風が運んだ約束
丘の上にそよぐ海風が、エンディとラーミアの髪を優しく揺らす。
朝陽が海を金と碧に染め、遠くで波が囁く。
二人は病院の庭に立ち、エンディの孤独な過去を共有したばかりだった。
四年にも及んだ孤独な放浪生活。
記憶喪失の重さ。そしてあの嵐の夜の謎。
それらを静かに受け止めたラーミアの瞳は、穏やかに輝いていた。
「そう、大変だったんだね」
ラーミアは悲しげな表情を浮かべながら言った。
「あ、ごめん急にこんな話して。反応に困るよね」
エンディはハッと我に返り、取り乱した。
初対面の、ついさっきまで療養していた少女に、こんな重い話を押し付けてしまった。
恥ずかしさが胸を締め付け、頬が熱くなった。
「ううん、大丈夫だよ、謝らないで」
ラーミアの声は、まるで春の風のように柔らかかった。
エンディは話題を変えようと、気になっていたことを口にした。
「ところでさ、ラーミアはどうして1人であんな小さい船に乗ってたの?」
半分は気まずさを誤魔化すためだったが、エンディは個人的に、本当にその事が気になっていた。
「私ね、誘拐されちゃったの」
「え!?」
サラリと物騒なことを言うラーミアに、エンディは目を丸くした。
なんて肝っ玉の据わった子だ、と心底感心した。
「私普段、王室で給仕として住み込みで働いているんだけど、いつも通り仕事をしていたら変な格好した人達に突然囲まれて、そのまま拐われちゃったの。大きな黒船に連れてかれて、黒船はそのまますぐ出航しちゃって。ずっと見張られてたんだけど、船が出て半日も経った頃には監視の目も緩くなってきて、それでなんとかみんなの目を盗んで緊急用の脱出ボートで逃げ出したの」
「ええ、大変だったね」
なぜか、彼女の話が他人事とは思えず、エンディは唖然とした。
昨日港町で耳にした王室の給仕の誘拐の噂が、脳裏を掠めた。
「でも、どうして誘拐なんかされたんだ?」
「…わからない。早くバレラルクに戻らなきゃ」
ラーミアの声に、ほんの一瞬の躊躇が混じる。
彼女が何かを隠しているのは明らかだったが、エンディの鈍感な心はそれに気づかなかった。
「あのさ!」
「ん?」
「もしかして俺たち、どこかで会ったことないかな? なんて言うかその…ラーミアを初めて見た時にすごい懐かしい感じがして…」
エンディは勇気を振り絞って尋ねた。
「ううん、初対面だと思うよ?」
「ははっ、そうだよな…ごめん急に…俺、どうかしてるな…」
ラーミアのきっぱりとした口調に、エンディはしょぼくれた。
だが、彼女の次の言葉に心臓が跳ねた。
「でも不思議だね。私もエンディとは初めて会った気がしない…」
ラーミアは、どこか遠い目をしながら言った。
「え?」
「なんだか…ずっと昔からお友達だったみたいな感じがする!」
ラーミアの優しい笑顔に、エンディは胸がジーンと熱くなった。
「また泣くの?」
「泣かないよ!」
からかうような彼女の声に、ついムキになって言い返した。
「4年前の夏の嵐の夜…それってもしかして、第五次世界戦争が終結した日じゃないかな?」
「第五次…世界戦争…?」
「4年前の夏、大きな戦争が終結したのよ。それも、その年1番の大雨の日に。」
エンディは目を瞬かせた。
そんな歴史があったなんて、知らなかった。
いや、きっと忘れているだけだ。
世界戦争。
500年前から、100年に1度の頻度で勃発されると言われている、世界中を巻き込む大きな戦争だ。
きっかけは毎度、主に資源や領土の奪い合い。
また思想の違いなど、様々だ。
まさに、歴史は繰り返すを絵に描いたような大戦争。
特に第五次は、歴史上最も、世界中に甚大な被害をもたらしたと言われるほどえげつないものだったと、口々に人は言う。
「そんなことがあったのか…」
「ねえ、もしかしてエンディの記憶喪失は、あの戦争と何か関係があるんじゃないの?」
ラーミアの言葉に、エンディの胸がざわついた。
同じことを、彼も考えていたからだ。
なぜか、知らぬはずの不安が心を締め付けた。
「そうだ!私と一緒にバレラルクに行こうよ!」
「へ?」
下を向いていたエンディは、驚いて顔を上げた。
次の瞬間、ラーミアが歩み寄り、両手で彼の右手をギュッと握った。
「私があなたの記憶を取り戻すお手伝いをしてあげる」
エンディはポカンと口を開けた。
なぜ、彼女がそこまでしてくれるのか。
「記憶が戻るまで私がそばにいるよ。バレラルクに行けば何かわかるかもよ?」
「いや、待ってよ。なんで?」
「何が?」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
ラーミアは手を離し、再び海を見つめた。
「どうしてって、じゃあ逆にどうして私を助けてくれたの? 君は私を救ってくれたんだよ。だから私もあなたの役に立ちたい。今まで1人で辛かったね、よくがんばったね。エンディはすごいよ!」
その言葉に、エンディの目から涙が溢れた。
堪えきれなかった。
ラーミアは静かに、何も言わずに、見守ら様にエンディを見た。
「優しい…優しすぎる…!」
エンディは無意識に、呟くように言った。
「人に何かしてもらったら恩返しするのは当然のことだよ。そんなのを優しさだと思っちゃダメ」
ラーミアは毅然と言った。
まるで聖女のような清らかさだった。
「じゃあ、行こっか。泣き虫くん?」
二人は丘を下り、歩き始めた。
海風が彼らの背を押し、まるで風が新たな旅を祝福するように。
その頃、病院の窓辺では、ドクターが二人をこっそり見つめていた。
「チッ、俺には何の礼もねえのかよ」
「何してるんだい?」
妻がドシドシと大きな足音を立てて近づいてきた。
「いやな、若いっていいなと思ってよ。俺たちも久しぶりに青春しねえか?」
ニヤニヤと笑うドクターに、妻は青ざめた顔で固まった。
エンディとラーミアは、すでに病院の庭を後にしていた。