王子とぼっちと先生の悪趣味
案内された回廊の陰に、一人の少年がいた。
制服はきっちり着ていて、背には剣。
佇まいには無駄がなく、目を閉じていた姿はまるで“孤高”という言葉の具現のようだった。
ユベール先生が名を呼ぶと、彼はゆっくりと目を開けた。
「お初にお目にかかります。ロイド・バルニエと申します」
落ち着いた声色に、余計な感情をのせない整った挨拶。
(あ、クール系か)と思ったその次の瞬間だった。
「本日は……いかがなさいましたか?」
「今回の課題で、レオンハルト殿下とペアを組んでいただきたく」
先生のその一言で、時間が止まった。
「…………」
ロイドは一瞬固まり、二度、三度とまばたきを繰り返し――
「……は、王子殿下と……? ペア……?」
そして、感情が爆発した。
「いやいやいや、待ってください!? 王子殿下とペアって、え? 先生、それ、どんな嫌がらせですか!?」
「いきなり無礼なやつだな。まあ落ち着け。俺だって最初からこの展開を望んでたわけじゃない」
「申し訳ありません! つい! ですが、ちょっと想像してくださいよ!? 俺みたいなのが王子とペアとか、何か一言間違えたら首飛ぶレベルじゃないですか!?」
「飛ばない飛ばない。俺なんてすでに間違えまくってるけど、まだこうして生きてるからな?
適当に流してれば案外なんとかなるって。なによりこの国、案外ぬるいぞ」
「ぬるいって……それを王族が言っていいんですか!?」
「適当にやってもギリギリ何とかなってる時点で、逆に優しい国ってことだろ?」
「でもですよ!? 俺、ペア行動とか苦手なんです! 気を使うし、緊張するし、昔から単独行動でしか動けないんですよ!」
「わかる。俺も気ぃ遣いすぎて疲れるタイプだよ」
「殿下が共感してどうするんですか!?」
ロイドは頭を抱えて、壁に額を押しつけた。
「……これ、あれですよね。“逆らえない圧”ってやつですよね。やんわり断りづらいやつですよね……」
「圧じゃなくて提案だったと思うけど……まあ、圧に聞こえるのは否定しない」
「……はああああ……」
深いため息ののち、ロイドは背筋を伸ばし、表情を引き締めた。
「正直申し上げて、非常に心労が予想されますが――“楽じゃない方が課題っぽい”と仰っていた先生の言葉、理解はしております」
「嫌味交じってるぞ、男爵」
「当然です」
そう言って、ロイドはついに右手を差し出した。
「殿下と組ませていただきます。ただし、無理はしません。緊張で途中リタイアする可能性はございます」
「最初から宣言すんな」
でも、その手はしっかりと差し出されていた。
「……よろしく頼むよ、ロイド」
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします、殿下」
握手の間、俺たちは同時にこう思っていた。
(絶対まともに終わらない未来しか見えない)
「……とりあえず、最初の目的地はここ、ですね。旧講堂の裏手の、備品庫跡」
ロイドが課題用紙を指差しながら、地図を開く。
言葉は落ち着いているのに、声には微妙にトゲが残っていた。
「行きたくなさそうな声だな」
「行きたいわけがありませんよ。普通に考えて、最初の課題で“備品庫跡”とか怪しいに決まってるでしょう。
第一、どうして俺は王子殿下とこうして並んで歩いてるんでしょう……」
「こっちが聞きたいわ!」
突っ込みながら歩く道すがら、周囲の生徒たちがちらちらとこちらを見ているのがわかる。
まあ、目立つよな。王子と一匹狼系男爵の異色コンビ。
「……これ、変な噂になったりしませんよね?」
「なるだろうな」
「即答やめてくださいよ!!」
「でも、気にしてもどうにもならないことってあるだろ? こういうときはもう、やることやってさっさと終わらせるのが一番だ」
「それは……まあ、正論ですけども……」
ロイドは渋い顔をしながらも、地図をくるっと器用に折りたたみ、懐に収めた。
俺はふと、前世の研修を思い出しながら、口にする。
「こういう課題って、最初の地点はだいたい無難な内容が多いんだよな。油断して次で痛い目見る系」
「それ、完全に冒険者ギルドの訓練所と同じパターンなんですけど……」
え、ギルドってそんなシビアなの?
(……冒険者ギルドって、もしかしてブラック企業なのか?)
俺の中の異世界ロマンが、ひとつ崩れた気がした。
「気配でわかります。最初が平和なら、次は地獄です」
「嫌なスケジュールだな……」
二人で苦笑しながら、旧講堂の裏手へ向かう小道へと足を踏み入れる。
備品庫跡、というには雰囲気が重い。
蔦の絡まった小さな扉がひっそりと佇み、扉には“学院関係者以外立入禁止”の札がある。
「え……なにこれ、本当に行っていいやつですか?」
「課題用紙には“この扉の中にある問いに答えよ”ってあるな」
「嫌な予感しかしない」
「わかる。でもまあ、俺たちなら大丈夫だろ」
「根拠は?」
「適当に乗り切ってここまで来たから」
「……本当にこのペア、不安しかない」
蔦に覆われた木の扉を、ゆっくりと押し開けた。
きぃ……という不気味な音が、古びた蝶番から鳴る。
中は思っていた以上に暗くて、空気がひんやりしていた。
「わあ、これは……典型的に“何か出そう”な雰囲気ですね」
「言うな。わかってるけど、言うな」
ロイドが剣の柄にそっと手を添える。
もはや“課題”というより、“探索任務”の空気になっている。
「こういう場所、魔獣の死骸とか隠れてたりするんですよね……いや、あってほしくないですけど」
「ちょっと待て、学園の課題でそんな展開アリなのか?」
「冒険者時代、初級任務でも建物の廃墟とか出されましたし、感覚的には似てます」
(やっぱギルドってブラックでは?)
中に足を踏み入れると、薄暗い室内に木箱や棚が無造作に積まれていて、埃の匂いが鼻をついた。
けれど、中央にはぽつんと小さな台座と、その上に一枚の紙が置かれていた。
「……あれが“問い”ですかね」
「なんか、やけに演出されてるな。課題っていうか……試練感ないか?」
紙には、筆文字でこう書かれていた。
『問い①』
「あなたは重大な秘密を共有された。だが、それを守れば信頼を得られる代わりに、大切な誰かを傷つけることになる。
逆に、秘密を暴けば、大切な人は守れるが、信頼を失う。
――あなたは、どうする?」
「……これ、エモい系課題だった?」
「いやいやいや、精神攻撃タイプじゃないですかこれ……」
ロイドがじわじわ後退し、レオンハルトは無言で紙を見つめた。
「これ、選択肢とかは……?」
「ないっすね。自由記述です」
「自由……ああ、めんどくさいやつだ」
最初の課題からこれ。
レオンハルトとロイドは、同時に思った。
(……この学園、もしかしてめちゃくちゃクセ強い?)
「……いや、違うな。これは“出せない”のが答えだ」
自信満々に言い切った俺に、ロイドはわずかに目を細めた。
「なるほど……“選べないから、答えない”。いいですね。なかなかに深い」
その声音には、確かに感心したような響きがあった。だが――
「ちなみに殿下。この課題、無記載だった場合“評価ゼロ”とみなされると、用紙の下部に記載されておりますが」
「…………えっ」
ロイドが静かに紙の端を指差す。
そこには、小さな文字でこう記されていた。
――“未記載の場合、実習評価は無効とする。怠慢または設問の意図を読み取れなかったと見なす”――
「………………マジで?」
「ええ。わりと明確です」
俺はしばし無言のままその一文を見つめ、深く息を吐いた。
開き直って“なんか書いておけばいいか”とごまかすこともできた。
けれど、それはしたくなかった。
これはただの課題かもしれない。
だけど、“この学院で生きていく”という意味では、ひとつの意思表示だ。
自分が何を守り、何を捨てるのか。
信頼か、大切な誰かか。
俺の選択は、俺の言葉で――きちんと書くべきだ。
ゆっくりとペンを取り出し、俺は紙の上に書き始めた。
「誰かを守るために、嘘をつくことはできる。
信頼を失っても、また得る機会はあるかもしれない。
けれど、傷ついた“その人”は、もう戻ってこないかもしれない。
――だから俺は、秘密を暴く」
書き終えた手を止め、俺はそっと紙を見直した。
ロイドが黙って隣から覗き込んでいた。
「……正直、意外でした。もっと無難なことを書かれるかと」
「俺もな。でも、どうせやるならちゃんと向き合いたい」
「それが殿下としての……いえ、あなたの誠実さなのでしょう」
ロイドの言葉に、少しだけ背筋が伸びる思いがした。