神話の終わりに産声を
「ちょっと!走らないで!ここをどこだと思ってるのよ!!」
王都バレラルクでも最大規模を誇る総合病院の廊下で、年配の看護婦が怒鳴り声を上げていた。
エンディ、ラーミア、サイゾー、クマシスの四人は、そんな警告を完全に無視して全速力で駆けていた。
彼らの目的はただ一つ。
アマレットの病室へ急ぐことだった。
「アマレット!!」
病室の扉を開けるなり、エンディが大声で叫んだ。
その声が反響し、病棟中に響き渡る。
「おいうるせえぞ。ここは病院だぜ?静かにしろよ。」
先に到着していたロゼが、呆れ顔で注意を飛ばしてきた。
病室の中にはすでにロゼのほか、ジェシカとモエーネの姿もあった。
皆、神妙な面持ちでベッドに集まっている。
「すいませんロゼ国王…あの、アマレットは…?」
息を切らせたまま尋ねたエンディに、ロゼは親指をくいっとベッドの方に向けて微笑んだ。
「女の子だってよ?」
その先には、赤ん坊を腕に抱くアマレットの姿があった。
産後間もない彼女の表情は疲労に覆われながらも、どこか神々しい輝きに満ちていた。
「アマレット…!おめでとう!!」
ラーミアは堪えきれず、涙を浮かべながら祝福の言葉を口にした。
ジェシカもモエーネも、まるで自分のことのように喜び、笑みを咲かせていた。
「ありがとう…みんな。」
アマレットは弱々しくも安堵に満ちた声で感謝を述べた。
そのベッドの傍らには、直立不動で立ち尽くすカインの姿があった。
父親となったばかりの青年は、まだ現実を受け止めきれずにいた。
そう、この新たに生まれた命は、カインとアマレットの間に授かった子だった。
2人は終戦後すぐに結婚していたのだ。
「産まれた…俺の子が…。」
カインの声は震え、目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「カイン!おめでとう!!」
エンディは満面の笑みで彼の背中をバンと叩き、全力で祝福した。
カインとアマレットは、猿のようにシワクチャな顔をした赤ん坊を、優しく、そして愛おしげに見つめていた。
その眼差しには、静かな奇跡を迎え入れる者だけが持つ深い慈しみが宿っていた。
「ねえねえ、私にも抱っこさせてよ!」
「ちょっと、私が先よ?」
モエーネとジェシカが興奮気味に声を上げ、赤ちゃんを奪い合うようにしていた。
すると、その間にカインが割って入った。
「おいおい、まずは俺に抱かせろよ?」
父として当然の主張だった。
アマレットは少し笑いながら、赤ん坊をゆっくりと持ち上げ、「はい」と優しく差し出した。
カインは緊張の面持ちで腕を差し出し、ぎこちない動作で我が子を抱き上げる。
すると赤ちゃんはパッと目を覚ましたかと思うと、すぐに大声で泣き出した。
「…」
不慣れな抱っこに赤ん坊が泣いたことで、カインはひどく落ち込んだ顔をしていた。
「あーあー泣いちゃった。」
アマレットは笑いながら赤ん坊をカインから奪い返すように取り上げた。
彼女が抱き直すと、赤ちゃんはすぐに泣き止み、安心したようにスヤスヤと眠り始めた。
その微笑ましい光景を、エンディたちはクスクスと笑いながら眺めていた。
「アマレット、本当にお疲れ様。とりあえず今はゆっくり休んで?」
ラーミアがベッドの脇に座り、アマレットの手をぎゅっと握った。
「ありがとう、ラーミア。」
その言葉には、長い戦いと苦しみを乗り越えてきた女性たちの絆が滲んでいた。
「よしてめえら!今から宴をすんぞ!こんなめでたい日はよ、みんなでパァーッと派手にいこうぜ?とりあえず王宮集合な!」
ロゼは声を弾ませながら高らかに宣言した。
「お、いいですね!カイン、お前も来いよ!」
エンディはロゼの提案に賛同し、親友を誘った。
しかし、カインは首を横に振って答えた。
「いや、俺は後で行くよ。」
その短い言葉に、アマレットの傍にいたいという想いが込められていた。
「いいよカイン、せっかくだし行って来なよ。」
アマレットはすぐにその心を読み取り、微笑みながらそう促した。
「いや、でも…。」
「いいから…ね?私は大丈夫だから。」
彼女の笑顔は柔らかく、しかし強かった。
カインは臨月の頃からずっと彼女の傍に寄り添い、陣痛にも出産にも立ち会っていた。
男に妊婦の痛みはわからない。
だが、それでも必死に支えようとしていた。
アマレットはその努力を知っている。
だからこそ、カインに羽を伸ばしてほしいと願っていたのだ。
「そうか…わかった。体調悪くなったら言えよ?すぐ駆けつけるからよ。」
カインはそう言い残し、仲間たちの後を追った。
「なんだよお前、良い旦那じゃねえかよ?」
ロゼがニヤニヤしながらカインの肩を叩く。
「別に普通だろ。」
カインは照れくさそうに目を逸らして答えた。
「おいカイン、一児の父が無職でどうするんだ?ちゃんと働いて妻子を支えろよ。しっかりしろよしっかり。」
クマシスが容赦ないツッコミを入れた。
「あ?無職じゃねえよ。専業主夫だって立派な職業だろうが。」
カインはむっとした表情で言い返す。
それを見て、エンディはこっそり笑った。
親友の幸せが、心から嬉しかったのだ。
こんな日が、ずっと続けばいいのに。
エンディはふと、そんなことを思っていた。
やがて一行は王宮内の大広間へと招かれた。
長テーブルには、まばゆいばかりの料理がずらりと並んでいた。
山盛りの肉や魚、カラフルな果物、強烈なチーズの盛り合わせなど、まさに祝宴にふさわしい豪華さだった。
「うおーーー!これ全部食っていいのか!」
エンディは目を輝かせながら叫んだ。
「おう、じゃんじゃん食えよ!」
ロゼの言葉を合図に、エンディは早速大皿に料理を取り分けて、ガツガツと口に運び始めた。
ノヴァ、ラベスタ、エスタも大広間へと姿を現す。
「ようカイン、まさかお前が父親になるとはな?まあ、おめでとう。」
ノヴァは少し不貞腐れたような態度を取りながらも、内心ではしっかりと祝福していた。
「ふっ、ありがとよ。ノヴァ、お前も伝えたい想いはしっかり相手に伝えろよ?待ってるだけじゃ何も始まらねえぜ?」
カインはふと視線をジェシカの方に流しながら意味深に言った。
「あ?何のことだよ?」
ノヴァは動揺し、ほんのり頬を赤らめた。
「カイン、本当におめでとう。これ、つまらない物だけど良かったら受け取ってくれないか?」
サイゾーがクッキーの詰め合わせを手渡す。
「わざわざ悪いな…ありがたく受け取っておくよ。」
「ぷぷっ…本当につまらねえ物だな?」
クマシスが小声でこぼすと、サイゾーがギロリと鋭い目つきを返した。
「ようオメエら、ご機嫌麗しゅう!オレ様抜きで楽しそうことやってんじゃねえかよ!」
派手な服装のダルマインが、まるで主役のようなテンションで大広間に現れた。
「おいおい、お前を読んだ覚えはないんだけどな…。」
ロゼはあからさまに迷惑そうな顔をした。
「そんなこと言わないでくれよ国王様〜!おうカイン、お前にプレゼントがあるぜ?オレ様のサイン入りブロマイドだ!受け取れ!」
そこには“海運王 ダルマイン大社長”と大書きと、美化された肖像写真が貼られていた。
「要らねえし気持ちも嬉しくねえ。」
カインはあっさりと袖にし、そっぽを向いた。
すると今度は、アベルが静かに広間に入ってきた。
ぎこちない距離感がありながらも、兄弟としての絆は少しずつ修復されていた。
「兄さん、おめでとう。」
「おう…ありがとな、アベル。」
その短いやり取りにも、確かな時間の重みが宿っていた。
ロゼ、ノヴァ、ラベスタの三人は、20歳になったばかりで酒が解禁されたこともあり、すでに酔っ払っていた。
ロゼは笑い上戸、ノヴァは怒り上戸、ラベスタは座ったまま静かに眠っていた。
広間は賑やかさに包まれていた。
ふと、カインは外の風に当たりたくなり、バルコニーへと足を運んだ。
その背を追うようにして、エンディもあとをついていった。
「よっ、どうしたんだよ?」
「いやあ、なんかまだ実感が湧かなくてよ…俺が人の親になるなんて。」
カインは遠くの城下町わ見渡しながら、静かに語った。
「そりゃそうだよなあ。しかもお前らまだ18歳だろ?」
エンディが肩をすくめて言うと、カインはふっと笑った。
「昔、お前の父親に言われた”何かを護るために力を使え”って言葉の意味を、ようやく理解できたよ。やっと手に入れた幸せな日々…俺は何がなんでも今の幸せを護り抜く。」
その眼差しは、戦士のものではなく、父親のものだった。
そして次の瞬間、カインはエンディに向かって深く頭を下げた。
「え、なんだよ急に?」
エンディは思わず困惑した。
「ありがとう。俺に今の幸せがあるのはお前のおかげだ。お前には本当に感謝している。エンディ、本当にありがとう。」
あのぶっきらぼうで無愛想カインが、人に頭を下げて礼を言う。
これは、彼の人生史において、異例中の異例の行動だった。
「おいおいやめろよ…頭上げろよ?な?」
エンディは頬を掻きながら困ったように笑った。
「エンディ、俺はな、お前にも早く幸せになってほしいんだ。今度はお前が幸せになる番だぜ?」
カインはまっすぐな笑みを浮かべて言った。
「はっ、なーに言ってんだか。ほら、早く戻ろうぜ?」
まさか、あの無口で不器用なカインがこんなセリフを言う日が来るとは。
エンディは照れ臭くなりながらも、胸の奥に小さな光が灯った気がした。
2人は並んでバルコニーを後にしようとした。
そのときだった。
黒いフードを被った男が音もなく現れ、バルコニーの手すりに立っていた。
「お取り込み中、失敬するよ。」
その声に反応し、エンディとカインは同時に振り返った。
「久しぶりだね、カイン。」
男は不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。




