堕ちぬ覇王と、相容れぬ共闘
カインが引き起こした大爆発は、エンディの攻撃すら凌駕する凄烈な爆風を周囲に撒き散らした。
粉塵が漂い、視界は白く霞んでいたが、やがて風が巻き上がりそれが晴れると、皆は本能的に爆心地に目を凝らした。
しかし、そこにカインとヴェルヴァルト冥府卿の姿は、どこにも見当たらなかった。
「カイン…お前…。」
エンディは呆然とした表情のまま、声を震わせて呟いた。
「あの野郎…自爆しやがったのか…?」
ノヴァは歯を食いしばり、苦渋の面持ちで言葉を絞り出した。
アマレットはルミノアを抱いたまま、その場に立ち尽くしていた。
血の気の引いた顔には、生気も感情もなく、完全に茫然自失の状態だった。
その時だった。
エンディのすぐ傍に、空から何かが落下してきた。
「うおっ!?なんだ!?」
エンディは突然の衝撃に驚き、思わず大声を上げた。
周囲に立ち込める砂埃の中、仲間たちは固唾を飲んで落下地点を見守った。
視界が晴れると同時に、皆の身体は自然と緊張に硬直していた。
「おいおいお前ら、勝手に殺すんじゃねえよ。」
その場から、息も絶え絶えの声が微かに響いた。
現れたのは――カインだった。
「カイン!良かった!!」
アマレットは泣きながらカインに飛びつき、抱きしめたルミノアもまた大声で泣き始めた。
エンディは深く息をつき、胸の奥から込み上げる安堵の感情に目を潤ませた。
カインとエンディの身体は、限界を超えていた。
全身の力は抜け落ち、仰向けのまま気力だけで意識を繋ぎ止めているに過ぎなかった。
「おめえら…よくやった…!ほんっっとうによくやった!!」
ダルマインは感極まり、肩を震わせながら歓喜の涙を流した。
「フフフ…喜ぶのはまだ早いんじゃないの…?」
バレンティノは顔を引き攣らせ、額に冷や汗を滲ませながら苦笑した。
その直後、クマシスがバレンティノを鋭く睨みつけ、「人が喜んでいるとこに水を差すな!大体お前何もしてねえじゃねえかよ!」と、思わず心の声を漏らしてしまった。
ナカタム軍の将帥に向かって暴言を吐くという大失態に、サイゾーは青ざめた顔で慌ててクマシスの口を塞いだ。
すると、いつも飄々としているモスキーノが、真剣な表情で口を開いた。
「バレンティノの言う通りだ…みんな、空を見て。」
その一言に、全員の動きが止まった。
誰もが、空を覆い続ける漆黒の闇に目をやった。
そう――未だ、邪悪な闇は消えていなかった。
すなわち、ヴェルヴァルト冥府卿は、まだ――死んでいなかった。
「フハハハハ…やってくれたな…虫ケラどもが図に乗りおって…。」
その声音は、闇に溶け込むように静かでありながら、背筋を凍らせるほどの悪意に満ちていた。
エンディたちはまるで背後から囁かれているかのような錯覚に陥り、心臓が握り潰されるかのような異様な緊張に包まれた。
やがて、ヴェルヴァルト冥府卿の姿が確認された。
だが――その変貌に誰もが言葉を失った。
巨大で威圧的だった肉体が、今やたった二メートルほどに縮んでいたのだ。
姿形そのものは変わっていなかったが、その体は明らかに弱り切っており、表情には苦痛が滲み出ていた。
それでも、かろうじて命脈を保っていた。
「おいおい御闇さんよぉ!往生際が悪いぞコラ!俺がトドメを刺してやんよ!」
慢心したエラルドが、余裕を見せながら近づいた――が、その瞬間。
ヴェルヴァルト冥府卿の人差し指から、まるで大砲が放たれたかのような衝撃波が炸裂し、エラルドの顔面に直撃した。
エラルドは宙を舞い、顎の骨を砕かれて地面に叩きつけられ、即座に戦線離脱となった。
ヴェルヴァルト冥府卿は、未だその底知れぬ力の一部を残していたのだ。
「何やってんだ馬鹿が!油断してんじゃねえよ!」
ノヴァは怒声を上げ、エラルドの無謀さを叱責した。
一方、エンディとカインは仰向けのまま微動だにできず、もはや反撃する力も残されていなかった。
「小童どもが…舐め腐りおって…許さん!絶対に許さんぞぉ!」
怒声とともに、ヴェルヴァルト冥府卿は空を裂き、羽根のない背中から謎の浮遊力で急接近してきた。
だがその時、横から走るように稲妻が走り、ヴェルヴァルト冥府卿の身体を強打した。
稲妻は空からではなく、横合いから放たれたものだった。
「みっともないよ、御大。散り際は美しくなくてはいけない。」
現れたのは、あのイヴァンカだった。
凛とした声色に、疲弊を覆い隠した威厳が滲んでいた。
その身はすでに満身創痍で、立つことすら危ういはずだったが、それでも毅然とした態度で敵に向き合っていた。
続けて、ノヴァがイヴァンカの隣に立つ。
「エンディとカインがあの状態だ。俺たちで何とかするぞ!」
真剣な表情で呼びかけるノヴァに、イヴァンカは眉をしかめ、刺すような目線を投げつけた。
「退がれ、ケダモノ風情が。」
冷淡な口調でそう言い放ち、共闘の申し出を拒絶した。
しかしノヴァは怯まず、無言のまま真正面から突進していった。
油断など一切ない、まさに命を賭した戦いだった。
「余計な真似を…。」
イヴァンカは忌々しげに呟き、ノヴァの突進を見つめた。
ノヴァは黒豹の如く跳び回り、ヴェルヴァルト冥府卿に対して幾度となく殴打を繰り出した。
だが、ヴェルヴァルト冥府卿は肩で荒く息をしながらも、すべての打撃を完璧に受け止めていた。
それでもノヴァは攻撃を止めず、今度は一気に距離を取り、空間を切り裂くかのような速度で周囲を旋回し始めた。
その動きは、常人の目には消えたように映るほどの神速だった。
瀕死のヴェルヴァルト冥府卿はその速さに目がついていけず、明らかに視線が追いついていなかった。
ノヴァは勝機を見た。
そのまま踏み込み、鋭く跳ね上がり、顎に渾身の蹴りを一閃――。
続けて空中で体をひと回転させると、右足でヴェルヴァルト冥府卿の頬をなぎ払う回し蹴りを叩き込んだ。
打撃は両方とも綺麗に決まった。
だが――ヴェルヴァルト冥府卿は崩れ落ちることはなかった。
次の瞬間、ヴェルヴァルト冥府卿の尾が蠢いた。
その長大な尾は、蛇のようにうねりながらノヴァの腹を捉え、瞬時にその体を地面へと叩きつけた。
土煙が上がり、ノヴァが激突した地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
ヴェルヴァルト冥府卿は無言のまま、右手の掌をノヴァに向けて翳した。
そこから放たれようとしていたのは、あの忌まわしき闇の破壊光線だった。
逃げ場はない。
尻尾で拘束されたままのノヴァに、もはや回避の手段は残されていなかった。
その時――。
「ジェシカ!?何やってんだ!」
ノヴァの目の前に、ジェシカが身を投げ出すようにして飛び込んできた。
地面に横たわるノヴァの上に覆い被さり、強く、深く抱きしめた。
「ノヴァ…死ぬ時は一緒よ。」
ジェシカは静かに言った。
恐れのない目は、むしろ凛とした覚悟に満ちていた。
ノヴァが血相を変えて叫ぶ中、ジェシカは涼やかに死を受け入れる覚悟を見せていた。
だが――その銃口は、突如逸れた。
「モエーネ!?あんた何考えてんの!?」
ジェシカが叫んだその視線の先には、ムチを振るったモエーネの姿があった。
彼女のムチはヴェルヴァルト冥府卿の右腕に絡みつき、その腕を強引に捻らせていた。
闇の銃口は、なんとモエーネ自身に向いていた。
「ジェシカ…あんたは必ず生きて、絶対に絶対に幸せになりなさいよ!バーカ!」
モエーネは舌を出しながら、涙を堪えた精一杯の強がりで叫んだ。
その手は細かく震えていた。
本当は怖くてたまらなかったのだ。
だが、彼女の意志は一切揺らいでいなかった。
「フハハハハッ!良いだろう!まずは貴様から殺してくれる!女!我こそは魔法族の王!目障りな貴様らを葬り、世界の王に成る者なり!何人たりとも余の覇道を阻むことは許さん!」
怒り狂ったヴェルヴァルト冥府卿は、その手から破壊光線を放った。
刹那――。
「やんごとねえぜ?」
どこか軽薄で、それでいて胸の奥に突き刺さるような声が、空間を揺らした。
光の中に、神々しく輝く一振りの槍が現れた。
それを手にしていたのは、ロゼだった。
闇の破壊光線に正面から立ち塞がり、ロゼは一言も迷わず、神器・神槍ヘルメスを振り抜いた。
斬撃の光が天地を裂いた。
放たれた闇の破壊光線は真っ二つに断ち割られ、ロゼを中心に左右へ逸れていった。
その斬撃の余波はヴェルヴァルト冥府卿に届き、ついに彼の肉体を深く切り裂いた。
ヴェルヴァルト冥府卿は両膝をつき、地に崩れ落ちた。
ロゼはその背を向け、そっとモエーネを左腕で抱きしめた。右手には神槍ヘルメスを握ったまま。
「怖い思いさせちまってごめんな。こんなところまで着いてきてくれて、ありがとう。」
ロゼは微笑みながら、静かに語りかけた。
モエーネはその胸に顔を埋め、嗚咽を堪えきれず泣き崩れた。
そしてロゼは、俯くヴェルヴァルト冥府卿に向かって、鋭く言い放った。
「分を弁えろよ、誰の前で王を名乗ってんだ?周りから御闇御闇って持て囃されてその気になってんじゃねえぞ。お前にその器はねえよ。」
それでもヴェルヴァルト冥府卿は何も返さなかった。ただ俯き、膝を地についたまま、血を流して動かなかった。
そこへ、イヴァンカが静かに歩み寄った。
「やれやれ…余計な真似をしてくれたね。君達はつくづく許し難い。」
その声は冷たく、張り詰めた空気のように刺すようだった。
イヴァンカは刀身をヴェルヴァルト冥府卿の首に当てた。
「実に醜き人外の者よ。君は所詮、おとぎ話に登場する架空の怪物に過ぎなかったね。だが安心して眠るといい。此度の戦いも、君の無様なその姿も、全て私が歴史の闇に葬ってやる。真の支配者たるこの私の手でね。」
その瞬間――。
ヴェルヴァルト冥府卿の指先が、ピクリと動いた。
イヴァンカはその僅かな動きを見逃さなかった。
瞬時に剣を引き、距離を取った。
「逃げろ!イヴァンカ!」
ノヴァが叫ぶ。彼もまた、その異変に気づいていた。
ヴェルヴァルト冥府卿は勢いよく立ち上がり、裂けるような咆哮と共に、口から闇の破壊光線を吐き出した。
その威力はかつてより劣るものの、それでも小さな山を一撃で消滅させるだけの破壊力を保持していた。
「まだこんな力を残していたのか…。」
イヴァンカは悔しげに歯を噛み締めた。
即座に雷を放ち、応戦。
そこにモスキーノが並び立ち、冷気を発した。
雷と冷気――対極の力が重なり合い、闇の光線に立ち向かう。
だが、押し返すには至らなかった。
闇の力は圧倒的で、2人はじわじわと押し返されていた。
「イヴァンカ!もっと力を上げろ!」
モスキーノは必死に叫んだ。
「貴様ごときがこの私に命令するな!」
イヴァンカは怒気を孕んだ声で言い返した。
この期に及んで、ふたりは小競り合いをやめなかった。
次第に彼らは劣勢に傾き、闇の力に呑まれる寸前だった。
絶望の縁で――。
すると、ふたりの背に、やさしく温かい風が吹いた。
まるで春の夜風のような、穏やかな風だった。
振り返ると、そこには――ふらつく脚で、それでも真っ直ぐに立ち上がったエンディの姿があった。
「待たせたな…遅くなってごめん。」
エンディはひび割れた声で微笑んだ。
足元は覚束なく、瞳も焦点が定まっていなかったが、それでも彼は気丈に、英雄としての気概だけで立っていた。
その姿は、誰の目にも明らかだった。
もはや満身創痍。
今にも倒れそうなその身体でなお立ち続ける彼の姿は、言葉に尽くせぬほど勇敢だった。
「エンディ〜〜!?もう動けるの!?」
モスキーノは目を丸くし、思わず声を裏返した。
あれほど張り詰めていた戦場の空気が、彼のその一言で少しだけ和らいだ。
無意識にいつもの軽快な口調に戻っていたことに、モスキーノ自身すら気づいていなかった。
「はい…何とか。てかモスキーノさんこそボロボロじゃないっすか。」
エンディは肩で息をしながらも、茶目っ気をにじませてそう言った。
精一杯の冗談に、気遣いと優しさが滲んでいた。
実際、モスキーノの身体は冥花軍ラメ・シュピールとの戦いによって、内側から深く蝕まれていた。
その損傷は外見には現れにくく、周囲の者には気づかれにくい。
ラーミアによる治療も満足に受けないまま、この極限の戦場に身を投じていたのである。
それを察したエンディは、迷いなく突飛なことを口にした。
「モスキーノさん、ここは…俺とイヴァンカに任せて下がっててください!」
「貴様…何を言っている?気でも狂ったか?」
イヴァンカは冷たい視線で睨みつけ、怒りを滲ませてそう吐き捨てた。
その目には屈辱と軽蔑、苛立ちが宿っていた。
だが、エンディは退かない。
むしろその瞳には、イヴァンカを正面から見返すような鋭い光が宿っていた。
「イヴァンカ!今は俺たちが争っている場合じゃない!アイツとまともに戦えるのは、もう俺たちしか残ってないんだ!お前も分かってんだろ!?大人になれよ!」
エンディは眉根を寄せ、燃えるような怒気と使命感を込めて叱咤した。
弱さを抱えながらも、目の前の敵に立ち向かおうとするその声は、誰よりも真っ直ぐだった。
イヴァンカは唇を噛み、しばし沈黙を貫いた。
それでも不満げな表情は崩さず、やがて鼻で笑うようにしてこう言った。
「ヴェルヴァルトの次は必ず貴様を消す。貴様の仲間とやらも例外なく消す。それだけは覚えておくんだな。」
その声には殺意がこもっていたが、どこかで言葉を呑み込んだような、微かな妥協の色も混じっていた。
エンディは、その言葉を「了承」と受け取った。
「はいはい、分かったよ。いくらでも受けて立ちますよ。」
彼はわざと肩をすくめ、子供をあやすような口ぶりで返した。
その挑発的な余裕は、逆にイヴァンカの神経を逆撫でし、彼はあからさまに不快感をあらわにした。
「何だよお前ら…仲良しかよ。」
仰向けに倒れたままのカインが、口の端を吊り上げて苦笑した。
その声には皮肉よりも、どこか安堵と微笑ましさが滲んでいた。
モスキーノはエンディの申し出に頷き、一歩後退して戦線を離脱した。
その背は痛々しいほどに揺れ、今にも崩れ落ちそうだったが、それでも彼は仲間を信じて託す決意を固めていた。
そして――エンディは両腕を広げ、風を集めるように構えた。
イヴァンカは剣先を空に向け、雷をその身に宿らせた。
それぞれの力が咆哮の如く迸り、ヴェルヴァルト冥府卿の放つ闇の波動を真正面から押し返していった。
一進一退の攻防。
風と雷は、闇を完全に消し去るには至らなかったが、それでも時間をかけて少しずつ、確実にその力を相殺していった。
血を流し、肉体も魂も限界を迎えつつあるヴェルヴァルト冥府卿。
そして、同じく限界寸前でなお歩みを止めぬエンディとイヴァンカ。
誰も予想しなかった。
このふたりが、まさか肩を並べる日が来るとは。
交わらぬはずの風と雷――だが今、最強の敵を前にして、異色のふたりは一時の共闘を選んだ。
それは、勝つための手段ではなく――守るための誓いだった。