選ばれた、その後に
マリエットの言葉が空気に爪痕を残したまま、沈黙が流れる。
レオンハルトは、クラリッサの伏せた視線と、アリシアの笑顔に隠れた揺らぎを、確かに感じ取っていた。
クラリッサは、完璧な令嬢の表情のまま小さく一礼する。
「……殿下が、私ではなく他の方々とご一緒になるご意志であれば、私はそれを尊重いたしますわ」
その声は端整で、感情の揺らぎを抑え込むかのようだった。
一方、アリシアは一瞬笑顔を見せ、けれど少し目をそらすようにして言った。
「私も、殿下の決めたことなら……ちゃんと受け入れます。
クラリッサ様と同じチームになるのが、難しいって思ってるなら……それでも、いいです」
――“諦め”と“遠慮”。
言葉の表面は穏やかでも、そこににじむ痛みははっきりと感じ取れた。
(……これ以上、こいつらを傷つけたくない)
レオンハルトは心の中で大きく息を吐く。
好きとか、信頼とか、そんな簡単な言葉じゃない。
けれど――この瞬間に選ばなければ、二人とも何かを失う気がして。
だから、彼は“選ばない”という選択肢を捨てた。
「……わかった。じゃあ、俺と、クラリッサ、アリシア、マリエットでチームを組もう」
一瞬の静寂。
マリエットが満足げに微笑み、クラリッサは一瞬だけ目を伏せて静かに頷いた。
アリシアも、ほんの少しだけほっとしたように笑っていた――でも、その笑顔の裏に、何か複雑なものが混ざっていた。
ロイドが隣で小さくつぶやく。
「……殿下、正直に言えばいいのに。“選ばなきゃいけない理由”を、ちゃんと選んだって」
レオンハルトは答えなかった。
その答えが、誰かを余計に傷つけてしまいそうで――。
演習課題のチームが決まり、その場の空気がやや落ち着いた頃。
四人は少し離れた場所に集まり、顔を合わせる。
どこか微妙な距離感を保ちながら、けれど確かに“チーム”になった。
「……私、てっきりまた殿下は誰も選ばずに、ふらっと逃げるんじゃないかと思ってました」
アリシアが少し照れたように笑いながら、遠慮がちに切り出す。
「いやいや、そこまで信用ないの俺……?」
「いえ、信用とかじゃなくて……習性というか」
「習性って言うな!?」
クラリッサはそんな二人のやり取りを見ながらも、表情は変えずに一言。
「……殿下は“意味のないこと”は決してなさらない方です。
この組み合わせにも、きっと何か“意図”がおありなのでしょう」
レオンハルトは心の中で呻く。
(ごめん、これ“意図”とかじゃなくて“逃げ”なんだ……)
そこへ、ふわりと現れるようにマリエットが言葉を差し込む。
「あら、意図なんてご立派なものではなくても、殿下とご一緒できるだけで十分ですわ。
――ダリル男爵のおかげで、きっと楽しい演習になりますわね」
誰にともなくそう言って、微笑むマリエット。
アリシアとクラリッサは同時にほんの少しだけ眉をひそめた。
レオンハルトは、視線をそらしながら静かにため息をついた。
(……楽しくなるかどうかは、もう神のみぞ知る)
胃の痛みを抱えつつ、王子の“チーム生活”は、ここから本格的に始まるのだった。
教室の前方、ユベール教諭が掲げた板書に視線が集まる。
『複合演習課題:拠点防衛型模擬戦闘』
内容はこうだった。
模擬の砦を防衛しながら、一定時間敵役(上級生・教師)による波状攻撃を凌ぐ。
各チームは事前に役割を決め、戦闘・補助・指揮・情報管理の担当を割り振ることが求められる。
(……いや、普通に面白そうなんだけど)
レオンハルトは教室の後方席で腕を組みながら、内心で眉をひそめる。
(でもこのメンツで組んだんだぞ……? 何か、絶対何かあるって)
夜、自室。
レオンハルトは制服のままベッドに倒れ込み、天井を見つめていた。
「……本当に、何もなかったな……」
防衛演習は順調、連携も完璧。
マリエットも妙に大人しく、クラリッサとアリシアの間にも摩擦なし。
「いやでもさ、このメンバーで何も起きないって、逆に不自然じゃない?」
そう言いながら、レオンハルトは枕に顔を埋めた。
「……俺、完全に自意識過剰だったか。
ま、楽しかったからいいけど」
ドアの外。
誰にも気づかれず立っていた二人の影が、こっそりと会話を交わしていた。
「……とか、思ってるんでしょうね、殿下は」
ユリウスが低く呟く。
「ですねぇ」
ダリルが静かに頷きながら、懐から一枚の紙を取り出した。
それは、演習中に発見された“封じられた魔力の残留痕”。
「やっぱり、何者かが“手を引っ込めただけ”って感じですね。仕掛けはあった。だが、発動しなかった」
「“未遂”ということにしておきましょう。
――今は、殿下にはまだ知られなくていい」
彼らは目を細め、そっとその場を離れる。
室内の王子は、すっかり安心しきっていた。
「ふふ……何もないって、平和って、素晴らしいなぁ……」
まるで幸せな夢を見る子供のように。
――だが、“何も起きなかった”のではなく、
“何かが起きそうだった”という事実は、
まだ、彼の知らないところでくすぶり続けていた。
夜、自室。
レオンハルトはベッドに投げ出されて、天井を見つめていた。
「……なにも、起きなかったな」
砦防衛演習は順調そのもの。
マリエットも特に何も仕掛けず、クラリッサとアリシアの間も安定。
「はは……俺、身構えすぎてただけか。
……楽しかったな、普通に」
――その頃、寮の外れにある植え込みの陰。
ユリウスとダリルが並んで立ち、静かに会話を交わしていた。
「……とか、思ってるんでしょうね、殿下は」
ダリルの皮肉交じりの声に、ユリウスがふっと息をつく。
「まあ、目に見えて“何かしら”あったわけじゃありませんからね。
今の殿下に“気づけ”というほうが、無理があります」
ダリルは懐から、小さな魔力残留痕の記録紙片を取り出す。
「完全に情報型。妨害や攻撃ではない……けれど、目的は明らか。
“このチームの動きを、記録したかった”という意志がある」
「……どこまでの人が、それに気づいているか」
「それが問題ですね」
二人は、夜風に吹かれながら目を細める。
その仕掛けが、すでに“回収された”のか、“放置されていた”のか――
それさえ、まだ判然としていない。
「いずれにしても、これで終わりじゃありませんよ」
「……終わったように見せて、“次の手”を静かに打っている。
そう考える方が、自然ですね」
そして室内。
レオンハルトは、すっかりリラックスした顔で布団をかぶっていた。
「明日も何も起きないといいなぁ……」
――誰かが、彼の“日常”を見ている。
それはまだ、王子の知らない現実だった。
――数日後。
まるで春の陽気のような、ぬるくて優しい時間が続いていた。
「は~……やっぱり、何もないって最高だな」
中庭で紅茶を飲みながら、レオンハルトは目を細める。
ダリルとの会話も冗談ばかり。ユリウスは冷静に嫌味を投げてくるだけ。
クラリッサとアリシアもそれぞれ授業に集中し、マリエットも妙に静かだった。
――だが。
「……殿下、大変です」
ユリウスが、昼休みの空気を真っ二つに切り裂くような表情で近づいてきた。
「クラリッサ様が、“権力を笠に他の生徒を脅した”という報告が入っています」
レオンハルトは一瞬、紅茶を吹きそうになった。
「またそのパターンか……」
半ば呆れながらも、笑みは崩さず、立ち上がる。
「じゃあ、行くか。“事件発生現場”に」
そして――現場へ。
そこには、冷静そのもののクラリッサと、怯えた様子の貴族生徒数名がいた。
空気は張り詰めていたが、クラリッサの表情に動揺は一切ない。
「クラリッサ、何をした?」
レオンハルトは笑みを浮かべたまま、穏やかに問いかける。
クラリッサは一礼し、淡々と返した。
「いえ。ただ、学園の風紀を乱し、貴族としての誇りを軽んじる言動をしていた生徒に対し、
“それがいかに軽率か”を注意しただけにございます」
その言い回しに、レオンハルトは一瞬だけ肩をすくめ、軽くため息。
「……注意すること自体は、間違ってない。
だが、それは風紀委員なり、教師なりに任せておけばよかったんじゃないか?」
クラリッサは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに凛とした表情で顔を上げた。
「殿下。貴族としての誇りを失えば、我らは何者でもありません。
教師が見ていない場での軽率な言動は、私たちが正すべきだと考えました」
レオンハルトはしばらく彼女を見つめ、やがて静かに頷く。
「……お前がそう思ったのなら、きっと“間違ってはいない”。
でも、正しさが必ずしも“平穏”をもたらすとは限らない」
言葉の意味に、一瞬だけクラリッサの瞳が揺れた。
その場は、沈黙のまま、収束していく。
――だが、火種は確かに残った。




