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輪廻の風  作者: 夢氷 城
最終章
113/180

憂鬱感染と鬼ごっこ

城下町から少し離れた場所に、静けさに包まれた住宅街があった。



この場所は、幸運にもまだ戦火に巻き込まれてはいなかったが、それも時間の問題だった。


それゆえ、住民たちは誰よりも早く逃げ出そうと、荷をまとめ、家を捨て、貴重品を抱えて遠方へと避難していった。


その住宅街の一角に、レンガ造りのありふれた家がぽつんと佇んでいた。



カインとアマレット、そして生まれたばかりの娘ルミノアが暮らす家だ。


彼らは周囲の住民のように逃げ出すことなく、家に留まっていた。



カインはこの家の守護者として、愛する妻と娘を守るため、玄関先に仁王立ちしていた。


「カイン…行かなくていいの?」

アマレットが、まだ眠りの中にいるルミノアを腕に抱きながら、切なげな表情で尋ねた。


「ああ。俺は絶対にこの場所を離れねえ。」

カインは、その場に根を下ろすようにして動こうとしなかった。


王宮や城下町の激戦の様子は、ここからでもはっきりと伝わっていた。


崩れ落ちる建物の轟音、戦士たちの断末魔の叫びが、風に乗って届いていたのだ。


「ねえ…ルミノアは私が絶対に護るから…カインも加勢してきた方が良いんじゃないの…?」

アマレットが不安そうに言葉を紡ぐと、カインは苛立ちを露わにして叫んだ。


「馬鹿なこと言うな!私が護るだと!?連中はお前が敵うような相手じゃねえ!俺が留守の間にここまで侵攻してきたらどうすんだよ!」


その怒声に、すやすやと眠っていたルミノアが目を覚まし、ぎゃんぎゃんと泣き出してしまった。


アマレットは慌ててあやし、優しく娘を宥めていた。


「悪い‥つい…。」

カインは眉を寄せて言った。


「ううん…私こそ、ごめん。」

アマレットも静かに頭を下げた。


「大丈夫だ。あいつらは必ず勝つ。」

カインの声には信念が宿っていたが、同時に虚無のような静けさもあった。


彼らは、ただただ祈ることしかできなかった。


自らの無力さに苛まれながらも、仲間たちの勝利を信じて。


 


一方、王宮の目と鼻の先、ナカタム王国随一の繁華街・パニス町に、不穏な気配を纏った女が現れた。


その女の名は、イル・ピケ。


漆黒の長髪に、異常なほど青白い肌。

そして、どこか薄幸を思わせる顔立ち。


その首には、緋色の花の刻印が浮かんでいた。


「かかれー!」

武装した数十名の兵が、威勢よく彼女に向かって突進する。


だが、誰ひとりとして彼女のもとへ辿り着くことはなかった。


彼らは突如として膝を折り、次々にその場へ崩れ落ちたのだ。


彼らはまるで、世界すべてに絶望したような顔をしていた。


項垂れる者、シクシクとすすり泣く者、呆けたように空を見上げる者…。


そして続々と、自ら命を絶ち始めた。


剣を手にした者は腹を裂き、銃を持った者は自らの頭部を撃ち抜いた。


まるで何かに取り憑かれたかのように、彼らは無抵抗に自害を始めたのだ。


「お、おい!何してんだよお前ら!?」


「うわああぁぁぁ!!」


遠巻きに見ていた兵たちは、目の前の異様な光景に震え上がり、次々に逃げ出していった。


イル・ピケは微かに口角を持ち上げ、死体の山を恍惚とした表情で眺めていた。


その前に、音もなくマルジェラが現れる。


彼は何も言わず、開幕の挨拶の代わりに一直線の斬撃を放った。


だがイル・ピケは、ひらりと身を捻りその刃を回避。


すぐさま破壊光線と、闇から生まれた無数の黒き刃を放つ。


しかしマルジェラは、それらをたった一振りの剣で薙ぎ払った。


「鳥の天星使…マルジェラね。いきなり斬りかかるなんて…随分と無粋な男ね…。」

イル・ピケがボソボソと言った。


「挨拶の一つも無しに突然王国を蹂躙する貴様らに、礼節を持って接する義理はない。」


マルジェラの目は、敵を見据える獣のように鋭かった。


彼は鳥の姿となり、両翼から無数の羽根を放つ。

それはまるで、散弾銃のごとく敵を穿つ凶器と化した。


しかしイル・ピケは、黒霧をまとったような障壁を張り、それらを難なく防ぎきる。


「ふふっ…流石に…強いわね。かつてナカタム王国…歴代最強の戦士と謳われただけのことはあるわ…。隻腕でなければ…貴方も要警戒人物の1人に換算されていたでしょうね…。」


イル・ピケその言葉に、マルジェラはぞっとするような感覚を覚えた。



目の前に立つべき敵がいるというのに、なぜか急に戦意が抜け落ちるのだ。


身体の芯が冷えていくように、何もかもが億劫になっていく。


鳥の姿は無意識のうちに解け、膝が震え始めた。


「なんだこの感覚は…?お前…何をした?」

睨みつけながら問いただすも、イル・ピケはただ不気味に笑うだけだった。


「そう…貴方は…今感じている”その感情”が何か…理解できないのね。まあ…貴方ほどの実力者なら…“その感情”とは無縁だと…思い込んでしまっても…仕方のないことだわ…。」


「…どういう意味だ?」

マルジェラは声を震わせ、無気力な面持ちで尋ねた。


「私の首…見て…?この花の名前…知ってる?」

イル・ピケは自らの首の刻印を指差した。


マルジェラは返答しようにも、声を出す力が残っていなかった。


「この花はね…“ゼラニウム”っていうの…。花言葉は…“憂鬱”。」


「憂鬱…だと?」

マルジェラは、心底不可解な面持ちで言った。


「そう…。人の感情は…周囲に伝播するもの…。元気な者の近くにいれば昂揚し…精神を病んでいる者といれば沈み込む…。そういう経験、あるでしょう?」


「お…俺が、お前のその鬱々としたオーラを受け取って、憂鬱な気分になっていると言いたいのか?そんな事…ありえない。」

マルジェラが言った。


すると、イル・ピケの瞳孔がほんの僅かに開かれ、首がゆっくりと横に傾いた。



「貴方…憂鬱を甘く見ているわね?憂鬱は…人間を自ら死に至らせる…唯一の感情…。貴方は…確かに…強い。それ故…貴方は…自身の肉体の強さに絶対的な自信を持ち…精神までも強靭だと…信じて疑っていないでしょう…?言っておくけど…それは…多大なる過信よ…。」




マルジェラの心は、まるで氷がひび割れるように崩れかけていた。


ついに膝をつき、うなだれる。


「確かに…肉体の強さと…精神の強さは…多少は比例する…。現に貴方…早々に自殺したこの雑兵達と違って…まだかろうじて…自分を保っていれてるものね…。でもね…鬱は…誰しもがなり得る心の病よ…。どれだけ強靭な肉体を持ち合わせていようと…例外なく患う…不治の病よ…。」


マルジェラは将帥の座に就いて今日まで、幾千もの死線を乗り越えてきた。


第五次世界戦争の時は、アズバールをはじめとした敵国の強敵を悉く圧倒していた。


決して驕り高ぶりはしなかったものの、確固たる絶対的な自信を持っていた。


そして、単独でユドラ帝国に4年間も潜入するという精神力までも兼ね備えていた。


だからこそ、そんな自分が憂鬱に心を支配される日が来るだなんて、夢にも思っていなかったのだ。


マルジェラにはもう、顔を上げる気力すら残っていなかった。


「憂鬱は…ゆっくり…ゆっくり…じわじわと…着実に…心を蝕んでいく…。心の自壊は…生きている限り…永遠に続く…。一度崩壊した精神は…2度と元には…戻らないのよ…。貴方はもう…立ち直ることは出来ない…。出口の無い…脱出不可能の暗闇の中を…永久に…彷徨い続けなさい…。」


イル・ピケはマルジェラの顔を覗き込みながら、悍ましく笑った。


「う…うおおおぉぉぉ!!」

マルジェラは、剣で己の腹を貫こうとした。


だが、土壇場で踏みとどまった。


彼は最後の気力を振り絞り、イル・ピケに斬りかかる。


しかし、それが届くことはなかった。


イル・ピケの人差し指から放たれた黒き光線が、マルジェラの肺に風穴を空けた。


「お見事…。」

その精神力に敬意を示しながら、イル・ピケはマルジェラの剣を奪い取ると、不気味な笑顔を浮かべ、何度も何度も、執拗に、マルジェラの身体を滅多刺しにした。






 


一方その頃、ルキフェル閣下は王宮へと向かっていた。


かつての城下町は、今や瓦礫と死体の山。

地獄そのものの様相を呈していた。


「無常ですね。それにしても、ここまで手応えが無いとは…わざわざ私が出向くまでもなかったですね。」

ルキフェル閣下は虚ろな瞳で呟いた。


すると、その背後に、ひんやりとした風が吹く。


振り向けば、右手一本で魔法族の死体を二体抱えたモスキーノが立っていた。


「3匹目、見ーつけたっ!」


頬に返り血を浴び、無邪気な笑顔を浮かべるその様は、まるで鬼ごっこに興じる子どものようだった。

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