密漁船への潜入
夕陽が海に沈み、島は一瞬にして闇の帳に包まれた。
名もなき孤島の密林は、まるで冥界の門が開いたかのように静まり返る。
エンディとカインは岩陰に身を潜め、マフィアの密猟船の動向を窺う。
船上では、乗組員が魚網を引き上げる影が、月光に揺れていた。
「よし、あそこまで泳いでこっそり忍び込もう!」
エンディの声は、まるで夜を切り裂く火花のように弾けた。
だが、カインは鋭い視線で彼を制した。
「待てよ、よく見ろ。」
エンディが目を凝らすと、海面に揺れる人影が浮かぶ。
魚網を手に素潜りする乗組員の姿。
もし今泳いで船に近づけば、闇の海にその姿を曝し、たちまち見つかるだろう。
エンディは胸を撫で下ろした。
早まった行動を避けられた安堵が、まるで冷たい潮風のように彼を包んだ。
だが、一つの疑問がエンディの心に引っかかっていた。
この島は、獰猛な獣や毒を宿す植物が跋扈する死の森。
野生の咆哮が響き合うはずの地で、なぜか自分達に襲い来る獣は一匹もいない。
まるで動物たちが二人の存在を避け、恐怖の目で見つめるかのようだった。
密林の中心に、不気味な静寂の円環が広がっていた。
「なあカイン、ここの動物たちって…」
エンディは恐る恐るカインの顔を覗き込む。
その声は、まるで闇に投げた小石の響きのように小さかった。
「…ああ、あいつら人間が怖いんじゃねえか?」
カインはクスッと笑う。
その微笑みは、まるで月光に濡れた刃のように冷たく、どこか不気味だった。
エンディの背筋に、ぞくりと冷たいものが走るった。
まさかこの獣の群れは、カインを恐れているのか?
カインがこの獰猛な獣達を手懐けているのか?
カインの周りには、ミステリアスな霧が漂っていた。彼は滅多に口を開かず、まるで心の扉を錠で封じているようだ。
世を斜めに見るその瞳は、深い傷と諦念を湛えていた。
エンディは思う。
なぜカインをラーミアの救出に誘ったのか。
自分でもわからない衝動だった。
だが、後に彼は知る。
この出会いは、運命の悪戯が紡ぐ必然だったのだと。
「なんか不思議だな。お前とはガキの頃から友達だったような気がする。」
エンディの何気ない言葉に、カインの心が一瞬揺れた。彼は動揺を隠し、平静を装った。
「何言ってんだか。それよりダイバーたちが船に戻ったぜ?忍び込むなら今がチャンスだ。本当に行くんだな?もう引き返せないぞ?」
「当たり前だろ。それより、おれから誘っておいてこんなこと聞くのおかしいけど、どうして着いてきてくれるんだ?」
カインは一瞬沈黙する。
海の囁きが、二人の間に流れた。
「後戻りできない状況を作りたかったのかもな。」
その言葉は、まるで深淵から響く謎めいた呪文だった。
エンディは首を傾げる。
「??どういう意味だ??」
「別に、深い意味はない。それより、別にこっそり忍び込まなくても堂々と乗り込めばいいんじゃねえか?何人か殺して操舵手脅せば、すぐにそのラーミアって女のとこにたどり着けんだろ。」
エンディは息を呑む。
カインの冷酷な提案は、まるで氷の刃が心を刺すようだった。
「何言ってんだよお前!そんな酷え事できるわけないだろ?いくらあいつらが悪い奴らでも、簡単に奪っていい命なんてこの世に一つもない!」
「いくらでもあるさ。世の中残念なくらい、汚い人間ばかりだ。死ぬべき奴らはごまんといるぜ?」
カインの声は、まるで闇そのものが語るように冷ややかだった。
二人の視線が交錯する。
エンディの瞳は炎のように燃え、カインの瞳は氷のように凍る。
「じゃあ、ラーミア助けたら俺と一緒に散歩しよう!」
「は?何言ってやがる。」
カインは呆気に取られた。
エンディの唐突な提案は、まるで嵐の後に吹く春風のようだった。
「お前はこんな所に篭ってるからいけないんだ。俺もずっと独りぼっちで辛かったけど、一歩外に出れば優しい人ばっかだったよ。世の中捨てたもんじゃないってことをお前に教えてやる!」
「そうか、それは楽しみだな。」
カインは鼻で笑うが、その笑みには微かな揺らぎがあった。
エンディの眩しい理想は、まるで陽光が彼の凍てついた心を溶かすようだった。
「だけど悪い部分があるってのも確かだよな。そんな世の中を変えてやろうぜ!お前も協力してくれ!」
エンディの目は星のように輝き、笑顔は希望の旗のようだった。
カインはあまりの眩しさに目を逸らし、胸に切ない疼きを感じた。
「ああ、分かった分かった。早くしないと船がいっちまう、さっさと乗り込もうぜ。」
密猟船は錨を上げ、出港の準備を整えていた。
その鉄甲船は、インダス艦の三分の一の大きさながら、まるで海の獣のように頑強だった。
二人は闇夜に溶け込み、静かに海中へ潜った。
波の囁きを背に、あっという間に船の側面に到達した。
エンディは戸惑いながら、動き出した船の縁にしがみつく。
カインは海面から顔を出し、小窓から生ゴミを捨てる乗組員を目撃した。
彼はエンディを手招きし、小窓の近くに誘導した。
「多分あの部屋はゴミ捨て場だ。とりあえずあそこから入ってみねえか?」
「なんだよお前ノリノリじゃん!ゴミ捨て場なら人もあんま寄り付かなそうだし、とりあえず行ってみるか!」
「でけえ声出すなよ、こっそり忍び込もうって言ったのはお前だろ?」
「ごめんごめん。」
エンディは少ししょんぼりする。
その姿は、まるで叱られた子犬のようだった。
二人は音を立てぬよう、船体を登った。
運良く小窓は鍵がなく、彼らの体格なら潜り抜けられる大きさだった。
闇に守られながら、静かに侵入した。
だが、部屋に足を踏み入れた瞬間、強烈な異臭が二人を襲った。
カインの予想通り、そこはゴミ捨て場だった。
乗組員が海にゴミを捨てたばかりで、量は少ないものの、腐臭が部屋を支配していた。
まるで死の森の毒気が凝縮されたかのように。
「おい、こんな部屋早く出ようぜ。なんか具合悪くなってきたよ。」
「ああ、そうだな。初めてお前の意見に賛成したよ。」
二人は息を殺し、ドアをそっと開けた。
真っ暗な廊下が、まるで迷路のように広がる。
忍び足で進む二人の影は、闇に溶け、運命の次の扉へと近づいていった。