誰にも心を開かない少年
ポナパルトによる狂気のような実技訓練が終わった頃には、演習場の空気はまるで燃え尽きた戦場のようだった。
満身創痍の訓練生たちは、魂までも削られたように地面に倒れ込んでいた。
エンディ、ラベスタ、エスタの三人も例外ではなかった。
木陰に身を横たえ、額から滴る汗をぬぐう気力すら残っていなかった。
そこへ、王室の給仕たちが十人ほど、軽快な足取りで演習場に入ってきた。
大きな鍋を携え、湯気の立つ炊き出しが始まる。
その中に、ラーミアとアルファの姿もあった。
「お疲れ様です。どうぞ皆さん、召し上がってください!」
ラーミアの明るい声が、どこか戦場の終わりを告げる鐘のように響いた。
続いて、アルファが大きなカゴを抱えてエンディたちのもとへ駆け出す。
山のように積まれたおにぎりが、彼の足元で今にもこぼれそうに揺れていた。
飢えた獣のように、訓練を終えた兵士たちがどっと押し寄せてくる。
その勢いは、戦闘よりも熾烈だった。
「どんどん食べてください!!」
目をぐるぐると回しながらも、アルファは必死に笑顔を保ち続けていた。
ラーミアは、木陰で疲れ果てていたエンディたちに、おにぎりと水を差し出す。
「はいっ、エンディ達もお疲れ様!」
「ありがとうラーミア!」
腹が鳴る間もなく、エンディは一心不乱におにぎりへかぶりついた。
食うというより、獣がむさぼるかのような勢いだった。
「おい!お前食いすぎだぞ!」
エスタも負けじと、口いっぱいに詰め込んで対抗する。
ラベスタは静かに遠くを見つめたまま、淡々と口に運んでいた。
「それにしてもポナパルトさんやべえな。ありゃバケモノだ…。」
おにぎりを頬張りながら、エンディの眉がピクリと動く。
「うん、あれは相当強いね。でも俺、今回の軍事演習にモスキーノって人がいなくて正直ホッとしたよ。」
ラベスタの言葉に、エンディの手がピタリと止まった。
「ラベスタ…やっぱりお前もそう思うか?」
苦笑交じりに漏らすエンディの声に、ラーミアが首をかしげた。
「え?どう言う意味?」
「3将帥の中で1番強いのは…間違いなくモスキーノさんだ…!」
「うん、そうだね。」
ラベスタがうなずくと、エンディの表情が一瞬だけ引き締まった。
「ポナパルトさんとバレンティノさんも相当強いのは分かる。だけどモスキーノさんはなんて言うか…底の知れないヤバさを感じるな。」
緊張がその場を覆う。
その雰囲気を吹き飛ばすように、エスタが口を開いた。
「よく分かってんじゃんお前ら。モスキーノはマジで強いぜ?だけどマルジェラって奴はもっと強かったってロゼが言ってた。」
その名前を聞いた瞬間、エンディとラベスタの体が微かに動く。
「マルジェラって確か、4年前にアズバールを倒した後行方不明になった人か?」
「怪鳥マルジェラ…ナカタム王国の歴史上最強の戦士と謳われた男だ。モスキーノはそのマルジェラに相当目をかけられていたらしい。」
エスタの語る伝説に、空気がピリッと張り詰める。
「その人今何をしているんだろうな?」
「分からない。俺は4年前、まだ近衛騎士団に入ってなかったからね。マルジェラって人も見たことないし…ただ、どこかで必ず生きている筈だってロゼが言ってたぜ?」
エスタの言葉に、エンディの瞳が輝いた。
「会ってみてえなあ…怪鳥マルジェラ!」
「うん。そんなに強いなら俺も見てみたいな。」
ラベスタの声もわずかに熱を帯びていた。
「2人とも物好きね。ところでカインは?最近全然見かけないけど…。」
ラーミアの視線は、ふと遠くを彷徨った。
「分からない、俺も見てないんだよ。けどまあ、あいつはきっと元気にやってるよ!そのうちフラッとあらわれるさ!」
エンディは笑って言ったが、ラベスタの目は真剣だった。
「エンディ、あいつには気をつけた方がいいよ。」
「え?どういう意味だ?」
「――あいつは…カインからはモスキーノって人以上に、底の知れない危険な匂いがする…。」
鬼気迫るラベスタの表情に、ラーミアが反発する。
「カインは良い人だよ。そんな言い方したら失礼だよ?」
「そうだよ、あいついい奴だぜ?どうしてそんな風に思うんだよ?」
「うーん…分からない。なんとなく?」
あまりにも素っ気ない答えに、エンディとラーミアは拍子抜けする。
「あの感情の無い目つきは不気味だと思うけどな。」
エスタが淡々とおにぎりを頬張りながら呟いた。
「――あいつは心の優しい男だよ。俺はそう信じてる。」
エンディの言葉に、ラーミアもつられるように微笑んだ。
空を見上げるエンディの視線の先には、カインの姿があった。
無口で、不器用で、だが真っ直ぐなあの男が――きっと、また戻ってくると信じていた。
「よし!そろそろ休憩は終わりだな?ラベスタ、エスタ!気合い入れてこーぜ!」
エンディの声に、ラベスタとエスタの目に再び闘志の炎が灯る。
「エンディ、みんな、頑張ってね。無理せずに!」
ラーミアの笑顔が、彼らの背を押してくれた。
「みんなすごい気合いですね!ラーミアさん、僕たちは戻りましょうか!」
いつの間にか隣にいたアルファがそう言い、ラーミアはにっこり微笑んだ。
「そうね。」
給仕たちは炊き出しを終え、静かに演習場を後にする。
そして、ポナパルトとバレンティノの姿が再びグラウンドに現れ――軍事演習の第2ラウンドが、幕を開けた。
その頃――
森の外れ、荒れ地の中。
カインとノヴァは拳を交えていた。
ノヴァの直感は、最初からカインに“危険”を感じ取っていた。
それが現実のものとして、今まさに証明されようとしている。
ノヴァは兵長として、カインを不穏因子と断じ、捕らえようとしていた。
だが、鋭く、速く突き出される拳も、加速するステップも――カインには届かない。
「ノヴァ、お前のスピードはかなりのもんだ。だけどな、動きが直線的すぎて読みやすい。そんなんじゃ俺には勝てねえぜ?」
カインの一言とともに、鋭い蹴りがノヴァの顔面を捉える。
「答えろ…てめえの目的はなんだ?何を企んでいやがる?エンディの記憶喪失とも、何か関係があるんじゃねえか?」
ノヴァは鼻血を出し、片膝をつきながら尋ねた。
しかし、カインは沈黙を保つ。
「答える気はないか…。なあカイン、お前よ…誰にも心を開いていないだろ?」
その問いかけに、カインの顔がわずかに曇る。
「お前に…何が分かる?」
低く、冷たい声。
その一言で、空気が凍りつく。
次の瞬間、ノヴァの体に異変が起きた。
全身に黒い体毛が逆巻き、獣のように鋭く変化していく。
黒豹――それが最も近い表現だった。
圧倒的なスピードでカインの背後を取り、獲物を仕留める寸前。
鋭利な爪が振り下ろされる――その瞬間だった。
「なっ…!?」
カインの周囲、半径5メートル。
空間ごと爆ぜるように、巨大な火柱が天へと噴き上がる。
ノヴァの視界が真っ赤に染まり、熱風が肌を裂く。
そして――そのまま、意識が闇へと飲み込まれた。
カインは、炎の中で倒れるノヴァを冷ややかに見下ろしていた。




