第一章 2話 『知らぬ理由、知る名』
ミレイユに手招きされ、リオットは歩を進める。
間近で見る二人の整った顔立ちにふと目を細めて見入っていると、ミレイユが穏やかに口を開いた。
「リオットは、確か植物部門を希望していたわよねえ?」
植物部門。まさに、リオットが目指していた部門だ。
リオットはその部門に入るため、各地の生態や環境に応じた植物の特性を熱心に調べてきた。自らの知識は“学者並み”だと密かに自信を抱いている。
――もしかして、自分がここに呼ばれたのは、成績優秀者だから?
都合のいい期待が、じわじわと膨らんでいく。
リオットが得意げに頷くのを、ミレイユは目元にやわらかな笑みを宿して、様子を追っていた――その時。
「餌を期待しているペットみたいな顔だな。念のため言っておくが、貴様が植物部門に配属されることは、まずない」
「…………え゛」
「貴様が配属されるのは、祝福部門だ」
「しゅ……祝福部門?」
聞き慣れない単語に、思考が一瞬止まる。
たしかに、専門部門がいくつか存在することは周知の事実。希望提出のときに概要にも一通り目を通した。
けれど、祝福部門などという名前は、そのどこにも記されていなかったはずだ。
「あ、あの~。祝福者は……まず、誰が祝福を持ってるのかを特定するのが難しいんですよね」
リオットは自分の言葉に確信があるわけではなかった。ただ、試験で学んだ断片を思い出しながら、恐る恐る口を開く。
「それに、たとえ接触できたとしても、その能力を完全に把握するのって、すごく大変で……」
思い出しながら語るうちに、いつの間にか声の調子が弱まっていく。自分の発言が正しいのか、確かめるように視線を二人に向けた。
「たしか試験でも、偶然出会えたときは、断片的でも記録を残すようにって……出てたと思います」
その表情は「合ってますよね……?」という不安がにじんでいた。
「ええ、ちゃんと合っているわ〜。だから、そんな顔をしないで大丈夫よお」
――大丈夫って、何がだ。
希望していた部門には入れず、聞いたこともない。祝福部門などという場所に、いきなり放り込まれそうになっている。
いや、もしかすると、もうすでにそこに配属されているのかもしれない。
それなのに、何の説明もないというのは、さすがに不安にならずにはいられない。
「……説明を、ちゃんとしてもらえますか」
微かに声が震えた。だが、リオットのオットはためらわず、真正面から二人を見据えた。拳を強く握りしめ、ひとつ息を吐いて。一歩、覚悟を示すように足を進めた。
その姿に応えるように、二人はしばし黙したまま。張り詰めた空気が静かに流れる中、やがてアゼルが静かに言葉を紡いだ。
「リオット・アーロイ。僕たちは、貴様が記紡者になるのを、ずっと待っていた」
その声には、確かな覚悟のような響きがあった。
だが、リオットにとってはにわかに信じがたい言葉。
「……俺を待ってた、って。それって、どういう意味なんですか?」
「さあな、詳しいことまでは僕たちも知らされていない。ただ、それでも……貴様でなければ成立しない部門だということは、確かだ」
リオットは言葉を失った。予想もしていなかった言葉に、反応が一瞬遅れる。肩にのしかかっていた見えない重みが、ほんの少し和らいだようで、張りつめていた空気にも、微かな温度が戻るのを感じた。
だからこそ、つい口をついて出たのかもしれない。
「え、そんな偉そうな服を着てらっしゃるのに、お二人ってもしかして末端の人とか……?」
「はっ。僕たちの肩書を知ってからも、その言葉が吐けるのか見ものだな」
「基本的に、私たちが人前に出ることは少ないの。記紡者じゃない人と接する機会って、ほんとに限られているから」
「あ、そうなんですね」
軽く頷きながらも、リオットは内心、思いのほか二人の反応が柔らかかったことに驚いていた。だが、それも束の間。自分が脱線していたことに気づく。
ひとつ小さく息を吐いたあと、気を引き締めるように背筋を伸ばす。表情も自然と引き締まり、先ほどまでの和やかさに一線を引く。
「……それで、改めてお聞きしますけど、俺がここに呼ばれた理由って、祝福部門に配属されたから――で合ってますか? というか、その祝福部門って、どんなところなんです?」
言葉を早めながら問いかけるリオット。その声には焦りと必死さが滲んでいた。自分の立ち位置を、少しでもはっきりさせたい。それだけだった。
一方、アゼルとミレイユは、それぞれの調子で応じる。
「祝福部門は、今まさに設立された部門だ。今日この瞬間から動き出す」
アゼルが落ち着いた声でそう言うと、続けてミレイユが嬉々とした笑みを浮かべながら言葉を重ねる。
「メンバーは私とアゼル、それにリオット。……あなたの三人なの。ふふ、これから一緒に頑張っていきましょうね」
その明るすぎる声に、リオットは思わず固まった。
想像以上に規模の小さな新設部門――まさか、たった三人とは。
緊張がすっと引いたかと思えば、今度は別の意味で頭が追いつかない。
リオットはゆっくりとまばたきをする。
「祝福部門が俺たち三人ってとこまでは理解できました。いや、理解をしたくはないですけどね。ただ――俺がそこに選ばれた理由は、やっぱり腑に落ちません」
軽口に乗せたつもりの声が、知らず知らず硬さを帯びていた。
本当に自分でなければならない理由があるのか?
それとも、ただの偶然か――そんな疑念が喉元で渦巻く。
言葉を探しあぐねながらも、瞳だけは逸らさずに二人を見つめていた。
一歩も引かずに立ち続けたのは、反発でも恐れでもなく、ただ確かめたいという強い意志。
「リオット、さっきあなたが言ったようにね、記紡者が祝福者を記録できる機会なんて、そう多くはないのよ〜。でも、あなたは『祝福者の力』を、目で見て、理解できる。そうでしょう?」
ミレイユは穏やかに、まるで会話を楽しむような調子で応じる。
けれど、その穏やかな口調の裏に、揺るぎない選定の意思が感じ取れた。
祝福者を“識る”力。
それは、リオットに授けられた祝福。
「……どうして、それを」
「ふふ、まだ本部に提出していない情報なのに……どうして知ってるの、って顔をしているわね〜」
アゼルが一拍置いて、静かに続けた。
「ライラ・ライカ・ラグローグ――その名に、聞き覚えがあるはずだ」
思わず息をのんだ。こんな場所でその名が出るとは、完全に不意を突かれたアゼルの口から出たその名こそ、リオットが記紡者を志した理由。
「ライラお姉ちゃん」
ぽつりと呟いたその呼び方に、ミレイユが微かに目を伏せた。
そして――、
「お姉ちゃん、ね」
吐き捨てるような、かすれた声のひとりごと。
おそらく誰かに聞かせる意図はなかったはずのその呟きに、隣のアゼルがわずかに眉を動かし、視線を向けた。
ほんの刹那、その目の奥にかすかな驚きが浮かぶ。
だが、すぐに何事もなかったかのように表情を整え、再びまなざしを正面へ戻した。
リオットはそのやり取りには気づかぬまま、軽く目を伏せた。ふと指先に力がこもる。胸元にしまっていた思い出をそっと触れたかのように。
「ライラが……俺のこと、話してくれてたなんて」
頬をかきながら、照れたように小さく息を吐く。視線は机の端に落ちた埃にとどまり、静かな懐かしさが目の奥に滲む。
ライラが認めてくれたこと。ライラが自分を語ってくれたこと。その事実が、静かに、確かに、リオットを前へと進める力になっていく。
その表情に、ミレイユはそっと微笑んだ。
「あの人のことが、大好きなのねえ」
だが、その声には言葉にならない何かが混じっている。懐かしさとも、羨望ともつかない。微笑の奥に、どこか冷めた影が宿っていた。
リオットはその機微には気づかず、ただ小さく頷く。
「はい、まあ……ライラがいなければ、とっくに終わってました」
その言葉に、ミレイユは口元に微笑を浮かべて、そのまま。言葉にできない想いを抱えるように、そっと影を落とした。
各々の感情のやり取りを見て取って、アゼルは何も言わずに目を細めた。
ひと呼吸、間を置いて。
緩みかけた空気に、一筋の吐息が横切る。小さいながらも、その音は場に微かな緊張を戻した。
そして、空気を切り替えるように、低く静かな声が場を貫く。
「思い出話もいいが――これで、貴様が呼ばれた理由と、選ばれた理由が理解できただろ、リオット・カーロイ」
お読みいただき、ありがとうございました。
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