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輪廻の風  作者: 夢氷 城
最終章
162/180

-この手は死んでも離さない- 愛で解いた石の花

絶対におかしい──。

ラーミアのあまりに異様な姿を前に、ロゼは咄嗟にそう思った。


冷静になって記憶を掘り返しても、どこかで彼女が闇に堕ちる兆しなど一度も見た覚えがない。


魔法族が完全に封印されたのは500年前。

当時の対魔の天星使によって。



封印が破られたのはたった二年前の、ユドラ帝国での出来事だ。


その間に、魔法族が現世へ干渉する余地など寸分もなかったはず──

にもかかわらず、現代の対魔の天星使であるラーミアが、なぜ魔法族に成り果てたのか。



そして、いつ、どの瞬間にその運命を狂わされたのか。


考えれば考えるほど答えは遠ざかり、理屈が通じない不気味な闇だけが濃く立ち込めていた。


エンディは怒りに震えながら、上空に浮かぶヴェルヴァルト冥府卿を鋭く睨みつけた。


「おいヴェルヴァルト…お前、ラーミアと視神経を共有して…ラーミアの眼を通して全てを視ていたと言ったな…?全てを見ただとぉ!?お前まさか、ラーミアの入浴シーンも覗いてたのか!絶対に許さないからなこのド変態野郎が!!」

エンディは歯ぎしりしながら、拳を震わせて怒鳴りあげた。


怒りというより“激昂”だった。


許せなかったのは、戦術上の覗き見以上に、彼女の尊厳を踏みにじられた事実だった。


「おいエンディ…怒るとこそこかよ?」

ロゼは半ば呆れた顔で言葉を返した。


眉をひそめながらも、その口元には微かに皮肉混じりの苦笑が浮かんでいた。


そんな2人の間にスッとカインが歩み寄った。


「分かるぜエンディ…お前の気持ちがよ。俺は愛妻家であり娘を持つ男親だからよ、この手の変態野郎は許せねえぜ。」

カインの声音は静かだったが、その目の奥には確かな怒気が灯っていた。


もし自分の家族が同じ目に遭っていたら…と想像するだけで、血が沸騰するような憤りが身体を駆け巡るのを感じた。


エンディとカインの怒りの理由がさっぱり理解できないヴェルヴァルト冥府卿は、困惑したように目を細めていた。


人間の裸体などにこれっぽっちも興味がない彼にとって、彼らの激昂は宇宙語にも等しかった。


そんな緊張の最中──。


突如、ラーミアが沈黙を破った。

その身に絡みついた10匹の蛇が、頭上からうねるように動き出し、口々に小さな闇の球体を吐き出し始めたのだ。


まるで絨毯爆撃のように、無数の闇球が空間を裂いて降り注いだ。


エンディは風を、カインは炎を噴出させて、それらを相殺した。


爆撃の威力そのものは、大したことはなかった。

蛇妃ゴルゴン」と名乗るその姿も、恐怖を煽るほどの威圧感はない。


だが、2人は決して攻撃に転じようとはしなかった。

その理由はただ一つ。

ラーミアを傷つけたくない。その一点だった。


どうにかして彼女の心を取り戻したい。

傷つけず、殺さず、この狂気の支配から解き放ちたい──。


2人の心は、言葉なくしても一致していた。


「死。御闇に逆らいし者には死あるのみ。死。」

ラーミアは冷ややかに言い放った。


その表情は無機質で、まるで壊れた蓄音機が言葉を再生しているようだった。


「ククク…おいおいてめえら、なにグズグズしていやがる?そんな雑魚さっさと殺しちまえよ。」

アズザールが苛立たしげに叫んだ。

彼にとって“情”など、戦場では最も不要な代物だった。


「黙れ!すっこんでろ!」

カインは即座に首だけ振り返らせ、激しく怒鳴り返した。


その怒声には、戦友と仲間への思いが濃縮されていた。


「フハハハハ!まさかお前達、ラーミアを元に戻そうなどと考えているのではないだろうな?断言しよう…それは不可能だ!その女は身も心も、既に余に支配されている。余のために生き、余のために死ぬ…そう刷り込んでいるのだ。この支配を解く術は、その女を殺すより他にない!フハハハハ!!」


ヴェルヴァルト冥府卿は愉悦に満ちた笑みを浮かべながら高らかに嘲笑した。


その言葉に、ロゼの背筋に雷鳴のような閃きが走った。


──支配?刷り込み?

それはつまり…ラーミアの裏切りは、彼女自身の意志ではなかったということなのか…?


「支配?刷り込み?やっぱりお前、ラーミアを操っていやがるな!?」


ロゼの眼差しは、怒りではなく確信に満ちていた。


ラーミアは悪くない。

誰よりも誠実な彼女が、そんなことをするはずがない。


「左様!余は500年前に封印される直前、あの”憎き天星使の女狐”の体内に我が闇の力を付与したのだ。その力は、我ら魔法族が封印された後も…禁忌の封印術を発動したあの女狐が絶命した後も…時空を超えて残存していたのだ!対魔の天星使が今日まで5世紀もの長きに渡り輪廻転生を繰り返していた間も、我が闇の力はその転生者へと脈々と受け継がれていたのだ!そして2年前…我ら魔法族が復活を遂げたことを引き金に、余が与えた力は真価を見出した!その真価こそが視神経の共有と、余に対する絶対的な忠誠心!つまりその女は、知らず知らずのうちにお前達を欺き!余にお前達の情報を伝達し続けていたのだ!」

ヴェルヴァルト冥府卿の下劣な笑い声が、石壁に反響した。


「てめえ…なんて狡猾な野郎だ…!」

カインは唇を噛みしめながら、怒りを燃やしていた。


自分たちの絆を弄び、ラーミアの尊厳を踏みにじったそのやり口に、心底から怒りが湧いた。


「フハハハハッ!その女を正気に戻そうなどと無駄なことは考えないことだな。先ほども言ったが…この呪縛は未来永劫解ける事はない!その女を余の支配から解放させたいのであれば…せめてお前達仲間の手でその女を葬ってやるんだな!よく見てみろ、その女の醜悪な姿を…これではまるで生きる屍だな。否、意志なき戦闘人形と言ったところか?フハハハハッ!」


ヴェルヴァルト冥府卿は、まるでラーミアという存在の尊厳を徹底的に踏みにじるかのように、冷酷に言葉を浴びせ続けた。


容赦のない嘲笑と侮辱。

それはラーミア本人ではなく、彼女を愛し信じてきた者たちの心を抉る刃でもあった。


イヴァンカとアズバールは沈黙を貫いたまま、どこか達観したような面持ちでその光景を見つめていた。


しかし、それ以外の者たちの多くは、押し殺してきた怒りや悲しみを堪えきれず、唇を噛みしめていた。


「死。」


ラーミアが静かに呟くと同時に、彼女の足取りが再びエンディへと向かっていった。


だが、エンディは微動だにしなかった。


ラーミアの一挙手一投足を見つめながら、まるで地に根を下ろした樹のように、その場に立ち尽くしていた。


次の瞬間──


ラーミアの両眼が、ピカッと赤く輝いた。


「危ない!エンディ!」


叫びながらアベルが飛び出し、エンディを庇うようにしてその身を投げ出した。


ラーミアの眼から放たれた紅い光は、凄まじい眩さで周囲の空気すら焼くかのようだった。


その直撃を受けたエンディ、カイン、ロゼの三人は、思わず目を瞑った。


眩光は一瞬で止んだが──


瞼を開けたエンディの視界には、信じがたい光景が広がっていた。


アベルが、石になっていた。


身を挺して飛び出したその瞬間の姿勢のまま、顔を背け、手を庇うように掲げて、彼はまさに“生きた石像”と化していた。


「アベルー!!」


カインが、叫びと共に弟の元へと駆け寄った。


その叫びには、悲しみと怒りと後悔がごちゃまぜになった魂の色が込められていた。


「なるほどね、これが蛇妃(ゴルゴン)の真の力か。」


「石化だとぉ!?こんなの反則だろ!」


ラベスタとロゼが、即座に武器を抜いた。

もはや理性ではなく、守るべき者のための本能が彼らを突き動かしていた。


だが──無情にも、彼らもまた真紅の光を浴び、石化してしまった。


光を防ごうと顔を逸らし、右手をかざしたその姿で固まったロゼとアベル。


それに対し、ラベスタは無表情のまま石化していた。まるで己の運命を、最初から受け入れていたかのように。


「えーー!石になっちゃったぁ!」


「フフフ…これはまた厄介な力だねえ。」


はしゃいだようなモスキーノの声と、額に汗を滲ませるバレンティノの嘆息が対照的だった。


一方、主君であるロゼの石化にジェシカとモエーネはよろめき、エスタは背筋を凍らせながら言葉を失っていた。


「死。死。…」


再びラーミアが呟きながら、ゆっくりとエンディに歩み寄っていく。


声には抑揚がなく、ただ“死”という音だけが、風に乗って響いた。


だが、エンディもまた歩き出した。


彼女の言葉に怯むことなく、真っ直ぐにその瞳でラーミアを見つめながら、一歩一歩を踏みしめて。


まるで磁石が引き合うように。

二人は無言のうちに距離を詰めていく。


「おいエンディ!不用意に近づくな!お前も石にされちまうぞ!」


カインの叫びが飛ぶ。

だが、それすらもエンディの耳には届いていなかった。


「ラーミア…初めて会った日のこと、覚えてるか?2年前…もう日が沈んだってのにまだまだ暑くてジメジメしてたなあ。しかもいきなり雨がザーザー降ってきてさ…。ラーミアあの時、オンボロの小舟で遭難してたっけ。」


優しく懐かしむような声が、空気を柔らかく震わせた。


ラーミアは、口を閉ざしたまま、どこか怯えた瞳でエンディを見つめ、しかし足は止まらず、ただ導かれるように前へ進んでいた。


「俺上手く言えないけどさ…初めてラーミアを見たあの時、すごく懐かしい気持ちになったんだ。やっと巡り会えたんだって…。そう思ったらさ、途端に涙が止まらなくなって前が見えなくなったんだよ。あんなに歓喜した夜は無かった。他の人からしてみればなんて事ない、いつもと変わらない夜だったんだろうけど…俺にとっては一生忘れられない、かけがえのない夜だった。冷たいはずの雨も、すげえ温かかったなあ。どうしてあの時あんなに泣いたのか、それは今でも分からないけど…。でも、なんて言うか…ずっとずっと昔、俺が…俺達が産まれるよりも遥か遠い昔に、俺達はこの世界のどこかで出会ってたんだって、確信にも似た強い感情を抱いたんだ。」


その言葉に、ラーミアの足が止まった。


そして次の瞬間──彼女は怯えたような声で叫んだ。


「やめて…こないで!こっちに来ないで!」


「何をしているラーミア!早くその男を殺せ!」


ヴェルヴァルト冥府卿の怒声が響き、ラーミアの瞳が鋭さを取り戻した。


頭上の十匹の蛇が、同時に口を開き、黒い球体を吐き出した。


小爆弾のような闇球が、エンディの全身に直撃する。


しかしエンディは、一切の抵抗もせず、躱しもせず、それをその身に受けた。


「エンディ!なんで避けねえんだ!」


カインが理解に苦しむような顔で叫ぶ。

だがエンディは、ただ真っ直ぐに歩き続けた。


その姿に、ラーミアは再び怯えを滲ませる。


やがて、エンディはラーミアの眼前にたどり着く。


そして、震えるラーミアの右手を、両手で優しく包み込むように握りしめた。


「ラーミア…ラーミアの言った通り、例えその姿が本当の姿で、今までが仮初だったとしても…さっきの言動が本性だったとしても…俺は、ラーミアが俺に見せてくれた沢山の笑顔だけは絶対に疑わない!!ラーミアが今まで俺を救ってくれたその優しさだけは絶対に疑わない!これから何があっても!この先もずっと!俺はラーミアを信じて信じて信じて信じ抜く!だから…この手は死んでも離さない!!」


叫びではなく、願いでもなく、決意そのものだった。エンディはラーミアの顔へと近づき、その瞳の奥へと、想いのすべてを注ぎ込んだ。


──そして。


「エンディは…変わらないね。あの時からずっと…変わらず…優しいね。エンディ…ずっと変わらないでね?ずっとずっと…優しいエンディで…いてね…?」


蛇妃ゴルゴンと化していたラーミアに、一瞬だけ──けれど確かに、正気が戻ったのだ。


それを目の当たりにしたヴェルヴァルト冥府卿は、狼狽の色を隠せなかった。


「馬鹿な…ありえない!何故だ!何故未だ自我が残っているのだ!?これはあるまじき事態だ!おいラーミア!その男を石にしろ!!」


だが、次に起きたのは、誰もが予想だにしない“逆転”だった。


真紅の光を放ったのは、ラーミアの目──


…だが石化したのは、ラーミア自身だった。


エンディの瞳に映った自分自身──その姿を見た瞬間、ラーミアの意識が自己と向き合い、石となったのだ。


まるで、呪いの本体が自らに跳ね返ったかのように。


十匹の蛇を冠し、悪魔のような紅い瞳を宿したラーミアは──石像へと姿を変えた。


驚愕に目を見開くヴェルヴァルト冥府卿。


だが次の瞬間──


石化したラーミアの身体が、神々しい光を放ちながらパリンと崩壊した。


砕け散った石の中から現れたのは──


「あれ…?私…何してたんだろう?あ、エンディ!」


きょとんとした表情のラーミアだった。


蛇妃の記憶は完全に失われていた。

けれど、目の前のエンディを見つけた瞬間、彼女の顔は太陽のように明るく輝いた。


ラーミアの石化が解除されると同時に──アベル、ロゼ、ラベスタの石化も解けた。


「約束しただろ?絶対に助けにいくって。次は絶対に護るって。」


エンディはラーミアの手を握りしめたまま、静かにそう言った。


──約束?

──絶対に助けに行く?

──次は絶対に護る?


自分の口から出た言葉なのに、なぜか違和感が拭えなかった。


まるで、誰か他人の想いが、自分の口を借りて語ったような。


考えれば考えるほど、なぜそれを口にしたのか分からなかった。


それはラーミアも同じだった。


…だがその疑問は、やがて必然となる。


エンディとラーミアの全身に、電撃のような衝撃が奔った。


それはまるで雷に打たれたかのような、強烈な閃き──

気が遠くなるほど昔の記憶の扉が、今、静かに軋んで開かれようとしていた。


そしてその記憶は、2人の「前世」を、はっきりと──呼び覚まし始めていた。



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