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しーしー、でちゃう……っ

「おねえちゃん……おしっこぉ……」

 人目も気にせずに、わたしはいい放った。

 はやく、トイレに行かなきゃ。おトイレいきたい。おしっこ。ちっち。

「我慢できる?」

「むり……らめぇ……」

「……か弱く呟くのめっちゃかわ」

「はやくしてよぉ……!」

 幼い女の子のように、股を抑えて地団太を踏んだ。

 そんな限界の状態に、おねえちゃんは耳元で囁きかける。

「でも、いまのハルくん、とっても女の子みたいで……かわいいよ?」

 顔面がぼっと燃え上がる。熱く、真っ赤に。鉄のように。

「はぅぅ……」

 ぷしゅー、と頭から煙を上げる。

 わざわざ、男の子みたいなあだ名で「かわいい」なんて囁いてくるおねえちゃんはちょっと嫌いだ。だって、頭の中をこんなにも「かわいい」で埋め尽くして、ぐるぐるとかき乱してしまうんだもの。

 息を荒げて、顔を赤らめ、おねえちゃんに抱き着く。そんなわたしは果たして、周囲にはどんな姿に見えたのだろうか。もはやそんなことすら気にしてられなかった。

 おしっこ。かわいい。おしっこおしっこおしっこかわいいおしっこかわいいかわいいおしっこ。

 頭の中はもうめちゃくちゃだ。壊れそうなほどに、カワイイがあふれていて――少し、びりびりとした気持ちよさが、体中を駆け巡っていた。

「あぅ……も……らめ、らよぉ」

 足をがくがくさせて、しかし最後の理性を振り絞る。

「らから、おといれ……はやくぅ……」

「あっ、ごめん、からかいすぎちゃったかな」

 謝りつつも、手を引いてくれるおねえちゃん。一歩一歩近づいて――ついに、トイレの目の前に。しかし。


「そっち、違うでしょ?」

「……え?」


 トイレの前。そこには二つの入り口が並ぶ。そう、入り口は二つだけ。

 男子トイレと女子トイレ。そのうち前者にゆっくりと入ろうとした()を、おねえちゃんは引き留めたのである。

「なん、で……」

 驚愕し絶望した僕を、おねえちゃんは笑い。

「こんなにかわいい子が、男子トイレに入っちゃだめだよ。だって、あなたは私の――いもうと、なんだから」

「だからって……僕は、おとこ……」

「ちがう、でしょ? “妹”が“男”なわけ……ないでしょ?」

 有無を言わさないようなその微笑みに、僕は目を見開いて。

「う、そ、でしょ……だ、め……ぼくは……」

 絶望した。女児ショーツがジワリと濡れた感覚を覚えた。

 下向きに押さえつけられたその発射口から、じわり、じわりとあふれ出す。

 ぱんつを濡らすその水流は、足を伝って、水たまりを形作り始める。

「ひゃ、あ……やだよ……や……おも、らし……」

 口にした単語が、拒否したその単語が、皮肉にも、今の状況を説明するに一番ふさわしい言葉だった。

 おもらし。幼い子供ですらしないような、それこそ赤ん坊のするような「幼稚な行為」。わずかにあった“僕”としてのプライドがボロボロと崩れていく音がした。

 目の前が滲む。ぼくは、ぼくは――


 気が付いたら、一人でトイレの個室にいた。

 ……ああ、さっき、僕は泣いたんだ。それで、お姉ちゃんがトイレに連れて行ってくれて。

 そして、ここが女子トイレの個室であったことを思い出す。

 結局、入っちゃった。あーあ、捕まっちゃったらどうしよ。女の子の格好をして女子トイレに潜入する大学生なんて、新聞に載ったら笑いものだ。

 そんな考えが頭の中をぐるぐるして、つい「ははは」、と渇いた笑みを漏らす。

 幸い人は少なかったけれども、それでも公衆の面前でおもらしなんてして、女子トイレに入って。ああ、もう僕の人生終わりだ。

 大きなため息を吐いた。

 そこに、こんこんとドアが二回ノックされる。

「はるくん、私だけど……」

「おね……玲華(レイカ)さん」

 おねえちゃん、とは呼ばなかった。呼びたくなかった。けど。

「お着換え、持ってきたわ。……汚れた服で人前には出たくないでしょ?」

 こう言われては仕方ない。がちゃりと鍵を開けた。

 まもなく扉が開き、入ってくるおしゃれな女性。そして扉が閉まり、再び鍵が閉まる。

 狭いトイレの個室で、二人きりになった。

 ……密接した空間に、沈黙が満ちる。無言で僕たちはにらみ合い――。

「ごめん!」

 先に口にしたのは、玲華さんだった。

「流石にやりすぎたわ。からかいすぎちゃった。……ごめんね」

 その軽めの口調とは裏腹に、声色は少しだけ真面目なものに聞こえた。

「これ、服。後ろ向いてるから、早く着ちゃって」

 彼女が腕から下げてた紙袋。一緒に歩いてるときにはなかったその袋を受け取って――すぐに、押し付けるように返す。

「着せて、よ。あの時のように。初めて会った、あの時みたいに」

 顔を見たら、どうしても甘えたくなっちゃうんだもん。

 そんな言い訳のような言葉は喉元にとどめたままで、赤くなった頬を隠すように俯いた。

 果たして、彼女は静かに頷き、トップスに手をかける。

 そして、素肌が晒された。


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