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15 体育館裏で

 強引な手段で古沢さんと友達になろうとした榎本が教室で彼女に手錠をかけるという凶行に及んでから数日後。あまりよろしくない曇りがちの空が気分までを暗くさせた木曜日。

 サークルでの活動がなく、暇を持て余した放課後のことだ。

 どうせ予定もないからと一人そそくさと帰る準備をしていたら、教室後方の扉の辺りで古沢さんが上級生に呼び出されているのを見た。誰だろうと思えば、この前の先輩だ。名前は確か青瀬さんと言ったはず。見たところ険悪なムードというわけでもなさそうだけれど、遊びの誘いをしているようにも見えない。

 相手に気づかれないように視界の端で眺めていたら、先輩に連れられて古沢さんが教室を出ていった。あの場所ではやりにくい用事でもあるのか、どこか別の場所へ移動するようだ。

 呼び出した理由が彼女たちの個人的な問題であるとすれば、お呼びがかかっていない俺には関係ない話だが、まったくの無関係というわけでもあるまい。昭和の不良マンガでもあるまいし、まさか人気のない体育館裏に呼び出して殴り合いの喧嘩をおっぱじめるわけでもなかろうが、なんとなく放っておけず気になった俺はこっそりと後をつけることにした。

 何事もなければ、それはそれでいいのだ。単なる杞憂で済む話になる。


「え、ここって……」


 さて、こそこそと最後までついていってみて驚いた。

 なんと彼女たちが向かった先は、つい先ほどまで冗談で予想していた体育館裏だったのだ。

 体育館の薄汚れた壁を背にして、浮かない顔の古沢さんが数人の女子に囲まれている。

 まさか本当に決闘でも始めるつもりだろうか。

 そうでないといいけれど、言い争いくらいにはなるかもしれない。万が一の際に割って入ることができるように、可能な限り近づいておく。ちょうどいい植え込みがあって、それとなく話が聞こえる距離まで移動するのは難しくなかった。

 あまり行儀はよろしくないものの、ここから彼女たちの会話を盗み聞くことにしよう。


「私たち、あなたに言ったよね? 手を出さないでって」


 何事かを追及する先輩の声には隠しきれない怒気が混じっている。全然関係ない部外者の俺でも身がすくみそうな冷たい声だ。

 これに対するは古沢さんである。

 周りが敵だらけの四面楚歌状態で窮地に立たされているかと思えば、すっかり肝が据わっているのか先輩たちを相手に全く臆していない。


「はい。言われましたね。だから手は出してませんよ」


「嘘つきなさいよ! この前あなたが彼と一緒にいたところを見たんだから!」


 壁に向かって半円状に古沢さんを取り囲んでいた女子の一人、彼女をここまで呼び出した張本人でもある青瀬さんが声を荒げた。

 ふむふむ、なるほど。おかげでなんとなく事情は察せられた。

 つまり古沢さんが青瀬さんの彼氏に手を出したと疑われているのだろう。

 だとすれば、すごく難しい問題だ。まず、その疑いが事実なのか誤解なのかも俺には判断ができない。口論が激しくなって取っ組み合いの喧嘩が始まれば、真偽はともかく手を出しているほうを止めればいいが、現時点では言い争っているだけなので仲裁に入るのも難儀だ。事情を知らない俺のような部外者が口を挟むと、余計に話がこじれてしまいかねないではないか。

 そうなった場合、困るのは俺ではなく古沢さんだ。あまり無茶はできない。

 なので、ひとまずは黙って隠れておき、話の趨勢を見守りつつ聞き耳を立てておくことにする。


「一緒にいたのは事実ですが……」


「ほら見なさい!」


 言質を取ったとばかりに先輩の声が高まる。

 しかし古沢さんも負けてはいない。自分より年上の先輩が相手だからか遠慮して感情的にはならず、ただ事実だけを淡々と伝えるように毅然として答える。


「たまたま通りがかった時に彼から声をかけられて、少しの間しゃべって一緒にいただけですよ。手なんか出しません」


「どうだか。あなたはどうせ寄ってくる男なら誰でもいいんでしょ」


「そんなこと……」


 ない、と、はっきり言うのかと思ったら口を閉ざした。

 生垣のように取り囲んでいる先輩たちが邪魔になって表情が見えないのが若干もどかしいけれど、問い詰められる古沢さんの語勢が弱くなったように感じた。

 ここが攻め時と見たのか、見るからに肩を怒らせる先輩たちがさらに詰め寄っていく。

 大人びた対応で受け答えしていた先ほどまでとは打って変わり、うまく対処できない古沢さん。

 否定する、はぐらかす、正面から取り合わない。言葉のやり取りでは埒が明かないと見た先輩の一人がついに手を出す。あくまでも軽くではあったものの肩を突き飛ばされ、よろめいた古沢さんが壁にぶつかった。

 それを合図に追及の言葉はどんどん厳しくなり、ほとんど罵倒の域に達しようとしている。

 かろうじて殴り合いの喧嘩には発展しそうにないが、暴力沙汰ではないからといって、このまま放っておくこともできない。

 さすがに止めに入ろうと俺が足を踏み出そうとした時だ。


「お、乙終君?」


「……えっ?」


 いきなり背後から声をかけられて振り向けば、そこにいたのは同じクラスの眼鏡女子である鷹高さんだった。古沢さんたちの動向に注視するあまり、後ろから彼女が近づいて来ていたことに全く気づかなかった。

 声をかけられた俺も驚いたが、不思議なことに声をかけた彼女も驚いている。

 お互いに中腰になって身を引きつつ、相手の出方をうかがうように恐る恐る小声で鷹高さん。


「ど、どうしてこんなところに……?」


「それは……。いや、そう言う鷹高さんもどうしてここに?」


 放課後に学校の敷地内を徘徊するような趣味がなければ、ふらふらと散歩に来るような場所ではない。テニスコートとは別の方向にある体育館の裏なので、部活に来たというわけでもないだろう。

 ということは、十中八九の確率で彼女たちに用事があってここまで来たに違いない。

 その推測はどうやら当たっていたらしく、鷹高さんは背筋を伸ばした。


「そ、そうだった! 先輩たちが古沢さんを呼び出したって聞いて、慌てて追って来たの。こういうことって、あんまりよくないと思うから……」


「そうか。じゃあ鷹高さんは先輩たちを止めに来たんだね」


「うん、そのつもりなんだけど……」


 言葉とは裏腹に鷹高さんは二の足を踏んでいるように見えた。古沢さんに詰め寄る先輩たちの姿を見て、すっかり臆してしまったのかもしれない。体育会系の部活において上下関係は絶対だ。たとえ間違いがあっても上級生を相手に意見するのは勇気を必要とする。

 実を言えば俺も割って入る勇気が出ずにいたので、どことなく彼女に共感してしまうが、いつまでも二人そろって物陰から見守ってばかりもいられまい。

 でも実際どうするのが一番いいのだろう。先輩たちが激高している以上、下手に相手を刺激すると、彼女らに宿敵認定されたらしい古沢さんをますます孤立させてしまうかもしれない。

 それに、ひょっとすると古沢さんは誰かに助けられるよりも自分の力で解決したいと考えているのかもしれない。

 いっそ彼女の方から助けを呼んでもらえたなら、こちらも覚悟を決めて入っていきやすいのだが……。


「ちょっと! そこにいるのは誰!」


 鷹高さんとの話し声が向こうに聞えたのか、先輩たちが隠れていた俺たちの気配に気が付いたようだ。

 顔を見られたわけでもないので逃げ出すことも隠れ続けることもできたが、ここまで来ておいて消極的な策に出るのは情けなさすぎる。これは逆に考えると彼女たちに声をかけるちょうどいい機会でもあるから、ここは素直に姿を現しておくこととする。

 向こうからすれば茂みに隠れていた不審者なので自己紹介が必要かと思ったけれど、どうやら青瀬さんは俺のことを覚えていてくれたらしく、顔を見た瞬間に警戒を解いた。


「ああ、あなたね……。彼女のことが心配で様子を見に来たの?」


「えっと、まあ、そうなんですが……」


 はっきり答えるつもりが、つい歯切れが悪くなってしまった。心配して様子を見に来たというよりも、こっそり覗き見していたと言うほうが実態に即しているからだろう。何か悪さをするつもりで隠れていたわけではないにせよ、彼女たちに非難されたら謝らなければならない立場だ。

 しかし俺と目が合った古沢さんは怒るでもなく、むしろ、どことなく嬉しそうに口元をゆがめた。


「私、彼のことが好きなんです」


「……えっ?」


 突然の乱入者である俺に向けられていた全員の目が、驚いたように古沢さんへと向き直る。

 いきなり脈略もなく出てきた宣言だったので、何かの聞き間違いかと思ったのかもしれない。

 もう一度、今度ははっきりとみんなに聞こえるように古沢さんが言う。


「そこに立ってる乙終君のことが好きなんです。だから、先輩の彼氏に手を出したりしません」


「あ、そう、そうなのね……」


 てっきり自分の彼氏を狙っているとばかり思っていたのか、古沢さんのストレートな気持ちを聞かされた先輩は狼狽する。

 言い返す言葉が思いつかないらしく、うまく事情を呑み込めていないようだ。

 この場を切り抜けるために嘘をついている可能性を疑っているのか、青瀬さんとは別の先輩が古沢さんに確認する。


「あなたたち、付き合ってるの?」


「いえ、あくまでも私の片想いです。彼には告白して振られました」


「え、じゃあ……」


 もう彼女たちの彼氏に手を出さないという古沢さんの言葉に説得力はないのではないか。

 そう言いたげな彼女たちに対して、そんなことはないと古沢さんは力強く言い放つ。


「でも、だから私は乙終君を振り向かせたいんです。ちゃんと、次の、新しい恋を始めたいから」


 そして、神妙な顔をした彼女は頭を下げた。


「……先輩、謝ります。配慮が足りなかった私が悪かったんです。これからは先輩の彼氏に近づきませんし、もう向こうから話しかけられても仲良さそうにはしません。拒絶します」


「えっ……」


 これには先輩たちも驚いたらしい。わかりやすいくらいに目を丸くする。


「あなたが謝るなんて、珍しいわね。そう約束してくれるなら、もう私たちから言うこともないけど……」


 そう言って立ち去ろうとする先輩たち。古沢さんが謝ったことで留飲も下がり、これで話は終わりらしい。

 しかし、そんな彼女たちを呼び止めるように、俺の後ろの物陰に隠れたまま出るタイミングを失っていたらしい鷹高さんが飛び出した。

 駆け出して向かった先は古沢さんの前ではなく、身を翻そうとしていた先輩たちのところだ。


「あの、先輩! 古沢さんだけに謝らせるのって、違うと思います!」


「……わかってるわよ」


 一瞬うろたえた彼女たちだが、意を決した表情を見せる鷹高さんの気迫に負けたのか、結局はそう言わざるを得なかった。

 やや気まずそうに手をすり合わせながら、それでも青瀬さんは古沢さんに頭を下げる。


「ごめんなさい。あなたを疑いすぎていたかもしれないわ」


「いえ、気にしてないです。私の態度も悪かったですから」


 そして今度こそ彼女たちは体育館裏を離れていく。謝られたことと、改めて彼に手を出さないという約束を得られたことで、ひとまず古沢さんに対する怒りや疑念は収まったらしい。

 おそらく部活へ向かったのだろう。

 残されたのは俺と古沢さんと、そして先輩たちとは一緒に立ち去らなかった鷹高さんだ。

 その鷹高さんが申し訳なさそうな顔をして古沢さんに頭を下げた。


「あの、ごめんなさい」


「どうしてあなたが謝るの?」


 確かに不思議だ。どちらかと言えば鷹高さんは古沢さんを助けた側である。

 こちらから彼女に感謝を伝えるならともかく、彼女が謝る理由はなさそうに思える。

 それを自分でも理解しているのか、鷹高さんは少し悩んだ後で打ち明けた。


「今までずっと先輩たちの憂さ晴らしに付き合わされているって思ってたけど、実はたぶん、心のどこかでは私もちょっと古沢さんのことをよく思ってなかったんだと思うの。だから、まずはそれを謝りたかった。誤魔化すんじゃなく、ちゃんと前に進みたいから……」


 声が震えている。嘘をついているようには見えない。おそらく本心から出てくる本当のことを伝えているのだろう。

 中学生のころ、付き合っていた彼氏を古沢さんにとられたんじゃないか。一度でもそう考えてしまったなら、そこから生まれた心のもやもやを消すことは難しかっただろう。はっきりとした憎悪でなくとも、彼女に対する恨みや嫉妬、不快感といった感情は簡単に理性で制御できるものでもない。

 今も完全に消え去ったわけではないだろう。

 それでも彼女はそれを自分から打ち明けて、折り合いをつけることを選んだ。

 前に進むために。

 前に進む、とは、おそらく人によって色々な意味があるだろうけれど。

 古沢さんが答える。


「あなたが謝る必要はないわ。悪いのは私だもの。今だからわかる。あの時の私は自分のことばっかり考えて、おもちゃを欲しがって駄々をこねる子供みたいに周りが見えていなかったの」


「それは……きっと、私を含めてみんなそういう部分があると思う。古沢さんだけじゃないよ」


「……そうかもね。だから、改めて真剣に恋というものを考えたいと思い始めたの。ううん、ここは正直に憧れ始めたって言ったほうがいい」


「そうなんだ」


「だけど今度は友情も大事にしたい。人との付き合いって、たぶん恋愛だけじゃないと思うから。だから、あなたさえよければ、私と友達になってくれる?」


「古沢さんさえよければ、私は……」


「じゃあ決まりね」


 古沢さんは右手を差し出す。高鷹さんはその手を握り返す。

 そして一秒ほど見つめ合って微笑むと、すぐに顔を赤くした高鷹さんは手を離した。


「え、えっと、それじゃあ私、部活に行くから……!」


「うん、行ってらっしゃい。頑張ってね」


「うん。ありがとう」


 素直に頷いた彼女は部活へ向かうために走り去った。

 それを見送って、古沢さんが俺の方に顔を向ける。


「乙終君、よかったら今日はこのまま一緒に帰らない?」


 様々なことを考慮して誘いを断ることもできたけれど、そこまで露骨に拒絶することはできなかった。

 すべての関わり合いが恋愛を前提としているわけではない。先ほど口にされていた彼女の言葉ではないけれど、やはり友情は大事にしたい。

 きっかけは同じクラスの一員だったというだけかもしれないし、今日まで積み重ねてきたコミュニケーションが完全にうまくいっているとも言い切れないけれど、少なくとも彼女は俺にとって友達だ。

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