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輪廻の風  作者: 夢氷 城
第1章
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海風の囁き


翌朝、時刻は午前七時を過ぎていた。


朝霧が丘を包み、海からの風が柔らかく草木を揺らす。


病院の待合室で、エンディは長椅子の上で仰向けに眠っていた。


いびきは軽やかで、まるで少年の無垢な魂が夢の海を漂うようだった。


少女はゆっくりと目を覚ました。


診察室のベッドから身を起こし、キョロキョロと周囲を見渡す。


「ここはどこだろうか、病院なのか?」

頭に浮かぶ疑問を整理しながら、彼女は昨夜の記憶を辿った。


あの少年が、冷たい海から自分を救い、雨の中を走ってここまで運んでくれたのだ。


状況を飲み込むと、彼女はそっと部屋を出た。


待合室で、エンディが長椅子に寝そべり、気持ち良さそうに眠っている姿が目に入った。


その無防備な寝顔に、少女は思わずクスリと笑った。


春の朝はまだ肌寒い。


彼女は診察室に戻り、毛布を手に取ると、そっとエンディにかけてやった。


そして、音を立てぬよう、静かに病院のドアをくぐり、外へ出た。


ドアの閉まる音で、エンディは目を覚ました。


「あれ、毛布なんてあったっけ?」


ぼんやりと呟きながら、身体を起こす。


あの禿げ頭のドクターが、意外にも気遣ってくれたのか?

そんなことを考えながら、昨夜の少女のことが気になり、診察室を覗いた。


誰もいない。


ベッドは空で、シーツだけが静かに残されていた。


心に小さな棘が刺さるようなショックを感じ、エンディは慌てて外へ飛び出した。


ドアを開けると、目の前に広がる光景に息を呑んだ。



中年ドクターの病院兼住居は、丘の上に佇む二階建ての建物だった。


よく手入れされた緑の芝生が庭を彩り、その向こうには広大な海が広がる。


昨夜、少女を抱えて雨の中を走り回っていた時には気づかなかった。

この見晴らしの良さ、この静謐な美しさ。


天気は清々しく、いつもより海が青く、まるで星の欠片を散りばめたように輝いていた。


「おお、綺麗だな」

エンディが呟いた瞬間、視界の端に人影が映った。


海を眺める少女の後ろ姿。

長い髪が、朝の風に揺れ、まるで海と共鳴するように優雅に舞う。

ドキッと心臓が跳ねた。


「おはよう」

少女が振り返り、微笑みながら挨拶をした。


「お、おはよう」

エンディはおどおどと返し、視線を泳がせた。


彼女の美しさは、まるでこの世のものとは思えなかった。


黒髪は夜の海のように深く、パッチリとした二重まぶたの瞳は星の輝きを宿し、長くカールしたまつ毛が風に揺れる。


つんと高い鼻、薄ピンクの唇、雪のように白い肌。

彼女は、まるで神話の精霊が人の姿を借りたかのようだった。


眼球に亀裂が入る程の美しさだ。


「君が私を助けてくれたんだよね?」



「ああ、うん。小舟の上で倒れてるのをたまたま見かけて、びっくりしたよ」


「それで病院まで運んでくれたんだね、おかげですっかり元気になったよ。ありがとう」


少女はにっこり笑った。


その笑顔は、朝陽を浴びて一層眩しく、エンディの心を締め付けた。


普段、女性と話すことなどほとんどない。


それも、こんな飛び抜けた美少女と。


エンディは彼女の笑顔を直視できず、頬が熱くなるのを感じた。


「どうして泣いてたの?」


「…え?」


「私を助けてくれた時、泣いてたでしょ?」


「いやいや、泣いてないよ」


エンディは間抜けな顔で誤魔化した。


だが、心臓が再びドクンと脈打った。

あの涙の理由は、自分でもわからない。


「ふーん」


少女は、まるで「分かりやすい男だな」と言いたげな目でエンディを見つめた。


「私ラーミア。あなたの名前は?」


「俺はエンディ」


真っ赤な顔でモジモジしながら、声を張って答えた。


「ここ、いい町だね。海が綺麗で空気もおいしい。エンディはこの町に住んでるの?」



「いや、昨日初めてきた」


「そうなんだ。ねえ、歳はいくつ? 私は16なんだけど、多分同い年くらいじゃないかな?」



「ごめん、自分の年齢分からないんだ」

エンディは下を向き、ボソッと答えた。


「分からないって、どうして?」

ラーミアが目を丸くして尋ねる。


エンディは一瞬沈黙した。


海風が頬を撫で、遠くで波が囁く。


やがて、彼は静かに口を開いた。


「いや…俺、実はさ…記憶が、無いんだ。」


ラーミアの瞳が、ほんの一瞬、揺れた。

まるで、彼女の心の奥でも、何かが共鳴したかのように。


エンディが自身の境遇を誰かに打ち明けたのは、初めてのことだった。


なぜ、昨日今日出会ったばかりの、素性の知らない少女に、突如こんなカミングアウトをしたのか。

ずっと心を閉ざしていたのに。


そんな自分自身の心境の変化を、エンディは自分でもよくわかっていなかった。



ラーミアは察した。

目の前にいるこの命の恩人とも言える少年は訳ありで、心に深い傷を負っていると。


「良かったら、お話を聞かせてくれないかな?」

ラーミアは優しく微笑みながら言った。


しばらく沈黙した後、エンディはようやく重い口を開いた。





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