おまけ 『私が愛するフェチについて』(筆者不明)
<まえがき>
※これは実践文芸サークルの誰かが書いたエッセイという設定です。
※本文中には入れられなかったため、おまけとして投稿しました。
※内容が内容なので、無理して読まなくてもいいと思います。
やあ、読者諸君。早速だが、これから私が愛するフェチについて語ろう。
まず大前提としてこれだけは断言しておくが、女性の胸だとか尻だとかを愛してやまない諸君と違って私は変態ではない。フェチに対するこだわりは決して誰かに誇るほどのものではなく、あくまでも世間並みと言っておきたいところだ。
つい筆をとって書き始めてはみたものの、それをこれから自分なりに説明しようと思う。
……だが、これを読む前に一つだけ約束してほしい。
周囲にあれこれと面白おかしく言いふらされても困るので、これから書くことは読んでもいいが他言はしないでいただきたいのだ。
昨今なにかと「セクハラ」だとか「性の商品化」だとかうるさいし、公共の場で女性が好きだと言えば女性蔑視だと騒がれることもある。世間に嫌われるのはどうでもいいが、敬愛している女性に嫌われるのは悲しい。
従って感想もいらない。
読み終わった時点で何も見なかったことにしてくれると助かる。
さて、どうやらアシフェチには「足フェチ」と「脚フェチ」の二種類があるらしいと聞いた。「脚」が太ももからくるぶしまでの長い部分で、「足」がくるぶしから下の靴に隠れる部分だという。
そんなこともあり、実は「アシフェチには二種類あるのでは?」という我が脳内フェチ学会の緊急とりまとめだが、アシを好きな人は脚も足も区別なく愛する人が普通に多いと思うので、そこまでもめている感じはしない。いっそまとめてアシフェチならぬ下半身フェチというのもあるらしいが、それはもうほとんど女性の半分である。フェチではなくて、ただの女好きだ。
これがフェチで済まされるなら私は事実上の女性フェチだとでも言っておきたいところであるが、それを名乗ってしまえばそれこそ変態となる。石を投げつけられかねない現代の助兵衛だ。
なので、ここでは私はあくまでもアシフェチであると主張したい。
あえて限定するならば、私は足フェチである。
はっきりと言おう。つまり私は裸足が好きなのだ。
女性の顔や胸、お尻やうなじなどよりも、とにかく足が好きだ。
よろしく。
……いや待ってくれたまえ。もちろん顔や胸やお尻やうなじなども重要で、私としてはそれらの条件をある程度満たしたうえでの足好きである。
要するに、ある程度は好みのタイプな女性の足が好きなのだ。好きでもない女性の足にはそれほど興味がない。
それほど、というところが肝だが。
けど、な?
これでは世をはばからず自ら変態を名乗るにはちょっと弱いだろう?
諸君のように無条件かつ無差別の女性愛好家ではない。残念ながら。
……残念ながら?
ええい、なにが残念なものか! この奇人変人め! 女性と見れば誰それ構わず鼻の下を伸ばすって、それなんかもう博愛主義とは違うと思う!
まぁ、ここはひとまず怒りを抑えて足フェチの話に戻ろう。
なにゆえ私が足フェチか。他のところに興奮してもよさそうなものなのに、ピンポイントでそこ? もっと他に目立って異性の気を引くフェチポイントもあるじゃないかと人は言う。
言う奴はバカだ。スケベ指数ゼロ。何もわかっていない。見え見えの餌につられてネズミ捕りに引っかかる間抜けなネズミである。あるいは猫に食われろ。
いかにも「ほら、私って女でしょ?」と言わんばかりの身体の部位に気を取られるのはあまりにお粗末。いないいないばぁで喜ぶ赤ん坊と大差ない。双方が納得ずくでやる赤ちゃんプレイならいいが、それを日常的にやるのは支障がでかい。
もっと本質を見よ。
また逆に枝葉を見よ。
私が思うに、さらけ出した素足とは、ほとんどぎりぎりのわいせつ物である。
満たされぬ寂しい日々を送る我々を喜ばしくも幸せな気分にしてくれるし、同時にけしからん気持ちにさせてくれるものだ。
たとえば我々は、隠されれば隠されるほど興味を持ち、秘密にされればされるほど関心を持つ。普段の生活ではなかなかお目にかかれないものにほど「ありがたみ」が発生するという、これは古今東西変わらない真理だ。
おっぱいは誰だって興奮する。それは認めよう。
こんなことを長々と書いている私も好きだ。
しかし一旦立ち止まって冷静に考えてみてほしい。どれほどおっぱいを愛したところで、その実物を果たして我々は目にすることができるのだろうか、と。
無理して答えなくてもいい。我々は同士。答えは「否」だ。
できる奴はくたばれ! こんなもん読まずに消えてくれていい! 馬鹿にしてるのか!
おっぱいが好きで好きでたまらない奴は人生を狂わせる。会えるはずもないUFOの探究に生涯を注ぐのと本質的には同じだ。ベントラーとかいう意味の分からん呪文を唱えるばかりでは相手に気持ちが通じるわけもなく、好きだ好きだと女性に片思いし続ける我々と同じように本物には出会えない。
端的に言っちゃえば、おっぱいって隠されすぎなのだ!
どういうわけか誰も気軽には出してくれない! けちんぼ! 最近じゃ規制も進みがち! 絵でもダメだし、ちょっと欲を出せばフェミニストにも怒られる!
好きでごめんなさい、でも好きです!
ところがどっこい、アシを見よ! 人にもよるがよく見える!
スカート万歳! 短パン大好き!
さぁさぁ諸君、そして、さらに下を見るがいい。
そこで我々を待っていてくれるのは何だ? そう、足だ。裸足だ。
ここはよほど気を許さないと女性も見せちゃくれない。ぼんやり生きていれば靴や靴下に隠されて、その良さに気づかないだろう。
だが、たまに拝めるチャンスがある。なにかと男女そろって靴を脱ぐ機会も多い中高生なら、特にその機会に恵まれるだろう。私はそれにやられた。やられて以来それの虜だ。いつもピヨピヨやっている。それは鳥の子か。
足の指、土踏まず、かかと……ああ、なんと愛くるしいものだろう。
まじまじと見つめるわけにもいかないが、ちらちらと盗み見るだけでスカートの下に隠された下着を見ている気分になる。基本的には男子の前でも隠そうとはしないから、嫌がられないなら堂々と見てもいいものかと浮かれて胸がドキドキするし、その女の子のことまで好きになってくる。
普段は靴や靴下で隠されているからこそ、たまに拝めた時のご褒美感と言ったらもう!
人前で脱いでくれる人もいるとは!
ありがたくってたまらない!
ひれ伏したくなる気持ちを押させるのがやっとだ!
顔や手、髪や腰回りと言ったパーツはどの女性もみな大事に扱い、磨きをかけ見せ方にも工夫する。ありがたい見世物だが、所詮ステージ上のパフォーマンスに過ぎない。そこには演者との距離感が、言ってしまえば警戒心が厚いヴェールを張っている。
美脚とかいう言葉のせいで、女性も是か非か意識せざるを得ない脚もまぁ、そうだろう。女の子は頑張って脚を美しく見せようとしてくれているに違いない。
毎日のお肌の手入れ、入念なストレッチ、ストッキングやソックスを穿くかどうかも熟慮して、常日頃から歩き方も手抜かりはない。
だが、どこかぞんざいに扱われがちなのは靴に包まれ身体の最果てにあり、それほど脚光を浴びる機会のない足である。
ぞんざい!
なんて素晴らしい言葉だ。
全力で意識せぬからこそ、油断しがちな足には少女の着飾らぬ生の姿がある。生と言っても下世話な話ではない。
ありのままの姿こそ、その人本来の美しさが輝くのだ。
投げ出された足!
座っているときプラプラされてる足!
上がり口のところの水道で洗われている足!
これらもう全部好きだ。
しかもなんか男子に向かって差し出しても抵抗感ないみたいなところあって、あけすけな女子様の大盤振る舞いもあったりする。屋内で裸足とか、裸足のまま隣に座ってくれるとか、足の裏まで見せてくれちゃうとか、そんなことしてくれると内心では女神としてたたえております。口にすると嫌われそうですが。
純粋な気持ちを赤裸々に書いた思春期ラブレター渡しても、相手に嫌がられればストーカー規制法で逮捕されちゃうご時世ですもんね。良くも悪くも人権意識の高い海外の一部では、相手を褒めるつもりで言った「かわいい」とか「セクシー」とかも、人によってはセクハラ扱いですってね。はい、追放されてきます。
ああ、こんな文章を書いていることがばれれば、足なんぞに心奪われ羨望する私などは気持ち悪いと世間から排斥され、これからの女子は素足をさらけ出すことに抵抗を覚えてしまうようになるだろう!
だから我々はいかにそれを愛し内心ではドギマギしようと、常に「あ、それくらいなんでもないよ」的に反応して振る舞わねばならんのだ!
変態よ紳士であれ!
この前もある女子の裸足を間近に見る機会があって、きれいだなぁ、素敵だなぁとか思いながら私は心を豊かにした。見たくもないのに男子のはよく見る機会があるが、やはり女子は違う。どこがどう違うのかを言葉で説明するのは印象派の絵画を論理的に解説しようとするようなもので、難しいのもあるがそれ以前に無粋である。
ただし、ここでは蛇足であることを承知したうえで多少なりとも書いておかねば誰の共感も得られまい。そこで大きなお世話を承知で私の所感を簡単に記すことで終わりとしよう。
さて、「長いものはエロく、短いのは可愛い」という標語。
エロが不適切なら美しいとでも言いかえればいいが、これはなんにでも言えるだろう。
足の指の短くて丸っこいのはたまらない。いとをかしとは、これを言う。
いざ靴を脱いで顔を出した足の指が小さくて可愛ければ、それを見た私の胸は小動物をいつくしむ慈愛の心に包まれ、指先だけにとどまらず彼女そのものに一回り小さき少女のようなあどけなさ、一生懸命なけなげささえ感じられるだろう。
きっと彼女は無邪気で優しいはずである。
背伸びしてもそんなに伸びない、そんなところがいい。
足の指の細く長いのはたまらない。見ているだけでぞくぞくする色気がある。
あれで絡み取られたいと願ったことは一度や二度では済まないだろう。すらりとするそれは、もはや芸術の一種である。しっかりと大地をつかむ力強ささえ感じられるそれは、もはや少女そのものの気高さの表れと言ってもよい。その長く大きく抱擁するような指で優しく触られることがあれば、我々の心は穏やかなるものになるであろうに。
このように長くても短くても私は好きなので、俗世間でよくやってる巨乳派と貧乳派の争いなどは本当にバカバカしく感ぜられてくる。偏見に基づいて印象を語れば、おっぱい好きはえり好みが激しい。メジャーなジャンルであるが故の内部対立かもしれないが、とにかく喧嘩ばかりやっている。
その点、足フェチはどうだ。
普通に生きていれば喧嘩なんてめったに聞かない。
……いや、待てよ。あんまり語るところがないだけかもしれぬ。
マイナーというほどマイナーではないが、世間じゃ議論が白熱するほど人気でもないのか。こんなものを長々と一人で書いていて我ながら恥ずかしくなってきた。熱くなっているのは私ばかり、隣の部屋では姉が真面目に勉強しているのかと思うと情けなくなってくる。
見るのも触るのも(と言っても実際に触ったことはないが)大好きな足の指はもちろん、足裏やかかと、土踏まずといったところにも語り足りない未練が多いけれども、さすがにこの辺りで筆をおこう。
フェチというのは多弁になると胡散臭さが増す。
ちょっと語り足りないくらいがちょうどいい。
<一言感想>
乙終:これ書いたのほんと誰? そして印刷したのマジで誰? こんなもん読んじゃダメだから今すぐ焚書しよう!
美馬:半分は面白がってネタで書いているんでしょうけど、本気なら付き合い方を考え直すわ。ちなみに胸が重要じゃないってほんと?
峰岸:ふむ、ふむ、ふむ! 頷きながら踏んであげたい気持ちだね。
古沢:つまり結局変態じゃん。私のでいいなら見る?
赤松:これを書いたであろう彼は子供のころから女の子の足を盗み見る癖がありました。なので、この主張は嘘偽りのない真実だと思います。ついでに妹には常日頃から靴下をはいておくように言っておきます。
福本:フェチズムとは妄想の神髄です。目に見えぬものこそ至高なのですよ。胸を称えなさい。
鈴木:つまりお尻の下位互換が足ってことでいいな?
榎本:赤裸々な文をみんなに読ませるって、これってさらしプレイの一種だよね? 読めば読むほど素敵なエッセイなのね! やっぱり私もやろうかな!
乙終姉:もっと情けなさがって(怒)




