昨日の敵は今日の友
「何あれ〜!?やばくな〜い!?」
モスキーノは、わざとらしいほど大げさに声を張り上げ、城の外に現れた軍勢を指差した。
口調は軽いが、その瞳は本気で震えていた。
遠目には、波打つ蟻の大群のようだった。
果てしなく続く黒い線が、うねりながら城へと迫っていた。
「ざっと4万は超えてるね。やば。」
ラベスタは唖然としたまま口を半開きにし、呟いた。言葉とは裏腹に、その心臓の鼓動は早鐘のように鳴っていた。
肉眼で確認できる範囲だけでも、4万を超える兵がひしめいていた。
その中でも、ナカタム王国の軍旗を掲げる兵たちが約3分の1を占めていた。
逃げた者たちが戻ってきたのだ。
誇りを取り戻し、再び戦場へと。
「うちの兵士がほとんどだな…武器を捨てて国を捨てた奴らが戻ってきたか…!」
エスタは小さく笑った。
皮肉ではなかった。
喉の奥に熱いものが込み上げるのを、噛み締めていた。
「じゃあ他の連中は何者だ?」
サイゾーは顔をしかめ、眉間に皺を寄せながら疑問を口にした。
「あの軍服…ネルド王国の人達じゃない!?」
「あの特徴的な鎧は…ヨコルト王国よ!」
モエーネとジェシカが次々と声を上げ、世界のあちこちから兵たちが集っていることに気づいた。
世界に点在する国々──魔法族に屈服した国や、滅亡を恐れ正式に降伏を表明した国々。
その兵士たちまでもが、今、魔界城を目指して武器を手に取っていた。
この多様すぎる民族と国が、共に戦おうなど、常識的にはあり得ないことだった。
なぜなら、そこには決して埋まらぬ歴史的遺恨があり、血で塗りつぶされた因縁があったからだ。
冷戦状態の国同士も混ざっている。
水と油が混ざり合うはずがない──本来ならば。
だが、この日ばかりは、誰もが奇跡に身を委ねていた。
「俺たちパマトリ人はお前らネロウド人に故郷を滅ぼされた…!勘違いするなよ!お前達のことを許したわけでは無いからな!」
「それを言ったら、俺の家族と多くの仲間はお前らパマトリ人に殺された!この戦いが終わったら覚えておけよ…魔法族の次はお前らパマトリ人共を血祭りに上げてやるからな!」
戦列の中では、あちこちで種族間の罵声が飛び交っていた。
それでも剣を抜く者はおらず、彼らは同じ足並みで魔界城へと進軍していた。
なかには、世界中に悪名を轟かせた極悪人たちまで混ざっていた。
「あいつは…世界に名だたる5つの巨大マフィア組織…5大ファミリーの一角!カモラファミリーのボス!ドン・アルカポだ!」
「おい!あそこにいる全身タトゥーまみれの派手な奴らは確か…ヲヌロツ国の政府軍を壊滅させた悪名高きギャンググループ、クロノアの連中じゃなえか!?」
「おい!こっちには過激派テロ組織ヤタガラスの最高指導者、Mr.Jまでいるぞぉ!」
正規軍の兵士たちはその凶悪な顔ぶれに驚愕しつつも、敵意を抑え込んでいた。
彼らを捕らえ、始末するのは、国ごとの長年の悲願だった。だが──それは今ではなかった。
「ぐっふっふっ…俺の首を取るならよ、この戦いが終わった後にしてくれねぇかぁ?」
「俺たちゃ逃げも隠れもしねえよ!いつでも殺し合いの準備はできてっからよぉ!ただし…この戦いが終わった後で頼むわ!」
「別にいつでも受けて立つぞ。魔法族の者どもを殲滅した後ならばな。」
善と悪、秩序と混沌。
その一切を超え、彼らは一つの戦場にいた。
今この瞬間、すべての境界が溶けていた。
互いの憎しみさえも、一時的に忘れられていた。
世界に光を取り戻す。
その一念だけが、全てをつなぎ止めていた。
彼らは一斉に鬨の声を上げ、魔界城へと突入を開始した。
──
現在の戦況:連合軍42,000 対 魔法族51,000。
数ではなお魔法族が上回っている。
だが、この予想外の奇襲に、魔法族は対応しきれていなかった。
そして何より、守る者と滅ぼす者。
その差が、戦意において天と地ほどもあった。
魔界城の戦争は、第二段階へと突入した。
──
「下らん…実に下らぬわ!虫ケラが少しばかり増えたからといって図に乗るなよ人間共が!おいベルゼブ、魔界城諸共全てを破壊しろ!」
ヴェルヴァルト冥府卿が怒りに満ちた声でベルゼブへ命を下す。
すると、ベルゼブはギョッと目を見開き、口を大きく開いた。
その口内から、殺意の結晶のような黒い破壊光線が吐き出される。
だが──
「隔世憑依 憤怒の聖獣!」
「隔世憑依 金剛蒼王!」
ノヴァとエラルドが即座に呼応。
身体は隔世憑依の光に包まれ、巨体となり、強化された肉体が白光りしながらベルゼブの攻撃を真っ向から受け止め──そして、押し返した。
破壊光線は呆気なく霧散した。
「早く行け!お前ら!」
「害虫駆除は任せろや!」
二人は叫び、ベルゼブの動きを封じながら皆を促した。
カインたちは一切の迷いもなく駆け出した。
彼らなら勝てる。そう信じていたからだ。
──
だが、出発の直前。
「エンディ…もう立てんのか?」
カインの声が響いた。
そこには、ふらりと立ち上がるエンディの姿があった。
呼吸は浅く、傷も完全には癒えていない。
「おう!」
エンディは空元気にそう答えた。
ラーミアの献身的な治療が、奇跡的な回復をもたらしていた。
「エンディ!無理しないで!まだダメよ!」
ラーミアが心配そうに声をかける。
「ありがとう、ラーミア。けどもう大丈夫だ!」
エンディは微笑んだ。
力強くはないが、誠実な笑みだった。
彼は天井の穴を見上げ、拳を高く掲げて叫んだ。
「おいヴェルヴァルト、見えているか?お前を倒す為に、今まさに世界は一つになろうとしている。いや…一つになった!覚悟しろよ…必ずお前をぶっ飛ばして、俺たちは生きてまた太陽の光を浴びるんだ!」
──それは、世界の代表者としての宣戦布告だった。
だが、ヴェルヴァルト冥府卿は鼻で笑い、「戯言だな」と吐き捨てる。
それでも、エンディたちは歩き出す──
…はずだった。
「ロゼ国王…?」
モエーネの声が、場の空気を凍らせた。
エンディたちの視線が、次に目覚めた者へと注がれる。
──ロゼ。
彼は立ち上がり、無言で槍を抜いていた。
その目には光がなく、空気が異様に張り詰めていた。
「国王様!?もう大丈夫なんですか!?」
モエーネが目を見開きながら駆け寄ろうとした。
嬉しさ半分、安堵半分の声だった。
「おいおい、あんま無理すんなよ?もうちょい休んどけよ。」
エスタも気遣うように笑いながら声をかけたが──
ロゼはそのどちらにも反応を返さなかった。
ただ、無表情のまま立ち尽くし、槍を手にした姿は、あまりにも異様だった。
明らかにいつものロゼではない。
誰もがその異変に気づいていた。
「ロゼ国王、もう少し休んでいてください。まだまだ療養が必要です。」
ラーミアは落ち着いた声でそう言いながら、そっとロゼに歩み寄った。
だがその柔らかい眼差しは、どこかで“何か”を察知していた。
エンディの背筋に、氷のような寒気が走った。
本能が告げていた。
今、ラーミアが近づいてはまずい。
そして次の瞬間。
ギラリと光る槍の鋒が、ラーミアの胸元へと突きつけられた。
「…え?」
ラーミアは思わずその場に立ち止まり、呆気にとられて身体を硬直させた。
その瞬間、エンディが反射的に飛び出し、ラーミアをかばうように二人の間に滑り込んだ。
「ロゼ国王…?何をしているんですか?こんな時に変な冗談はやめてくださいよ。」
エンディは額に冷や汗を滲ませ、苦笑いを浮かべながらも声をかけた。声は震えていた。
だが、ロゼは険しい顔で槍の鋒をエンディに向け直した。
「どけよエンディ…死ぬぞ?」
その声音は低く、張り詰めていて、まさに“殺意”の色を帯びていた。
エンディの瞳がわずかに揺らぎ、呼吸が止まりかけた。
まさか──ロゼが“内通者”なのか?
思考が焼け付くように乱れ、最悪の仮説が脳裏をよぎった。
闇の力を忌むべきものとする“退魔の光”を宿すラーミアを殺そうとする動機も、そう仮定すれば──辻褄が合う。
「エンディ…悪い様にしねえからこっちへ来い。」
ロゼの声には確かに揺らぎがあった。
だが、その目は何かを確信している者のそれだった。
「ロゼ国王…“死ぬぞ?“って…俺を殺すって意味ですか?どうしてそんなことを…?」
エンディは悲しみに染まった目で、まるで信じたくない真実を拒むように問いかけた。
すると、ロゼは苛立ったように舌打ちをし、
「そういう意味じゃねえよ。いいから言う通りにしろ。」
と、苛立たしげに言い放った。
その態度にエンディは戸惑い、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「エンディ…俺は見ちまったんだ。“こいつ”は俺の意識が無えと思って油断していた…俺は薄れゆく意識の中、“こいつ”がお前に闇の力をぶっ放した瞬間を見ちまったんだよ…。」
ロゼの声はかすかに震えていた。
それは怒りでも混乱でもなく、恐怖だった。
「ロゼ国王…何を言ってるんですか…?」
エンディはますます困惑し、ただ茫然と問い返すことしかできなかった。
そして──ついに、ロゼの口から衝撃の真実が告げられる。
「分からねえのかエンディ!さっきお前に攻撃を仕掛けたのは!お前の後ろにいる”その女”だ!!」
ロゼは怒鳴り声を上げた。
その声は、場の空気を一瞬で凍りつかせた。
エンディの中で時が止まった。
後ろにいる女──ラーミア以外に、誰かいたか?
ゆっくりと、まるで悪夢の中を歩くように、エンディは後ろを振り返った。
そこにいたのは──見たこともない女だった。
いや、見たことはあった。
だが、今のその女の表情が、あまりにも異質で、信じたくない“正体”を曇らせていた。
青白い肌、長い黒髪。
歯を剥き出しにして笑うその顔は、恐ろしくもどこか馴染み深い。
ラーミア──だった。
自分の知るラーミアではない。
だが、目の前の女は間違いなく、見た目も姿かたちも“ラーミア”そのものだった。
信じたくなかった。
気づいていたかもしれない。
それでも、気づかないフリをしていたのかもしれない。
現実が容赦なく牙を剥いた。
エンディの全身から血の気が引き、唇は紫色に変わり、頭の中は真っ白になった。
その隙をつくように、ラーミア──否、“それ”は右手を翳し、至近距離から闇の破壊光線を撃ち放った。
「──ッ!」
反射的にロゼが動いた。
引ったくり犯のような速さでエンディの身体を抱え、横へ跳ねた。
闇の閃光が空を裂き、床に深い痕を残した。
回避に成功した二人は、そのまま床に転げ落ちる。
エンディは全身を震わせながら、ラーミアの顔を再び見つめた。
だが、何度見ても──それは彼の知るラーミアではなかった。
外見はすべて一致していた。
だが、その表情と佇まいだけは別人だった。
そのとき──
ラーミアの首筋に、ひとつの“印”が浮かび上がった。
薄く淡いピンク色の花の刻印だった。
「おい…うそだろ…?なんだよそれ…?」
エンディは脂汗を滲ませ、息を荒げながら、言葉を絞り出した。
そして──
「ああ…これ?この花はね…“カルミア”っていうの。花言葉は…“裏切り”。」
“ラーミア”は、まるで何でもないことのように、穏やかにそう答えた。
その言葉が、最も残酷だった。




