音と共に空中で四散した。
ジェット機の爆発を、バベル神殿の一室から眺めていた男がいた。
ロゼ――ウィルアート家の王子。
椅子にふんぞり返り、得意げな笑みを浮かべていた。
「な?俺の言った通りだろ?俺は人望の厚い王子様だからよ、俺が行方不明になったら俺を慕う部下共が必ずジェット機乗って乗り込んで来るはずだってよ?」
彼の背後には、聖衛使徒隊の少年エラルド、そして静かなる観察者バスクが立っていた。
「それにしてもこんなに早く乗り込んでくるとはなあ。次元の違え行動力だぜ」
エラルドは感心するように、爆煙の空を眺める。
だがバスクの言葉は、空気を一変させた。
「ロゼよ、お前は何も思わないのか?お前のために命懸けで乗り込んできた連中が、マルジェラさんに撃破されたんだぞ?」
「別に?あいつらが勝手にやったことだ。俺の知ったことじゃねえよ」
ロゼは、何の迷いもなく突き放す。
その冷淡な口ぶりに、バスクの眉がわずかに動いた。
「薄情な王子様だな」
バスクの声は、吐き捨てるようだった。
「それにしてもマルジェラの野郎、気に食わねえな。ナカタム人のくせしやがって聖衛使徒隊の、それも筆頭体の1人だぜ?たかだか人間風情がこの俺様の上に立つなんてよ、許し難いぜ。絶対にいつか殺してやるよ」
エラルドの言葉には、露骨な嫌悪と差別意識が滲んでいた。
「マルジェラさんは強いからなあ、仕方ねえよ。特例中の特例だわな」
バスクは努めて冷静に宥める。
「バスク、お前よ、悔しくねえのか?長年俺たちユドラ人に操られてきたナカタム人如きがよ、俺たちより高い地位にいるんだぜ?いくら雷帝が決めた事とはいえ、俺は絶対に認めねえぞ!」
エラルドは怒りに拳を震わせる。
「操られているのは…俺たちの方だったりしてな?」
バスクの意味深な言葉は、何気ないようでいて、深く刺さる。
「おいバスク、俺はこれでもアンタには一目置いてるんだぜ?アンタとは志も同じだと信じてるんだからよ、腑抜けた発言はやめてくれよな!」
焦燥が滲むエラルドの声。
バスクはそのまま視線を逸らす。
「そしてロゼ。この国ではウィルアート家の威光なんざ一切通用しねえからな?舐めた真似しやがったら容赦なく殺すぜ?」
エラルドはロゼの顔すれすれまで近づき、高圧的に言い放つ。
だがロゼは、微動だにしなかった。
「ああ、分かってるよ。お前らとは友好的でいたいからな。必要ならいつでもナカタム側の情報を教えるぜ?」
ロゼは薄く笑って言った。
「ふん、まあいいさ。俺は侵入者どもを始末してくるぜ。俺1人で全員片づけるからよ、てめえら余計な手出しはするなよ?」
エラルドの口元に、残忍な笑みが浮かんだ。
そして、そのまま部屋を出ていった。
その背中を、バスクが心配そうにじっと見送っていた。
「なんだよバスク、エラルドが心配か?」
ロゼが問う。
「ああ…あいつはまだ若いからな。すぐ熱くなって1人で突っ走っちまう」
バスクは苦笑まじりにため息をついた。
「あいつ、随分とお前のことを慕っているようだな?」
「まあな?俺もあいつのことは本当の弟の様に思ってる。だからこそちょっと悲しいんだ。エラルドの野郎、聖衛使徒隊に入ってから着々と思想が歪んできているからな…」
バスクの言葉は、重く沈んでいた。
「バスク、あんた随分と風変わりな男だな。ユドラ人ってのはどいつもこいつも欲深くて傲慢なイメージがあったぜ?特にお前ら聖衛使徒隊はな。バスク、あんた一体何のために戦ってるんだ?」
ロゼの問いに、バスクはしばし沈黙。
やがて、部屋を出る直前、低く呟いた。
「…着いて来い」
ロゼは一瞬目を細めたが、無言でその背を追った。
⸻
その頃――
バベル神殿から少し離れた場所。
太古の時代にユドラ人によって築かれた、朽ちかけた闘技場の中心に、ひとりの少年が倒れていた。
うつ伏せに横たわるエンディ。
パラシュートの展開にはなんとか成功したが、着地の際、頭を強く打ち、そのまま意識を手放していた。
ここはかつて、罪人同士が殺し合いを強制されていた忌まわしき場所。
観覧席には上流貴族が並び、流血と絶叫を嗜んでいたという。
今や風化し、半ば遺跡と化したこの闘技場に、世界の希望を背負った少年がひとり、無防備な姿で横たわっている。
彼の瞼の奥には、久しく見ていなかった“夢”が――静かに、蠢きはじめていた。




