解けぬ力と、解けぬ慢心
イヴァンカは剣を握り、鋭く光る刀身をルキフェル閣下に向けたまま、黙然と立ち尽くしていた。
しかし、その瞳は絶望に沈むでもなく、虚ろに泳ぐわけでもない。
まるで遥か先を見据えるように、深く澄んだ眼差しでルキフェル閣下を静かに見据えていた。
ルキフェル閣下は間を詰め、幾度も斬撃を放った。
その一振り一振りには、雷帝の異名を持つイヴァンカですら警戒せねばならぬ圧倒的な威力が宿っていた。
しかしイヴァンカは応じない。
すべてを受け流し、ひたすらに守勢を貫いていた。
「おやイヴァンカさん、もしかして無抵抗主義ですか?万策尽きて孤立無縁…挙句の果てには無抵抗とは失笑ですね。雷帝の名が泣きますよ?」
挑発するように言葉を浴びせるルキフェル閣下に対し、イヴァンカは微動だにせず、ただ静かに剣を構え直した。
すでに右肩と腹部には斬撃による裂傷が生じ、服は裂け、血が流れ落ちていたが、彼は痛みを感じるそぶりすら見せなかった。
やがて、空気が凍りつくような瞬間が訪れた。
イヴァンカの内部から溢れ出す異様な殺気が、城内の空間すら変質させたのだ。
次の瞬間、彼は両手で剣を振り下ろした。
それは、これまでのどの一撃とも異なる、重さと速さと鋭さが圧倒的に増した、まさに殺気を実体化させた斬撃だった。
咄嗟にルキフェル閣下は後退するも、イヴァンカの剣は正確に胸部へと届き、斬り裂いた。
傷は深くはなかったが、確かに血飛沫が走った。
「ばかな…なぜ…!?」
その瞬間のルキフェル閣下の表情は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったようだった。
イヴァンカは、不敵にニヤリと笑った。
「なるほど、読み通りだ。君の人体に施された私の攻撃に対する耐性とは、私が放つ最大出力以下の全ての攻撃を無効化するもの。つまり、君が解析した私の攻撃の最大出力、それを上回る斬撃ならば、君に届くと言うわけだ。」
「まさか…そんなことが!?」
ルキフェル閣下は、信じられないという顔つきでイヴァンカを凝視した。
「出来るさ。この私を誰だと思っているんだ?」
その言葉には確かな自負と、どこか愉悦すら滲んでいた。
「なるほど…まさかここまで理屈や道理が通じないとは思いませんでしたよ。やはり貴方は恐ろしい人だ。しかし、所詮は付け焼き刃。今の斬撃も解析済みです。先程までの最大出力…限界を上回る攻撃など、そう何度も繰り出せるものではないでしょう?」
ルキフェル閣下の声音には再び余裕が戻りつつあった。
彼は自身の能力の優位性を信じ、慢心しかけていた。
「隔世憑依 天罰の万雷」
その名を告げるや否や、イヴァンカの肉体は雷光を纏い、変貌した。
青紫色に発光し、身体中からスパーク音を響かせ、空気を震わせる。
全身に雷の奔流を纏ったまま、彼は瞬く間にルキフェル閣下の喉元へと詰め寄り、雷剣を突き刺す。
その一撃の余波だけで、魔界城四階は崩壊寸前に陥り、雷の柱は天へと昇り、上階までもが震動した。
「イヴァンカのやつ…暴れすぎだろ…!」
最上階でヴェルヴァルト冥府卿と交戦していたエンディが、上空へと昇る稲妻の柱を見上げ、絶句した。
五階にいたマルジェラたちもまた、イヴァンカに討たれた二万体の魔法族の屍を越えた先から突き上がってくる雷撃に驚き、声を失っていた。
「どっひゃーー!」
「ぎゃおーーーん!もうやだーー!かえりたいよおぉ!」
ただし、ダルマインとクマシスに限っては絶叫していた。
そして、それほどの威力を秘めた攻撃の直撃を受けたルキフェル閣下はというと、驚くべきことに、無傷だった。
イヴァンカの鋒は喉を貫くことができず、雷も彼の肉体に爪痕一つ刻まなかった。
「残念でしたね、イヴァンカさん。貴方の隔世憑依は既に解析済みです。」
だがイヴァンカは、まるで予定通りであるかのように涼しい顔をしていた。
その無反応が、ルキフェル閣下の神経を逆撫でしていく。
「イヴァンカさん、一つ面白いことを教えて差し上げましょう。私が司る”ストレリチア(極楽鳥花)“のもう一つの花言葉は…“全てを手に入れる”です。」
その言葉の直後、彼の左掌から強烈な雷が放たれた。
それは紛れもなく、イヴァンカ自身が操っていた雷撃そのものだった。
全身に直撃を受けたイヴァンカは、剣で防御を試みたものの雷を相殺しきれず、重度の火傷を負った。
身体は感電し、制御を失い、彼は片膝をつき、荒く息を吐いた。
「ふっ…あははははっ!イヴァンカさん!御自慢の雷にその身を包まれた気分はいかかですか?隔世憑依などしたところで、最早貴方の力など私の前では無力です!更にその傷ついた身体では、先ほどの様に最大出力を超えた力を放つことなど不可能!更に私は貴方の能力を手に入れた…どう足掻いても、貴方はここで私に殺される未来しか訪れませんよ!」
勝利を確信したルキフェル閣下は、間合いを詰め、声高らかに嘲笑を放った。
イヴァンカは沈黙のまま動かず、やがて隔世憑依を解き、元の姿へと戻った。
「さようなら、イヴァンカさん。貴方との戦い、非常に愉しかったです。こんなにも私の心を躍らせてくれる方とは、もう2度と出会えないでしょう。」
ルキフェル閣下は別れを告げ、剣を振り上げた。
だがその刹那、イヴァンカの左手が不意に掲げられた。
そこから放たれたのは、魔法族が用いる闇の破壊光線。
漆黒の閃光がルキフェル閣下の胸部を撃ち抜き、大きな風穴を穿った。
「ぐはっ…!」
苦悶の声を上げて吐血し、両膝をついたルキフェル閣下は、傷口を押さえながら激しく血を流していた。
イヴァンカはすっと立ち上がり、冷酷な眼差しで彼を見下ろした。
「閣下殿、失念していた様だね。私は2年前ユドラ帝国のバベル神殿にて、ヴェルヴァルトが封印されていた巨大水晶から闇の力を吸収していたんだよ。まあ微量ではあるがね。」
その一言で、ようやくルキフェル閣下の理解が追いついた。
「やはり思った通りだ…どうやら君のその能力、同族である魔法族の闇の力を解析することは不可能の様だね。もしそれが可能であれば、君はヴェルヴァルトが持つ強大な力にも耐性をつけることができる筈だ。ヴェルヴァルトを凌駕する力があるのであれば、君はヴェルヴァルトを殺し、自身が魔法族の頭領になる道を選んでいるに違いない。だが君はヴェルヴァルトに忠誠を誓っている…それは、ヴェルヴァルトが君を遥かに凌ぐ強さを誇っているからだろう?君の様に高慢ちきな男は、自分よりも弱き者になど絶対に従わないだろうからね。どうやら君のその能力…万能とは程遠かったようだね、閣下殿。」
その言葉は、ルキフェル閣下の本質を容赦なく穿ち抜いていた。
「許さねえ!絶対に許さねえぞテメェ!イヴァンカてめえこの野郎!!クソガキが図に乗りやがってコラ!ぶっ殺してやる!絶対にぶっ殺してやる!この俺をコケにしやがった野郎は誰であろうと許さねえ!!1人残らずぶっ殺してやるからなあぁ!!」
怒りに任せて叫び狂うルキフェル閣下の姿は、かつての冷徹な司令官のそれではなかった。
流石のイヴァンカも目を丸くし、思わず呆気に取られてしまった。
「安心したまえ閣下殿…私はこう見えて口が堅いんだ。今のは見なかった事にしよう。」
皮肉げに微笑みながら、イヴァンカは剣に黒い稲妻を纏わせた。
ルキフェル閣下は、苦笑を浮かべながらも、もはやその場から逃れる術を持っていなかった。
「華麗なる復讐劇など、私にとっては序曲に過ぎない。君とヴェルヴァルト、エンディにカイン…厄介で目障りな連中は須く葬り去り、人類も魔法族も全て傅かせ、今度こそ万物の頂点へと立ってみせる。誇れ、新たなる神話創生の礎となる事を。」
そう言い放ち、イヴァンカは剣を振り下ろした。
解析不能の闇と雷を纏った一閃が、ルキフェル閣下の身体を斬り裂き、黒い稲妻がその身を焼き尽くした。
「愉しかったよ閣下殿。もし君が過信さえしていなければ、死んでいたのは私の方だったね…。」
魔界城四階の決戦、勝者イヴァンカ。
最強の敵幹部、冥花軍、ここに壊滅。




