世界最強の暗殺者ママが過保護すぎるから、新米勇者の仮免期間が終わりませんっ!
「ババー!! オレの部屋に勝手に入ってくんじゃねー!!」
「あらあら~♡ ごめんなさいねぇ♡ ママ、むーくんが居ない間に、ささっとお掃除しちゃおうかと思ってぇ♡」
「誰に断って掃除してんだよ! ここはオレの部屋なんだよ!」
「ごめんなさいねぇ♡ ママ、うっかりしててぇ♡」
「ウッカリじゃねえ! 絶対わざとだろババー! ここはオレのなんだよ! オレが! 法王庁から直々に! 魔王汚染を浄化するよう! 指令を受けた部屋なんだよっ!!」
封印都市バルタザール。
都市の地下に広がる広大な迷宮、その第三階層。
勇者の叫びが天井の高い大広間に響き渡る。
ぴっちりタイツのアサシン装束に身を包んだ勇者の母は、両手を組んで乙女チックに身をくねらせた。
豊満なヒップと凶悪なバストがゆさりと揺れる。
「あらあら〜♡! 法王庁直々だなんてぇ♡ すごいわねぇ、むーくん♡!」
「いーから出てけよもーー!!」
『ピギーッ!!』
『ブギーーッ!!』
「あーもういい加減にしろよ! いつまでもっ、いつまでも!」
オークにゴブリン。知性を感じさせぬ醜い雄叫びを上げる、凶暴な小鬼ども。
押し寄せる魔物どもを聖剣で切り伏せつつ、勇者が背後の母親に怒鳴る。
「子供扱い! してんじゃ! ねえええーーーっ!!」
仮免勇者ムーンハウル・Jr.。
伝説の勇者「ザ・ルナティック」ムーンハウルの息子。まだ十三歳になったばかりの背の低い少年だ。
だがそれでも教会より聖剣取り扱い仮免許を交付された、見習い勇者の端くれである。地下第三階層に湧く低級魔族など、ものともせずになぎ倒してゆく。
倒された魔物の残骸が、黒いススとなり大気に溶けてゆく。
魔王汚染で発生する魔物は、地上のいかなる生物とも異なる。魔王の魔力により生み出されたこの世ならざる存在なのだ。
「御免なさいねぇ、むーくん♡ でもママね、法王庁に手を回……じゃなくって♡ 法王庁の人に言われて、むーくんの勇者仮免許の指導教官になったのぉ♡! キャ♡」
勇者の母が頬を染めて照れ笑いしつつ、両手でクナイを投擲する。
亜音速で放たれた暗器が、魔物の急所を次々と射抜いてゆく。
「マジかよ?! って、俺の討伐ポイントを横取りすんじゃねえ!!」
「わはー♪! むーくんママ、ワタシたちの指導教官っスか! じゃあ仮免卒業までずっと一緒っスねえ♪!」
「そーなのぉ♡! よろしくねぇ♡ クロちゃん♡」
「ハイっス♪! うりゃあ!!」
はしゃぎ声を上げる少女が、燃える拳で魔物を殴り飛ばす。
吹っ飛んだ小鬼が敵陣の中で花火のように爆散し、周囲を大きく延焼させる。
黒魔導士クロノア・クロウラー。格闘王クロウラーの一人娘。
トレードマークであるトンガリ帽子以外は、とても黒魔導士とは思えぬマッシヴな出で立ちだ。割れた腹筋とヘソ丸出しのメイジなど、彼女以外にこの封印都市バルタザールには居まい。
魔法射程距離ゼロ。対人距離感ゼロ。ついでにバストもゼロ。三重苦の十四歳である。
「失礼っスねーシロちゃん♪! ワタシの魔法の射程距離は62cmもあるっスよ♪!」
それは射程距離ではなく腕のリーチと言う。
「それにワタシのバストも、シロちゃんに負けず劣らずスクスク成長中っスよ♪!」
「つかシロ!! てめーも戦えや!!」
勇者がゴブリンメイジの火球魔法を盾で受けつつ、こちらに叫ぶ。
やれやれ。
私は封印教会に造られた最新鋭戦闘記録用ホムンクルス・アプリコットシリーズの、栄えある初期ロットである。この勇者パーティの随伴行軍記錄官であって、戦闘要員ではないと言うのに。
それに私の肉体成長度は十四歳相当ではあるが、戦闘などと言う野蛮な行動のための手段は持ってはいない。
「いーから!! 回復よこせ三歳児!!」
ゴブリンメイジの火球で腕を負傷した勇者が叫ぶ。
いやれやれ。
それでは勇者よ。キュートでプリティなこの私プリシラ・アプリコットちゃんの癒しの力、有難く受け取るが良い!
キュア!!
「ありがとよシロ!!」
魔法を受けた勇者の腕が白く発光し、即座に傷が治癒していく。
振り返り礼を述べる勇者の一瞬のスキを見逃さず、魔物たちが弓を放とうとする。
『ギャッ?!』
『ギギッ?!』
弓をつがえた魔物たちの目が白く輝いた。私の放った治癒魔法の発動エフェクトだ。
白い光に目がくらんで動きを止めた魔物を、勇者が一気に飛び込んで仕留める。
最新鋭の戦闘記録用ホムンクルス・アプリコットシリーズは、白魔術の運用にも長けている。しかし私の習得している魔法は、初級治癒魔法「キュア」のみ。
私はあまたある白魔術をいかに習得すべきかを独自に研究し、複数の魔法を習得するより、一つの魔法に絞った方が効率的だという結論に達したのだ。
強化に強化を重ねた結果、今や私のキュアは消費MP1・有効射程200m・狙撃精度±0.2度・秒間16連射という恐るべき――
「だから! 戦えシロ!!」
はいはいキュアキュア。
厄介な遠距離攻撃持ちをキュアで目つぶし。前衛の脳筋二人組はゴリゴリと魔物どもを掃討してゆく。
勇者ムーンハウル・Jr.と黒魔導士クロノア。前衛の脳筋タッグが敵をなぎ倒し、プリティでラブリーなこの私プリシラが後方から脳筋をサポート。これがこの仮免勇者パーティの基本陣形だ。
「いちいちプリティだのラブリーだのうるせーなシロ! っと!」
勇者が叫びつつ、クロノアをかばい盾を構える。その盾に突き立ったのはカミソリのように鋭利な鳥の羽だ。
勇者がしゃがみ、跳ぶ。10m以上も垂直に跳躍し、上空のハーピーを二羽同時に切り伏せた。空飛ぶ醜女が黒いススに変わってゆく。
人間離れした到達高度。これこそ勇者が聖獣より賜わった加護、「跳躍」だ。
軽やかに着地し周囲を見回す。魔物の気配は他に見当たらない。
だが、しかし。
「おお?! 来るか!」
「来たっスむーくん♪! ここのボスモンスターっス♪!」
「まあ、ボス戦ね♡! むーくん、落ち着いてね♡!」
勇者とクロノア、そして勇者の母。三人の前に魔力が渦を巻く。
勇者たちが倒した魔物たちの残滓が、禍々しい渦の中に飲み込まれてゆく。
魔物たちの消えた大広間に、より強力な魔物が顕現した。
4mを超える巨躯。勇者の身体よりも太く長い腕。変異したイノシシのような、醜悪な顔貌。両手に握られた、燃え盛る二刀流の首狩り斧。
白く濁った瞳が、殺意に満ちて勇者たちを睨む。
『ガファ! ガファ! ゲガガッ!!』
私の胸に下げられたログオーブが、魔物の正体を解析した。
上位魔族、オークキング。with火炎属性のエンチャント武器。
三階のボスモンスターにしては少々手ごわい。
しかし勇者は聖剣を構え、不敵に笑った。
「なぁにシロ! 十階より下に行けば、こんなのが雑魚としてワサワサ湧くんだろ?! 腕試しとしてもってこいってもんだ! 行ッくぜぇ、クロ!!」
「ハイっス! むーくん♪!!」
クロノアが敵の相性に合わせ、拳を炎から氷へとスイッチ。前傾に構える。
オークキングの両手斧。その刃渡りは二人の身長ほどもある。
喰らえば即死。しかしだからこそ、その一撃を避けた後にチャンスがある。
勇者とクロノアが無言で連携し、オークキングを挟むように左右に別れた。
「あらあら~♡ ねぇ、むーくん♡ 迷宮の十階より下は、と~っても危ないのよぉ♡? ママ、むーくんが心配だわぁ♡」
飛び込もうとした勇者がタイミングを逃し、後ろに向かって叫ぶ。
「なっ?! 何のために勇者になったと思ってんだよババー! 最下層目指すに決まってるだろ!!」
「まあ、最下層♡?! この迷宮には他にもいっぱい勇者様たちが居るのよ~♡? こういう浅い階層のお掃除も、勇者の立派なお仕事だと、ママ思うのぉ♡」
『グガガァ!!』
「そんなもんは仮免勇者の仕事だろ?! 俺は本チャンの勇者になって、下に行くの! そんで魔王を倒すの!!」
「まあ、そんなぁ♡! むーくん♡ 魔王だなんて危ないわぁ♡!」
「ま、まあまあ二人とも、落ち着くっスよ♪!」
『ゴ、ゴガガァ?!』
「危ないって何だよ! それが勇者の仕事でしょお! 何のために聖剣を貰ったと思ってるんだよママ!!」
ママ。
「まあ♡♡!!」
「っっ?!! う! うるせーシロ! 黙ってろ三歳児! とにかくボク、オレは! 最下層に行くんだよ!」
『グガガァアッ!!』
「ちょっとお静かにして頂戴ねぇ♡ いま家族の大事なお話をしてる、のッ♡!」
『ゴガハッ?!!』
両手の斧を振り上げたオークキングの眉間を、母のクナイが貫いた。
イノシシづらの額に、こぶし大の大穴が開く。
オークキングが地響きを立てて地面に倒れ、それきり動かなくなった。
「むーくんがママって呼んでくれたの、久しぶりぃ♡!! ママうれし~♡!!」
ボスモンスターが滅び、大広間の魔王汚染が晴れてゆく。
清浄な空気を取り戻した地下迷宮に、勇者の悲痛な叫びがこだました。
「んなああーー!! オレの討伐ポイントがぁぁーーっ!!!」
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
「ぐぬぬぬぬ! なぜだああーー!!」
封印都市バルタザールの地上階層。
勇者が冒険者の宿入り口にある掲示板を睨み、叫ぶ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第821号仮勇者、ムーンハウル・Jr.一行
第三階層の魔王汚染区域浄化による討伐ポイントを付与する。
低位魔族94体討伐
ムーンハウル・Jr.一行・54体…54Pts
ディアーナ指導教官・40体…40Pts
ボスモンスター・オークキング討伐
ムーンハウル・Jr.一行・貢献度2%…16Pts
ディアーナ指導教官・貢献度98%…784Pts
ランク1魔王汚染浄化…100Pts
計、170Ptsをムーンハウル・Jr.一行に付与する。
ムーンハウル・Jr.一行
現在までの累計ポイント…350/10,000Pts
・封印教会勇者庁・
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「まーまーむーくん、こんな日もあるっスよ~♪ そだ♪! 気分転換にチューするっスか♪?」
「しねえ!」
タコチューのように口を尖らせ抱き付いてくるクロノアを、勇者が押しのける。
そして苛立たしげに掲示板を叩く。
「ちくしょー! 仮免卒業の一万ポイントが遠すぎる! これじゃいつまで経っても本チャン勇者になって最下層になんて行けやしねーじゃん! シロ! 何とかインチキできんのか?!」
勇者が叫ぶが出来るはずもない。
記録や採点をしているのは慈悲深き私では無い。私が身に着けたログオーブの映像と音声を元に、封印教会のオッサンたちが採点しているのだ。
勇者の母が息子の顔色をうかがう様に、おどおどと頭を下げる。
「ご、ごめんなさいねぇ、むーくん♡ ママがポイント取っちゃってぇ……」
「……。うるせー。さくっと倒せなかったオレがトロくせーんだ」
「まあ♡! むーくん♡! ママ、むーくん大好きぃ♡!」
「くっつくな!!」
「じゃあママ、先におうちに帰ってお夕飯の支度してくるわねぇ♡!」
そう言うと、うきうきと凶悪なバストを揺すりながら去ってゆく。
それと入れ違いに、一人の男が勇者へと近づいてきた。
「おーおーひでえポイント。おチビちゃんよぉ、ま~たママにオンブに抱っこかぁ?」
「うるせーウドの大木が。森にお帰り」
「このオレサマはもう二千ポイント間近だってのに、まだ千にもなってねえとは! 先が思いやられるぜ! はっは! クロちゃんシロちゃん、チビのお守りも大変だねぇ」
「いやいや♪ 憧れだった勇者パーティをエンジョイしてるっスよ~小トラちゃん♪!」
「喋るなクロ。バカが感染るぞ」
絡んできた長身の少年は、隣街である三番街の仮免勇者だ。
その右腕は黄と黒の獣毛に覆われ、鋭い爪が生えている。
通称「虎爪の勇者」。トラファルガー・Jr.。十四歳。
討伐ポイントは現在1,450。二千間近は盛り過ぎだ。
「ダメヨー、小トラー。でもムーも、ボスモンスター貢献2%は頂けないのナー」
睨み合う二人の横から、もう一人の仮免勇者がカタコトの声をかけた。
彼女は五番街の仮免勇者。右目が竜鱗に覆われた、エスニックな雰囲気の細身の少女。
通称「竜眼の勇者」、ロン=ウェン。十六歳。
討伐ポイントは4,221。歴代最短仮免卒業のウワサもあるスゴ腕だ。
「ちっ。ロンねーちゃんまで来たのか。見せもんじゃねー。どっちも帰れよ!」
「ムーだってー、アタシの戦績貼られタラ見に来るクセニナー」
この三人は仮免交付の同期生。赴任地域も隣街同士。互いの戦績が貼り出されるたびに、こうして冷やかしに来る仲だ。
特にうちの勇者と小トラは、どちらも親が勇者で封印都市育ち。小さい頃から有名人で、喧嘩友達でもあるらしい。
「おいシロ! 誰が小トラなんぞと友達だ!」
「そーだぜシロちゃん! このオレサマがおチビちゃんに構ってやってるだけだぜぇ? 獣刻も出てない勇者モドキが、このオレサマとオトモダチな訳ないでしょお?」
「てめーだってその虎の爪、先月出たばっかのクセしやがって。せめてその手できちんとナイフとフォーク使えるようになってからでけー口叩けよ。赤ん坊みてえに左手でスプーン持ってメシ食ってるんだろ?」
「んぐっ?! そ、そのうち慣れるんだよ!」
そう言ってまた男同士で睨み合う。
獣刻とは聖獣たちの加護を受けた勇者に現れる、つまりは小トラの右腕や、ロン姐の右眼の様な、部分獣化現象だ。
「クロ。暑苦しい連中イッパイ。大変ナノナー」
「慣れっこっスよー、ロン姐さん♪」
こっちの女子二人は仲が良い。
小トラが虎の右腕でアゴをさすりつつ、スカして笑う。
「はっは! この調子なら正規の勇者になって地下十階のオアシスに行くのは、このオレサマが先のようだなあ、おチビちゃん!」
「なに寝言いってやがる小トラ。オアシスなんぞ俺ぁとうの昔に行ってるっつうの」
「そりゃお前がオアシスで生まれたってだけだろ? 物心つく前に地上に戻って来た奴が何言ってんだ。オアシスがどんな所かも覚えてねえくせによぉ!」
「あらあら~♡ 懐かしいわねえ、オアシスのお話♡」
「はぶっ?! ディ、ディアーナさんっ! おはようございあす!」
トラファルガー・Jr.が顔を紅潮させ直立不動になる。
少年の顔前で、むーくんママの全身タイツに包まれた巨乳がゆさりと揺れる。
流石は伝説の暗殺者。近づく気配すら感じさせないとは。
「ハ~イ♡ おはよう小トラくん♡ もう夕方だけどね♡」
「し、失礼しました! ディアーナさん、に、おかれましては! きょ、今日もお美しくいらっしゃられまして、何よりでアリマス!」
「あらあら~♡ 小トラくんったら、お世辞なんかいっちゃって~♡」
「お世辞ではない、ます!」
真っ赤な顔の前で、ぴっちりタイツに包まれた豊満な果実が揺れる。
さっきまでイキリ倒していた少年が、目のやり場に困って視線を宙に泳がせる。
クロとロン姐は、少年の初々しいザマをニマニマと見守っている。
うちのお子ちゃま勇者だけは、ライバルの少年の態度が豹変した意味を理解していないようだった。
「何の用だよオフクロ! 小トラがビビってるじゃねーか! 帰れよもう!」
「あらご免なさいねえ小トラくん♡ オバさん二人の邪魔しちゃった♡?」
「め、めっそうもないです! ボクは、全然平気です、ハイッ!」
ボク。
「そ♡ よかったぁ♡ ごめんねぇむーくん♡ ママ、むーくんの大好物のパプリカの肉詰め作るから、八百屋さんに寄ってたの♡ ホラ♡」
「判ったから! パプリカ見せなくていーから! 帰れよ!」
「は~い♡ 小トラくん♡ これからもむーくんと仲良くしてあげてね♡」
「はいっ!」
「ま♡ ありがと~♡!」
「っ~~?!!」
勇者の母が小トラにハグを決める。凶悪な巨乳が小トラの両肩に乗り、茹で上がった顔がサンドイッチの具材となった。
勇者が二人を無理矢理に引き剥がし、母の背中を押した。
「帰れ!!」
「や~ん♡ じゃあむーくん♡ 六時までには帰ってね~♡」
「判ったから! もう!」
こちらへ手を振り、勇者の母が去ってゆく。
小トラは呆然としたまま、その場に立ち尽くしていた。
「あーその、オフクロが……すまねえな、小トラ」
「うん。……ごちそう様でした……」
「? おう。じゃあな」
放心した虎爪の勇者が、ふらつく足取りで隣街へと帰っていった。
☆
古来、勇者は一人だった。
一振りの聖剣が勇者を選び、選ばれし勇者のみが聖獣たちの加護を一手に引き受け、魔王の軍勢と戦う力を得た。
しかし二世紀前。魔導士組合と封印教会が協力し、聖剣のレプリカを作成する事に成功。
世に言う「大勇者時代」が幕を開けた。
今現在、封印教会に認定された勇者は仮交付者も含めて48名。仮免勇者ムーンハウル・Jr.もその一人だ。
48名の勇者が一丸となり、この迷宮都市バルタザールの攻略に挑んでいる。
勇者が一人だった時には、世界の存亡がたった一人に委ねられていたという事になる。恐ろしい話だ。
迷宮都市バルタザール。
この街がどのようにして成立したかは定かではない。
そして、この街の下にある地下迷宮がいかにして生まれたのかも。
封印教会は神が魔王を封じるために作ったという。魔王信奉者は迷宮こそが地上に顕現した魔界の一部だという。あるいは異端者たちが語るように、調停神が人と魔の戦闘解放区域として、この広大な地下迷宮を築いたのかも知れない。
判っている事は、最深部から押し寄せる魔王の軍勢は、人類に明確な害意を有していると言う事。
そして地上にまで魔王の侵攻を許せば、飛翔型魔族の拡散を押し留めるすべは人類には無いと言う事。戦線はこの迷宮内から世界中へと一気に拡散し、空への備えのないほぼ全ての都市は、瞬く間に魔族に蹂躙されてしまうだろう。
魔王。
人類の敵対者。この地下迷宮に魔物どもを生み出し続ける張本人。
迷宮の区画をその力で汚染して魔物を発生させ、時には物理法則さえ変化させる。
それが魔王汚染。
魔王汚染を浄化できるのは、聖剣をたずさえた勇者のみ。
魔王汚染は基本的には十階の「オアシス」よりも下層に発生し、隣接区画へと拡大してゆく。
しかし時折、浅い階層にも飛び地のように発生する。先ほどのように。
そして地下迷宮の、深度。
仮免勇者が許可された探索深度は地下三階まで。
この地下迷宮の地下十階には、地上と同じほどの賑わいを持つ人類の前線基地「オアシス」がある。
人類と魔物の最前線は、今は十八階~二十階あたりと聞く。
最深部には魔王が作り出した次元の裂け目、この世界と魔界とを結ぶ「アビス」があると言う。それを閉じれば人類の勝利。しかしアビスを確認した者は誰一人いない。
記録にある最深到達階層は、第二十八階層。
到達者は勇者ムーンハウル。冷徹で非常なその戦いぶりは「ザ・ルナティック」と称され、全ての冒険者と勇者から畏怖と尊敬を集めた。
しかし十年前。第二十八階層へ到達を果たしたその後、消息を絶った。以来十年、誰も――
「シロ。オヤジの話はやめろ」
憮然とした表情で隣に座る勇者が言う。
冒険者の宿のカウンター席。ダンディな仕草で、アイスミルクを飲んでいる。
ログオーブに映された「ザ・ルナティック」の戦闘記錄映像を停止した。
どのみち見てもしょうが無い。ザ・ルナティックの戦闘記録は封印教会に何千時間と保存されているが、そこにザ・ルナティックの姿は映っていない。余りに速すぎるため、映像として捉らえきれていないのだ。ただただ魔物どもが高速で解体されてゆくさまが映されているのみである。
その確認できるのは、戦闘が終わった後。片膝を付いた着地姿勢のみ。
その姿だけは、どのログを見ても変わらない。
一体どのような研鑽の果てに、人体にこれ程の機動が可能になるのか。私は――
「おしゃべり続けんなら、このアツアツの焼きたてシナモンアップルパイを切り分けてやんねーぞ?」
……。
「あちち♪! むーくんは、むーくんパパの事覚えて無いっスか?」
「クロまで……。記憶にあるのはただ一つ、オヤジの背中だけだ。でも、その後ろ姿が本当の記憶なのか、ログで見たのをごっちゃにしてるのか。何せオヤジが消えたのは、俺が二歳の時だからなぁ」
「十年以上も前っスもんねぇ……」
「オフクロもオヤジの事は一切話してくれないし。オフクロは、たぶんオレが勇者になるの、嫌なんだろうな。オヤジみたいに行方不明になっちまわないかって……。オヤジだって、俺をどんな風に思ってたのやら。まだ赤ん坊の俺をほったらかして、迷宮の最深部に行っちまってさ。きっと赤ん坊の俺が足手まといで……」
「そんな事は無いと思いますよ? 勇者様」
「……マスター」
勇者がカウンターの向こうに立ちゅ男を見上げぅ。
「あなたのお父上は、それは立派な方でした。あなたが生まれた後はオアシスに下りっきりで、地上には戻られませんでしたが。それでもきっと、今のあなたを誇りに思っておられる筈。そしてそれは、あなたのお母上も同じだと思いますよ?」
「マスター……」
ほう言いつつ、勇者とマスターが壁の肖像画を見ぅ。この四番街に所属ひゅる四人の現役勇者の肖像。しかひ勇者の父「ジャ・ルナヒック」らけは、肖像画のみを残ひ十年以上も行方不明にょままにゃのら。あっぢゅ!
「落ち着いて食えシロ! ナレーション良いから!」
はふっ。はふっ……。
「そーだぜむーくん! ディアーナさんはちょいと心配性なだけだぜ!」
「ジョーさん……」
「そうそう! むーくんが仮免通った時、ここで泣いて喜んでたんだぜ?」
「心配すんなよむーくん。むーくんのママも、そして俺らも、みんなむーくんを応援してっからよ!」
「そうだぜ、「ザ・ルナティック」の息子! 我らが勇者様!」
「我らがアイドルを独り占めしやがったルナティックの野郎に乾杯だ!」
「我らが女神さまの一人息子に乾杯!」
「新たな勇者様に乾杯!!」
「乾パーイ!!」
もぐ、むぐ。
ヒゲむさい冒険者たちが、グラスを掲げ乾杯を交わす。
「みんな……」
勇者の顔がわずかにほころぶ。
勇者の母は現役冒険者だった時分、この街のアイドルだったと聞く。そしてそれは、今も変わらぬようだった。
そんな和やかな空気が、唐突に終わりを告げた。
冒険者の宿の扉がけたたましい音を立てて開き、傷だらけの冒険者が駆け込んで来たのだ。
「た、大変だあ!! オアシス行きのキャラバンが襲撃された! 魔王汚染がまた出やがった!!」
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
地下迷宮三階の吹き抜け大階段。
そこはすでに、冒険者たちと魔物どもが相打つ大混戦となっていた。
キャラバン本体へと押し寄せる小鬼どもを斬り伏せつつ、勇者がキャラバンの護衛隊長へと駆け寄る。
「勇者ムーンハウル・Jr.、到着しました! 隊長さん、状況は?!」
「援護助かる! キャラバンは何とか持ちこたえてるが、この階段の下から魔物どもが次から次に湧いて来てやがる!」
「やはり新たな魔王汚染ですか?!」
「どうもそうらしい!」
「オレの他に勇者は?!」
「キミが最初だ!」
勇者が周囲を見回す。
護衛隊と冒険者たちは手慣れている。キャラバンに積んであった資材を使い、四階に続く階段の中央にバリケードを築いてゆく。三階になだれ込んだ魔物たちも掃討されつつある。
問題は階段の下、四階だ。
「……! 判りました! クロ、シロ、行くぞ!! 大元を叩くのがオレたちの仕事だ!」
「はいっス♪!!」
叫び、脳筋コンビが階段の吹き抜けに身を踊らせる。
やれやれ。
もう少し事前の打ち合わせや段取りというものを学習して欲しいものだ。
私も宙に飛び出し、着地点の魔物どもをキュアで目つぶし。怯んだ魔物どもを脳筋二人が空中で刈り取り、そのまま四階に着地した。
「よいしょー♪!」
落ちて来た私をクロノアが受け止める。
上空からの突然の襲撃者に、周囲の魔物どもが威嚇の声を上げる。
そいつらに三階から矢の雨が降り注いだ。矢を受けた魔物どもが次々と黒いススに還ってゆく。
「ワシらの勇者様に手ぇだしてんじゃねーー!!」
「行ったれむーくーん!!」
「勇者様万歳ーー!!」
「おーー! ありがとーー!!」
上階からの援護射撃と声援に、勇者が拳を掲げて応えた。
「行くぜ! あっちだ!」
勇者が剣を掲げた先から、新たな魔物の一団が迫っていた。
先頭に立つ大型の魔物が炎の息を吹き掛ける。付近の子鬼が巻き添えになるがお構い無しだ。
勇者が盾を構え、炎を防ぐ。逸れた熱風が壁や天井を焦がす。
『ゴゥルルルル……!!』
馬ほどもある巨大な黒犬。中位魔族・ヘルハウンドだ。
第一階層辺りならボスモンスターでもおかしくない、炎を操る魔物である。
黒犬が大きく息を吸う。再び炎の息を吐きかけるつもりだ。
「むーくん♪! ワタシにお任せっス♪!!」
「いけるか?!」
「モチっス♪!」
クロノアが勇者の前に出て、拳を構える。その手には炎の魔力が灯っていた。
『ゴファアアアアッ!!』
黒犬の咆哮。ファイアブレスが吹き掛けられる。
クロノアは円を描く様に両手を回転させ、炎を正面から受け止めた。
いや。炎の息を火精に還元し、体内に吸収している。舞い散る炎が、クロノアの腕の中に吸い込まれてゆく。
「返すっス、よッ♪!!」
ヘルハウンドの懐に一瞬で入り込み。
炎をまとった両手で双掌打を叩き込んだ。
『ギャヒンッッ?!』
ヘルハウンドの巨体が吹き飛ぶ。そして周囲の魔物を巻き込み爆散した。
混乱した敵集団の中へ、間髪入れず勇者が跳び込んでゆく。
クロノアは吸収し奪った火精を暴走させて、ヘルハウンドの体内へと叩き返したのだ。
流石は格闘王の一人娘。体外の魔力を操作する技術は見習い魔導師にも劣るが、体内の魔力を操作する術は既に上級魔導師にも匹敵する。
「か、解説は良いっスから♪! シロちゃんキュアお願いっス♪! あぢぢ!」
おっとキュアキュア。
腕の火傷に治癒魔法の光を灯しつつ、クロノアが勇者の元へと駆けてゆく。
細い通路から小鬼どもが押し寄せる。間違いない。その先が魔王汚染された区画だ。
通路幅いっぱいの魔物の群れ。足の踏み場もないとはこの事だ。
しかしそれは、凡人であればの話。
勇者が跳躍する。壁面に垂直に立ち、子鬼の首を狩る。
反撃を受けるより速く跳躍。天井に着地し、真下の子鬼を突き殺す。
足の踏み場もないだろう。凡人であれば。
勇者にとっては、壁が、天井が、魔物の頭が足の踏み場なのだ。
狭い通路をゴムマリの様に跳ねながら、混乱する魔物どもの首を刈ってゆく。
勇者に気を取られた魔物に、クロノアが雷撃属性の拳を叩き込む。密着した魔物どもが次々と感電してゆく。
狭い箇所での乱戦。多勢に無勢。
それこそがこの二人の本領だ。
「おお! こりゃスゲえ! まるでルナティックの旦那を見てるようだ」
後ろで宿に居たジョンさんだかトムさんだかが、驚きの声を上げる。
「ジョーだよシロちゃん! むーくんの戦いぶりを久方ぶりに見たが、こいつぁ!」
「やっぱりルナティックの旦那の子だ!」
「勇者ってのはやっぱりすげえな、仮免でこれかよ!」
「こりゃ加勢しようがねえぜ! やったれむーくーん!!」
脳筋コンビから漏れこぼれた魔物どもを、冒険者のオッサンがたが囲んで仕留める。
後方を振り返る。階段の吹き抜け部分はもう鎮圧されたようだ。
勇者の強さは勿論だが、このオッサンがたも中々にやる。
「シロちゃん、出来ればオッサンじゃなくオジサマで……」
却下する。
通路の敵はあらかた片付いた。
手傷を負った冒険者のオッサンたちにキュアをかけつつ、勇者に追いつく。
勇者が前方で立ち止まっている。通路が一気に開けた。
その先は、100m以上はあろうかという広大な空間だった。ログオーブを確認する。だが、こんな大空洞は記録に存在しない。
迷宮の構造を大きく変えてしまうほどの、重度の魔王汚染。それがこの浅い階層に。何かがおかしい。
「おかしい? ハハッ、オイシイの間違いだろ? シロ!」
勇者が笑いつつ、聖剣を構える。
その先には、三体の中位魔族・オークキングが居た。
「ボスモンスターが三匹! さっきのと合わせて、まとめて倒しゃあ一気に小トラの野郎を追い越せるぜ!」
「む、むーくん! 三匹とも倒すつもりっスか?! 他の勇者の到着を待った方が良いっスよ♪!」
「何言ってんだクロ! 俺らなら、やれる!」
「ああんもう!」
こちらに向かい突進してくるオークキングどもに、勇者が飛び掛かった。
冒険者のオッサンたちも剣を抜き、全員で一匹の注意を引きにゆく。
ありがたい。オークキング二匹なら何とかなるかも知れない。
勇者の正面のオークキングが斧を振りかぶる。
そのタイミングに合わせ、キュアの光をブタ面に放つ。
閃光に怯んだオークキングの首を、跳躍した勇者が一撃のもとに刈り取った。
首が宙を舞う。巨体が黒いススに還る。
「っしゃあ!!」
もう一体。
クロノアが挑みかかるオークキングの眼を目掛け……っ?!
オークキングが斧の刃で顔を隠した。視線を切られた。キュアの光が斧刃の表面ではじける。
中位魔族を侮っていた。最初の一体が倒された時に、学習をしたのだ。
オークキングのもう片手の斧が、無防備なクロノアに振り下ろされた。
「っ!!」
金属音が響く。
とっさに割って入った勇者が、強打に吹き飛ばされた。
盾でガードをしてはいたが、地面に叩き付けられバウンドする。
キュア! キュア! キュア!!
傷は癒した。だがまだ倒れたままの勇者に、オークキングの斧が――。
「むーくぅん♡!! 大丈夫♡?!!」
オークキング二体の頭部が、音速のクナイによって爆ぜ飛んだ。
頭部を失った巨体が、前のめりに倒れる。
勇者に駆け寄ったのは、勇者の母だった。
一緒に戦っていた冒険者たちから、わっと歓声が上がる。
「わはー♪! むーくんママ♪!」
「オ、オフクロ……!」
「御免なさいねえ、むーくん♡! お夕飯作ってて、駆け付けるのが遅れちゃって……」
「……。何言ってんだよ。俺たちが早過ぎたの!」
「そうねえ♡ 真っ先に駆け付けて、みんなを守って♡ 立派だったわよ、むーくん♡」
「あ! 頭をなでんな! 一人で立てるから!」
そう言って勇者が身を起こす。
やれやれ。
これで……これで? いや。おかしい。
この区画の魔王汚染が、まだ晴れない。
まさか。三体のオークキングは、ボスモンスターではなかった?
びしりと。床に亀裂が入った。
「っ?! みんな出ろ!! この部屋から出るんだ!!」
勇者が叫ぶ。
危険を察知した冒険者たちが、一斉に部屋の外に逃げ出す。だが、全員は間に合いそうにない。
床が崩れ、ボロボロと崩落していく。その下には、煮えたぎるマグマが見えた。
そんなものがある筈はない。この部屋の支配法則が書き換えられている。
「ちいっ!!」
勇者が左手の盾に力を集め、床を叩く。盾にはまった聖珠から清らかな光が放たれ、床のひび割れを食い止める。それは一瞬だったが、冒険者たちが逃げるには十分だった。
勇者の母が両脇に冒険者を抱え、入り口へと跳ぶ。
間一髪。
100m四方の部屋はマグマの海となった。
私たちの足元を除いて。
私たちの周囲。直径1m円状に、マグマに浮かぶ浮島のように床が残されていた。
勇者の盾にはめられた聖珠。その結界は、魔王汚染による物理干渉すらも跳ね返す。
だがその効果範囲はごらんの通り激セマだ。仮免勇者であればそれも致し方ない。
これが勇者パーティが少数精鋭である理由だ。
魔王汚染された部屋へと迂闊に大勢で攻め入れば、環境攻撃で一網打尽にされる恐れがあるのだ。
「オフクロ、そっち平気か?!」
「ええ♡ 何とかぁ♡」
勇者の母が小脇に抱えたオッサン二人を下ろす。
「ちょっと待っててね♡ そっちに迎えに行くからぁ♡」
「待て待て! 足場狭いから!」
「そうよねぇ♡ どうしましょ……アラ♡?」
通路から大広間へと身を乗り出そうとして、勇者の母の手が宙で止まった。
見えない壁を叩く。だがびくともしないようだ。
「どうしましょむーくん♡! 部屋が封鎖されちゃったわぁ♡」
部屋の出入り口は、見えない力で閉ざされていた。
このような時、封鎖を解く方法はただ一つ。ボスモンスターを倒す事だ。
ふいに、前にのめる。
落ちそうになった私の腕をクロノアが掴んだ。そのクロノアの顔も凍り付いている。
周囲が火の海であるのが嘘のように、体が震える。全身が総毛だつ。
私は封印教会に造られた、最新鋭戦闘記録用ホムンクルスだ。いかなる時にも冷静に行動できるよう、心から恐怖心を除去するチューニングを施されている。
心は恐怖を感じない。しかし、体は別だ。私を構成する細胞の全てが、ここからすぐに逃げろと言っている。たとえ、火の海の中へでも。
それほどの何かが、来る。
『ッハ! ハハハ!!』
部屋の対岸。
50mほどを隔てた溶岩の海の向こうに、石造りのステージがせり出した。
その上に、一人の男が立っていた。
『ッハハハハハハハ!!』
有り得ない。
ログオーブの解析を、脳が受け付けない。
こんな浅い階層に、顕現するはずがない。
『見つけたぞォオオ!! ハハ!! アハハハハハハ!!』
ねじれた二本のツノ。燃え盛るような紅蓮のスーツ。
侮蔑と愉悦にまみれた山羊のような、おぞましい顔。
魔王配下・七つの大罪の一柱。
堕落の悪魔卿……ベル・エルフェゴール!
『久しいなあ! 「死の影」よォオオ!! 俺を殺した宿敵よォオオ! 十三年間、この時を待ちわびたぞォオオ! 魔王様ある限り、我ら七つの大罪は不滅!! しかし、まさかまさか! 復活を果たしてすぐに、貴様に逢えるとはなァアアア!! アハハハハハハッハハハ!!!』
悪魔が嗤う。
死の影。世界最強の暗殺者のコードネーム。
すなわち、勇者の母ディアーナの昔の名だ。
「むーくん! いま、ママがそっちに行くから!!」
勇者の母と冒険者たちが見えない壁を必死に叩く。しかし部屋に施された封印は解けそうにない。
『ママぁ?! 何と何と!! この取り残されたガキどもは貴様の仔か、死の影よォオオ! それでか! 醜く肥えたその胸と尻! この吾輩を殺したあの頃の鋭さ、見る影も無し! 麒麟も老いれば駄馬にも劣るとは、まさにまさに! このことよォオオ!!』
「私に復讐しに来たの?! なら私を狙いなさいっ!」
『ッハハハハハハハハ!! 何と麗しき親子愛! ならばならば、貴様の三人の娘が無残に殺される様ァアア! 特等席でとくと見るがいィイイイ!!』
「うるせー山羊ヒゲ! 誰が娘だ! 俺は男だボケェ!!」
勇者が激高して悪魔に叫ぶ。
いや、そんな細かい事を気にしている場合か。
『なに? それはそれは失礼を致した。まったく人間の幼体はオスメスの区別が付きくて困る。ふむ。確かにどれも乳が無いな。では死の影よ! 貴様の三人の息子が無残に殺される様ァア! とくと見るがいィイイ!!』
……。勇者よ。奴を殺すのだ!
「あのヤギ頭をブチ殺してやるっスむーくん!!」
「お前らな……」
溶岩の中から巨大な燃え盛る岩の塊がせり出した。全部で五つ。
悪魔が手をかざす。宙に浮いた溶岩弾がこちらに向かって撃ち出された。
「っ?! マジかよっ!!」
結界に直撃。
視界が紅蓮に染まる。
轟音! 灼熱! 衝撃!!
二発! 三発! 四発!!
響く爆音。
その都度足場が揺れ、結界が揺らぐ。
最後の、一撃!!
右足の下が崩れた。
慌てて身をよじる。
クロノアにしがみつく。
『ッハハハハハハハ! 中々に、粘る粘る!! そうでなくては!!』
悪魔が嗤う。
勇者の聖珠が作った結界はひび割れ、足場の三分の一は溶岩の中へと崩落していた。
次は、無い。
「判ってるシロ。俺が行く!!」
「待ってっスむーくん! 向こうまで50mはあるっス! いくら跳躍の加護があっても、助走もなしじゃムリっスよ!」
「ああ、ムリだろうな。俺一人じゃあな!」
そう言う事か。相変わらず無茶をする。
だが、何もしなければこのまま死ぬだけだ。
「万一届かなかった時にゃあシロ、頼むぜ。俺の足が溶岩と仲良しになるより早く、キュアをかけまくってくれ」
そう言って、残された足場に盾を置く。
しゃがみ、垂直に飛ぶ。
クロノアの両手に炎が舞う。
この二人はいつもぶっつけ本番だ。
降りて来た勇者の足に、クロノアの両掌が触れる。
その、瞬間。
「行くっっスぅううっ!!」
両の掌が、爆発した。
「爆発の魔法」+「跳躍の加護」。
砲弾のように勇者が前方に撃ち出される。
反動でのけぞるクロノアの身体を、私は必死に支えた。
『ほほう!! そうくるか!!』
勇者目掛け、溶岩の海からいくつもの溶岩弾が垂直に撃ち上がる。
しかし勇者の方が速い。
もう少しで対岸に到着する。
その行く手に、溶岩の柱が吹き上がった。
勇者が聖剣の腹で燃え盛る柱を叩く。
身をよじり、空中で軌道を変える。
溶岩に触れ燃え上がった勇者の両手に、キュアを飛ばす。
腕の炎が即座に鎮火する。
だが。
「むーーくぅぅうんっっ?!!」
ディアーナの悲痛な叫び声。
勇者の足元に、溶岩の海が迫っていた。
空中で軌道を変更したせいだ。
勇者の跳躍は、悪魔の立つステージには届かなかった。
ほんの、わずか、数メートル。
違う。
そんなはずは、ない。
聖獣よ、貴方が選んだのだ。
貴方が、かの者に加護を与えたのだ。
月の聖獣よ。貴方がかの者を勇者としたのだ!
ならば、かの者は、こんな所で死ぬ運命であるはずがない!!
視界がにじむ。ふざけるな。
彼は、勇者は私が死なせない。
両手に魔力を込める。ありったけのキュアを用意する。
タイミングを、測る。
勇者が溶岩に着地する、その一瞬を。
一瞬で良い。彼なら跳べる。私の、勇者なら。
そして、勇者が着地した。
溶岩にではない。
輝く銀の円盤の上に。
銀の円盤。月の聖獣「ボーパルバニー」の紋章。
それが、勇者の足元に光り輝いていた。
「むーくん……!!」
クロノアが感極まった声を上げた。
きっと私も同じだったろう。
はね飛ばされた悪魔の首が、宙を舞っていた。
勝負は一瞬だった。
勇者は光り輝く聖剣を手に、天井に着地していた。
着地の衝撃で、足が天井にめり込んでいた。
片膝を付いたその姿。それは、何度も何度もログで見た、「ザ・ルナティック」の着地と同じ姿勢だった。
月の聖獣ボーパルバニー。
首狩りウサギの異名を持つ凶獣。
司る力は、跳躍と鋭断。
勇者は一度に、聖獣の二つのスキルを引き出したのだ。
空中での追加跳躍を可能にする銀の円盤「ムーンバンパー」。
そして、万物を切断する光の剣「ボーパルブレード」。
地に落ちた悪魔の首が、ばさりと黒いススに戻った。
マグマが固まり、元の床へと戻る。
部屋の物理法則が元に戻ってゆく。
私とクロノアは、抱き合ったままでその場にへたりと崩れた。
首を失った悪魔の身体が前のめりに倒れかけ。
右足を出して踏みとどまった。
『……ッハハハ!』
勇者がだらりと天井から下がる。聖剣が音を立て床に落ちる。
嘘だ。まさか。
首を無くした悪魔が嗤う。
『アッハハハハハハ! 大したものだ! 吾輩の首をはねるとはなァアア!! そうかそうか、小僧! 貴様、あのルナティックの仔か! 第一段階の吾輩を殺したことは誉めてやろう! だが、吾輩はあと五つの変身を残しているぞ! さあてさあて! どこまでこの吾輩の力について来られゲバハァアアッッ?!!』
「邪♡ 魔♡」
勇者の母の右手が、天井から落ちて来た勇者を受け止める。
そしてその左手は、悪魔の胸を貫いていた。
悪魔の背から突き出た手には、心臓が握られていた。
手を握る。心臓はバラバラに切断されていた。
『ゴバッ……。し、死の影よ……。貴様、ルナティックと結ばれていたのか……。あんなツンツンコンビだったのに……。結婚おめでとう……。十年後に……また……会おう……ぞ……』
そう言うと七つの大罪の一柱、ベル・エルフェゴールは黒いススと消えた。
「おおお! やったぞおお!!」
「七つの大罪を倒しちまった!!」
「むーくん! 大丈夫かあ?!」
冒険者たちがディアーナと勇者の元へ駆け寄る。
ディアーナはにっこり微笑むと、人差し指を立てて唇に当てた。
口を押えた皆の見守る中。
勇者はすうすうと寝息を立てていた。
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
冒険者たちが足音を立てぬように、そろそろと階段を上る。
最後尾には勇者をおぶさったディアーナ。そして私とクロノア。
母に背負われた勇者の寝顔は、年相応の幼さがあった。
ログオーブを覗く。バイタルに異常はない。
一度に二つのスキルを発動させ、MP枯渇で意識がブラックアウトしたのだろう。
特にボーパルブレードは最上位クラスのスキル。消費MPも膨大だ。
習得は勿論、発動出来た事自体が奇跡と言える。
「ま……」
勇者が声を漏らす。
意識はない。寝言のようだ。
「ママ……パパは……ぼくが、みつけるから……ぜったい、みつける……から、むにゃ」
ディアーナが目を丸くする。
私も、クロノアも。
そして三人で、声を殺しくすくすと笑った。
ディアーナが眼を細め、背中の勇者にささやく。
「そうね♡ むーくんならきっと出来るわぁ♡ パパね、むーくんをず~っと♡ 「パパの自慢の息子だ」って♡ そう言ってたもの♡」
勇者は心配していたが、要らぬ心配だったようだ。
彼もまた、両親に愛されてこの世に生を受けたのだ。
「あ♪ そーいえばぁ♪ ずっとギモンだったんっスけどぉ……」
「な~にぃ♡? クロちゃん♡」
クロノアがひそひそとディアーナに話しかける。
「なんでむーくんママは、勇者でもないのにボスモンスターを退治できるんっスか?」
「あらあら~♡ 当然でしょぉ?♡ だってぇ、この小さな勇者様が、十月十日も私のお腹に居てくれたんですものぉ♡」
そういってむーくんママが、ほっこりと微笑んだ。
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
「っしゃぁあああああーーっ!!!」
勇者が雄たけびを上げる。
冒険者の宿の入り口にある掲示板は、黒山の人だかりになっていた。
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第821号仮勇者、ムーンハウル・Jr.一行
第四階層の魔王汚染区域浄化による討伐ポイントを付与する。
低位魔族138体討伐
ムーンハウル・Jr.一行・55体…85Pts
中位魔族4体討伐
ムーンハウル・Jr.一行・2体…150Pts
ディアーナ指導教官・2体…200Pts
ボスモンスター・七つの大罪・堕落の悪魔卿ベル・エルフェゴール討伐
ムーンハウル・Jr.一行・貢献度20%…4,000Pts
ディアーナ指導教官・貢献度80%…16,000Pts
ランク3魔王汚染浄化…900Pts
計、5,135Ptsをムーンハウル・Jr.一行に付与する。
ムーンハウル・Jr.一行
現在までの累計ポイント…5,485/10,000Pts
・封印教会勇者庁・
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「ホー。アッサリ追い抜かれたノナー」
「けっ。ボーナスキャラが浅い階層に湧いて出たってだけだぜロン姐。こんな前線から遠い階層だと、たとえ七つの大罪といえど本来の力は出し切れねえ」
隣街の勇者二人も掲示板を眺めている。
「それも二割削っただけだぜぇ? 後はディアーナさんの手柄だろ?」
「小トラー。ログ見たかー? ムー、凄かったゾー?」
「このオレサマなら、三割は削れてるね!!」
「どのみち倒せないのナー」
「おうおう小トラ! ぴーぴーわめくんなら、俺のポイントを追い越してからにしな」
勇者が余裕をかまして胸を張る。
報奨金で買った服でめかし込み、似合わない革の帽子をかぶっている。
「ぬぐっ……」
「どうやら本チャンの勇者になってオアシスへ行くのは、俺が先みてえだな」
「まあ。ママ心配だわぁ♡ オアシスより下は、とってもとっても危ないのよぉ♡?」
「いや、オフクロ。大丈夫さ。俺はオアシスの下へ行く。そして……」
勇者が照れ臭そうに笑う。
「オヤジを必ず見つけ出す。だってオレは「パパの自慢の息子」、なんだからな……」
「~~っ♡♡!! む~~くぅんっ♡♡!!」
「ぎゃーーッ! 抱き付くなっ!!」
全力でハグをするむーくんママを、むーくんが必死に押しのける。
「チッ。そういやオチビちゃん。やっと聖獣のスキルを覚えたって事は、やっと獣刻が出たんだろ? このオレサマみてえによ! お前の獣刻はどこだ? 尻尾でも生えたか?」
「う、うるせー。教えねー」
「ああ? 何だそりゃ。聖獣の刻印は勇者の誇りだろうが」
母親を押しのけつつ、勇者が小トラから視線を外し帽子を押さえる。
その帽子を、クロノアがひょいと取り上げた。
「ま~ま~むーくん♪ 隠すなんて勿体ないっスよ♪! こ~んなに可愛いのに♪!」
帽子の下。勇者の頭から、ぴょこりと二本のツノが突き出した。
いや、それはツノではない。ツノならどれだけマシだったか。
それは、ピンと立ったウサギのミミだった。
「だぁあー! 返せクロ!」
「小トラちゃんの言う通り、獣刻は勇者の誇りっスよ~♪!」
「おチビ?! お前、その、ミミ!!」
「おお~、ムー。「ウサミミ」なのナー。「ウサミミの勇者」なのナー」
「ロン姐ちゃん! 言うな! そんな二つ名を俺に付けるんじゃねえ!!」
勇者の抵抗も空しく。
周りの冒険者たちが、ロンの言葉に神妙に頷く。
「おお。四番街の新たな勇者様は、「ウサミミの勇者」か!」
「良い響きじゃねえか。ウサミミの勇者」
「おう! 良い二つ名じゃねえかウサミミの勇者! 良かったなあむーくん!」
「よかあねえーっ! この俺を! 「ウサミミの勇者」なんて呼ぶんじゃねーーッ!!」
叫ぶ勇者の横で、掲示板が光を放つ。
そこに新たな掲示情報が浮かび現れた。
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第821号仮勇者、ムーンハウル・Jr.一行
以下の仮勇者規約違反の為、ペナルティを課すものとする。
指導教官の許諾を得ず、探索区域外である第四階層に降下。
無許可にて探索及び戦闘行動を行ったもの。
ペナルティ
累計ポイントより5,000Ptsをマイナス。
10時間の追加座学講習。
ムーンハウル・Jr.一行
現在までの累計ポイント…485/10,000Pts
・封印教会勇者庁・
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「なああああ~~?! なぜだぁああーーーッッ!!!」
やれやれ。
やっと聖獣ボーパルバニーより獣刻を授かり、やっと半人前になった仮免勇者ムーンハウル・ロップイヤー・Jr.。
彼が一人前の冒険者として迷宮最深部を目指すのは、まだまだ先の話になりそうだ。
第821号仮勇者 ムーンハウル・ロップイヤー・Jr. 随伴行軍記錄官
プリシラ・アプリコット
[本日のログ・終了]
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短編にしてはちょっと長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂いて有難う御座いました!
ウサミミの勇者誕生の巻で御座いました。
普段はもっとバカよりの小説を書いております。
宜しければそちらもドゾ。
皆様からのご意見ご感想ご評価お待ちしております!