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美の術の窓 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 みんなは、なぜ学校の教室は左側に窓があるか知っているかい?

 教室へ入って前の黒板と向き合うとき、右手が廊下、左手が窓となっているはずだ。

 左側は南に面し、光を取り入れやすい方角となっている。このつくりはいったい、どうしてか? ということだ。

 ……ほう、つぶらやくん、早いな。答えてみてくれ。


 うん、そうだ。日本には右利きの人の数が多いからだな。

 書くものを持つのが右手となると、そこで光が遮られれば壁となり、影が伸びる。

 ちょうどノート部分が影に隠され、筆記をするにも暗がりになり、目が悪くなる恐れが高くなるんだな。

 そのほか、照明が数用意しづらい時代に、少しでも室内の日照時間を長くするためのアイデアでもあったとか。

 左利きの人がクラスにいたとしても、できる限り窓際から離すよう、これまで考慮してきたと思っているよ。


 これの例外が、美術室だ。

 美術室へダイレクト陽が差していくと、モデルの影の向きなどに影響が出てくる。

 そのような事態を避けるために、他の教室とは別の方向。北側に窓が来るよう配置されるのがほとんどなのだそうだ。

 もともとの校舎の向きを調整し、他の教室と同じように左側へ窓を置く学校も、なくはない。しかし、この学校は右側に窓を配するようにしているはずだ。

 昔の先生もこの学校に通っていた。自然、窓から通してみる景色に関しては慣れているが、北側を大々的に見られるのは美術室からだ。

 だから外の景色を描く授業のときも、室内から窓越しに外を見るんだけど……少し奇妙な経験をしたことがある。

 そのときのこと、今後の用心のために耳へ入れておかないかい?



 先生のお絵描き仕事で、最も時間がかかるのがデッサン部分だと思う。

 当時からすでに完璧主義のきらいがあったから、少しでも気に食わないところがあると、延々とやり直しをしてしまう。しかも、その繰り返しを苦にしない。

 途中経過を先生に見せることも、めったにしなかった。自分が見苦しいと評しているものをさらして、先生の目を汚したくはないし、なめられたくもない。

 そう考えると、自分から動く気分はせずに、先生の方からこちらへ確かめに来るとか、リミットが迫るままに任せていた。授業点に、あまりいい加算はされなかったかもしれないな。

 その日は写生画を描くときであり、早い子ならもう色ぬりを始めてオーケーな頃合いだったが、先生はいまだ下書き気味に甘んじていたんだよ。



 窓から見る冬景色。

 先生が自分なりのファインダーにおさめるのは、窓から見るプール寄りの景色。

 落ち葉がそこかしこに浮かぶ水の上を、鴨らしき鳥が悠然と泳いでいく姿もいいが、せわしなく左右へ動くために、モデルとしてはいまひとつだ。

 完全に停止といかずとも、その場でくりくり回転するくらいにとどめてくれればなんとかするのになあ……と思いつつ、当初の鴨モデル案を没にしかける先生の前に、新顔が現れた。

 プールサイドへ器用に枝を張り出す寸前まで育った、更衣室裏に立つ木の一本だ。

 鴨を眺めていたおり、ひゅっと彼方から飛んできて、視界の端にある枝の先へ絡まったものがあったんだ。


 スズランテープの切れ端のように見えた。

 やや桃色がかった細い体を、中央から「く」の字に折り曲げて、枝の先に引っかけている。

 閉じきった窓の先で、衰えることなくたなびき続けるのは、風が吹き寄せているためか。


 ――これはなかなか、レアな構図じゃないか?


 元より、あの木自身も構図に書き入れている。

 先生は書きかけの枝の先に、例のスズランテープの流される様子を描いていく。

 テープは先生が何度もチラ見をする数分の間、十分な姿勢を保ってくれていて、おおよその形は写し取れたものの、ここからが先生にとっての本番。


 自分の納得する形へ持っていく。

 それはテープのひとすじ、ひとすじを鮮明にすることであり、果てがないと思われる仕事だ。先生からのお声がかかるまでの間。

 テープばかりに、かかりきりになるわけにもいかない。写生画にはプールから、更衣室の裏の広いスペースに、先生方が停めた車たちがあり、フェンス向こうには車道をはさんで田んぼが広がる。

 そいつらをうまいこと、一枚の紙の中へおさめなくてはいけない。

 自然、あちらこちらへ目を向けることになり、走らせる鉛筆の運動量も多くなる。

 それでも、数こなした下書きの経験を頼りに、全体の大枠が固まったところで、先生はようやくまた、例のスズランテープを見やる。


 テープはなびくことを止めていた。

 かといって枝から脱落したわけじゃなく、むしろ反対。枝の先端をしっかりと包みこむ形で、その身体をすっかりすぼめている。

 先生とて、少し首をかしげたさ。

 もし単純に風が止んだのであれば、テープはだらりと下へ垂れるだけだろう。万物を引っ張る重力に身を任せて。

 それがああも見事に、まるでつぼみのように枝の先へ幾重にも身体を巻き付けるなど……。


 ――つぼみ?


 ふと、自分はつぼみを、なびくテープと錯覚したんじゃないかと、不安になった。

 目を画板に落とす。自分のタッチで確かにあの枝の先には、風に吹きすさぶ「く」の字のテープの姿があった。

 幻なんかじゃない、という確たる証。けれども、目の前に展開されているのが見過ごせないほどの別物ならば、それに従わなくてはならない。


 消しゴムを手に取り、テープ部分を消す。

 同時に包まれる枝の部分も消して、ふくらみある輪郭を整えていく。あのつぼみをおさめんがためだ。

 そのために、またしばらく目線をそらしていたのが、まずかったのかもしれない。

 ひと段落し、顔をあげ直したとき。つぼみはそこからなくなっていたのだから。



 あの瞬間、先生の目の先には羽を広げる、ピンク色の蝶の姿があったんだ。

 枝の上でしばし、息をするように羽を大きく開閉させるや、ぱっと飛び去っていく。

 大きさにして指先にとまれるほどの小さなものではあったけれど、枝の端ははっきり見て取れるくらい、先ほどよりも短くなっている。

 あの蝶が持っていたのだろうか。しかもかかえたり、身体にくっついていないところを見ると、溶かすなりなんなりして、身体のうちへ取り込んだのか……。


 結論の出ないまま、先生は三度の手直し。枝を短くしきったところで、授業終了のチャイムが鳴ってしまい、それぞれの作品は回収と相成る。

 あのテープそのものが、例の蝶の卵に相当するものだったのだろうかと、先生は振り返りながら思う。

 ほんのわずかな時間で着床し、つぼみを思わすさなぎとなり、やがては成虫となって飛び去っていく。

 ひょっとしたら先生はあのとき、まだ知られざる新種を目の当たりにしたのかもしれなかった。


 校舎の中で唯一、別の方を向く窓。

 そこは生き物たちの珍しい姿さえも映し出せる、限られた空間なのかもしれない。


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