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エルの庭  作者: 空乃 みづい
2章『祝福者たち』
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第二章 1話 『行ってきますの、その先へ』

 リオットの身体を包むのは、まだ折り目の残る真新しいマント。深い群青に近い黒。厚手で張りのある布地は風をはらみ、気持ちの良い音を立てる。


 袖のないその形は、記紡者に与えられるポンチョ型の制式装束。

 着慣れていないその硬さが、リオットの旅の始まりを静かに語っている。前合わせには素朴な木製ボタンが並ぶ。飾り気はないが、誠実な手仕事が感じられる造りだ。


 ただひとつ、首元の留め具だけが異彩を放っている。


 星型の輝きを象った刻印。


 それは祝福部門に属する記紡者であることを示す証だった。


「うん、うん。似合っているわね〜」


「え、本当ですか? ありがとうございます!」


「着せられている感は否めないがな」


「あら〜、それはあなたも一緒だったでしょ〜。アゼル?」


 楽しげに笑いながら、ミレイユがさらりと過去を引き合いに出す。声に刺はないが、言葉の選び方は絶妙で、無自覚な人間には刺さる類いのものだった。


 アゼルは一瞬だけ肩をぴくりと動かし、眉尻をわずかに引き下げる。


「……動きにくくはないか、リオット?」


 その言葉には、先ほどまでの冷静な鋭さはない。


 どこかぎこちなく、必要以上に丁寧で、まるで自分の過去を暴露された照れ隠しのようでもあった。


 リオットはその変化を敏感に察し、表情には出さずに即座に返す。


「あ、はい。大丈夫です」


「ほんと、アゼルってば……困ったことがあるとすぐリオットに振るようになったのよね~」


 呆れたような、どこか楽しげな口調でミレイユが言う。すでにそれが恒例のようになっているらしく、アゼルも反論せずに視線を逸らした。


 シャリエの杯を後にしたリオットは、エルグラム本部へと足を運び、連日のように顔を合わせていた副官二人――アゼルとミレイユの元を訪れていた。


 ひととおりの手続きを終え、そして今日、記紡者としての新たな旅路に出ることが正式に決まった日。

 今は、その見送りとして三人で本部出口へと歩いているところだ。


 道中、会話は途切れがちではあった。


 けれど無言が気まずいわけではなく、それぞれの胸にあるものを整理しているような、穏やかな沈黙。

 そして、本部の外門が視界に入った頃。ミレイユが歩みを止め、ふわりと笑みを浮かべながら言う。

 

「それじゃあ、私たちはここまでね~。……本当は、王都の門までついて行きたかったのだけど~」


「……その、副官って、忙しいんじゃないんですか?なのに、わざわざ来てくれて……普通に、嬉しかったです。はい」


「ふふ、私たちの立場を知った。リオットの反応は愉快だったわ〜」


 楽しげに笑うミレイユの声に、リオットは「あ〜……」と情けない声を漏らすしかなかった。


 アゼルとミレイユ。


 最初に会ったときは、「ちょっとクセのあるけど、いい人たちかも」が印象だった。


 ところが翌日には、「私たちは継記主(けいきしゅ)直属の副官なのよ〜」とさらりと告げられ、冗談だろうと笑いかけた矢先、アゼルの真顔で「事実だ」ときっぱり釘を刺された。


 逃げるならまだ間に合うと、本気で考えたのは記憶に新しい。

 エルグラム本部という巨大組織の中で、彼らは頂点に立つ“継記主”の直轄――左右の手とも呼ばれる存在。記紡者になったばかりのリオットにとっては、どう考えても荷が重すぎる相手だった。


 二人が身にまとう純白の制服も、リオットは「偉そうな服」などと軽く揶揄ってしまったが、今となっては無知すぎて笑えてくる。

 あの制服は、実力と地位に裏打ちされた本物の証なのだと。


「何かあればすぐに使葉(しよう)を飛ばすんだ。あと、亡魔に遭遇しても無理に討伐しようとはせず、ルートを変えるか聖騎士団の助けを借りろ。……まあ、君の護衛に彼女がついてくれるとはいえ、たった二人の旅だ。無理はせず、安全な道を選べ」


 アゼルの声音はいつになく真剣で、どこか不器用な優しさがにじんでいた。その言葉を受け取ったリオットは、照れ笑いまじりに言葉を返す。


「……アゼルって、思ってたより、ずっと世話焼きなんですね」


「そうなのよ〜。それに気に入った子には、特にお世話を焼きたがるタイプなのよ〜」


 横からミレイユが茶化すように笑い、アゼルは視線をそらして小さくため息をついた。


「えっ……ってことは、俺って……アゼルのお気に入り、だったりします?……ちなみに、ミレイユさんはどうです?」


「ふふ、私はもちろん……内緒よ〜」


 ミレイユは悪戯っぽく目を細め、リオットは「ええ〜っ」と困ったように笑う。

 そんな賑やかな空気の中、アゼルはふと真顔に戻り、静かに言葉を続けた。


「はあ……それから、これも記紡者である君に贈ろう」


 そう言って、アゼルが差し出したのは、細身の腕輪だった。中心には透き通ったエーテル結晶がはめ込まれており、淡く脈動するような光を宿している。


 金属部分には過度な装飾はなく、どこか繊細な印象を与えるデザイン。


「これは“補助型ウィクラー”。君のような記紡者のために設計されたものだ。……エーテルを流せば、自分に適した武器が一時的に生成される。使用者の属性に応じて、水の槍や焔の刃といった具現が現れるはずだ。エーテルの出力が高ければ、それだけ威力も上がる」


 リオットはそっとそれを両手で受け取り、手の中で軽く転がす。


 装備の重みはほとんどなく、指の腹で結晶をなぞると、どこか心臓の鼓動のような、微かな律動が指先を打った。


「へえ……ウィクラーって、こういう形もあるんですね」


「ああ、ウィクラーは今や、この世界の生活基盤そのものだ。暮らしから戦闘に至るまで――エーテルを媒介とする魔導具は、すべてこの名称で括られている。たとえば誰もが使っている照明球も、分類上は“生活式ウィクラー”に含まれる」


 ウィクラー。それは魔法という特別な力を、エーテルを触媒にし“日常”の手のひらに乗せた道具。


 特別でありながら、あまりに便利すぎて、“あって当然”と思わせるほどに、人々の暮らしに溶け込んでいる。


 光をともす。遠くにいる人と話す。

 武器を生み出す。

 それらが、努力でも奇跡でもなく、仕組みで叶えられる時代。


 ウィクラーは、魔法と人間のあいだに架けられた、静かで確かな橋だった。


 リオットは、少しだけ緊張を込めながら、その腕輪を右の手首へと装着した。冷たい金属が肌に触れた瞬間、結晶の奥で何かが目覚めるように、かすかに振動が走る。


 透明だったエーテル結晶が、ふわりと光を灯す。その色は、淡く滲むような薄緑。まるで風がそっと草原を撫でたときのような、やわらかな発光だった。


 結晶の中に、微細な光粒がくるくると舞い、数秒ほどゆるやかに脈動を繰り返す。


「あら〜、リオットは風のエーテルと相性がいいのね〜」


「せっかくだ、武器も具現化してみろ。方法は、君が照明球にエーテルを注ぐときと同じだ」


 アゼルの言葉を受けて、リオットは小さく頷いた。

 

 ――つまり……こうすればいいってことだよな。

 

 内心でそう呟き、左手の指先で緑色に変化した結晶にそっと触れ、意識を集中してエーテルを流し込む。

 

 すると、結晶が淡く光を放ちはじめ、刹那。


 リオットの両手の中に、清涼な風がふわりと巻き起こる。その風が収束するように形を取り、やがて二つの小さなナイフとなって具現化した。


「お、お……おおおおっ〜〜!!」


 思わず感嘆の声を漏らしながら、リオットは手にしたナイフと目の前の二人、アゼルとミレイユの顔とを、何度も行き来させる。


 信じられないような気持ちと、抑えきれない高揚感。まるで新しい玩具を手にした子どものように、目が輝いていた。


 リオットはナイフを両手に持ち直し、その感触を確かめるように軽く構える。

 そして、ごく自然な動作で空中をひと振りした。


 するとナイフはふっと音もなく、風と共に形を失った。霧のようにほどけて空気へと溶け、跡形もなく消えていく。まるでナイフそのものが幻だったかのように。


「え、え……え?」


 リオットは自分の手のひらをまじまじと見つめる。指先には、ついさっきまで確かに刃の重みがあったはずなのに、今は何も残っていない。


 置いていかれた子どものような気分になった。訳も分からずぽつんと取り残されたような。

 そしてそのまま、助けを求めるように顔を上げ、アゼルとミレイユに視線を向ける。


「アゼル〜、ミレイユさーん……」


 アゼルは、わずかに肩を竦め、薄くため息を吐く。


 表情に目立った変化はないが、目元がほんの少しだけ和らいでいた。きっと、こうなることを想定していたかのように、彼は言う。


「注いだエーテルの量が足りなかったんだろう」


 事実を冷静に指摘しつつも、その声音はどこか柔らかい。過去に同じ失敗をした誰かの記憶でも、思い出しているのかもしれない。


 その隣で、ミレイユがふわりと微笑んだ。


 手を口元に添えながら、困ったように、けれど優しく。どこか弟を見る姉のようなまなざしで、リオットを見つめる。


「ふふ、だからそんなに悲しそうな顔をしないでね〜」


 リオットは少しだけ照れくさそうに笑い、背筋を正すと、短く、けれどしっかりと答えた。

 

「……精進します」


 リオットのその言葉に、二人は特に言葉を返さない。けれど、その眼差しがすべてを語っている。

 二人とも「仕方ない」とでも言いたげに、ほんのわずかに目を細めるのだった。


 その静かな余韻を破るように、バサバサッと羽ばたく音が頭上から響く。


 思わず空を仰いだリオットの視界に、まぶしい陽光を背にして、一つの影がゆっくりと舞い降りてくるのが見えた。


 翼をもつそれは、鳥のようでいて、どこか鳥とは違っていた。その輪郭は葉で編まれており、陽を受けた羽根が青々ときらめいている。


「使葉だ」


 リオットは小さくつぶやく。三人の頭上をひと回り旋回したその羽ばたきは、やがてゆっくりと高度を下げ、ミレイユの目前でふわりと動きを止めた。


「おいで」

 

 彼女がそっと手を差し出すと、それを待っていたかのように、その生き物は迷いなく彼女の腕に舞い降りた。くちばしには、封蝋で封じられた丸めた書簡がしっかりとくわえられている。


 ミレイユがその書簡を静かに受け取った、その瞬間――、


 生き物の体に、ふと変化が現れた。


 輪郭がほどけるようにやわらかく滲み、葉が風に解けていくように、その羽も胴も、静かに、音もなく消えていく。

 役目を終えたことを、まるで自分で悟ったかのように。


 最後に残されたのは、一枚の木の葉だった。


 ミレイユは両手でその葉をそっと受け止め、優しく目を細める。その表情には、どこか慈しむような、命あるものへの深い敬意がにじんでいた。


「お喋りの時間は、もうお終いみたいね〜。それに……彼女の方も、そろそろ向かっているんじゃないかしら〜」


「エルグラム王国の出入口は三つある。ここから一番遠いオルシット領に向かうなら、少し急ぐ必要があるな」


「ああ、それなら心配いらないです。ウーレン領に向かうつもりなんで」


「……ウーレン領にいる祝福者の情報は、“天気を予測する”祝福だったか。記録は二十年前のままで、以降の更新は確認されていない」


「祝福者の観測情報、見ましたけど……ほとんどが何十年、下手すると百年前のもので。さすがに笑いました。でも、一年前にアーロイ領で“とにかく不運が続いてる子”の記録があって。……ここは一応、確認しておいた方がいいですよね。当たり外れの差が激しそうですけど」


 大きく背伸びをひとつ。


 空を仰ぎながら、リオットは身体の奥まで空気を吸い込んだ。視線は、これから向かうアーロイ領の方角へと向けられている。


 移動手段はすでに手配済み。あとは、足を前に運ぶだけだ。空は雲ひとつなく、どこまでも澄み渡っている。陽の光はあたたかく、風は肌をくすぐるようにやさしく吹いていた。


 まさに、旅立ちにはこれ以上ない好日。

 そして、頭上を覆うのは、世界樹エルグラムの広大な葉の天蓋。幾重にも重なった緑の葉が、風を受けてさらさらと音を立てる。


 耳を澄ませば、「いってらっしゃい」と背を押してくれているようにも聞こえる。

 

 リオットは、瞳を細めた。


 これからしばらく――いや、どれほどの時をこの場所から離れることになるのかは、分からない。

 それでも、この囁きともしばし別れかと思うと、ほんの少しだけ、胸の奥に寂しさが滲む。


 振り返ると、アゼルとミレイユの姿が視界に入った。たった五日間。されど五日間。


 その短い時間の中で、ふたりとは十分に良い関係を築けたと、リオットは密かに思っている。

 ミレイユは、どこか母親のようなやさしさで寄り添ってくれた。アゼルは、やはり母親のような厳しさで、記紡者として導いてくれた。

 

 ……待てよ、これって、どっちも母親ポジションじゃないか。

 

 そんなツッコミが頭をよぎり、思わず苦笑する。


 そしてリオットは、感謝と親しみを込めて、二人に向かって笑みを浮かべ――、


「リオット・カーロイ。祝福部門所属の新米記紡者!」


「記紡者として……世界樹エルグラムに記憶を届ける旅、行ってきます」


 ◎◎


「ふふ、遅いよリオット。こっちはすっかり待ちぼうけだったんだから」


 ウーレン領方面の城門へと足を運んだそのとき、リオットの名を呼ぶ澄んだ声が、頭上から届いた。

 顔を上げ、陽の光を避けるように手をかざすと、ひとつの影が、空を舞うようにゆるやかに弧を描きながら降りてくる。


 そして、羽のようにふわりと着地したその影は、まるで舞台に現れる役者のように静かにその姿をあらわした。


「クラリス!」


「それじゃ、出発しよっか。心配いらないよ、私がちゃんと守るから。ね、リオット」

お読みいただき、ありがとうございました。


二章が始まりました。

これからも、リオットの旅を見守ってくださると嬉しいです!


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