『光の先に、君がいる』
――我々が滅ぶことはない。
黒い霧が、音もなく世界を覆いはじめる。空が裂け、大地が呻く。命あるものすべてが拒絶されていく。
「……だろうな」
返す声は、静かで熱を秘めていた。
――貴様が我らを斬っても、いずれまた芽は生まれる。
空気が濁る。空間が歪む耳の奥をひりつかせる声は、呪いのように絡みつく。
「……知ってるさ」
男は一歩も引かない。崩れかけた地に、折れた剣を突き立てる。
もはや刃ではないその武器に、なお想いを込めて。
「それでも――俺はやる」
空間がひび割れ、瘴気が吹き荒れる中で、男は、呼吸を整えるように、一瞬だけ目を閉じた。心の奥から、声が浮かび上がる。忘れられない声、顔、想い。
脳裏に浮かぶのは、共に過ごした顔たち。
「兄貴!」と無邪気に笑ってくれた、真っ直ぐな弟分。
顔を真っ赤にしながら、震える声で気持ちを告げてきた魔法使いの少女。
冷たい目をしながらも、助けてくれた王子。
でも、何より忘れられないのは――。
『私以外の村の人、全部いなくなったの。厄災で』
泣きながら、それでも笑っていた彼女の顔が、今も焼きついている。なぜ笑えたのか、なぜあんなにも優しくなれたのか。
真意は彼女にしか分からない。だけど――その姿に、救われた。
だからこそ決めた。この手で、終わらせると。あの日流れた涙を、絶対に無駄にはしないと。
無数の願いが胸を貫き、折れた刃の芯へと集まっていく。やがてその剣は、ぬくもりにも似た輝きを帯びていく。激しさではなく、優しさで。破壊のためではなく、未来を繋ぐために。
世界のあちこちにある、たった一人ぶんの「大切」を守りたいという祈り。それが今、ひとつの刃へと姿を変えていた。
――いずれ忘れ去られる、哀れな男よ。
「はっ、勝手に言ってろ」
祈りを纏った剣を振りかぶり、迷いなく振り下ろす。天を貫いた光の刃が厄災へと真っ直ぐに吸い込まれ、大地が軋み、風が咆哮する。彼は刃を押し込むように、全身で祈りを託した。
「……う、おおおおおおッ!!」
目を開けろ。最後まで、見届けろ。これは物語の終わりじゃない。だけど、今だけは終わりとして信じていい。
異世界に転移して、この力で、全てを救えると思った。でも、そんな甘さはすぐに砕かれた。後悔もある。けれど、それ以上の覚悟が残った。
唇を噛み、滲む鉄の味を舌先で払う。この手で“厄災”を退けて、世界に平和が戻るのなら、もう、充分だ。
近くでまだ戦っている彼女の笑顔が、ふと浮かぶ。細い腕で武器を構え、泥だらけになりながら、笑っていた顔。あの時、無理に明るく振る舞ってたことくらい、わかってた。
戦場で別れる前に終わったら、一緒に暮らそう――そう言った。
本気だった。ただ、それだけは、誰にも否定させない。たとえ笑われても、あの言葉には、全部を込めていた。
苦笑が漏れる。だが、だからこそ生きて帰る。どんなフラグも全部へし折って、彼女のもとへ胸を張って帰る。その未来のために、いま終わらせる。
祈りの刃が、その想いを放ちはじめる。厄災の声は、もう聞こえない。ただ風が吹き、空が裂け、風の音だけが、生まれ変わった大地に響いていた。
この戦いが終われば、旅も終わる。歩き続けて、出会って、失って、それでも前を向いてきた日々。迷い、躓きながらも、彼女と皆のために立ち上がった時間。
「……第1部、完ってやつか?」
ようやくゲームをクリアしたと思ったら、しれっと続編ムービーが始まる。ほんと、嫌になる。それでも――彼女がいてくれるなら、ここで、生きていける。
「だから俺は、幸せなエピローグに行かせてもらうからな」
厄災がいた大地に、ひと筋の白炎が走った。斬撃というには静かで、破壊というには優しすぎる。変換された力は、“願い”そのもの。
誰かの「生きたい」、誰かの「守りたい」、誰かの「そばにいてほしい」
言葉にならない声が、彼の腕に染み込むように宿る。折れた剣はいまや、想いのしずくが染み込むように、静かに形を成していく。
それは、怒りでも憎しみでもなかった。大切な誰かの明日を託したいという希望。その想いが、まっすぐに世界を貫いた。
近くで泣いている君の未来を。遠くで戦っているあなたの力を。まだ知らない声の、名もない祈りを。
すべてを抱きしめたまま、剣はまっすぐに振り下ろされた。
白く細いきらめきが、地を貫いた。見開いた瞳が焼かれるような、一閃。なのに、“悲しみの終わり”そのもののような、優しい輝き。
戦場にいた仲間たちは、その瞬間、世界が止まったように感じた。剣を構える手も、弓を引く指も、詠唱の口も――まるで時が凍りついたかのように。その視線は、誰もが空へと向いていた。
「終わったのか……?」
震えるような呟きが、戦場に落ちた。
敵が足元から崩れはじめる。黒い瘴気が音もなく立ちのぼり、塵となって空へと還っていく。まるで、最初から存在していなかったかのように。
ひとり、またひとりと、剣を収める。弓を下ろし、息を吐き、詠唱の声が消えていく。皆が、今この瞬間が終わりだと、静かに理解していた。
そして、迷いなく走り出した少女がいた。
風を切って、叫ぶようにその名を呼ぶ。
「イツキ……!」
泥に足を取られても止まらない。風が顔に叩きつける。息は荒く、喉は焼ける。でも、それでも――目を逸らせなかった。
霞む視界の向こう、光に包まれた背中がぽつりと見えた。
剣を下ろし、空を見上げている。その姿は、今にもどこかへ溶けてしまいそうだった。
「イツキ!!」
ようやくたどり着いたシャリエットは、膝に手をついて息を整えながら、震える声でもう一度、名前を呼んだ。
「……イツキ……」
彼――イツキは、振り返らないまま答えた。空を仰ぎ、ただ静かに立ち尽くしている。その背は、とても温かかった。だからこそ、シャリエットは迷わず腕を伸ばした。
そっと、その背中に腕を回す。
戦場の喧騒が消えた静寂のなかで、二人の心音だけが確かに響いていた。
「……終わったんだよ、イツキ」
「ああ、終わったな。シャリー」
言葉は短く、それでいて十分だった。イツキの手が、そっと彼女の手に重なる。 それは、ただのぬくもりじゃない。生きている者の鼓動だった。
世界にはゆっくりと平穏が戻っていく。
その先に名が残らなくても、想いは未来へと確かに届いていた。
エルグラム暦1452年。
この年、厄災は討たれた。
お読みいただき、ありがとうございました。
ここから、『エルの庭』の物語が始まります。
小さな出会いが、やがて大きな記憶へと繋がっていく――そんな旅のはじまりを、見届けていただけたら嬉しいです。
続きもぜひ、お楽しみください。
また、もし気に入っていただけましたら、ブックマーク登録や、☆評価ボタンをポチッと押していただけると励みになります!