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エルの庭  作者: 空乃 みづい
2章『祝福者たち』
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第二章 5話 『悪食のお嬢様』

「それとも客か? ならば何かひとつ、買っていけ」


「いや……客じゃないけど」


「だったら去ね。妾の商売の邪魔をするな、わっぱ」


「その、わっぱって何だよ。見たところ、俺とお前は同じように見えるんだけど」


 強気に返しながらも、リオットの返す言葉の調子が揺れる。


 相手の外見は、どう見ても年相応の少女。それなのに、言葉の端々に、場慣れした者の余裕がにじむ。

 背筋の伸びた所作、真紅の眼差しが、逃げ道を塞ぐように絡みつく。


 何より“妾”という一人称に込められた揺るがぬ自負。


「妾は、つい先日17になったばかりだ」


 さらりと言ってのけた彼女の声は、感情を乗せず、声が喉をすっと滑り抜けていった。

 

「俺もついこの間、17になったばかりだよ!」


 思わず張り返すリオット。どうしてだか、負ける気分になるのは癪だった。


 けれど、彼女から伝わってくる雰囲気は、ミレイユのような柔らかさとも、アレクシオンのような気品とも違っており。あどけない顔に似合わぬ棘があり、目には探るような鋭さがあった。


 噂に聞いていたのは、都のウーレン伯爵に引き取られたという、ひとりの子供の話だった。日々小さな災難を呼び寄せてしまう、不運な体質の持ち主。

 

 人目を避け、静かに暮らしている――そんな姿を思い描いていた。


 だが今、目の前に立つその姿は、もはや噂のそれではなかった。自信と孤高さを纏ったひとりの少女。“不運”などという言葉の出る幕はない。


「リオット……」


 控えめに名を呼ぶクラリスの声。言葉に先んじて、その瞳には、まるで問いを投げかけるような光が宿っていた。この人が、目的の祝福者なのか、と。


 リオットは小さく首を振って応える。――違う。

 それでも、この可憐さと苛烈さを併せ持つ女性が、祝福者であることだけは確かだった。


「それよりも、わっぱ。先ほどとは随分と様子が違うな?」


 からかうような声音の裏に、鋭い観察眼のようなものを感じて、リオットは思わず背筋を伸ばした。


「さっき?」


「ああ、そなたがこちらへ向かっていた時、そこの女に腕を引かれていたな。まるで(めしい)に添える手だった。……それが今は、ひとりで歩き、こうして妾と視線を交わしておる」


 彼女のひと言に、リオットは冷や汗をにじませた。

 これは想定外というより、リオットの迂闊さが原因だ。


 アゼルは言っていた。祝福者は警戒するものだと。

 ならば、その祝福者である彼女が、周囲を警戒し、怪しげに近づくリオットの存在に気づかないはずがなかった。


 彼女の値踏みする目がこちらを探っていた。冗談めいた口調の裏で、自分を見抜こうとしているのがわかる。そう思うと、わずかに鳥肌が立つ。理由のない怖さが背中をなぞった。


「はは、お主のその格好……記紡者であろう?確か、部門ごとに刻印が違ったはずだな。……どれ、妾に見せてみろ」


 ふいに、彼女の手が伸びる。次の瞬間、リオットのマントの胸元がぐいと引き寄せられた。指先は鋭く、けれど迷いがない。それはまるで、捕食するような動き。


「何するつもり?」


 クラリスが咄嗟に前へ出た。その仕草が『これ以上は踏み込むな』と語っているようだった。


「黙っていろ、女。妾はいま、このわっぱに興味がある」


 けれど彼女は応じることなく、ただ悠然と指を伸ばし、リオットのマントに刻まれた紋章へと触れる。


「その刻印、初めて見るな。衣装も真新しい……そなた、五日前に記紡者になったな。聖王国の試験日と合う」


「そうだけど……」


 リオットが頷くと、喉を鳴らして指を鳴らす。一見すると演じているようでいて、それでも妙に馴染んでいた。舞台の主役でも気取っているかのような自信に満ちている。

 

「ほう、そういうことか! どうりでアルノートの奴らが騒がしいと思ったわ。そなたが渦中か、わっぱ」

 

 その声音に、露骨な悪意はない。むしろ愉快そうにすら聞こえるのに、言葉の端々が、かすかに肌を切るような痛みを残す。たわむれに近づいてくる獣――だがその爪は、まだ見せていない。そんな得体の知れない圧が迫ってきた。


 リオットはそれを感じとり、一歩、体重を後ろへ引いていた。

 明確な敵意は感じない。それでも、背筋に本能的なざわめきが走る。

 

 そんな、張りつめかけた空気をそっとほどくように、別の声がふいに降りてきた。


「おや、ヴェネリカ様。ご友人が出来たのですか?」


 リオットが声の方へと振り返ると、立っていたのは一人の老紳士。


 銀髪を後ろへ流し、左目には黒い眼帯。整えられた口髭に、黒のベストを品良く着こなしたその姿は、ただの使用人とは思えぬ風格を備えている。


 彼の声は穏やかでありながら、どこか老成した響きを帯びていた。

 しかしその奥には、一瞬で場を見抜く鋭い勘と、長い歳月に裏打ちされた経験の重みが静かににじんでいた。


「ヤセル、耄碌(もうろく)したのか? これのどこに友と呼ぶ価値がある」


 吐き捨てるような物言いだったが、そこに本気の怒気はなかった。どうやら彼女にとっては、遠慮のいらない相手らしい。


「同じ17歳であられるようですな」


「聞いておったのか、ヤセル……まあよい。妾はいま、腹が減っておる。目的の品は、手に入ったのであろうな?」


 やや強引に話題を切り替える彼女に、老年の男――ヤセルと呼ばれた人物は静かに頷いた。


「はい。この都では、日常使いの品として重宝されております。幻獣の毛を刈るために設計されたウィクラー……毛刈りウィクラーとでもお呼びいたしましょうか」


 ヤセルはそう言いながら、「ヴェネリカ様」と呼んだ彼女にウィクラーを恭しく差し出す。

 ヴェネリカはリオットの胸元をつかんでいた手をそっと離し、しなやかな動きでそれに手を伸ばした。


 差し出されたウィクラーは、華やかさのない、実用重視の一品。飾り気のない鉄の外殻に、無骨な曲線。だが、ヴェネリカはその荒削りな姿にどこか嬉しげに目元を緩め、手の中の道具を撫でる。


 そして、もう一度リオットの方へとゆっくり顔を向ける。口元には、捕らえた獲物を前にした猛禽のような笑みが浮かんでいた。


「妾は、喰らったウィクラーの力を使えるのだ」


 その意味を理解するより先に、ヴェネリカは動いた。飴玉でも口に含むように、迷いなくそれを迎え入れた。そして。ガリッ。


「は……」


「え!?」


 リオットとクラリスが、ほとんど同時に声を上げた。反射的に後ずさりしそうになった足を、何とか踏みとどめる。


 ここは広場のただ中。のどかなウーレンの都市の中心であり、周囲には行き交う人々の姿もある。にもかかわらず、彼女は一切の躊躇を見せず、平然と噛み砕く。


 ――ガリッ、ゴリッ。

 まるで古い扉の蝶番が悲鳴を上げるような、鈍く湿った音が脳の奥底を叩いた。


 ウィクラーは本来、手に取ってエーテルを注ぎ、使用するものだ。“喰らう”という発想など、常識の外のもの。

 それを、彼女はごく当たり前のように、表情ひとつ変えず、噛み砕く。

 

「こちらにおわすは、ヴェネリカ・ヴァレンティーナ様。カリサン地方を束ねる、ギルド連盟ベルティナに属す、ギルドがひとつ――【メルヴァティカ】の現ギルド長にあらせられます」


 ヤセルは眉ひとつ動かさず、淡々と告げる。今の異様な出来事すら、見慣れた日常のひとつであるかのように。


 そしてその主――ヴェネリカは、まるで自分こそが舞台の主役だと言わんばかりに、周囲の雑踏さえも演出の一部として楽しんでいるようだった。


「妾の名、呼んでよいぞ? ……特別に赦してやる、わっぱ」


 ウィクラーを飲み下した直後とは思えぬほど鮮やかに、口角を引き上げて微笑む。そこに、相手を屈させようとする気配はない。


 だが、確かに上に立つ者の空気がそこにあった。

お読みいただき、ありがとうございました。


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