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エルの庭  作者: 空乃 みづい
2章『祝福者たち』
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第二章 2話 『騎獣便の窓から見た世界』

 リオットが用意していた移動手段――それは、幻獣グリュオンに引かせた騎獣便(きじゅうびん)だ。


 王都を発ったのは、昼下がりの陽がまだ傾ききらない頃。暖かさを残す光の中を街道沿いに進み、夜は途中の宿場でひと晩を明かした。


 空が白むより前――リオットとクラリスは車内に乗り込み、淡い朝焼けの兆しとともにウーレン領の境界を越えていた。


 今は、その中心都市へと続くなだらかな丘陵地帯を、風を切るように滑るように進んでいる。



 この世界では、忘魔のように人を襲う存在とは異なり、人に害をなさない生物を総じて“幻獣”と呼んでいる。


 グリュオンもその一種で、従順で持久力に優れ、こうして旅客用の便車を曳く役目を担うなど、人々の暮らしに深く根ざしていた。


 どれくらい時間が経っただろうか。ふと気になったリオットは、腰に下げた花刻盤(かこくばん)に手を伸ばし、覗き込む。


 これは、生活式ウィクラーの一つ。

 円形の盤面に八つの蕾が刻まれており、時の流れに呼応するように、その蕾が順に花開いていく仕組みだ。


 リオットが静かにエーテルを注ぎ込むと、盤面の蕾が一つ、また一つと音もなく咲き始めた。


 そして三つ目、〈(ほころ)〉の刻を示す蕾が、やわらかな金色の光をたたえてゆっくりと花開いた。


「んー……(かい)になる前には、ウーレン領の中心都市には着けそうだな」


 咲いた花弁は、風もないのにわずかに揺れ、空気に溶けるように淡くきらめいた。


 針も音もない。ただ“咲く”という変化だけで時を伝える、それが花刻盤だ。


 リオットは手元から視線をあげ、ふと隣に目を向ける。そこには、大人しく座りながら騎獣便の窓から外をじっと見つめるクラリスの横顔があった。


 クラリスの装いは、生成り色のブラウスに黒革のコルセットを組み合わせた、機能性と落ち着きを備えた軽装だった。


 肩口から広がる袖には金糸で補強が入っており、華美にならない程度に、職人の手が入っていることがわかる。


 胸元には花模様のループタイが添えられ、控えめながらも個性が滲む。


 下半身は乗馬用のパンツと膝当てでまとめられ、可動性を重視した構成だ。


 彼女の傍らには、白銀の素材で仕立てられた長柄のハルバート。斧と槍を兼ねたその武器は身長を超える長さを持ちながら、不思議と重さを感じさせない。


 柄には細かい彫刻が施されていて、ただの道具ではないことが一目でわかる。


 戦う者としての備えを怠らず、同時に周囲を威圧しない。その絶妙な均衡が、彼女の旅支度に表れていた。


 預けかけたハルバートでさえ、まるで彼女の身体の延長のように見える。


「クラリスって、ウーレン領に行ったことあるのか?」


 何気なく尋ねると、クラリスはすぐに頷いてみせた。

 

「もちろん、亡魔退治で何度か行ったことがあるよ。私たちが行く王都は違うけれど、大半は牛や羊の鳴き声くらいしか聞こえない、のどかな場所でね。……私、ヴァルミナ地方の中ではあの領が一番好きかも」


 語る彼女の表情は懐かしい風景を、心に描いているようだ。


 リオットは、朝の柔らかい光に照らされた顔を、少し羨ましさを混じえながら盗み見る。


「ふーん、いいな。俺なんて、アルセリア領の中しか知らないし。クラリスって、もしかして他の二つの領も踏破済み?」


「どちらかというと、その二つの領に行くことが多いかな。どっちも王国の生命線みたいな場所だから。……あ、もちろんウーレン領もね。ヴァルミナ地方の“台所”って呼ばれるくらいには、大事な土地だよ」


「ほほ〜、なるほどなるほど。で、残りの二つの領って、たしか鉱山と軍事が中心だったよな? ……行ったことがないから、あんまり想像つかないや」


 肩をすくめて言うと、クラリスは少し得意げに胸を張った。


「ふふん、じゃあ。私の主観でよければ、教えてあげる」


「じゃ、よろしく頼むよ。クラリス先生!」


 軽く頭を下げて見せれば、彼女は楽しげに笑った。


「ふふーん、任された!」


 

 ――ヴァルミナ地方は四つの領で区分されている。


 指先をくるくると回しながら、クラリスは口元に笑みを浮かべて語り始めた。


「まずはアルセリア領ね。ヴァルミナ地方にある四つの領のうち、東側に位置してる場所。王都には世界樹エルグラムが根を張ってるから、ある意味“世界の中心”って呼べるような場所かな」


 窓の外に広がるのは、何処までも続く草原。

 車輪が小石をかすめて小さく揺れた拍子に、クラリスの髪がふわりと肩へ流れる。


「だからこそ、いろんな人たちが集まってくるの。……まあ、そのあたりは文化に疎いリオットも知ってるよね」


「疎いは余計……って、そういや記紡者の試験に、ベスタルもいたっけな」


「ベスタルの人たちって、可愛いよね。特にあの多種多様の耳が……あっ、でも、彼らには可愛いって言うのは禁句だったっけ」


「あの種族って、プライドが高めな気がするかも」


 振動はほんのわずか。革張りの座席に身を預ければ、微かな風の音だけが耳に届いた。


「……それは仕方ないよ」


 隣に座るクラリスが、どこか優しい声音でリオットに言った。話の流れを断ち切るでもなく、けれど話題を切り替える軽やかさがそこにある。


「ま、とりあえずベスタルの話は一旦置いといて」


 腰にかけたベルトポーチを軽く叩きながら、クラリスは話題を戻した。


「次に向かうウーレン領は、西側に位置してる。さっきも話したけど、穏やかな気候と肥沃(ひよく)な土壌に恵まれていて、農業や牧畜が盛んなんだ。“ヴァルミナの台所”なんて呼ばれてるのも、そのおかげだね」


 彼女の視線が、窓の外へと向く。朝の光が射し込み、騎獣便の大きなガラス越しに、遠くの大地がゆっくりと姿を現す。


「……ほら、リオット。窓の外、見てみて。ちょうど、その一帯が見えてきたよ」


 クラリスが指差した先には、低くうねる丘がいくつも連なり、その斜面に畑が広がっていた。


 草を食む牛や羊の群れが点のように動いており、遠目にも命の気配が感じ取れる。


 空気は澄んでいて、風が野をなでるたび、土と草の匂いが車内までかすかに届く。


「――あれ、見て。モファルの群れだ」


 丘の向こうから現れたのは、丸みのある体と長い毛を揺らす幻獣たち。その列の先頭には、くるりと巻いた小さな角を持つベスタルの親子がいた。


 親のほうがこちらに気づき、軽く手を振ってくる。


 それに応えて、リオットとクラリスも笑顔で手を振り返した。見送るように手を振り続け、彼らの姿が遠くに、消えていくのを見計らって、リオットは口を開いた。


「……あれって、同族で商売にしてることに、ならないの?」

 

 クラリスは手を振ったまま、ぴたりと動きを止めた。一瞬の間を置いてから、小さく咳払いをひとつ。


 気まずさをごまかすようにうっすら冷や汗を浮かべつつ、さっきよりも早いテンポで指をくるくると回しながら、ようやく口を開いた。


「ふふ……じゃあ、次はトーミラン領の話にしようか」


 空気が変わったのを察したリオットは、肩をすくめて受け流す。


「そっか、あれは深掘りしちゃダメなやつね」


 茶化すように言えば、クラリスは目を逸らしながら、すんと鼻を鳴らした。


「……よし、それじゃあ次。トーミラン領は言わずもがな、我らが王国の盾――アレクシオン隊長の産まれでもある場所だよ。北側に位置してて、ベルミス地方へ抜ける関所の管理も任されてる。王国にとっては、要の土地って言っていいんじゃないかな」


 話しながらどんどん熱が入っていくのを見て、リオットは察する。きっとクラリスにとって、聖騎士団の名のもとに歩む今の自分は、誇れる道なんだろうと。

 

「トーミラン領には士官学校があるし、ベルミス地方から流れてくる忘魔も多いからね。それで、だいたいの聖騎士団の人たちはこの領に駐屯してるんだ」


 そういえば――と、リオットは思い出す。


 ベルミス地方は古くから鎖国状態にあり、記紡者が踏み入れることも少なかった。


 その影響で、記録に残されていない忘魔が他の地方よりも多く、しかも凶暴な個体が多いのだと。

 

 十年前の厄災では、世界がひとつにならざるを得なかったせいか、向こうからも協力者が出ていたらしい。


 そこから王国は関係を築こうと手を伸ばしたけれど、ベルミス地方を纏めるラズネイグ帝国は結局、また元の鎖国国家に戻ったという。


 そんな話をアゼルから聞いた。


「それで、最後は東側に位置するオルシット領だね。あそこは、鉱山資源とウィクラー、それに武器の加工で知られてる土地だよ」


 リオットは静かに目を閉じた。瞼の裏で、彼女の言葉を手がかりに、金槌の音から街の情景を思い描く。


「山に囲まれて霧も多いんだけど、その環境を活かして、職人たちの技術が発展してきたの」


 急峻な斜面を縫うように走る石畳の道、立ちのぼる煙と霧が重なり合い、灰と銀の匂いが鼻先に漂う気がした。


「王都とは少し距離を置いていて、独自の文化や産業を築いてる感じだったな」


 瞼を開くと、視界は再び騎獣便の窓から見える空だった。

 遠くに霞む山脈の稜線が、リオットの想像にわずかに重なるのを感じていると――ガタン。


 騎獣便が小さく跳ねる。

 

 続けて、ぎしっ、と車体が軋むような音を立て、ゆるやかに減速を始めた。車輪の下で土が擦れる音が徐々に静まり、空気に不意の緊張が走る。


「……どうしたんだ?」


 リオットが不審に思い、わずかに身を乗り出す。

 すると、騎獣便の前方。運転席のあたりから、何やら慌ただしい声がいくつも飛び交っていた。


 緊張の滲むその響きに、車内の空気がじわりと硬くなる。


 クラリスはそれに反応するように、すでに窓から身を乗り出しており、鋭い眼差しで、前方の様子をじっと見つめている。


「……忘魔が出たみたい。小型、たぶん群れになってる」


 彼女の口調は抑制されていたが、その瞳には明確な剣呑を帯び始める。まるで、一瞬たりとも気を抜けない狩人のような雰囲気を纏って。

お読みいただき、ありがとうございました。


幻獣やウィクラーと新しい言葉が出てきました。

どちらもこの世界に根付くものなので、頭の片隅に置いてくれると嬉しいです!


また、次話は本日の23時10分に更新予定です。


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