14 友達になろうよ
程よく晴れた週明けの月曜日。
いつものように何事もなく平和な時間が過ぎていくのかと思ったら、そうはならずに放課後の俺は小さな騒ぎに遭遇した。
「ちょ、ちょっと! どうするのよ、これ!」
「安心して! 別にどうもしないのね! 何もしないから!」
わいわいがやがやと楽しそうな大声を出しているのは同じクラスに属する二人の女子であり、誰かと思えば俺のよく知る榎本と古沢さんである。
声を荒げているからといって取っ組み合いの喧嘩をやっているわけではなさそうだけれど、至近距離で向かい合っている彼女たちは仲よく遊んでいるという雰囲気でもない。まったく二人で何をやっているんだと思って顔を向けたが、はっきり言って俺にもよくわからなかった。
とにかく何か騒いでいる。
「何もしないのにこんなことされるのが一番怖いんだけど!」
「じゃあ何かやるから! 安心させるためにも今からちゃんと何かやるのね!」
「何かやられるのも怖いんだけど!」
「あ、逃げようとしても無理だから!」
渾身のイタズラが成功した小学生が顔を輝かせるように笑う榎本が言う通り、どれほど必死にあがいたところで古沢さんが彼女から逃げるのは無理そうだ。
なぜなら……というか、なぜか二人は手錠でつながっているのだ。
警察が犯人を捕まえる時のアレである。
状況から察するに、まさか榎本が古沢さんを捕まえたんだろうか。古沢さんが何かやらかして逮捕されたのでもなければ、事件など関係なく、新ルールの鬼ごっこで遊んでいるのかもしれないが、いわゆるマジギレの一歩手前までいっている古沢さんの嫌がりようを見るに違うかもしれない。あれが遊びだったらもっと楽しくやるはずだ。
嫌がるのも含めてプレイなのかもしれないけれど、もしそうなら配役は逆になる気がする。
放課後の教室で何をやっているのやら。
「手錠をかけてって言うから親切心でかけてあげたのに、どうして反対側を私の手にはめちゃうのよ」
「え、つい……」
「あなた警察官だけにはならないでね。勢いで発砲とかしそう」
まさかそんなはずは……うん。
彼女たちの話を遠くで聞いているだけの俺だが否定はできない。榎本は欲求不満がたまったら何をしでかすかわからないタイプの人間である。さすがに拳銃を使って快感を求めたりはしないだろうが、絶対にないとは言い切れない。
特に日本では警官が発砲すると大問題になるので、彼女みたいな衝動で生きる人間には難しいだろう。他の職なら安心というものでもないけれど。
「嘘、嘘、ごめん。ほんの知的好奇心なのね。悪いことなんてするつもりないよ」
「もうすでに悪いことしてるんだけど。わからないなら教えてあげるけど、あなたは奪ってるのよ、私の自由を」
手錠のはまった左手を持ち上げて、やれやれと言わんばかりに肩をすくめる古沢さん。その動きにつられて、榎本の右手とつながっている手錠の鎖がジャラジャラと耳障りな音を立てた。
音の質感を聞く限り、安物のプラスチック製ではない。どうやら意外としっかりした手錠みたいだ。どこで買ったんだろう。
「ごめんなさい」
「そこまで素直に謝られると怒る気も失せてくるけど……じゃあ、はい。もう知的好奇心も満たされたでしょ? 外して」
ほらほらと言いながら古沢さんが左手を突き出すと、きょとんとした榎本が首をかしげる。
「外してって言われても、ここでは難しいのね。手錠の鍵は私の家にしかないよ」
「なんで!?」
「だって……すぐに外すつもりなかったから……」
「なるほどね……って、だったらなおさら、どうして!?」
確かに不思議だ。理不尽につながれた古沢さんが驚くのも無理はない。
鍵が手元になく、家に帰らないと外せないというなら、なぜ教室で手錠をかけてしまったんだ。ここで外せなくなれば、ぱっと見で一メートルもない手錠の距離感でつながったまま、警戒して嫌がる彼女を無理強いしてでも榎本の家に連れていくしかない。
もしかして榎本は手錠でつながることによって、強制的に彼女と仲良くなるチャンスを作ろうとでも思っているのだろうか。
今は榎本の犠牲になっている古沢さんもぐいぐい来るタイプではあったけれど、いくらなんでも距離感の詰め方が下手すぎる。今まで距離を置いていた反動だろうか。それにしたって手錠はないと思うが。
「うーむ……」
榎本の相談役である責務として、放っておいたら喧嘩に発展しかねない二人の間に俺が入っていく必要があるかもしれない。そう思って遠慮がちに声をかけようとしたら、いつの間にかそばに来ていた峰岸さんが冷たい目をして二人を眺めていることに気づいた。
どうしたんだろうと思うが彼女は無表情に近く、いまいち感情が読めない。
ひょっとすると彼女たちの騒ぎを聞きつけて、トラブル解決のため頼れるクラス委員長として何かするつもりかもしれない。ならば、ここは声をかけるのはやめにしておいて、ひとまず峰岸さんに任せることとしよう。
自由を奪われた緊急事態とあって彼女の冷たい視線に気づかないのか、古沢さんが救いを求める。
「困った時はのマリカっち、助けて! よくわかんないけど逮捕されちゃった!」
「イチャイチャ罪ですね。このまま二人を投獄します」
「イチャイチャ罪ってそんなに重いの!? というかこれ、新手の嫌がらせとかじゃなくてイチャイチャだったの?」
驚きのあまりオーバーリアクションになっている彼女の動作が激しいせいか、古沢さんと榎本の間でゆるんだり緊張したりする手錠の鎖がガチャガチャと金属質な音を立てる。
それに引っ張られる形で右手を上げる榎本が素直に頷いた。
「うん。イチャイチャするっていうか、古沢さんと仲良くなりたかったから……」
それを聞いた古沢さんの動きが止まる。
「そう……。だったらもっと他の方法でアプローチしたほうがいいと思うわ。さすがの私でもここまで強引に捕まえたりしない」
確かに俺は手錠をかけられたりしなかった。押しの強い古沢さんだが、ここまでの強硬策には出ない程度の良識は持ち合わせていたのだろう。
ゆっくりと手を下げつつ、クールダウンした榎本が俺の方に視線を向ける。
「だってさ。乙終君」
「なんでそこで俺に話を振るんだ」
「だってこれ、乙終君のアドバイスを参考にしたんだもん」
「……説明を求めてもいいかな」
事情がわからず、ゆっくりと頭を抱える。
いつ参考にされるアドバイスをしたんだ、俺は。
「ほら、この前、私は乙終君に縛られたじゃない?」
「えっと……」
この前というと、十中八九で土曜の夜のことだろう。
確かにあの日は榎本のお願いに従って、今まさに彼女たちをつないでいる手錠ではないけれど、榎本が持ってきた何かの紐で彼女の体を縛った。
縄跳びみたいな丈夫な紐で縛られて、自由を制限されたくせに嬉しそうにしていた彼女の顔を思い出す。
「それが案外気持ちよかったって? なるほど。……けどね、それを誰にでも当てはめていいというわけじゃないよ。榎本さんは特殊なんだから」
と言うと、まるで心外だと言わんばかりに榎本がむっとする。
「違うのね! いや、まあ、気持ちはよかったけど……」
やっぱりよかったのか。
だとしても、みんながいる前で縛られて気持ちいいとか暴露するのはやめたほうがいいけれど。
一応は周囲を警戒して小声ではあったが、手錠でつながれている距離的に俺たちの話が聞こえていたらしい古沢さんが不安そうな顔をする。
「何の話? 私を縛って気持ちよくするとかいう、やばい話?」
「それは本当にやばい話だ。でもたぶん違うと思う」
たぶんというか、絶対違う。そう信じたい。
けど榎本だからな……。本当に縛って古沢さんを気持ちよくしたいのかもしれない。とんでもない仲間の作り方ではあるが、世間的には立場が弱いことの多いマイノリティ側に所属する人間は、自分たちのことを理解してくれる仲間を増やしたいがために過激な行動に出てしまうことがある。多数派であるマジョリティ側が過激でないかというと、それも違うだろうが。
あれこれと考えたせいで浮かない表情をしてしまったらしく、やや失礼なことを考えた俺の思考を見抜いたのか、榎本が不服そうに頬を膨らませた。
「乙終君、もしかして忘れたの? 私を縛ってくれた日、あの後、なんだか近づけた気がするって言ってくれたじゃん」
「それはまあ、ひょっとすると会話の流れで言ったかもしれないけどさ」
包み隠さず正直に言うと、先日のことはもうあまり詳しく覚えていない。
なにしろ榎本と二人きりで過ごしていた緊張と興奮のせいで、いつも以上にドキドキと胸が高鳴っていた俺は正気ではなかったからだ。
お互いの体をひもや手錠で縛れば、それは当然ながら物理的に近づけはするが、心理的な意味で近づけるかどうかは別問題だ。下手をすれば縛る前のころより距離を置かれてしまう。
なのに榎本は自信があるのか、満足げにうんうんと首を縦に振る。
「そうそう、だから古沢さんともそうなれるようにって、ね?」
「なるほどね……。じゃあ、満足したらちゃんと外してあげよっか」
「うん、わかった」
おお、よかった。どうやらわかってくれたようだ。
今回ばかりは意外と素直で助かった。ちゃんと仲良くなれたと実感できるまで外したくないとごねられたら面倒で大変なことになっていた。
ふぅ、と息を漏らしたのは古沢さんだ。
「それはよかった。で、いつ満足してくれるの?」
「うーん、もう満足しちゃったかな。手錠をはめちゃったのはうっかりというか、一時の気の迷いだったから……」
そうなのか。じゃあ、すぐにでも外してあげないとな。
そう思っていたら榎本がこちらを向いた。
「乙終君もついてきてくれる?」
「ついてきてって……もしかして、榎本さんの家まで?」
「うん」
先ほどの話によれば、手錠を外す鍵は彼女の家にあるらしい。ということは、鍵がある彼女の家までついていかなければならないということだ。
中学生のころから仲がいいとはいえ、好意を抱くごとに大きくなってくる気恥ずかしさや遠慮する気持ちもあって、今まで俺は榎本の家に行ったことはない。
つまり初めての訪問となる。
正直に気持ちを答えるなら、すごく嬉しい。どんな経緯であれ、好きな女子の家に誘われて嬉しくないわけがないのだ。ただし、せっかくのそれが古沢さんを手錠につないでいる状態でいいものか、微妙に悩ましくて即答できない。
どうせなら心置きなく万全の態勢で伺いたいところだが……。
すると峰岸さんが俺の肩を叩いてきた。
いや、より正確に表現するならガシッとつかまれた。
「お任せしますよ、乙終君。彼女たちが二人でいかがわしいことをしないように、ちゃんと見張っていてくださいね」
「あ、うん」
というわけで、真剣な目をする峰岸さんの圧に負け、俺も一緒に榎本の家へ行くことになった。
とぼとぼと後ろを歩く俺の前で、右手と左手で手錠をつないだままの榎本と古沢さんが歩いているのはちょっと犯罪臭がする。事情を知らない第三者に目撃されたら通報されるかどうかはともかく無事では済まない気もするので、榎本の家に向かうまでの俺は気が気でない状態だった。
ことさらに通行人が少ないルートを選んだわけでもないが、幸い誰にも見つからず、そう遠くない場所にある榎本の家までたどり着いた俺たち。
そこは市内にいくつもあるような風貌の古びたアパートで、やや急な階段を一つ上がった二階の一番奥、建物の正面から見て左端にある部屋が榎本の家らしい。
今は誰もいないのか、いそいそとカバンから片手で鍵を取り出した榎本が扉を開け、手錠のつながった古沢さんを引きずるように中へと入っていく。さすがに男子である俺を招き入れるのには準備があるのか、数分後に再び扉が開いて榎本が顔を出した。
「お茶くらい出してあげるから乙終君もゆっくりしていってよ」
「そうか、ありがとう。お言葉に甘えて失礼しようかな」
すごく入りたい気持ちはあるものの、あまりがっついてしまうと迷惑な上に気持ち悪いかもしれないので、一応は遠慮がちに足を踏み入れる。
もうすでに手錠の鍵を外されたのか、部屋の中では数十分ぶりに自由の身となった古沢さんが小さなテーブルの前に座っていた。さっきまで手錠があった違和感があるのか、手首をすりすりとさすっている。
「私は別にお茶なんていらないわよ」
「まあまあ、そう言わずにゆっくりしていってほしいのね」
「いや、手錠を外してもらうためだけに来たんだし。それじゃ、もう帰るわね」
と言って、未練もなく素っ気なく立ち上がろうとする古沢さん。
それを見て、すかさず榎本が駆け寄った。
「え、待ってよ。折角だから友達になろうよ」
「……友達? あなたと私が?」
「そう、友達。私、古沢さんと仲良くなりたいのね」
「そ、そう言われてもね……」
「だめ?」
「駄目ってわけじゃないけれど……」
あまりに真っ直ぐな目で榎本が見つめてくるので、さしもの古沢さんもちょっとうろたえている。ひょっとすると誰かに攻められるのは弱いのかもしれない。あるいは相手が榎本だからかもしれないが。
若干榎本から距離をとるように後ろへ下がりつつ、何やら納得したように何度も頷く古沢さん。
「考えてみれば、私って同性の友達は少ないから女子の家に来たのは初めてかも。どちらかといえば嫌われることが多かったから。だからというか、意外と新鮮で悪くない感じね。あなたと友達になるのもいいかもしれない」
「本当?」
「本当よ。でも条件があるわ」
「え、何? お金ならないよ」
「お金なんていらないわ。……そうじゃなくて、ほら、ちょっとこっちに来て」
「いいけど……」
よくわからないまま従順に近づいてきた榎本の手を取って、にやりと笑った古沢さんはカチャカチャっと手際よく両手に手錠をかけた。
さすがの榎本も驚いたらしく、ぽかんと口を開けている。
勝ち誇った表情をするのは古沢さんだ。
「手錠をかけさせてもらったわ。あなたの部屋であなたを自由にしていたら、何をしでかすかわからないから」
「ひどい! 何もしないのね!」
残念ながら本人が力説するほどには説得力などない。さすがに手錠をかけるのはどうかと思うが、そのどうかと思う行動を教室でやってしまったのが榎本だ。
何かするんじゃないかと警戒されても仕方がないだろう。
「外して! 謝るから!」
「やだ」
「ごめんなさい! ほら謝ったから外して!」
そうは言うものの、言葉の勢いとは裏腹に本気で外してほしがっているようにも聞こえない。
まさかとは思うけれど、欲求不満のマゾ娘である榎本は意外とこの状況を楽しんでいるんじゃないだろうか。
それを持ち前の察しの良さで見抜いているのか、表面上は嫌がる榎本に意地悪する古沢さんも楽しそうに口元をゆがめている。
「そうだなー。私の言うことを聞いてくれたら外してあげる」
「聞く聞く! 何でも言ってほしいのね!」
「じゃあ、隣に座って?」
「……隣に? わかった!」
ためらったのは一瞬だけで、頷いた後は素直に古沢さんの隣に座る榎本。ほとんど肩を寄せ合うような距離で、自由を制限されているくせに警戒心はない。
ひとまず俺は二人から距離をとったままの場所に立っておくことにする。何をするんだろうと黙って見ていたら、いきなり膝立ちになった古沢さんが榎本に向かって手を伸ばした。至近距離では避けようと思っても無理そうな勢いだ。
「えいっ!」
「えっ! 何するの!」
「私の気が済むまで、加奈っちをくすぐる!」
その宣言通り、古沢さんは榎本の横腹に手を突っ込んでくすぐり始めた。
それは予想外だったのか、ビクッと反応して焦った榎本が慌てて声を上げる。
「あ! ちょっと! 脇腹は駄目なのね!」
「教えてくれてありがとう。ふふ、駄目だからやるんじゃん。弱い場所を狙ってこそのくすぐりなんだから」
「や、あっ、乙終君! 乙終くぅん!」
本気でくすぐったいのか笑いをこらえながら榎本が助けを求めてくるが、正直どうしようもない。くんずほぐれつ争っている女子同士の絡みなので、男子の俺には手を出しにくいのだ。
それに結構激しい攻防だ。助けたいなら古沢さんを羽交い締めするくらいの気持ちでいかなければならない。しかし相手は女子だ。仲裁するという口実があるとしても、積極的にボディタッチをするのは気が引ける。やはりそれも難しい。
「くっ! うう、かはっ……!」
笑い声をこらえながら榎本が足をバタバタさせる。完全に背後に回った古沢さんの手が左右から榎本の脇腹や脇の下を狙う。
息も絶え絶えに身をひねる榎本。鼻息荒く抑え込もうとする古沢さん。
さて、この状況で俺はどうしたものかと傍観していたら、チンチロリンとスマホが鳴った。何かと思えば峰岸さんからのメッセージだ。
『二人のイチャイチャ許してない?』
スマホから顔を上げて目の前の光景を眺めながら、冷静に俺は考える。
果たして二人のこれはイチャイチャだろうか。
……イチャイチャだろうな。
『ごめん、許した。ごめん、許して』
そう送ったら返信がすぐに来た。
『なんてこと! 謝ったって許さない……と言いたいところだけど、もし今も二人がイチャイチャしてるなら、それを動画にとって私にちょうだい』
『なんで?』
『目の保養にする』
なるほど。言われてみれば確かにかわいい女の子同士が楽しくイチャイチャしているのは目の保養になる。止めるでもなくじっと見ていた俺が言うのだから間違いない。二人の服が乱れて汗ばんで来たら、いよいよ目が離せなくなるだろう。
……さすがに自分でもいやらしい気がして目をそらす。
ともあれ、どうやら峰岸さんは二人のイチャイチャ動画を渡せば許してくれるらしい。ちょうど目の前でイチャコラしているので、このタイミングを利用して撮影しておこう。きっと峰岸さんも満足してくれるに違いない。
とはいうものの、カメラモードを起動したスマホを片手に動きは止まる。いくら峰岸さんに頼まれたからといって、被写体に無断で撮影を開始すると後々問題となりかねない。ある程度のことなら大目に見て許してくれそうな榎本はともかく、古沢さんにセクハラで糾弾されたら俺の方が負ける確率が高い。
なので、とりあえず確認しておくことにする。
「動画撮っていい?」
「は? 動画? いいよ」
「ありがとう。じゃあスマホで撮影するね。……よし、準備できた。こちらに構わず続きをどうぞ」
「乙終くうううん!?」
断腸の思いで榎本の呼びかけは無視した。
直ちに古沢さんによるくすぐり攻撃が再開する。
結局、二人のイチャイチャを三分くらいの動画に収めた。
「あ、はぁ、ふぅ……」
抵抗むなしく力尽きた榎本は息を荒げながら仰向けに倒れている。
榎本に対して主導権を握り続けていた古沢さんも無事ではないらしく、やんわりと額に汗を浮かばせ疲労の色が見えた。
どちらも満足そうなのが不思議というかウィンウィンの関係というか、とにかく古沢さんに聞いてみよう。
「満足した?」
「ええ、ひとまずは満足ね。加奈っちとは友達になれる気がする。ちょっと強引だったかもしれないけれど、こういうことをやった方が、結果的にはお互いに遠慮もなくなって仲良くなれるでしょうし」
「そうかな……」
いまいち同意はできないけれど、なんとなく彼女の言いたいことはわかる。
それに、二人が仲良くなれるなら過程はどうあれ歓迎すべきことだろう。
「それじゃあ手錠は外してあげてよ。このままだとお茶も飲みにくそうだし」
「そうね。でも、話が終わるまではもう少しこのままの状態でおとなしくしていてもらおうかな」
「……話?」
「そう。実は私、乙終君に話があるの」
「俺に?」
なんだろう。強引に手錠をかけられ家に連れ込まれた榎本に話があるなら理解はできるが、ただついてきただけの俺に話があるとは予想がつかない。
もしかして俺だけに対する話ではなく、この場にいる榎本にも関係ある話だろうか。
不満や苦情などでなければいいが……。
寝転がったまま声が聞こえているらしい榎本も話が気になったのか、ゆっくりと上体だけを起こして座り、ぼんやりとした表情で古沢さんに目を向けた。
「乙終君に話があるって、二人きりじゃなくてもいい話? そばに私がいてもいいの?」
「ええ、別にいいわよ。というより、ここにいてほしいかな。加奈っちがいる前で、改めて乙終君に言いたいことがあるの」
「……なんだろ?」
思い当たる節がないのか、榎本は小首をかしげている。
それを見て、古沢さんが少しだけ微笑んだ。
「あれからしばらく考えていたんだけど、私、やっぱり決めたの」
「あれから……というと何だろう。決めたって、何を?」
身構えもせずに尋ねる。同じように疑問に思ったらしく、やや神妙な顔になった榎本も聞いている。
少しだけ間をおいて、古沢さんが覚悟を決めたように口を開く。
「乙終君のこと、あきらめたくない。私、あなたのことが好き」
「えっと……」
「今すぐじゃなくてもいい。いつか、いつの日かでいい。あなたと付き合いたい」
少しだけ、ほんの少しだけではあるけれど古沢さんがにじり寄ってきた。
答えを求めているのかもしれない。あるいは反応を。
さりげなく榎本のほうへ視線を向けてみると、目が合った瞬間に彼女は口をつぐんで目をそらした。なので何を考えているのかはわからない。
ただ、俺の中で答えは決まっていた。
誤魔化すわけにはいかない。
「ごめん。その気持ちはすごく嬉しいけど、古沢さんと付き合うことはできない。今の俺は、その、榎本さんたちとの関係を大切にしたいから」
「わかってた。それは、もう何度も言われている答えだから」
「だったら……」
「だけど、改めて宣言したかったの。加奈っちがいる前で、ちゃんと私の気持ちを伝えておきたかったの。私、これからもあきらめない。今までみたいに強引に迫ることはしないけど、乙終君が好きになってくれるのを待つことにする。だって、この胸の中にある『好き』って気持ちに嘘は付けないから」
それだけを言い残して立ち上がると、こちらを振り返らずに古沢さんは部屋を出ていった。
俺の見間違いでなければ、彼女の目は潤んでいた。
泣かせたのかもしれないと思うと、少なくない罪悪感が俺の胸を占める。
けれど、彼女を追いかけることはしない。いや、できない。
今この状況で古沢さんにかけるべき言葉が思いつかないという情けない理由があったし、それに、ここには手錠につながれたままの榎本が残されていたから。
古沢さんが落としていった鍵を拾い、黙ったまま榎本の元へ近づいて、彼女の手にかけられていた手錠を外す。
「ありがとう……」
「いや……」
お互いに顔を見合わせることもできず、それ以上は何を言うべきか困っていた。
ただ静かに夕日が沈んでいくのを、窓越しに空が暮れていく気配に感じながら。




