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エルの庭  作者: 空乃 みづい
エピローグ
1/26

『光の先に、君がいる』

  ――我々が滅ぶことはない。


 黒い霧が、音もなく世界を覆いはじめる。空が裂け、大地が呻く。命あるものすべてが拒絶されていく。


「……だろうな」


 返す声は、静かで熱を秘めていた。


 ――貴様が我らを斬っても、いずれまた芽は生まれる。


 空気が濁る。空間が歪む耳の奥をひりつかせる声は、呪いのように絡みつく。


「……知ってるさ」


 男は一歩も引かない。崩れかけた地に、折れた剣を突き立てる。

 もはや刃ではないその武器に、なお想いを込めて。


「それでも――俺はやる」


 空間がひび割れ、瘴気が吹き荒れる中で、男は、呼吸を整えるように、一瞬だけ目を閉じた。心の奥から、声が浮かび上がる。忘れられない声、顔、想い。


 脳裏に浮かぶのは、共に過ごした顔たち。


 「兄貴!」と無邪気に笑ってくれた、真っ直ぐな弟分。

 顔を真っ赤にしながら、震える声で気持ちを告げてきた魔法使いの少女。

 冷たい目をしながらも、助けてくれた王子。


 でも、何より忘れられないのは――。


『私以外の村の人、全部いなくなったの。厄災で』


 泣きながら、それでも笑っていた彼女の顔が、今も焼きついている。なぜ笑えたのか、なぜあんなにも優しくなれたのか。


 真意は彼女にしか分からない。だけど――その姿に、救われた。


 だからこそ決めた。この手で、終わらせると。あの日流れた涙を、絶対に無駄にはしないと。

 

 無数の願いが胸を貫き、折れた刃の芯へと集まっていく。やがてその剣は、ぬくもりにも似た輝きを帯びていく。激しさではなく、優しさで。破壊のためではなく、未来を繋ぐために。


 世界のあちこちにある、たった一人ぶんの「大切」を守りたいという祈り。それが今、ひとつの刃へと姿を変えていた。


 ――いずれ忘れ去られる、哀れな男よ。


「はっ、勝手に言ってろ」


 祈りを纏った剣を振りかぶり、迷いなく振り下ろす。天を貫いた光の刃が厄災へと真っ直ぐに吸い込まれ、大地が軋み、風が咆哮する。彼は刃を押し込むように、全身で祈りを託した。


「……う、おおおおおおッ!!」


 目を開けろ。最後まで、見届けろ。これは物語の終わりじゃない。だけど、今だけは終わりとして信じていい。

 異世界に転移して、この力で、全てを救えると思った。でも、そんな甘さはすぐに砕かれた。後悔もある。けれど、それ以上の覚悟が残った。


 唇を噛み、滲む鉄の味を舌先で払う。この手で“厄災”を退けて、世界に平和が戻るのなら、もう、充分だ。


 近くでまだ戦っている彼女の笑顔が、ふと浮かぶ。細い腕で武器を構え、泥だらけになりながら、笑っていた顔。あの時、無理に明るく振る舞ってたことくらい、わかってた。


 戦場で別れる前に終わったら、一緒に暮らそう――そう言った。

 本気だった。ただ、それだけは、誰にも否定させない。たとえ笑われても、あの言葉には、全部を込めていた。


 苦笑が漏れる。だが、だからこそ生きて帰る。どんなフラグも全部へし折って、彼女のもとへ胸を張って帰る。その未来のために、いま終わらせる。


 祈りの刃が、その想いを放ちはじめる。厄災の声は、もう聞こえない。ただ風が吹き、空が裂け、風の音だけが、生まれ変わった大地に響いていた。


 この戦いが終われば、旅も終わる。歩き続けて、出会って、失って、それでも前を向いてきた日々。迷い、躓きながらも、彼女と皆のために立ち上がった時間。


「……第1部、完ってやつか?」


 ようやくゲームをクリアしたと思ったら、しれっと続編ムービーが始まる。ほんと、嫌になる。それでも――彼女がいてくれるなら、ここで、生きていける。


「だから俺は、幸せなエピローグに行かせてもらうからな」


 厄災がいた大地に、ひと筋の白炎が走った。斬撃というには静かで、破壊というには優しすぎる。変換された力は、“願い”そのもの。


 誰かの「生きたい」、誰かの「守りたい」、誰かの「そばにいてほしい」

 言葉にならない声が、彼の腕に染み込むように宿る。折れた剣はいまや、想いのしずくが染み込むように、静かに形を成していく。


 それは、怒りでも憎しみでもなかった。大切な誰かの明日を託したいという希望。その想いが、まっすぐに世界を貫いた。


 近くで泣いている君の未来を。遠くで戦っているあなたの力を。まだ知らない声の、名もない祈りを。


 すべてを抱きしめたまま、剣はまっすぐに振り下ろされた。


 白く細いきらめきが、地を貫いた。見開いた瞳が焼かれるような、一閃。なのに、“悲しみの終わり”そのもののような、優しい輝き。



 戦場にいた仲間たちは、その瞬間、世界が止まったように感じた。剣を構える手も、弓を引く指も、詠唱の口も――まるで時が凍りついたかのように。その視線は、誰もが空へと向いていた。


「終わったのか……?」


 震えるような呟きが、戦場に落ちた。


 敵が足元から崩れはじめる。黒い瘴気が音もなく立ちのぼり、塵となって空へと還っていく。まるで、最初から存在していなかったかのように。


 ひとり、またひとりと、剣を収める。弓を下ろし、息を吐き、詠唱の声が消えていく。皆が、今この瞬間が終わりだと、静かに理解していた。


 そして、迷いなく走り出した少女がいた。

 風を切って、叫ぶようにその名を呼ぶ。


「イツキ……!」


 泥に足を取られても止まらない。風が顔に叩きつける。息は荒く、喉は焼ける。でも、それでも――目を逸らせなかった。


 霞む視界の向こう、光に包まれた背中がぽつりと見えた。

 剣を下ろし、空を見上げている。その姿は、今にもどこかへ溶けてしまいそうだった。


「イツキ!!」


 ようやくたどり着いたシャリエットは、膝に手をついて息を整えながら、震える声でもう一度、名前を呼んだ。


「……イツキ……」


 彼――イツキは、振り返らないまま答えた。空を仰ぎ、ただ静かに立ち尽くしている。その背は、とても温かかった。だからこそ、シャリエットは迷わず腕を伸ばした。


 そっと、その背中に腕を回す。


 戦場の喧騒が消えた静寂のなかで、二人の心音だけが確かに響いていた。


「……終わったんだよ、イツキ」


「ああ、終わったな。シャリー」


 言葉は短く、それでいて十分だった。イツキの手が、そっと彼女の手に重なる。 それは、ただのぬくもりじゃない。生きている者の鼓動だった。



 

 世界にはゆっくりと平穏が戻っていく。


 その先に名が残らなくても、想いは未来へと確かに届いていた。


 エルグラム暦1452年。

 この年、厄災は討たれた。

お読みいただき、ありがとうございました。


ここから、『エルの庭』の物語が始まります。

小さな出会いが、やがて大きな記憶へと繋がっていく――そんな旅のはじまりを、見届けていただけたら嬉しいです。


続きもぜひ、お楽しみください。


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