狂気の仮想世界と光を脅かす恐怖
「エンジェルトランペット?花言葉??」
エンディは眉をひそめ、警戒と疑念を胸に抱いた。
「まさか…その首に刻まれた花の、“花言葉に因んだ能力”を使えるって意味かな?」
アベルが静かに考察を述べると、セスタヌート伯爵は片手を広げながら歓喜の声を上げた。
「レスポンスコレクト(御名答)!」
「花言葉は”夢の中”だと…?まさか、幻覚でも見せるつもりか?」
エンディは疑いながらも、どこか胸騒ぎを覚えていた。
「エグザクトゥマン(その通り)!エンディ!これより君を、我輩が創った仮想空間へと誘おう!存分に楽しんでおくれ…!」
その声が響いた直後、エンディは「うわあぁぁぁ!!」と半狂乱になって叫び、両手で頭を抱えた。
次の瞬間、彼の視界は反転し、周囲の景色が音もなく変容する。
気づけば彼は、真っ暗な深海の底にいた。
身体は重く、呼吸もできず、水圧により肺と内臓が押し潰されるような錯覚に陥った。
そう、それは錯覚だった。
実際には深海などではない。仮想空間。
エンディはその事実を瞬時に見抜いた。
彼は深く息を吸い込むイメージを心で描き、静かに感覚を整えた。
(気配だ。あいつの気配を感じろ…)
鋭く集中した瞬間、背後に微かな気配を捉える。
その方向へ風のカマイタチを放った。
セスタヌート伯爵は一瞬たじろいだが、ヒョイと身をかわし、嘲笑を浮かべていた。
しかし、それが隙となった。
エンディの意識はその拍子に仮想空間の綻びを突き、現実へと帰還した。
「なるほどな…すげえ能力だ。けど実際に体が損傷されるわけではない。それに、今みたいにお前の集中力が途切れれば仮想空間から脱出出来る。」
エンディは涼しげに笑みを浮かべ、やや挑発気味に言った。
「やっぱり大したことないね。それにしても、仮にも魔法族を名乗る君が”エンジェル”と名のつく花の力にあやかろうだなんて、笑えもしないね。」
アベルも皮肉な笑みを口元に浮かべながら言い放った。
「ほっほっ…やはり凄いな。大抵の者は仮想空間に入ると心が焼け切れ精神が崩壊するというのに…。しかし、今のはほんの余興だよ。我輩の能力の真髄は…対象者の”深層心理”を熟知した上で仮想空間を創り出す事だ!」
セスタヌート伯爵の声は、氷のように冷たく、背筋を撫でた。
「どういう意味だ…??」
エンディは顔をしかめた。
そこに湧き上がったのは、直感的な恐怖だった。
「ほっほっ…すぐに理解できるさ。」
そう言い終えるや否や、エンディの意識は再び暗転した。
今回の仮想空間は、まるで地獄だった。
空はどす黒く、裂け目のような雲の向こうで雷鳴が走る。
溶岩が地を這い、火山灰とガスが空間を圧迫し、呼吸をするだけで苦しさが胸を突く。
そして――
「お父さん…お母さん…?なんで…?」
目の前に現れたのは、既に亡くなった両親、アッサムとアミアンだった。
2人は生気の欠片もない幽霊のような顔で、じっとエンディを見つめていた。
(これは幻だ…)
頭では理解していても、心がそれを拒絶した。
「エンディ、どうしてあの時私達を護ってくれなかったの?あなたが遊びに出掛けてさえいなければ、私達は死なずに済んだかもしれないのに。私たちの代わりに、あなたが死ねばよかったのに。」
「全くもってその通りだ。俺たちはお前に殺されも同然だ。エンディ、所詮お前如きでは何一つ護ることが出来ない。この口先だけの無能な偽善者が!」
幻影は無慈悲だった。
「うわああぁぁだ…!ごめんなさい…ごめんなさい!」
エンディは頭を抱え、精神が崩れ落ちそうになっていた。
その様子を見たアベルは、すぐに異常を察知した。
「ごめんねエンディ、僕も加勢するよ!」
彼は身を乗り出し、セスタヌート伯爵に向かって駆け出そうとした。
その瞬間。
「ほっほっ、残念!アベル、君も既に我輩の術中にかかっているよ!」
セスタヌート伯爵の声が響いた瞬間、アベルの意識も黒く染まった。
気づけば、真っ暗で狭く閉ざされた空間に立っていた。
「此処は…何処だ…!?」
アベルは混乱の中、背後に気配を感じ、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは――
亡き父、バンベール。
そして実兄、カイン。
「久しぶりだな、出来損ないの欠陥品。お前の様なクズを息子に持つ私の苦悩が、お前に理解出来るか?貴様など、産まれて来なければよかったのだ。」
「ようガラクタ野郎、生きてて楽しいか?てめえなんか誰からも必要とされてねえんだからよお、さっさと死んじまえよ。」
アベルの心を、針のような言葉が刺し貫いた。
「あああああぁぁぁっ!!」
アベルは叫び、頭を抱え、膝をついた。
「ほっほっほっ!君たちは随分と精神が脆いんだな!どうだ、苦しいか!?辛いか!?安心し給え、今楽にしてやる!!」
セスタヌート伯爵は笑いながら2人に近づいていった。
だが、その歩みを阻む者がいた。
ラーミアだった。
彼女が機内から飛び出し、2人の前に立ちふさがったのだ。
「やめて!2人に手を出さないで!」
彼女の声は震えていたが、その眼差しは強く澄んでいた。
セスタヌート伯爵はラーミアを一目見た瞬間、まるで亡霊に遭遇したかのように立ち尽くした。
その顔はみるみる青ざめ、脂汗が全身から吹き出した。
ラーミアの出現によるセスタヌート伯爵の激しい動揺により、エンディとアベルは幻術から解放され、現実へと戻った。
「ラーミア!?何で出てきたんだよ!」
エンディは慌てて駆け寄った。
「ラーミア…だと…?」
ついにセスタヌート伯爵は、腰を抜かして座り込んでしまった。
「お前…急にどうしたんだよ?」
「まさか…ラーミアを怖がっているの?」
驚いたエンディとアベルが尋ねると、セスタヌート伯爵は声を震わせて言った。
「ラーミア…この女は…閣下が指定した5人の要警戒人物の筆頭格…“最重要厳重警戒対象”だ…!」
エンディとラーミアは、呆然としていた。
「なるほど…君達魔法族は500年前、ラーミアと同じ能力を持つ天星使に封印されたんだもんね。だからラーミアを最も警戒していて、恐れているんだ。」
アベルは静かに理を紐解いた。
ラーミアは、不思議そうにセスタヌート伯爵の顔を見つめていた。
その視線に気づいたセスタヌート伯爵は、突如わめき声を上げる。
「や、やめろぉ!我輩に近づくなぁ!」
そして、砂漠の中を這いながら逃走を試みた。
「待て!」
エンディが追おうとしたその時だった。
地中から、太く硬質な木の幹が突如として伸び、セスタヌートの胸部を貫いた。
「ククク…なんだぁ?俺を嗅ぎ回ってる野郎がいるって聞いたからよ、どんな強者かと思って来てみりゃあ、ビビりまくってるジジイじゃねえかよ。興醒めだな。」
木の天星使・アズバールが姿を現した。
「アズバール!?何でここに!?」
エンディは思わず声を上げた。
「あ?そりゃこっちのセリフだ。ここら一帯は俺のシマだぜ?てめえらここで何していやがる?」
アズバールは冷酷な殺気を放ちながら言った。
「そっか。君が旧ユドラ軍の残党を統率してるって噂は本当だったんだね。ねえアズバール、君こそ落武者どもを抱えて、この国で何をしようとしているの?」
アベルは探るように問いかけた。
「ククク…さあな?それをてめえに話す義理は無えよ。」
アズバールは肩をすくめて笑った。
「ほっほっ…なるほど。我輩は…陽動の為の…捨て駒だったというわけか…。まあ…結果として…御闇のお役に立てて…死ねるのならば…本望だがね。」
セスタヌート伯爵は声を振り絞った。
本望と口にはしているが、どこか負け惜しみのようにも見えた。
「おいちょっと待て!陽動?捨て駒?どういう意味だ!」
エンディは慌てて尋ねた。
セスタヌート伯爵が絶命する前に、なんとしても聞き出そうとしたのだ。
「ほっほっ…我輩が御闇から仰せつかった勅命は、“ペルムズ王国に蔓延る旧ユドラ軍を取り込み戦力を増強する事”。魔法族がこの国に現れたと聞けば、天星使が駆けつけてくると予測を立てたのだな。現に我輩の前に、天星使が4人もいる。ナカタム王国の戦力が激減している今、一気に攻め落とそうという算段だね。」
セスタヌート伯爵は、息絶え絶えになりながらも、回りくどい口調でじれったく喋った。
「まさか…お前の仲間が今、ナカタムに向かっているのか!?」
エンディは息を呑んだ。
「ほっほっ、その通り。早く向かったほうがいいよ?癪だから…グッドラックとは言わないでおくよ。」
セスタヌート伯爵が言い終えた瞬間、砂漠の地中から生えてきたもう一本の鋭利な木の幹が、今度は彼の腹部を貫いた。
アズバールが追撃したのだ。
「ククク…てめえ何余裕かましてんだよ。この俺に二度も手を下さてんじゃねえよ。さっさとくたばりやがれ。」
セスタヌート伯爵のは嘲笑を浮かべたまま、ついに息絶えた。
──時刻は午後15時。空には一片の雲もなかった。
だが、ナカタム王国の王都・バレラルクの空が突如として暗転した。
「なんだ?」
「ん?急に暗くなったぞ?」
「なんか肌寒くなってきた気がするな…。」
王宮周辺の兵士たち、市民たちがざわめき出す。
ロゼはこの時、知る由もなかった。
魔法族に堕ちたユドラ人が以前起こした、王宮襲撃未遂事件。
あの時点で、国民の大規模避難を即座に行わなかったことが、後に”王の大失態”として後世に語り継がれるとは。
王都の遥か上空。
漆黒の巨大な球体が、黒煙を撒きながら超高速で落下してきた。
「おい!空を見ろ!」
「何だよあれ!?」
「隕石か!?」
地上は大混乱となる。
球体は高度100メートル付近で分裂し、10個に分かれてそれぞれ別方向へ飛び散ると、地上に爆音と共に着弾した。
砂塵、火柱、衝撃波。
まさに黒き爆弾の雨だった。
軍人、近衛騎士団、保安隊員たちが各地へと走り出す。
ナカタム王国の心臓部バレラルクに、10体の魔法族が降り立った。
そのうちの1体は、あのベルッティ・ルキフェル閣下であった。
「5世紀ぶりですね、天星使の皆様。不躾な入国をお許し下さい。これより我ら冥花軍が、貴方方に”因果応報の報い”を御教え差し上げます。」
世界を覆う暗黒の波が、静かに、確実に、降り立った――。




