空へ還る堕ちた翼
玉座の間は騒然とした。
常に感情を見せないバレンティノですら、この時ばかりは目を見開き、動揺を隠せなかった。
「マルジェラって…たしか行方不明になっていた将帥の?」
エンディの声が震えていた。
「おい…まじか?」
エスタはジェシカとモエーネを振り返り、顔をしかめて問いかけた。
「分からない…私は近衛騎士団に入団する前にチラッと見たことあるだけだし、鳥の姿に至っては初めて見るわ…」
ジェシカは不安げに答えた。
隣のモエーネが、無言で同意の相槌を打つ。
「マルジェラ君?あんた何してんだよ?今までどこにいたんだよ?」
モスキーノが叫ぶ。
しかしマルジェラは無言のままだった。
「おい!何とか答えろよ!!」
激昂したモスキーノが飛びかかろうとした瞬間――
「やめとけ!」
ポナパルトが素早くモスキーノを抑え、その体を押さえ込んだ。
「離せよ!邪魔すんなてめえ!」
感情を露わにするモスキーノを、ポナパルトは懸命に静止した。
「落ち着けよモスキーノ!!迂闊に近づくんじゃねえ!」
すると、不意にマルジェラが口を開いた。
「変わらないな…お前たちは。」
その言葉は低く、しかし玉座の間に深く響き渡った。
モスキーノの身体が一瞬にして硬直する。
「マルジェラさん…マジな話、これは一体何の真似ですか?」
「フフフ…マルジェラ君もユドラ人なのかな?」
ポナパルトとバレンティノが次々に問いを投げるが、マルジェラは何も答えない。
代わりに、アベルが朗らかな口調で答えた。
「違うよ!彼は君たちと同じナカタム人だよ!」
沈黙が流れた。
「ユドラ人側に寝返ったってわけか…?ナカタム王国の歴代最強とまで謳われた男が…?」
エスタが呟いた。
「彼は今、イヴァンカ様の側近だからね!ただのニンゲンがレムソフィア家に仕えるなんて、歴史上類を見ない快挙だよ!」
アベルは皮肉たっぷりに笑った。
「イヴァンカ…だと…?」
ポナパルトが驚きに声を詰まらせた。
「イヴァンカ…?誰なんだそれは?」
エンディは、何か心の奥が騒ぐのを感じながら問い返した。
「何も心当たりがないか、エンディ。その名を聞けば、さっきみたいに発狂すると思ったんだけどな。」
カインが冷めた声で言う。
「イヴァンカ様はレムソフィア家の現当主にして、ユドラ帝国最高権力者だ。」
困惑するエンディを見ながら、カインははっきりとした口調で続けて言った。
その言葉は、玉座の間に新たな衝撃を走らせた。
「フフフ…ユドラ人とかレムソフィア家とか、本当にそんなものが存在するなんてねえ。」
バレンティノは、まだ半信半疑のようだった。
「まあ、500年もの間ユドラ人を束ねてきたレムソフィア家も、今じゃイヴァンカ様しか生き残ってないからね。誰かさんのせいでね?」
アベルはカインをチラリと見た。
カインはその視線を鋭く睨み返す。
エンディは二人の関係に、得体の知れぬものを感じていた。
「マルジェラ君…アンタほどの人がどうしてユドラ人なんかに肩入れしてるんですか?」
冷静さを取り戻したモスキーノが、静かに問うた。
「モスキーノ。俺はただ、刺激が欲しかっただけなんだ。」
マルジェラの声は淡々としていた。
彼の巨大な翼が、ゆったりと羽ばたく。
「ウィルアート家に仕えて戦争に勝利すれば栄華を極め、心が満たされると思った。しかし…勝利を目前に控えても、世界最強と名高い軍隊の総大将になっても、俺の心には虚無の感情しか残らなかった。」
淡々と語るその言葉に、エンディは薄ら寒さを覚えた。
「そんな時だ。"世界の黒幕"と呼ばれるユドラ人の存在を知ったのは。真の支配者層に興味が湧き、近づこうと思ったら…彼等の方から俺に近づいてきたんだ。目から鱗だったよ…まさかこの俺が、深淵に覗かれていたとはな。」
マルジェラは淡々と続けた。
その声には、狂気と哀しみが滲んでいた。
「その時に思ったんだ。ユドラ人の…イヴァンカ様の野望が成就した時の世界の行く末をこの目で見てみたいと。だから俺は、神々の思惑に乗ることにした。」
マルジェラはモスキーノを見下ろしながらそう言った。
「掴めねえ男だな。」
カインはマルジェラに対し、鼻で笑いながらそう呟いた。
「フフフ…相変わらず変わり者だねえ。」
バレンティノがマルジェラに対し、ボソリと呟いた。
バレンティノさんに変わり者呼ばりされるなんて、このマルジェラって人も相当な変わり者なんだろうな…と、エンディは思った。
モスキーノは拳を強く握りしめた。
「もういいよ…あんたは昔から、何を考えているのか全く見当のつかない男だったことを忘れていたよ。」
モスキーノは呆れた口調でそう言い終えた後に、鋭い目つきでマルジェラの顔を直視し、次のように続けた。
「イヴァンカとやらの野望と、レガーロ国王を殺した人間…そしてロゼ王子の行方を教えろ。さもなくば、俺はあんたでも容赦しないぞ。」
しかし、マルジェラは何も返さない。
「そんなに気になるなら自分で調べればいいだろ?お前も一端の男ならよ、一々人を頼るな。」
カインの挑発的な言葉に、モスキーノの眼が鋭く光った。
両者は睨み合い、今にも凄惨な殺し合いを勃発させそうな不穏な空気を漂わせていた。
その時――
「穏やかじゃないね〜。今日は君たちと事を構える気はないって言ってるのにな。だけどね、イヴァンカ様の野望を叶えるためには、あなたの力がどうしても必要なんだよ…ラーミアさん?」
アベルの声が、妙に楽しげに響いた。
「え? 私…?」
ラーミアの戸惑いと同時に――
その姿が、忽然とエンディの視界から消えた。
「ラーミア!?くそっ!どこに行った!?」
エンディは必死に周囲を見渡す。
「フフフ…あそこにいるよ。」
バレンティノの静かな声に、全員の視線が向く。
マルジェラの背中に、ラーミア、カイン、アベルの三人が乗っていた。
ラーミアはカインに拘束され、恐怖で身を固めていた。
「ラーミア!!」
エンディが叫ぶ。
嫌な予感が的中したこと、そして嫌な胸騒ぎを感じていたのにも関わらず、その事態を未然に防ぐことのできなかった自身の無力さに憤りを感じていた。
ジェシカとモエーネは、なんとかラーミアを助け出したい気持ちはあったが、目の前の敵との圧倒的な戦闘能力の差を感じ取り、何もできないでいた。
モスキーノ、ポナパルト、エスタが一斉に動きかけた――が。
カインの右手から、炎が轟々と噴き出した。
その炎は、玉座の間の壁面を満遍なく覆い尽くし、進路を完璧に封じた。
「なんだよこの火は!?」
エスタが叫ぶ。
誰も、炎の海を超えることができなかった。
それを見たモスキーノは、確信する。
――やはり、旧ドアル軍の根城を焼いたのはカインだった。
絶望的な現状。
このままでは逃げられてしまう。
また、ラーミアが連れ去られてしまった。
エンディは絶望の淵に立たされた気分だった。
そんなエンディを見下ろしながら、カインは言った。
「来いよエンディ、ユドラ人の地へ。生まれ故郷に来れば嫌でも思い出すだろうぜ?記憶も、自らに課せられた宿命も…。俺はもう逃げも隠れもしねえからよ、いつでも待ってるぜ?」
カインの声は遠くから静かに響いた。
そして、彼は何か大きな覚悟を決めたような目をしていた。
アベルは、そんなカインを白い目で見ていた。
エンディは先程までこの状況に絶望して慌てふためいていたが、カインにそう言われると、不思議なことに徐々に落ち着きを取り戻した。
臨むところだ。
記憶を取り戻したわけでもないし、カインの言っている言葉の意味も理解していなかったが、不思議とそういった気持ちになった。
「離してよカイン!どうしてこんなことするの!?エンディ…みんな!助けて!」
ラーミアが悲痛な叫びを上げる。
今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
そんな時だった。
「ラーミアー!!!!」
エンディの叫びが玉座の間を揺らした。
「絶対に助けてやる。だから泣くな!」
ラーミアを見上げながらそう言ったエンディはとても強い目をしていて、気迫のある凛々しい姿だった。
腹を括り、強い覚悟を決めた少年の姿がそこにあった。
その瞳には、鋼の意志が宿っていた。
そんなエンディを見てラーミアは叫び声をピタリと止め、自身を拘束しているカインに対する抵抗もやめた。
「うん、私…泣かない。エンディのこと、信じて待ってるからね。」
ラーミアは溢れ出しそうな涙をグッと堪えながら言った。
さっきまで怯えていたのが嘘のように、毅然のした凛々しい少女の姿になっていた。
そして――
白翼のマルジェラは、カインとアベル、ラーミアを乗せ、空高く、遥か彼方へと羽ばたいて行った。




