「来てくれたのに、素直になれなくて」
■クラリッサ視点
落としたことに気づいていなかった。
胸元にあったはずのブローチ――あの方にもらった、最初の贈り物。
それを、焦っていたとはいえ失くしていたなんて。
けれど、それを拾って、わざわざ届けに来てくださったのは、殿下だった。
(……殿下)
姿を見た瞬間、胸が鳴った。
でも、それを表に出すことなんてできない。
私はクラリッサ・フォン・ルクレール。
殿下の婚約者でありながら、望まれて隣にいるわけではない女。
だから、顔を崩すわけにはいかない。
気持ちを見せてはならない。
「それは……ありがとうございます」
声は冷たくならないように、でも揺れないように。
結果として、きっとまた、殿下を遠ざける響きになったと思う。
(本当は、嬉しかったんですのよ。気づいてくれて、来てくれて……)
でも、素直になんてなれない。
だって私は“婚約者”。
自分で選ばれたわけでもなく、誰かに選ばれる運命を持たされた存在。
(だから――せめて、誇りだけは守っていたいの)
その指先から、ブローチを受け取ったとき、指が少しだけ触れた。
それだけで、ほんのわずかに、呼吸が乱れそうになった自分がいた。
■アリシア視点
扉が開いたとき、視線を上げるのが少し遅れた。
声を聞いた瞬間、誰なのかすぐにわかったのに。
レオンハルト殿下。彼が、また、来た。
今度は落とし物を届けるためだと言う。
クラリッサ様のもの。
理由は、ある。行動としては正しい。非の打ち所は、ない。
(でも――なんで、こんなにざわざわするの)
クラリッサ様の指が、ブローチを受け取る瞬間、私の視界に映った。
ほんの一瞬だけ触れた指先。
ほんの少しだけ揺れた横顔。
そんなクラリッサ様を見るのが、なんだか苦しかった。
(だって……その感情、知ってる気がするから)
彼女は“婚約者”で、私は“ヒロイン”のはずなのに。
どうして私は、彼の言葉も視線も、何ひとつもらえていないような気がしてしまうの?
(おかしいよ……こんなの、知らない。知ってる話じゃない)
だから、黙った。
なにも言えなかった。
また、物語が違っていく。
それが、嬉しくて、嫌だった。




