距離と歩幅、少しずつ
事件の余波が少しずつ収まりつつあった午後。
学園の裏庭にある静かな花壇の前で、クラリッサとアリシアは肩を並べて立っていた。
言葉は、まだ交わされていない。
クラリッサが沈黙を破ったのは、風が二人の間をすり抜けた時だった。
「……あなたに、謝られたことがあるかしら?」
「え?」
「入学してすぐ、“私を避けていた”でしょう? まあ、それ自体は……理解できなくもないわ」
アリシアは、少しだけ目を伏せた。
「……うん。ごめんなさい。私、クラリッサ様のこと、ちゃんと知ろうともしないで……“悪役令嬢”だって、勝手に決めつけてた」
その言葉に、クラリッサはふっと鼻を鳴らすように笑った。
「今さら謝られても仕方ありませんわ。
けれど、まあ――あなたのことも、私は“少々浮ついた平民”だと、勝手に思っていた節がありますし……五分五分でしょうね」
アリシアの目が驚きに見開かれ、やがて、小さく笑う。
「それって……クラリッサ様なりの、歩み寄り?」
「解釈は自由です」
少しだけ頬を染めて、そっぽを向くクラリッサ。
アリシアはそれを見て、笑みを深めた。
「でも、嬉しかったんです。私のために動いてくれて。
クラリッサ様って、本当に“いい人”だったんですね」
「……“いい人”ではありません。私はただ、貴族としての品位を守っただけです」
「それでも、私にはすごくカッコよく見えましたよ。まるで、騎士様みたいで」
「……あなたは本当に、時々失礼ですわね」
それでも、どちらの顔も、どこか穏やかだった。
沈黙が少しの間、再び訪れる。
そして、アリシアがふと、小さくつぶやいた。
「クラリッサ様……もし、これから先もいろんなことが起こったとして。
その時は、また一緒に乗り越えてくれますか?」
クラリッサはしばらく黙ってから、少しだけ視線を落として言った。
「……私が隣にいて、あなたの足を引っ張らないのであれば、考えてもいいですわ」
それは、彼女なりの精一杯の“はい”だった。
アリシアはその意味をしっかりと受け止め、優しく微笑んだ。
二人の距離は、まだ完璧には近づいていない。
けれど、確かに“同じ歩幅”で歩こうとし始めていた。
新たな週の始まり。
朝のHRで教室に響いたのは、ユベール教諭の一言だった。
「今週末、“第一回・学内複合演習課題”を実施する」
一瞬、教室の空気が止まったかのように静まり返り――すぐにざわめき始める。
「複合演習……?」
「ってことは、魔法も、剣も、全部……?」
「まさか、また地下……?」
ユベール教諭は苦笑しながら頷く。
「安心しろ。前回のような“事故”は起きない。……起こさせない。
これは“正式な演習”だ。成績にも影響する大切なものだぞ」
続けて、生徒会長リシャールが教室を訪れ、補足を加える。
「今回の課題は“二人一組”ではなく、“小隊形式”。
一グループ四人編成で、“役割分担”と“連携”を試される。
魔力行使、戦術判断、指揮系統、支援行動――どれが欠けても突破できない構成になっている」
生徒たちの顔色が変わる。
これはただの模擬試験ではない。
実質的に、“仲間選び”と“人間性の審査”を兼ねた、非常に重い課題だった。
その中で、レオンハルトは目を細めて呟く。
「四人か……また面倒そうだな」
隣でロイドが肩をすくめる。
「また巻き込まれるんですか、僕は?」
「安心しろ。今回はお前の意思もちゃんと尊重してやる。……多分」
「信用ならない宣言ですよね、それ」
一方、クラリッサとアリシアは目を合わせる。
かすかに、笑みが浮かぶ。
「また、ご一緒していただけます?」
「こちらこそ。……ええ、今度は、堂々と」
新たな舞台。
新たな関係。
そして、新たな敵も味方も、まだその正体を明かしていない。
“学園複合演習課題”――それは、試練であると同時に、“選ばれるための戦い”の始まりだった。
昼休みの食堂。
グループ編成の話題でざわつく中、レオンハルトが紅茶を口にしたその瞬間――
「殿下」
その声は、やけに早く、やけに近く、やけに柔らかかった。
マリエット=アーデンが、笑顔をたたえながらレオンハルトの席に現れた。
「この度の演習課題、とても興味深い形式ですわね。
四人一組、殿下のような優秀なお方が率いれば、どんな構成でも最善の結果が得られるでしょうけれど……」
彼女はゆったりと一礼し、そのまま自然な仕草でレオンハルトの正面に腰を下ろした。
「もし、まだお決まりでなければ――私も、お力添えできればと思いまして」
ロイドがぴくっと反応する。
(おっと、早いな)
内心で思いながらも口には出さない。
レオンハルトは戸惑いを隠せず、紅茶を置いた。
「いや、まだ……考え中だけど。突然すぎない?」
「“先手”が功を奏することもありますわ」
笑顔のまま、どこか鋭い視線を投げるマリエット。
「殿下のような方のもとでなら、私も“役割を果たす”ことに意義があると感じておりますの」
(なんだろう、この“言葉選び”。やけに芝居がかってるというか……)
レオンハルトは喉の奥で苦笑しながら、視線をロイドに送る。
が、ロイドは見て見ぬふりを決め込んでいた。
「……ありがたいけど、他の人の希望も聞いてからにしようか」
「もちろんですわ。選択の自由は尊重します。
ただ、“迷った時の選択肢”として、私をお心に留めておいてくだされば」
そう言って、マリエットは優雅に微笑み、席を立った。
その背中を見送りながら、ロイドがぼそっと言う。
「……今の、完全に“仕掛け”でしたよね?」
「だよな!? なんでこんな、囲い込みセールみたいな誘い方……」
「殿下が鈍感なままでいてくれて、僕は少し安心しました」
「ほめてないだろ、それ」
だが、レオンハルトの心に、ひとつだけ確実に残ったことがある。
(……俺、誰を選んだら正解なんだ?)
それは、ただのグループ分けではなく、“信頼の選択”だった。
「選べない、決められない、抜けられる?」
マリエットが去った後も、レオンハルトの席には重たい沈黙が居座り続けていた。
彼女の言葉と微笑みの余韻がまだ残る中、今度は――
「殿下」
少し硬い声でクラリッサが現れた。
その一歩後ろに、申し訳なさそうに微笑むアリシアの姿もある。
並ぶ二人を見て、レオンハルトの頭に警鐘が鳴り響く。
(やばい、また気まずい構図……!)
「先ほどの演習課題の件ですが……」
「もし、まだチームが決まっていないようでしたら……!」
二人が同時に切り出し、目を見合わせる。
気まずさマシマシで、どちらも譲れない空気。
(ほら来たぁああああああ!!!)
レオンハルトは心の中で叫びながら、曖昧な笑みを返す。
「いや、まだ考えてて、その……順番に、話を――」
その時だった。
すっと横から、ロイドがひょっこり顔を出す。
「殿下」
「なに、今こっちは――」
「僕が外れれば、クラリッサ様、アリシア嬢、マリエット様、そして殿下でちょうど四人ですよね?」
その発言に、一同が凍りつく。
「「……えっ?」」とクラリッサとアリシアが同時に硬直し、
「お前、それを今言う!?」とレオンハルトが声をひそめる。
「実際、チーム構成としては完璧では?
王族、公爵令嬢、平民ヒロイン、腹黒貴族令嬢。
属性が揃いすぎて、どのラノベでも通用します」
「ジャンルが違ぇんだよ!!!」
「大丈夫です。仮に僕が外れても、他の人とも仲いいので、ちゃんとやれます」
「違う、お前の心配なんて1ミリもしてない。その四人で組むことの意味わかってんのか?」
「はい、男なら誰もが憧れる――“ハーレムパーティー”の完成ですね」
一瞬の沈黙。
そして――
「よし、殺す。お前はここで殺す」
「なんでですか!? 真実を言っただけなのに!!」
「真実ほど人を傷つける言葉はないって知らねえのか!!」
クラリッサとアリシアは顔を見合わせて、何も言わずに距離を取り始める。
「……殿下、冗談ですよね?」
「……殿下、冗談であってください」
レオンハルトは両手で顔を覆った。
(……なんで俺の人生、こんなにイベントが多いんだ……)
「こいつの……冗談だよ。なあロイド?」
レオンハルトは焦りながらロイドの肩を引き寄せ、引きつった笑顔を浮かべる。
「そんな、“俺がクラリッサとアリシアとマリエットと四人でチームを組む”なんて……あるわけないだろ? 冗談、冗談、な?」
「ですよねー。いやあ、殿下がそんな罪な真似をするわけが――」
ロイドが言いかけたその時。
ふわりと香水の香りとともに、横から聞き慣れた声が滑り込んできた。
「あら、いいじゃありませんの?」
一同、振り返る。
そこには完璧な微笑みを湛えたマリエットが立っていた。
「せっかくダリル男爵が良いとおっしゃってるんですから、そのまま決めてしまってもよろしいのではなくて?」
「え、いや、だからそれは……」
レオンハルトが否定しようとする隙も与えず、マリエットは一歩、前に出る。
「殿下が選ばれた三人――いずれも素晴らしい資質をお持ちですわ。
貴族としての気品も、実力も、そして人望も。そんな方々に囲まれて殿下が隊長を務める。これ以上の組み合わせ、ございますか?」
クラリッサがわずかに眉をひそめる。
アリシアはなぜかそわそわと、目を泳がせていた。
ロイドは言った。
「……殿下、逃げられない空気になってきましたね?」
「お前のせいだろが!!!」
だが、マリエットはそんなやり取りすら微笑ましげに見つめていた。
その笑顔の奥に、確かに――勝ち誇った色があった。
(ふふ……これで、“選ばれたのは私”という既成事実、出来上がりましたわね)
空気は、さらにややこしく、重く、やけに華やかになっていく。
そして、レオンハルトの胃に走る痛みも、確実に深まっていった。