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エルの庭  作者: 空乃 みづい
第1章『記憶を紡ぐ者』
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第一章 3話 『風が選んだ目』

「祝福部門の設立自体は、昔から何度も検討されてきた。実際、同様の部門が何度か設立され、その記録が残っている。」


 アゼルが指先をそっと払うと、それに呼応するように空間がわずかに揺れ、水がふわりと宙へ舞い上がる。


 澄んだ粒となったそれは、ゆっくりと軌跡を描きながら散っていく。

 そして、意思を持ったかのように形を変え、水の粒子は像を結び始めた。


 浮かび上がったのは、時を経て色あせた書簡と、輪郭のあいまいな人影。現実と幻のあわいに滲むように、それは確かに存在していた痕跡。


 かつて“祝福部門”と呼ばれた記録の残響だった。

 

「だが、祝福者がそう都合よく見つかるわけもない。いずれも長くは続かず、結局は解体されて終わった」


 彼の語りに呼応するように、人影はゆるやかに崩れはじめ、境界を失い、やがて霧とともに空へと還っていく。

 

「そして今は、幸運にも祝福者と巡り会えた時だけ、記録という形で残していく……そういう在り方に落ち着いている。それが現状だ」


「俺が選ばれた理由は何となくは分かりました」


 アゼルの話はわかりやすく、選ばれた理由も飲み込めた。


「それでもまだ、浮かない顔をしてるわねえ」


「そりゃあ、まあ……」


 視線を落とし、リオットは言葉を濁す。理屈ではもう腹に落ちている。けれど、心のどこかがまだ納得しきれていない。


 この部屋に入ってからというもの、次々と押し寄せる予期せぬ展開に、思考が絡まる。見えない何かが、じわじわと背後から押し寄せてくるような、そんな圧迫感。


 胸元をぎゅっと握りしめたまま、肩に入り込んだ力の抜き方さえ、もう分からなくなりそうだった。


「貴様の気持ちや考えが追いついていないことは、分かっている。だが、これはもう、決まったことだ」


 アゼルの声は淡々としていたが、その口ぶりには一分の揺らぎもない。情に流されず、すでに結論を受け入れた者だけが持つ声音だ。


「ふふ、それこそ……あの人があなたを推薦した時点で、すべて決まっていたのよ〜」


「推薦は……あの、五人の記紡者に選ばれたらっていう、あの制度のことですよね?推薦ってことはライラおね……ライラ以外に四人も俺を推薦した人がいたって、事ですよね」


 口にしながらも、リオットの頭の中は、濃い霧の中に放り込まれたように整理が追いつかない。


 ライラ以外の記紡者など、これまで一度も顔を見た記憶も、出会った実感も一度もない。


 その残りの四人がどこの誰なのか、なぜ自分を知っているのか、見当すらつかない。まるで、自分だけが知らぬ間に用意された舞台へ、気づけば押し出されていた——そんな感覚。


「ライラ・ライカ・ラグローグは、誰も到達できなかったフィレナ大陸の地下迷宮を記録した唯一の記紡者だ。その実績ひとつで、彼女の発言は常に五人分の価値を持つとされている」


 衝撃の事実。そう呼ぶべきなのだろうか。


 淡々と語られるその功績は、あまりにも現実離れしていて、どこか遠い国の物語に出てくる伝説のようだった。

 声は届いているはずなのに、現実味は薄く、まるで夢の縁をなぞっているようだった。


 リオットの知っているライラは、髪もまともにとかさず、放っておけば食事すら忘れてしまうような人だ。

 嵐の中でも笑っていて、常識の外で生きているような、浮世離れした姿。


『視せた、だろう。ならお前の目なら、もう分かってるはずだ。私は、風に愛された存在だよ』


 両手をゆるやかに広げ、風のささやきを全身で受けとめるように、ライラは静かに目を閉じていた。


 この世界とひとつに溶け合っていくかのように。空気の流れも、光の揺らぎも、彼女の輪郭に溶け込み、境界を曖昧にしていく。


 常識という枠を軽やかに越えて、ただ風のままに、そこに在る人。そんな彼女が、五人分の価値を持つ存在だなんて、にわかには信じがたかった。


 記紡者としてのライラと、自分の知っているライラ。同じ名前のはずなのに、二つの像が頭の中でうまく重ならない。リオットは小さく息を吐き、黙ってアゼルの言葉の余韻を受け止めていた。


「あの人は知っていたのよ〜。エルグラムが欲しているのは、あなたの目。祝福者の記録を、正しく残せる記紡者は……あなただけだって」


 ミレイユの声音は、どこか優しくも、重さを孕んでいた。それは称賛ではなく、選ばれたことへの静かな告知にも聞こえる。


 リオットはその意味を反芻するように、ゆっくりと息を吸った。


「……もし俺が記紡者を目指さなかったら、どうするつもりだったんですか?」


 リオットの問いに、アゼルは目を細めて淡々と答えた。


「彼女はそれは有り得ないと言っていたらしい」


「どうして、ですか?」


「『リオット・アーロイ君は、私に惚れている。だから、逢いたさに突き動かされて、必ず記紡者になるだろう』――議事録、そのままだ」


 脳が一瞬フリーズする。耳に飛び込んできた、意味を処理しきれず、リオットは目をぱちくりとさせた。

 

 惚れている? 誰が誰に? 己がライラに?


 ……思考が止まった。

 次の瞬間、顔が一気に熱を帯び、茹で上がったように真っ赤になる。


「惚れ……は、はあ!? なんでそうなるんですか!?ライラには、たしかに恩はありますけど……そりゃあ、好きっちゃ好きですけど……いやでも惚れてるって、ちょっと待ってくださいよ、それは……ない、と思います、たぶん……!」


 慌てふためくリオットの声が、部屋の静けさに妙に響く。ミレイユは口元を手で隠しながら、くすくすと笑った。


「あの人は辞めた方がいいわ〜」


「ああ、僕もミレイユと同じ意見だな。リオット・カーロイ。彼女は、誰かと一緒には生きられない人だ」


 アゼルのはやけに静かで、ひとつの事実を告げるように響いた。それは、彼女を知る者たちだけが抱いている、ある種の諦めにも似た感情。


 リオットは思わず言葉を失い、ライラのふてぶてしい笑顔を思い浮かべながら、胸の奥に小さなざらつきを覚える。


「さて、リオット・カーロイ。初恋の人に思い出に浸っていたいのかもしれないが……その前に、やってもらいたいことがある」


「訂正してください。断じて惚れてはいないです。初恋はまだです」


「分かった」


 即答するアゼルの声は氷のように淡々としていた。


 ――絶対、分かってないし、適当に流されたな。


 リオットは心の中でツッコミを入れながら、深く息を吐いた。


「……それで、俺は何をすればいいですか」


 気を取り直して尋ねると、今度はミレイユが柔らかい声で答える。


「私たちの祝福見を、極めてほしいのよ〜。あの人が言っていた通り、あなたには祝福者の能力を識る力があるって、こっちも分かっているわ」


 ふわり――その声に呼応するように、ミレイユがそっと一歩、リオットとの間合いに踏み込んできた。


 花のようにやわらかな香りが、空気の合間にふわりと混じり、リオットの鼻先をくすぐった。不意の接近に、リオットは戸惑いながらも頬を赤らめる。


 無邪気さを装った微笑。その奥で、琥珀色の瞳が鋭く刺す。のぞき込むその目は、飄々とした仮面の内側に隠された。判断する者の眼差し。


「でもね、実際に見極め、感じて、理解して行きたいの〜。これからは同じ部門の仲間として、一緒に働いていくんだもの」


 そう言ってまた微笑むと、ミレイユはひらりと肩をすくめる。今の堅苦しい空気を和ませるように。

 

「……ふふ、じゃあまずは……アゼルの能力から視てもらおうかしら〜」


 楽しげで、少しだけ意地悪な光を湛えた琥珀色をミレイユが送ると、アゼルはそれに気づいて眉をひそめた。


 だがそれは、呆れを滲ませた表情は、やがて静かな諦めへと落ち着いていった。とかく、いつものことだと悟っているかのように。


「……と、言うわけだ何時でも祝福を行使しても問題ない」


 アゼルはそっと目を閉じ、余計な力を体から手放していく。その動作ひとつで、空気がぴんと張り詰めていくのが分かった。


 見えない何かが静かに満ちていく気配に、リオットは反射的に唾を飲み込む。


 ――逃げ場なんて、最初からなかった。


 そんな現実が、少し泣きたくなるほど理不尽に思えてくる。


 けれど。そこにライラの名が関わっていると考えた瞬間、不思議と納得してしまう自分がいた。あの人なら、無茶な道筋を、当然のように敷いていてもおかしくはない。


「……やるしかない……」


 小さく呟いてから、リオットは瞳を閉じた。


 今この世界のどこかで、ライラが記紡者として生きている、その背に、少しでもはやく追いつけるように。

 そう願いながら、リオットはそっと、自らの祝福を世界に放った。


 刹那。彼の視界が、別の層に切り替わる。


 色彩が、一変する。

 人々の輪郭が淡くぼやけていく中で、祝福者だけが、光の束として鮮烈に浮かび上がる。

 まるでこの世界に流れる“本当の在り方”を、眼が覗き見ているかのようだった。

お読みいただき、ありがとうございました。


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