スイーツと火花と冷や汗と
「クラリッサ。……話を、させてくれ」
そう言って、俺はまっすぐ彼女を見据えた。逃げずに、真剣に――
扉が、静かに開いた。そして目の前の光景に思わず固まった。
そこにいたのは、クラリッサと――
「殿下ぁっ♡」
両手を振って満面の笑顔を向けてきた、アリシアだった。
「……えっ」
俺の口から、素の声が漏れた。
(なんでアリシアが? テーブルに紅茶と菓子と花? お茶会!?)
「まあ、殿下。よろしければご一緒にいかがですか?」
クラリッサは凛とした口調で言ったが、その瞳が楽しんでいるように見えたのは気のせいではない。
「殿下、ちょうどいいところに! このケーキ、すっごく美味しいんですよっ!」
(違う、俺は“対話”に来たんだ!!)
――俺の「真剣な対話」は、完全に“甘い香り”に包まれて、出鼻をくじかれた。
「てか、なんで君らふたりでお茶会してるの?」
アリシアがにっこり笑って言った。
「殿下が入学初日に私たちをペアにしてくださったので、これも何かの縁かと思って、たまに誘っているんですよ」
クラリッサは紅茶を一口含みながら言った。
「たまにはお互いの意見を交わしておくのも、有意義かと思いまして」
(なんだこの空気……! 完全に戦場の真ん中でスイーツタイム始めたみたいになってない!?)
クラリッサがティーカップをそっと置き、少し体を前に傾けた。
その姿勢からは、明らかに何かを言おうとしているのが分かる。
場の空気がほんのわずかに張り詰め、俺も息を呑んだ。
「殿下、少し――」
そのタイミングを完全に無視して、明るく響く声が飛び込んできた。
「殿下っ!」
アリシアが勢いよく言葉を差し込んできたのだ。
俺もクラリッサも、一瞬固まる。
「え、えーと……その、殿下。さっきからちょっと思ってたんですけど」
アリシアは頬を赤く染め、少し恥ずかしそうに笑った。
「さっき、“アリシア嬢”じゃなくて、“アリシア”って呼んでくださって、それがすごく嬉しかったです!」
彼女の声は華やかで、室内に甘い風を通すようだった。
(今じゃなかったよね!? 完全にタイミング間違ってるよね!?)
クラリッサの表情は変わらないが、その瞳はほんのわずかに伏し目がちになる。
紅茶を持つ手の指先に、わずかな緊張が宿っているのがわかる。
(これ、火種に火をつけた瞬間じゃ……)
俺の心臓は静かに警鐘を鳴らしていた。
クラリッサは、再び俺に視線を向けて言った。
「殿下、少しだけ、お時間をいただけますか?」
「……ああ。もちろん」
ついに、“本題”にたどり着いた。
部屋の空気が静まり返る中、クラリッサはゆっくりと言葉を紡いだ。
「……最近、殿下はお変になられましたね」
その声音は穏やかだった。
けれど、どこか刺すような響きがあった。
「え?」
思わず、間の抜けた声が出る。
クラリッサは紅茶に手を伸ばしながら、視線だけを俺に向けた。
「以前はもっと理知的で、距離を弁えたお方だったはず。
ですが入学されてからというもの、……随分と、軽やかになられたと申しますか」
(軽やか……?)
クラリッサの言葉は決して感情的ではない。
ただ、事実を述べるように、淡々と語られていた。
「やはり、あのダリル男爵の影響なのでしょうか?」
名指しで、ダリルの名が出た。
その瞬間、俺の背筋に冷たい何かが走った。
(……あー、うん。たしかに、ダリルと話すと気は楽になるけど……
もしかしてクラリッサ、あいつのこと“悪友”扱いしてない!?)
苦笑しそうになるのを、必死で堪える。
「いや、ダリルは悪い奴じゃない。ただ、あいつの方が色々と経験が豊富というか……」
「……経験」
その一言に、クラリッサの眉がわずかに動いた。
静かな言葉の裏には、確かな“観察”と“疑念”が宿っていた。
(……やばい。俺の“変化”にちゃんと気づいてる。いや、そりゃそうか。婚約者だもんな……)
このまま、誤魔化せるような雰囲気ではない。
(さて……ここからどう話すか、だな)
クラリッサは一拍置いてから、ふっと息を吐いた。
「……余計なことを言ってしまいましたね」
そう前置きし、少しだけ視線を下げる。
けれどその声は、相変わらず冷静で――どこか意志がこもっていた。
「ダリル男爵のことを悪く思っているわけではありません。
共に危険を潜った戦友とあらば、仲が深くなるのは当然ですわ」
俺が何か言う前に、彼女はゆっくりと紅茶を置き、顔を上げた。
「ですが……私はまったく気にしていませんが、最近、学園内で少々、気になる噂が広がっているようですの。
“殿下とダリル男爵の距離が、些か近すぎるのではないか”と」
その言い方は、本当に“私は気にしてませんけど”の典型だった。
そして――追い打ちをかけるように、アリシアがそっと手を挙げた。
「あ、あの……殿下、私も……失礼だとは思うんですけど……」
「?」
「その、噂って……私、ちょっと関係してるかもしれなくて」
「どういう……」
「バ、バスローブのときです!」
「…………は?」
「私がバスローブを殿下に渡して、それで……お2人が部屋に二人きりだったっていうのが……その……」
アリシアがしどろもどろに言いながら、顔を真っ赤にする。
一方クラリッサは、まったく表情を崩さぬまま――
しかし、その沈黙が逆に凄まじい圧を生んでいた。
(あああああ……その話題、ここで出す!?
ていうかバスローブ!バスローブって何度も言わないで!?)
言葉を失う俺。
ケーキは溶けるように甘く、胃は冷たく締めつけられる。
(なにこれ……俺、今“浮気疑惑の釈明会見”みたいになってない!?)
――そして、これから“何を釈明すべきか”が、何一つ分かっていなかった。
「ち、ちがうちがうちがうっ!」
思わず俺は立ち上がっていた。
イスが少しきしむ。ふたりの視線が一斉に集まる。俺の心臓は今、100メートル走状態。
「その、あいつ――ダリルは本当に“ただの友達”で!」
大事なことなので二回言った。
「それにな! 俺の恋愛対象は、ちゃんと! 女性だっ!!」
なんかもう自分で言ってて泣きそう。
「そ、それにダリルは既婚者なんだ!
つまり噂は完全に噂であって、俺は何もしてない! 本当にただの誤解なんだ!」
俺の声がどんどん早口になるのが自分でも分かる。
でも止まれない。止まったら死ぬ気がする。
「君たちだって、例の“事件”のことはちゃんと知ってるだろ!?
あの時、俺が“狙って転移した”わけじゃないし! バスローブも俺が頼んだわけじゃないし!!」
言い終えた瞬間、俺は深く息を吸い込んで、手で顔を覆った。
(もう、だめだ……。これが、転生王子の末路か……)
と、その時。
アリシアがぽかんと口を開けて――次の瞬間、ぷっと吹き出した。
「……え、そんなに必死になる殿下、かわい――いや、失礼しました!」
一方クラリッサは、変わらぬ表情のまま、ただ静かに言った。
「……随分と熱のこもったご説明、ありがとうございますわ」
その言い方が、“納得”なのか、“呆れ”なのか、“照れ隠し”なのか――俺には、まだ判別できなかった。
俺の必死の弁明が、ようやくひと段落したころ。
静寂の中で、クラリッサがゆっくりと口を開いた。
「……それで殿下。私に“話があって”ここに来たのではありませんの?」
その声音は、静かで澄んでいて――けれど、どこか“本心を試す”ような強さを帯びていた。
アリシアも、一瞬で表情を引き締める。
(……そうだ。俺は“話をする”ために、ここに来たんだ)
弁明や噂の否定じゃない。
本当に話したかったのは――
「……ああ。そうだった」
イスに腰を下ろし、俺は改めてクラリッサの目を見つめた。
「俺は――クラリッサ、君に話したいことがある。ずっと、ちゃんと向き合いたかった」
静まり返る空間。
今度こそ、紅茶の香りすら遠ざかっていた。
クラリッサの表情は変わらない。
ただ、その瞳だけが、ほんの少し揺れた気がした。
(――ここからが、本当の“対話”だ)
俺は一度、深く息を吸った。
横にはアリシア。
だが、もう引き下がるつもりはなかった。
「……アリシアもいるけど、構わないか?」
そう言ってクラリッサを見る。
彼女はほんのわずかに目を伏せ、そして頷いた。
「ええ。隠し事など、いたしませんわ」
その返答に、アリシアの肩がぴくりと動いた。
でも何も言わず、黙って俺たちを見ている。
……よし。
「クラリッサ。俺は――正直、君の気持ちが分からなかった」
言いながら、自分の言葉が震えないように心を整える。
「婚約者として、君は常に完璧だった。礼儀正しく、凛として、どんな場でも堂々としている。
でも、それが“本当に君の幸せなのか”って考え始めてから……俺は、ずっと迷ってた」
クラリッサは何も言わない。ただじっと、俺を見つめている。
「入学して、少しずつ……君の“表に出さない部分”が気になり始めた。
笑っていても、無表情でも――その奥にあるものを、知りたいと思うようになったんだ」
アリシアが小さく息を飲むのが聞こえた。
でも、今だけは、まっすぐに。
「君の本音が聞きたい。
君は、本当に俺との婚約を……望んでるのか?」
沈黙が落ちる。
それは、どこまでも深く、どこまでも長い沈黙だった。




